7話
あの光景を表すなら、どうすれば良いのだろうか。少なくとも、自分の辞書にはホテル内で起きようとしている殺人事件に当てはまる単語は無い。
「何だ、あの状況」隣で、包帯越しに呟く声が聞こえた。
確かに理解に苦しむ状況だ。我々はプランクに正当な報復を行いに来たが、その先で奇妙な事件に遭遇するとは欠片も思わなかった。
エレベーターの有る場所の壁に隠れたは良いが、あの様な謎の争いが起きているのでは、プランクの部屋に入る事も難しい。
「朱、あの連中は一体何をしているんだろうな」困惑する『紅』に、はっきりと言ってやる。「決まってるだろ、人殺しだ」
肉切り包丁と拳銃を人に向ける理由は、それしかないだろう。紅も気づいている筈だが、非現実的で理解が遅れるのは仕方が無い。
我々がそういう物を握って人を殺すのは何時も通りだ。何の不思議も違和感も無い。しかし、田舎の町娘的な女と、夫らしき農夫の様な顔をした男が持っているなら話は別だ。
対する殺されかけている女には、見覚えがある。プランクと一緒に居た不気味な女だ。あのウェディングドレスには何の意味が有るのだろう。何か、理解に苦しむ現実が有るに違いない。
純白のドレスの奇怪な女と、二人の殺人鬼らしき夫婦という組み合わせだ。まさに、混沌としている。
『混沌の本質は……』、とは何の映画で言われた台詞だっただろうか。無駄な方向に思考が飛んでいく。ふと、どうでも良い質問を口にしてしまう。
「そういえば、誰なんだ。紅にプランクの奴が此処に来るって言ったのは」
「『男爵』さ」間髪を入れず、紅が答えてくる。
「ああ、あの」
何となく噂は聞いていた。謎の情報を扱う人間の名前だ。得体は知れなかったが、情報は常に正しかった。今回も、本当にプランクはホテルへ訪れている。ロビーで受付を監視した上での行動だから、確かだ。
今も格闘と銃撃と斬撃によって、殺人夫婦が殺しに走っている。加えて言うなら、耳を塞ぎたくなる様な笑い声が響いていた。
決着までは暇だ。どちらかが死なないと、我々はこの場から動けない。とりあえず、紅に対して『男爵』の話を頼んでおく。
「どうやって聞いたんだ、まさか会った訳じゃないだろ」
「電話で聞いた、奴は借金を抱えているからな。『グランド・ホテル』がどうこう、とか言っていたよ」
「『人が訪れ、去っていく』か?」
「そう、それだよ。それに男爵って名乗ってる奴が出てくるんだと、借金まみれでな。それを意識しているんだろうさ」
古めのモノクロ映画だ。紅も知っているらしく、饒舌に語っている。同じ物を見ているという安心感は、中々の物だ。
そんな状況を忘れた気持ちを覚えていると、耳の中にサイレンサー付きの発砲音が聞こえてきて、意識が現実に戻される。知らない間に、廊下の三人が近づいていた様だ。音がよく聞こえる。
「まだ終わらねえな」うんざりした気分で溜息を吐く。
「終わらないな」紅も同じ様に言っていた。
ただ、その声には嫌そうな雰囲気が無い。別の何かが気になっている様子である。
「何か見つけたのか?」
「ああ」頷いてから、首を振って廊下の先を指す。「どうやら、向こう側でも出るに出られない奴が居るみたいだ」
言われてみると、確かに誰かが見えた。細かい顔立ちまでは分からないが、黒い髪の女、だろうか。階段に足を引っかけて、じっと廊下の殺し合いを観察している。片方だけ見える瞳には、離れていても分かる程に燃え上がる力が秘められている。
多少の緊張感が襲うが、危険は無い様に思えた。こちらに気づいている風には感じられない。廊下で争っている三人は気づいていないのだろう。
「何処かで見た気がするんだが……女らしいが、駄目だな、隠れてる」紅が首を傾げて、何かを思い出そうとしていた。しかし、何も浮かび上がらない様だ。
もう一度壁から廊下を覗くと、階段に立つ女の顔は既に隠れている。視力を使い尽くすつもりで凝視すれば、髪や靴の先が僅かに覗いている事が分かり、その場に留まっていると見て取れた。
「どうにも、あちらも待ってる状態らしい。出来れば従業員に通報、とかは止めて欲しいな」警備員や従業員に彷徨かれると、こちらの目的が果たせない。
出来れば、早く終わって欲しい。あわよくば、あの恐るべき女が殺されてくれるなら助かるのだが。
「そうだな」紅も同じ様に思ったらしく、階層表示を確認してからエレベーターの影に隠れた。「さっさと片づけて、プランクの所に行った方が良いかもしれない」
懐から拳銃を取り出して、銃弾を補充する。大胆な行動に少し慌てたが、紅への信頼が言葉を止めさせた。
「おい」自分も、自然と銃を握る。「やるのか?」
確かめてみると、彼は静かに頷いた。包帯から見える瞳が頼もしい。酷い怪我を負っているとは一つも思えず、むしろ力強く感じられる。
良い相棒だ。そうは思いつつ、これからの行動に漠然とした不安が有った。廊下で起きている酷い争いは激化して、まさしく狂っている。どちらを排除しても良くない結末を招く気がした。
「どっちを助ける?」
「あの変な女だ」壁から顔を出し、殺されかけている女を指す。「どう見ても、今は奴を助けた方が良い」
少し、驚いた。仲間を皆殺しにした女を助けるとは。
「どういう気持ちなんだよ、お前は」
「気に入らないんだ。ああいう連中が」
隠し切れない嫌悪感が声の中に溢れている。確かにその通りだ、自分達は確かに違法な事にも関与するが、だからと言ってああいう風に喜んで人殺しになる気は無かった。
とはいえ、女の方も不気味で恐ろしい。快楽殺人鬼にすら見える。本当に良いのだろうか。自分の不安感を見て取ったのか、紅の隠れていない顔の部分がずっと明るい物へと変わる。
「何、殺す必要は無い。偶然現れた宿泊客の真似をして、駄目なら、な」銃を戻し、肩を叩いてくる。
「そう決めたら、早く片づけよう」
「そうだな」肯定して、銃を仕舞う。「同感だ、さっさと行こう」
二人で揃って横に並ぶ。息を何度か整えて、頭の中で確かな覚悟を決め込む。視界を少しだけ移動させると、まだ廊下の戦いは続いていた。女の方は服に幾つかの傷が入っているが、明確な血は流れていない。
片腕の傷から下は真っ赤だが、もう一滴すら流れていなかった。
まあ、確かに綺麗で可愛らしい。赤く染まった腕と、その幸せそうな笑顔が違う印象を与えている。もし平時で、雪の街頭や日差しの強い川辺で、あるいは結婚式場で向かい合っていれば、これ以上無いくらいの喜びを与えてくれる筈だ。
しかし、今はサイコパスと争っている最中だ。一つも気が進まない。
だが紅は前に出ていって、廊下へ顔を出していた。
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楽しそうな笑い声が聞こえている。純粋に人を殺すという行為自体を喜び、受け入れ、浸り込む声だ。それはとてもおぞましい物であるが、自分にとっては素敵な音として聞こえてくる。
刃物が迫って、身体を回転させながら頭を小さく下げる。頭上を通る包丁は鋭く、髪が一本か二本切れたのが分かった。
身体を横倒しにする形で腕を回し、その毛を掴む。特に意味は無い動作だが、指の隙間に銃弾が通り過ぎたのが分かる。熱いだけで危なくは無い、傷なんかはどうでも良い事で、むしろ痛快なくらいだ。
どうでも良い。そんな単語を頭に浮かべると、自分自身、つまりカナエという自己は心にプランクの顔を思い浮かべてしまう。
自分とは逆に、彼は世界の全てを殆ど平等に価値の無い物だと思っている。今この瞬間に世界が滅んでも、彼は眉一つ動かさない。
それは一種の同族であり、互いの思いを伝え合える間柄だと言っても良い。例え敵対する事になったとしても、それはそれで二人とも楽しめるだろう。
何より嬉しい事は、自分の存在と異常な思考を理解し、応援してくれる所だ。全てがどうでも良い彼だからこそ、この世界を自分の生贄に捧げても構わないと思ってくれる。それくらい想われているのだ。それはまあ、惚れても仕方がない。
ああ、幸せだ。こんなに良い出会いをした自分は幸運で、楽しい。そんな気持ちが余計に殺人鬼の気持ちを高めている気がしたが、どうせ死なないから別に構わない。
その間にも刃物と銃弾が祭りを続けている。いい加減に宿泊客が来ても良さそうだが、不思議と人が現れない。巻き込む訳にも行かないので、その方が良いのだが。
「心配しなくても痛くないから、さあ大人しくして」焦れったくなったのか、夫婦が声を放ってきた。「もし余計な苦痛を与えてしまったら、後悔してしまうかもしれないんだ」
「悪いんだけれど、そういう痛いのは嫌かなぁ」
「そう言わずに、大人しく死んでくれたら嬉しいのよ」
「そうさ。痛く無いんだって、絶対な、ほら」
「えぇー……? いや、割と痛いよ、多分」
怪我をした腕を軽く振って、首を断ち切ろうとした一撃を叩いて逸らす。その腕が有った場所を銃弾が通り過ぎて、天井に穴が開いた。
怖くは無いが、弾の無駄遣いだと思う。しかし、自分を殺しに掛かってくる夫婦の顔は至福の喜びに満ちていて、自分も楽しくなってくる、問題は何も無い気がした。いや、最初から楽しんでいた自分を否定はしない。
「こっちとしても、あんまり君達みたいな素敵な夫婦を返り討ちにするのは嫌なんだけど」
「そう、助かるわ。だったら抵抗しないで?」
「そんな怖い事を言われて、大人しく殺される奴が居ると思っているのですか?」
「勿論、俺達が殺そうとすると、みんな喜んでくれるのさ」
それは、単に苦しむ暇も与えられなかっただけじゃないのか。とてつもない速度で自分を殺しに掛かる姿を見ていると、そうとしか思えない。
どうも反撃が難しい。倒すだけなら簡単だが、こんな仲の良い夫婦を傷つけるのは何となく嫌だ。勿論、自分の花嫁姿を褒めてくれたから、という事実も闘志を鈍らせている。
そんな場合か、と言われる気がしたが、プランクなら笑って流してくれるだろう。
腹部の前を、女の靴が飛んでくる。内臓を蹴り潰す、風を切る音が聞こえた。「おおっと、危ない」
「ごめんなさい。でも、あなたが逃げるから」謝りながらも、嵐の様な刃物の猛攻が襲ってくる。
上段からの振り下ろしに合わせた、男による背後から足払いからの銃撃が来た。自分の指先の皮膚から僅かな部分が裂け、脇の間を弾が行く。それによる痛みが有ったが、構わず包丁を掴んだ。
「捕まえた」二本の指で刃を真ん中からへし折り、刃物の部分だけを背後へ投げる。それは拳銃の引き金に突き刺さり、弾詰まりを起こさせた。
武器を失った事で二人の動きが止まり、少しの間が出来る。「さて」喉を鳴らす様に、声を掛けてみた。「どうする?」
「まだまだよ」先に反応した女が、側に転がしてあったトランクへ手を突っ込む。「武器が無くなったくらいで、止まると思った?」
取り出されたのは、大きめの軽機関銃だった。
暴力の象徴とも思える黒いフォルムが光り、何とも言えない恐ろしさを表現する。引き金を引けば、とてつもない閃光と轟音が響くと思われ、手加減を知らない物体の存在感が溢れていた。
「それはちょっとやりすぎじゃないかな」
「そうでもないだろ?」男の方も、重さを感じさせずに同じ物を取り出してきた。
向けられた二つの銃口が、命を刈り取る鎌に見える。
「顔は撃たないわ」
「そんな物で撃ったら身体がバラバラになっちゃうと思いますけどね」
「大丈夫だ、俺達は上手い」何の根拠も無い自信の言葉を聞かされて、思わず吹き出しそうになる。
しかし、蜂の巣にはなりたくない。前後の二つを同時に見つめて、集中を強めた。射線を見切って銃身を潰す。別に困難ではなく、実に簡単な事に思える。
夫婦が、同時に射撃しようと引き金に力を入れていくのが見える。避ける為に身体の準備をしていると、そこへ一つの大声が届いた。
「何をやってるんだ!」
声に対して、自分を含めた三人の視線が集中する。
立っているのは、包帯を顔に巻いた男だ。隣には少し強面の男も立っていたが、余り目立っていない。彼らの瞳には怪人を見る物が有るが、怪しいのは君達じゃないのか。そう言いたくなった。
「あぶね、見つかった!」抹殺しようと思ったのか、夫婦がそちらに銃を向ける。
「残念ね、さようなら!」
男達の顔が緊張に包まれ、自然な動作で懐に腕を突っ込む。だが、夫婦の方が早い。
危ない、そう考える前に自分は身体を滑り込ませていた。体中に浴びせられる銃弾の雨を、絶対に後方へ通させる気は無い。
無関係の人間を死なせない為にも、盾になる。演出として目を瞑り、痛みを堪える様な表情を作る。その行動に対する覚悟すら必要としなかった。
しかし、身体を撃ち抜かんとする力は現れない。そっと瞳を開いて見てみると、夫婦の手が出血し、手から銃が滑り落ちていく。
「え、何。何?」状況を理解していないのか、夫婦は呆然とした。「いた、痛い。何だ、血が、痛い」
動きが止まっている、床に落ちた銃を見る限り、暴発は無さそうだ。
「大丈夫ですか、カナエ」彼らの動きを妨害した者は、部屋に続く扉の前に居た。
扉が少しだけ開いていて、そこから古めかしい拳銃を握った腕が現れている。その腕の形と特徴的な銃だけで、誰なのかが分かる。大好きな人だ。どうやら、助けてくれたらしい。
和やかな顔色を意識的に浮かべて、微笑みを送る。
「逃げましょう!」
「おお、逃げよう!」男は銃を持ち、トランクを抱えて駆け出した。
女の方が、折れた包丁の柄をエレベーター側に投げた。柄は二人の男の間を通り過ぎて、上昇ボタンに直撃する。
「退いて退いて」包帯男に向かって、男が突進する。「退いてくれ」
「悪かったな、退くよ」包帯の男は、簡単な言葉だけで退いた。その隣を夫婦は通り過ぎていき、たった今開いたエレベーターに乗り込む。
瞬く間にエレベーターは閉まっていき、彼女達の姿はすっかり見えなくなった。




