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9話


「遅いですね、やっぱり」


 部下の一人が、声を震わせながら呟いていた。

 怒りに震えているならまだしも、これは気紛れな自分から逃れようとする怯えから来る物だ。情けない、恐怖を受けても堂々としていれば、鬱陶しくもならないのだが。

 爆破の決行時間が過ぎてしまい、部下達が戸惑っている。不足の事態が発生した様だが、その詳細の確認には動かない。

 どうにも、必要以上に怖がられている。金に困った命知らずな連中ばかり雇ったつもりだが、これはどういう事なのだろうか。

 読み終えた本を、閉じる。ナメクジと蜘蛛と狸が、欲張った末に死んでいく物語だ。今、周囲に居る者達も、こんな風に死んでいくのだろうか。現実的には面白くない話だ。どうせなら、巨大隕石の落下阻止で命を捧げて欲しい。

 本を閉じた音による緊張が生まれている。またか、という飽きが有ったが、まだ殺す気は無い。

 代わりに、まだ爆弾の設置が終わっていない階を確認する。やはり、七階だ。五階からは階段を少し上がるだけの距離で、確認に行っても大した労力ではない。


「そうするか」独り言を口にして、勢い良く立ち上がる。

「そうだな」本を鞄へ戻し、代わりに猟銃を取り出した。「確かに、遅い」


 今から狩猟でもする様に構えてみると、それなりに使いやすい。懐には拳銃も有ったが、こちらの方が面白いと思える。


「狩りでも、するんですか」

「勿論だ。兎か、狐か、獅子でも狩るのか? そう、人間を狩るのさ」


 質問をしてきた男に銃口を向けると、面白い様に焦燥して逃げようとする。まだ殺す筈が無いんだが、普段の行いが悪い様だ。

 銃を軽く上げてやると、男はすぐに安堵していた。驚かせてやったので、気分が軽くなった。


「安心しろ、撃つ気は無い」鼻で笑い、銃弾を込める。「まあ、七階の奴は頭を吹き飛ばすが」此処まで計画を遅らせたのだ。生きて帰るとは思っていまい。

「もう逃げてるかも、しれませんね」顔を青くした男の問いへ、あえて朗らかに答えてやる。「その時は、便所の配水管の中に居ても始末してやる」


 それくらいした方が、面白い。あくまで派手に行きたいのだ。

 銃弾を装填し、弾の入った箱を手元へと戻す。銃を肩に掛ければ立派な猟師の完成だ。服装が良くないので、お世辞にも似合っているとは言えまい。

 七階を任せた男はまだ戻っていない。どういう理由であれ、殺そう。いや、もう死んでいるかもしれない。

 もしかすると、何処かの英雄か何かが事態に気づいたのかもしれない。八十年代のアクション映画の様に、我々を皆殺しに来るのかもしれない。そんな期待が有るのも事実だ。むしろ、そうなって欲しいと願っている。

 このホテルには、何か有る。素直にそう感じている自分を自覚すると、余計に面白くなってきた。七階では偶然居合わせた元特殊部隊のエリートが設置した爆弾を改造し、罠を張って待ち構えているのかもしれない。想像するだけで、たまらない。

 他の誰に譲ってやる物か。そういう気持ちが自分の中に有って、もう勝手に動き出している。

 ポケットを探ってみると、その中に有る起爆装置は誤作動しない様にしっかりと安全装置を掛けてあった。ここ一番で爆破する為にも、これは外せない。


「という訳だ。様子を、見てくる」何が、どういう訳なのか。きっと誰にも分からなかっただろう。それでも構わない、例え世界が滅んだって、自分のやる事は変わらない。

「此処で待っていろ」


 勝手に行動されない様に釘を刺しておく。それだけで彼らは椅子へ座り、ただ頷いていた。少しくらい反抗してくれた方が、展開的に嬉しい所なのだが。

 色々と問題は有るが、構わない。これからの展開に期待という奴だ。

 ふと、こういう自分と話せる存在が待っているのではないか、という予感が生まれた。この手の物語では、戦う相手は似た物同士と相場が決まっている。

 その出会いは、とても。「楽しみだな」


「あの、何か?」

「これからの全てが、だ」


 こいつらは、何も分かってない。自分達がどうなって行くのかを想像する事の楽しさ、そして現実を思い知らされるという退屈の恐ろしさを。

 自分は分かっている。分かっているのだ。それでも、胸の中に理解者との出会いを夢想する自分を否定は出来なかった。

 やはり、自分は人間だ。自己承認欲求を持ち合わせている。それがまた、歯がゆい様な気分になっていく。どうにかして、自分と世界の両方を物語に変えられないだろうか。四六時中考えている事を、深く深く思い続けた。

 七階で『何か』が起きているのだ、そう言い聞かせる程に、今後の展開を期待したい気分だった。


+


 部屋の中は豪華とは言えなかったが、少なくとも普通のホテルの部屋よりは便利そうで、広かった。

 ベッドの奥に置かれた電話やテレビは最新式で、かなり新しい。見た限りではソファも座り心地が良さそうだ。窓から見える外の風景は明るく、微かに入り込む日差しが印象的だ。

 どうも、落ち着かない。『居心地が悪い』と表現するべきか、それとも『絶好の機会』と表現するべきか。評価が分かれるだろうな、という気持ちが有る。

 当然だ。自分達は、この部屋を使っている人間を殺そうとしているのだから。


「パスタでも頼みますか。此処に入っているレストランは、イタリアンに限って最良に近いそうですから」

「ミートボールが沢山入った奴にしてくれ」とっさに、自分の好みを返しておく。紅も包帯越しに、同じ注文をした。

「分かりました、そうしましょう」


 備え付けの電話を使って、プランクが注文をした。電話の向こうの声は聞こえなかったが、従業員が対応しているのだろう。

 プランクの声は、酷く冷たい。極寒の大地に放り込まれた様な寒気が有り、身体の芯まで凍ってしまいそうだ。自分達の事など、路地を歩む鼠程度の物に感じているに違いない。

 横を見てみる。包帯で顔を隠しても、紅は拳を強く握っていた。一挙動の全てに注目しているらしく、機会を窺っている。

 自分も、懐の拳銃に手を掛けておく。何時でも撃てる状況だが、発砲しても逃げられる気がする。背を向けているというのに、隙がまるで無いのだ。


「よろしくお願いします」


 電話越しに、プランクが頼み込む。そこで振り返り、軽く頭を下げてきた。


「本当に助かりましたよ。お陰で、私の婚約者は無事だった」電話を置いて、感謝をしてきた。「そこまで感謝されると、照れるな」紅がくぐもった声で言っている。

「そうそう、照れるよ。俺達は本当に通っただけだしな」勿論、それは嘘だ。

「通っただけ、ですか。まあ、そういう見方も有りますね」プランクは首を振って、口元に無機質な笑みを浮かべた。「しかし、助けになったという真実は曲がりません」


 一瞬、見抜かれたのかと思った。いやむしろ、罠の中へ放り込まれた様な気分だ。

 最初から何もかも分かった上で部屋に招かれたなら、何処かに部下が隠れて虎視眈々と自分達を殺す機会を見ているに違いない。


「良い部屋だな」部屋を褒めて、隠れている者の姿を探す。特に、誰かが居るという雰囲気ではない。


 そこで、紅が訪ねる。「あんたと奥さん以外には、誰も居ないのか?」


「まだ奥さんとは呼びませんよ」初めて暖かな笑みとなり、頷き返してきた。「しかし、そうですね。確かに二人で使わせていただいています」

「広くないか?」

「確かに。しかし、彼女に喜んで貰う為ですから」言葉を一度止めて、笑い声と共に話を続けている。「もっとも、彼女は寝袋だろうか同じ様に喜ぶでしょうが」

「変わった奥さん、いや、嫁さんか。変わった嫁さんなんだな」紅は、自分の包帯面を叩いた。「失礼、顔面包帯野郎に言われたくはないか」

「そうでもありませんよ。貴方は余程真っ当だ」

「何だ。聞いた感じ、自分の嫁さんが変な奴だと思ってるらしいな」

「その通り」尋ねてみると、彼は至極あっさり肯定した。

「私もかなり酷い方だと自覚していますが、アレほどではないですね」

「だから好きなのか?」プランクは、朗らかな表情となった。「ええ。だから好きなんですよ、これが」


 確かに、変な連中だ。プランクの目は異常に冷たい色をしていて、あの恐るべき女は凶悪なまでの享楽を宿している。ある意味では、まさにお似合いのカップルだ。

 背筋が凍る様な恐怖に晒された気分だが、表情には極力出さない様に努力する。包帯で顔を隠している紅が羨ましくなった。


「嫁さんはドレスだったし、結婚するのか?」不躾かと思ったが、気にされない。「ええ、まあ」

「何処が気に入ったんだ?」失礼な質問だと思ったのか、紅が包帯を叩きながら言い訳をする。「いや、気になってな。そういう、有るだろ。他人の恋の話とかが気になるって」

「さて」プランクの反応は、冷淡だ。「きっと、カナエなら分かる感覚なんでしょうね」


 目を細めている所からは、確かな愛情が見られた。それを僅かにでも他へ分け与える気は無い様だ。が、愛が見えるだけで同じ人間なのだという事が分かる。


「あの嫁さんの事が、そんなに好きなんだな」

「そう、好きなんですよ。本当にね、見かけの可愛さは勿論、性格のおぞましさがたまりません。見ているだけで、心が捻り切れそうな感じがします。かと言って腹の黒い性格でもなく、素直な子供みたいな人でね、惹かれるのも仕方無し、という話で」


 夢中で語る所だけは、人間らしい。自分達を見つめる時の冷たさなど想像も出来ないくらいに豊かな愛情が連鎖爆発している。

 今なら撃てるかもしれない。懐に隠した拳銃を取り出そうとしたが、その隙は欠片も無かった。ホテルの部屋という射殺に都合の良い場所でありながら、一行に行動へ移せない。

 微妙な苛立ちを覚えていると、そこで着信音が鳴る。「おや」プランクが携帯電話を取り出し、液晶を確認した。「メールですね」


 銃を取り出すのかと身構える暇すら与えられないまま、プランクはメールの本文を目で追う。

 視線を横へ寄せると、同じ様にこちらを見ていた紅と目が合った。彼も見極めようとしているが、まだ行動には入れない。


「ふむ、どうも失敗したそうで」メールを読み終えて、肩を竦めている。

「何を?」聞いてみたが、首を振られてしまう。「それはまあ、企業秘密という奴です」

「企業秘密か」

「ええ、ただ、送り主の事は話せますが」


 そう言うと、彼は聞いてもいないのに説明を始めた。


「このメールを送ってきた彼は、結構なスーツマニアでね。服、というか正装にばかり金をつぎ込むんですよ、ギャンブルもしないのに借金が酷い状態になる程で、カナエも呆れていましたよ、同調もしていましたが」

「服か。結構使う奴も居るらしいな」金貸しの経験も有ったので、そういう客には何人か覚えがあった。


 見栄や、拘りで金を借りてでも服を揃えようとする者達は確かに居る。大体が身の破滅を招くが、ギャンブルで使う人間よりは返済率の面が信じられる。


「それがまた、ブランド物とは限らないのでして。オーダーメイドから官給品に至るまで、様々なスーツを手に入れようと必死になっているんですよ」

「随分と変わってるな」隣の紅が素直に漏らすと、プランクが頷く。「ええ、とても変わっていますね」

「で、その彼が何を失敗したんだ?」

「先程も言いましたが、企業秘密です」


 引っかかってはくれない。冗談の範疇で済む様に、出来るだけ緩い顔をしておく。「思わず言ってくれるんじゃないかって期待したんだけどな」


「別に、教えても構わないんですがね」

「なら教えてくれよ」

「しかし、教えません」変わらず、口にだけ笑みを見せている。「カナエを驚かせたいので」

「成る程、嫁をね」大方、プレゼントか何かでも用意させていたのだろう。失敗という事は、それが準備出来なかったのだろう。


 そんな失敗をしてしまった可哀想な人間は、どうなってしまうのか。コンクリートの中か、それとも頭に穴が開けられるか。

 何の変化も無いのだが、冷たい目が更に恐ろしく見える。これ以上、顔を合わせていたくない。横に居る紅も、小さく頷いて同意を示している。

 そんな気持ちを受け取ったかの様に、プランクが背を向けて窓の外を見つめた。「カナエ、戻ってきませんね」


「大丈夫だと知っていても、心配になって来る。私らしくないくらいに、ふふ」


 似合わないくらいに穏やかな笑い声を漏らしている。まるで、こちらの存在など忘れてしまったと言いたげで、それは、明らかに致命的な隙だった。


「大丈夫だと思うんだろ、信じてやれよ」目配せをする。紅は音も無く笑みを作って、目の動きだけで行動を促してきた。

「そうは言っても、少しくらい良いかと思いますよ」プランクが独り言を口走っている間に、より正確な射撃の為に一歩だけ近寄る。緊張感で背筋が伸びた。感情を悟らせない為に、顔には極力笑顔を張り付ける。断じて気づかれてはならない。

「そうそう。少し前に小さな猫を拾ったんですが、それを世話している時の彼女の慌てる所がまだ可愛くて、どっちが小動物なんだ、と思えるくらいで」


 夢中で話しているが、欠片の殺気でも漏らせば気づかれる。極度の集中で、何とかして自分を隠し尽くしていく。

 まだ、プランクは振り返らない。最高の一瞬は、今だ。

 紅が先に銃を取り出し、遅れて自分も懐から持ち出した。銃口はしっかりと固定し、後は引き金を引くだけだ。だというのに、その声は不思議と響いた。


「窓というのは、思ったより鏡になりますね」


 やばい、気づかれていた。そう思うより早く撃とうとしたが、指に力が入らない。撃った瞬間に自分が殺される気がしてならない。


「いや、こうなると思っていました」プランクは振り返りすらせず、ただ背中に腕を回している。その手には、古めかしい自動拳銃が握られていた。


 駄目だ。大げさなくらい唾を飲み込み、紅が殺気立つ。「何時、気づいた」


「今ですね。そんなに緊張した顔で懐から取り出すのは、重要書類か結婚指輪か、そうでなければ銃くらいだと考えまして」


 窓を見ていたのも、単なる罠だったのか。それが分かっても、勝ちの目は残っている。

 相手が持っている銃は一丁。こちらは二人に一つずつで二丁だ。片方を撃ち殺している間に、もう片方が彼を射殺出来る。逆に言えば、たった一丁の銃で、こちらの動きを止めさせたのだ。


「さて」わざとらしく、彼は決して振り返らなかった。「私を撃ちますか?」


 尋ね掛けてくる声には、微塵の関心も感じられなかった。他人を他人としても認識していない、どこまでも冷たい世界を表現する物だった。

 だからこそ、吹き出す汗は意識を現実へと戻す材料となってくれた。



+



 最上階に当たる七階は平穏で、今までの楽し過ぎる殺人劇場が嘘の様だった。

 音が鳴り、エレベーターが開くと同時に廊下へ出る。手を撃たれてしまって、酷く痛んだが、構わない。痛みすら喜びに変換されている。

 夫も同じくらいのタイミングで廊下に立った。武器を詰め込んだトランクを忘れずに持って逃げたのは、賞賛すべきだ。

 流石に呼吸が荒れている。高揚した精神を落ち着かせながら、息を抑え込んでいった。


「追いかけてきてる?」肺の辺りを押さえながら尋ねておく。

「来てないな、多分」エレベーターのランプを見て、夫が首を振った。


 まだ警戒を緩める訳には行かない。殺害に失敗してしまった以上、此処で気を抜くのは危険で、途方もない愚策だ。殺したいが、殺されたくはない。

 想像の外側に有る結末だった。兎狩りに行って恐竜と出会った気分だ。花嫁は予想より遙かに手強く、こちらの攻撃に対応してきた。


「危なかったな」

 夫の言う通りだ。少なくとも、夫だけなら殺されていた。「本当に、危なかったわ。ぐちゃぐちゃの肉片になっちゃう所だったのよ」

「俺達が肉片になるのは、もっと先の話さ」

「一歩間違えたら、今はもう肉片だったかも」


 トランクを開けて、その中からナイフを何本か取り出す。刃物は好きだ、包丁を無駄に使ってしまって、少し残念な気分になる。

 刃物を掴もうとして、片手の掌に痛みが走る。物を握るのは無理が有りそうだ。「凄く痛いわ」


「俺もだ。痛いな」


 血が指先や指の股を流れていく。自分の血を見るのは久しぶりだが、悪くない色だ。痛みを誤魔化していけば、良い光景だとも言える。


「血を止めておかないと」トランクの中に無事な手を突っ込んで、包帯を取り出す。万が一の為に入れておいて、本当に良かった。


 包帯を大きく伸ばし、自分の手に巻く。ナイフで切り取り、強く巻いた。包帯は瞬く間に赤色へ染まっていった。


「これで良し、あなたも使った方が良いわ」夫に包帯を投げ渡すと、受け取った彼もすぐに自分の手へ巻き始める。


 ヘラヘラと笑っているのは、楽しかったからだ。思った以上に花嫁は危険な相手で、殺す甲斐が有るという物だ。結果的に失敗したが、その課程だけで十分な満足感が有る。


「よし、完成だ」夫が包帯による応急処置を終えて、腕をだらりと下げた。滴り落ちる血液が怪我の重要さを示すかの様だったが、知った所ではない。 

「凄く良かったぞ。あのエレベーターを開ける技とか、凄かったと思うし」


 褒められて、少しだけ嬉しくなる。「あれはね、上手く当たってくれて助かったわ」実際、投擲でエレベーターのボタンを押すなど奇跡に等しかった。


「それより、目撃者を殺せなかったのが問題よ。今頃、警察を呼んでいるでしょうし……」

「警察が来る前に全部片付けるのは、無理か?」


 夫の夢見がちな話に、溜息を吐く。「無理よ。手がこの調子だもの」


「じゃあ、警察も皆殺しにするのは?」


 更なる無理な話だが、まだ可能性が見えた。「そっちなら、出来るかもね」


 少なくとも、単なる警官なら不意打ちと銃の乱射でどうにかなる。その後で狙撃の一つでも有りそうだが、逃げるだけなら難しく無い。


「そうしてみるか」

「止めておきましょう、死ぬわ」死にたいとは、思わない。

「なら、もう一回誰か天国へ導いて、幸せにしてあげよう」口元に歪んだ笑みを浮かべると、夫は銃を握り締める。


 話を聞いていたのだろうか。このままでは死ぬ可能性が高いというのに、夫の行動はあくまで殺意と呼ぶべき明るさに満ちている。此処は逃げる、というのが賢い選択肢だろう。


「良いわね、それ」しかし、口から出た言葉は逆の物だった。


 本当は、まだ足りないのだ。花嫁を殺せなかったのは全くの不完全燃焼だった。もっと殺したい、彼女の首を飾りたくて仕方が無い。


「うん、やりましょう。殺し尽くして片付けましょうよ」

「そうだな、そうしよう」


 トランクの奥に有る、組立式の機関銃を手に取っている。昨日の事務所へ襲撃した時も使わなかった、殺し過ぎる武器だ。とてつもなく重いが、夫の腕力は十分にそれを支えている。


「こいつを使うんだ。きっと気持ちが良い」

「さぞ気持ちが良いでしょうね」固定型の砲台になる銃を、片手で持ち上げる。流石は自分の夫だと素直に思った。ナイフでは大量殺人の難しさが有るので、そんな銃を持ち出してくれる所は魅力的である。


 やる気が持ち上がってきた。噴き上がる様な殺意が胸の中で暖かくなり、力がこみ上げるのだ。

 しかし、一つの問題が頭の中に有る。「でも、困ったわ」


「何が?」

「一体、誰を殺せば良いんでしょう」そうだ、誰を殺すのか。流石に、あの花嫁は避けたかった。「どんな人にする?」

「うん、そうだな」夫は少し考え込み、思いついた様に手を叩く。「じゃあ、次に出てきた人にしないか」

「次に?」首を傾げていると、彼は自慢げに答えた。「そう、次だ。部屋からとか、エレベーターとか、階段とかさ。そこから出てきた人を、天国に送るんだ」


 目を輝かせながら、口にする言葉は決して正気ではない。自分も決して正気ではないので、止めはしない。むしろ、その銃が誰かを血達磨にすると考えるだけで笑える。


「良いわね。次に見た人に手を出しましょう。逃げられたら、このナイフで切るわ」

「先に撃てば良いんだな」

「ええ、一瞬で崩れた肉になっちゃうから、少し楽しみが薄れるかも……」


 刃物派として、出来ればナイフで殺したい。だが別に構わない。夫の銃弾が血の海を作れば、自分も気持ち良いのだから。

 夫が廊下へ顔を出して、自分はエレベーター側に注目する。どちらから人が現れても、即座に死を贈る事が出来る。


「おおっ」夫が、自分の口の前に手を出して来た。「静かに、誰か来たぞ」

「女の人、男の人?」出来れば女の人の方が良いと思いながら聞いてみると、夫は歯切れの悪い口振りとなっていた「女の、というか」

 夫は一度迷う様に首を振ったが、やがて心を切り替える様に口を開いた。「ウェディングドレスだ」

「え?」

「さっきの花嫁さんだ」


 言葉に釣られて廊下の方を見る。そこには確かにドレス姿の女が居て、部屋の前に立っていた。あの赤い血で染まった腕も、裂かれたドレスもまるで変わらない。先程までと完全に同じだ。

 彼女は扉を開いて、部屋の中を覗き込んでいる様に見える。何をしているのかは知らないが、自分達が居る事には気づいていない様だ。

 流石に、どうなのだろう。最初に見た人間を殺すとは言っても、彼女に手を出すのは厳しい話である。

 思わずナイフを片付けたくなり、夫の反応を見てみた。彼は目を爛々と輝かせていて、殺害を中止する気は微塵も感じられない。あれほど苦戦したのを忘れたのか、分かった上でもう一度殺したいのだろうか。


「今度はこの銃も有るし、もう一回、やってみるか」想像通りの提案だ。

「再チャレンジ、ね」あの実力である。無策で殺害に行っても無駄だろう。隙を見るという手も失敗した今、殺されに行く様な物だ。百も承知だったが、心は興奮していた。「良いわね、もう一回、やってみるのって」

「だろう」

「でも、少し様子を見ていましょう」


 まだ冷静さを保つ。その間にも彼女は部屋の中へ入っていき、扉が閉められた。

 それなりに良い状況だ。このホテルの扉は拳銃の弾くらい平気だろうが、機関銃であれば突き破れる。密室で動きを限定させなければ勝てる確率はゼロに等しい。廊下よりは戦いやすいだろう。

 行動開始の声を掛けようとする。「おや」すると、夫がまた別の場所を見つめた。「また、誰か来た」

 確かに、階段から人が上がってきた。癖毛の目立つ、黒い髪の男だ。暗い表情は一緒に居るだけで引きずり込まれそうで、殺すに対象としては余りにも退屈だ。

 背中に背負った猟銃が悪い印象を与えて、危険人物の香りを漂わせている。自分達と同じ快楽殺人鬼の類にも見えた。


「あの人はどうするの?」

「纏めて殺しておくか?」

「それも良いけど、折角の花嫁さんなんだから、結婚相手と一緒が良いわよね」二つとも殺すとなると、面倒だ。

「そうだな、そうしよう」夫はあっさりと承諾して、口を噤んだ。


 また、心が殺人の悦びに向かって騒ぎ出している。とはいえ、花嫁の殺害にもう一度挑戦するという行為は幾ら何でも無茶じゃないか、頭の隅で、微かに感じた事だった。


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