8話
少し呆然とさせられたが、愉快な気持ちが沸いてくる。逃げきられてしまったが、それこそ面白い。引き際の見極めも良い物だった。思わず、賞賛したくなってしまう。
機嫌良く面白い気分に浸りつつも、自分を助けた腕に顔を向けてみる。
「助かりました、プランクさん」声を掛けると、扉の中から顔が出てくる。「無事の様ですが。彼らは、やはり?」
「うん、その通りですよ。彼らは最近流行の殺人鬼でしょうね」
「殺人が流行るとは、随分な世の中です」肩を竦めて、プランクが銃を仕舞っている。
「確かに、同感ですけど。ビジネスに変えた方が建設的、なんて思ってます?」
尋ねてみると、彼は当然と言いたげに頷いた。「私は一応、そういう職業ですので」
情の欠片も見えない表情である。これから結婚するという相手が怪我をしているのに、冷淡で冷徹な態度だ。
ただし、よく見れば視線は血まみれの腕に固定されていた。平静である事は間違い無いが、心配してくれる。その証拠に、気づけば自分の腕を撫でてくれた。
「ああもう、だから好き」撫でる手を取って、思い切り抱きつく。
「勿論、私も貴女が好きですが」はっきりと抱擁を返しながらも、彼の顔は仄かに赤くなっていた。
二人の男が居心地の悪そうな、怯えにも取れる色を瞳に宿している様に見えたが、気にしない事とする。
「見せつけてやりますか?」
「どうでも構いません、それより傷は大丈夫でしょうか?」
「それはもう、無事ですよ」
真っ赤になった腕を見せる。「腕をザックリやられたけど、私は人間ではないので」耳元で囁いておいた。
「ふむ、どうも、本当に無い様ですね」
「でしょう?」そこに傷が無い事を確認するプランクを見ていると、殺人鬼に狙われたのも満更ではない気がする。
そんな照れで仕方の無い自分の頭を一撫ですると、プランクは男達の方へ目を遣った。
見るからに怪しげな包帯の男だが、彼は気にしていない様だ。
「お二人とも、私の婚約者を助けていただきましたね」
「いや、俺達は何も」感謝を口にすると、男達は遠慮がちな態度となる。「そうさ、俺達はただ此処に来ただけで」
「それでも、助けられた事には変わらないでしょう」
「ですね、確かに手を貸して貰った」
「だけどな」
何か言おうとした男の言葉を、プランクが遮る。「彼女の言う通り。隙を見ていなければ、撃てなかったですよ」
どうやら、彼は銃撃の機を見ていたらしい。「見ていたんですか」と尋ねてみると、プランクは当たり前の様に肯定した。
それから、プランクは手を伸ばして男達へ握手を求めた。
「つまり、我々はあなた達に助けられた訳です」
「大した事はしていないんだ、気にしないでくれ」握手を返したのは、包帯の男だ。随分と怪しげだが、態度自体は真っ当だ。
「良かったら、部屋に来ませんか? 何か食べましょう、此処はルームサービスも良いので」怪しげな男達を恐れもせず、プランクが提案した。
「それは良いですね」相槌を打ち、二人で、同じ様に男達を見つめる。
彼らは目を逸らして、顔を見合わせていた。こんな状況は想像していなかった様だ。何やら迷っている風であり、沈黙していた。
「料理の味なんて、興味が有るんですか?」間が空いた所で、彼に聞いてみる。無関心な彼が、食事の味など頓着している筈も無い。
「貴女が喜ぶと思って」悪戯っぽい質問に対して心を読んでいる様な一言を囁かれて、頭が沸騰しそうになった。
「きゅっ……う、うれしいよぉ」
最高の気分だ。今なら死人だって生き返るだろう。いや、『何時も出来る』が、それは別の話だ。
頭の奥から湧き出る多幸感で、変な顔をしているのが分かる。きっと唇は密やかに濡れて、目はとろんと意識が溶けた様になっているだろう。
思いつく限りで一番可愛らしい表情を作って、プランクの反応を待ってみようかと思う。
「分かった、誘いに乗るよ」しかし、それより先に男が返事を持ってきた。
「そうですか、それは良かった」
「そうですね、うん、良かったです」
少々の残念さと、誘いを受けてくれた事への嬉しさを乗せて、笑顔を見せてみる。どうも不気味に思われたらしく、目を逸らされた。
「ああ、辛い反応」傷ついた真似をする一方で、考える。彼らは比較的真人間なのだろう。条理の外側に居る様な常軌を逸した人間であれば、自分の事を魅力的に思ってくれる物だ。例外は何処にでも居るのだが、今の時点では彼らは『普通』と表現出来る人物らしい。
「じゃあ、こちらの部屋にどうぞ?」
プランクが出た部屋を指さして、男達を中に入れようと試みる。彼らも少し遠慮と警戒を見せていたが、やがてプランクが先に入ると、ゆっくりとした足取りで中へと入っていった。
最後に、自分も部屋に入ろうとする。そこで、何とも言えない強烈な気配と呼ぶべき物が、自分の感覚に捉えられた。
階段の方だ。即座に視線を向けると、そこには彼女、つまりカミラが立っていて、相変わらずの強さを詰め込んだ表情のまま、自分へと手招きをしていたのだ。
ファンとして、大好きな人物を無視は出来なかった。「すいません、プランクさんは先に中で待っていてくれませんか」
「構いませんが、どうかしましたか」
「そういえば、外に出たのは殺人鬼と戦う為じゃなかったな、と思って」
本来、部屋から出た理由は上の階で起きている騒ぎの野次馬をする為だ。あの酷い夫婦が襲って来たので、半分以上忘れかけていた。
「お好きにどうぞ。先程も言いましたが、貴女を縛る気は無いので」
「ありがとうございます」快い返事に、心がむしろ素敵に痛む。「でもプランクさん、私に気を遣いっぱなしじゃないですか」
「貴女こそ、誰かに気を遣う様な性格ですか」滅多に見れない笑みを浮かべて、プランクは扉を閉めた。「では」
小さな音を立てて、部屋と廊下が閉ざされた。
良い。これは良い時間だった。殺人鬼に狙われるのも面白かったが、ホテル内で何かが起きていると思うと堪らない。
それに、プランクだ。彼が見せる目一杯の満面の笑みは、明らかに無理が有った。人によっては顔を顰めている様にしか見えないだろう。屈託の無い表情より機械的な笑みばかり見せていて、本来の笑い方など身体すら忘却したのではないかと思えてしまう。
そんな彼が自分に見せた笑顔は本物で、その幸せが伝わってくる。「とっても良いね」口に出してみると、より嬉しくなって来た。
唐突に踊り出したい気分になったので、その場で素直に全身を捻って回転させる。何かの選手にでもなった様な、綺麗な動きになっていれば嬉しい所だ。
本来は二人でするダンスを、一人で行う。背中から倒れ込む演技に対し、手を取って身体を支える者が居なかったが、一つの確信が有る。
「見させて貰ったよ。随分と凄いじゃないか」カミラ・クラメールが、自分の手を取ってくると。
今まで離れた場所に居た筈の彼女が、自分の背中を押さえて、側に立っていた。
カナエと呼ばれた女の体重は実に軽く、羽でも生えている様に軽やかだった。
思わず背中を支えてしまったが、良かったのだろうか。もしかすると部屋から新郎が飛び出してくる予定だったのかもしれない。
それなら、機会を潰してしまったのか。悪い事をしてしまった気もする。
「支えられちゃいましたね」自分の懸念も気にせず、彼女は朗らかに話しかけてきた。
そのまま、身体を前に倒してやる。すぐに姿勢を整え、嬉しそうに立っている。
「さっきも会いました、カミラさん」
「ああ、そうだったな。私のファンの人、カナエ」
「あはは。覚えていてくれました? 大好きな女優さんに背中を撫でて貰えるなんて、夢みたいです」素直に感想を告げてくる。「手、暖かいですね」
「冷たそうな見かけだって言われるよ」
「ああ、確かに」
「そこは否定して欲しかったんだが、やっぱりそう見えるんだな」苦笑いを混ぜて、同じ言葉を繰り返す。「私は、そう見えるんだよなあ」
一時は心外だと思っていたが、頭の片隅で思う所が有る。首を振って、言い直した。「いや、私は冷たい」
「私達の決着を、待っていたから?」
首を縦に動かして、肯定する。「その通りだ」
少し前から、自分は状況を見守っていた。二人の奇妙な男女と、カナエの戦い。それは興味深さ以上に、手の出し辛い物が有った。まさしく狂気の連鎖だ、下手に動く事は出来なかった。
その一方で、とある確信も抱いている。
「じゃあ、助けてくれなかったのですね」わざとらしい言葉に対して、思い切り不敵な笑みを返してやる。「助ける必要が有ったのか?」
そうだ、助ける必要は微塵も感じられなかった。彼女の動きは見事な物で、何より楽しそうだったのだ。邪魔をする気が、起きなかった。
「助ける必要が有るか無いかで言うと、無いですね、うん」
「そうだろう。私が手を出したら、無粋かと思ったんだ」
「嬉しい心遣いですけど」残念そうに肩を竦めている。「出来れば、あなたのアクションが見たかったなぁ」
「劇場へどうぞ、だ。最新作は来年公開だよ。危険なアクションが多かったので、きっと満足してくれる筈だ」それこそ、死ぬ思いをするくらいの撮影だったのだから。
「是非、見に行かせて貰うよ。楽しみにしておきますからね」
何故か、彼女は軸足を使ってその身を一回転させる。傷の入ったドレスから、虹色が姿を覗かせた。腕は真っ赤に染まっても、その印象は七色で揺るがなかった。
「虹色が好きなのか?」思わず尋ねてしまう。
「ええ、大好き」小さく、言葉を続けている。「プランクさんと同じくらいに」
微かに恥ずかしそうにして、愛情を口にしていく彼女。それを見ていると、胸が騒ぐ。見かけは引き込まれる可愛らしさだが、どうも奇妙だ。
だが、誰かを狂った様に愛する事が可能な存在だとは分かる。今までより、ずっと親近感を覚えさせる姿だった。
「それで、私に用事が有るんじゃないですか?」
はっとして、自分が彼女に接触した目的を思い出す。
「悪いね、考え事をしていたんだ」
「分かります。色々と考えちゃいますよね」
「ああ」彼女の肩を、少し撫でてみる。「ちなみに、君は可愛い子だと考えていた」
その肩はドレスの記事より触り心地が良い物だった。彼女は困惑も見せず、気持ち良さそうに目を細めている。
「まあ、何。頼みが有るんだ」
「何ですか? ファンとして、出来る限り手を貸します!」余り高くない背をピンと伸ばして、自身の胸を叩いている。頼もしげな様子を見せたいのかもしれない。
子供っぽくて、戦っていた時ほど凄まじい存在には見えない。本当に頼んで良い物かと迷ったが、彼女の目は期待で光っている。言わない訳には行かない。
「悪いんだが、上の階に有る私の部屋を見張っていてくれないか」
部屋の鍵を取り出して見せると、彼女は笑みを強めた。
「何か有ったんですか? 警察沙汰とか……」不安そうな言葉とは裏腹に、声の調子が機嫌の良さに溢れている。
「ああ、ちょっとした危険な事だ」
「それはまた。このホテルで、ですか? 参ったな、怪我をしちゃったり式場が無くなったりしたら、困るなぁ」どう見ても、全く困っていない。
瞳の奥や身体の細かな反応を観察しても、彼女は嘘や誤魔化しを見せていない。爆弾とは完全に無関係だと思われる。
安心して鍵を渡す事が出来るだろう。そこでカード型の鍵をドレスの隙間へ放り込もうとしてみると、彼女は即座に鍵を掴んで見せた。
「こういう、私の動きに反応出来るんだろう?」鍵から手を放す。「なら平気さ」
「平気かな。うん、任せてください」
快く鍵を撫でて、彼女は承諾の意志を見せてくる。
とても素直な反応で、とびきり残酷な子供を相手にしている様な気分にさせられる。無関係の人物に頼ってしまって、少し申し訳ない気分になった。
「悪い、結婚式の下見なのに、君にとって良い日で無くなったかもしれない」
「とんでもない!」勢い良く首を振り、カナエが飛び跳ねた。「そんな事は無いね、今日も楽しく幸せですから!」
「そう、か」心から人生を楽しみ尽くす声は、嫌いになれない。
口元に笑みを戻して彼女から背を向け、足早に歩き出す。
階段の端まで行った所で、振り返った。
「悪いな」
そこには誰も居ない。行動が早い物で、既に部屋を目指しているのだろう。
エレベーターが使われた痕跡も無く、移動した気配も無かった。瞬間移動でもしたのだろうか、不思議な事も有る物で、やはり、彼女が人間だとは思えない。
ホテルの中に潜むのは、テロリスト紛いの爆弾魔や男女の殺人鬼だけではないのだ。
「人間ではないなら、何なんだろうな」
皮肉げな気分を味わいながら、螺旋状の階段から飛び降りた。




