6話
ピクリ、そう表現するのが一番正しいのだろうか。カナエが、そんな様子で身体の動きを止めた。
部屋は二人で使うには大きかったが、この程度の距離なら彼女の変化は即座に分かる。どうも、何らかの異変を察知したらしい。
「今、何だか妙な音がしました」僅かばかりの真剣さと、大部分の楽しげな顔を向けてくる。「と、言うと?」続きを促すと、彼女は考えもせずに答えた。「人を投げ飛ばすと言うか、そういう感じの……」
抽象的だが、言葉の通りの音が聞こえたらしい。
「争いですか。それくらいなら、ホテルでも日常的に有るかと思いますが」
「いや、まあ、そうなんですけどね」
「何か特殊な点でも有りましたか?」
「特殊……という程じゃないんですけど、何だか、圧倒的で暴力的で、凄いと言うか」
今一分かりにくい表現をしているが、本人には分かる様だ。ホテル内は防音だが、彼女の耳なら聞き取れる。殺気や鬼気なども鋭敏に感じ取るので、危険を回避する時にはとても役立つ。本人が危険に飛び込もうとする時も有るが、それもまた彼女の可愛い部分だと思えた。
「凄いとは。もしかすると、彼女かもしれませんね。あの……ほら、女優の、クラメール?」どうでも良かったので、名前を半分忘れていた。
「カミラさんですよ……でも、有り得る。あの人、とっても強いし」
うんうんと頷きながら、サインの書かれた名刺を手の中で弄んでいる。
「きっと、上の階でしょうね」とても気になるらしく、彼女はそわそわと上を見ていた。小動物の様な仕草に思わず和んでしまい、口元が僅かに緩む。
危険を楽しんでいる訳ではなく、あらゆる事を楽しんでいる。未知への興奮は勿論、既知への退屈ですらも楽しむくらいの心が彼女には備わっている。
「そんなに気になるんですか」声を掛けてみると、彼女が振り向く。
「ええ、気になります。何か首を突っ込みたくなる様な出来事が有ったに違いないんですから」
華やかで愉快そうな表情の彼女は、部屋の中央辺りを歩いて回る。
今にも外へ飛び出していきそうだ、別段争い事を好む訳ではない筈だから、単に面白そうだという気持ちが動いているらしい。
自分も着いて行くべきか、そうではないのか。そんな事を考えていると、彼女が急に顔を見つめて来た。かと思うと、表情を緩みきった物へ変える。
「でも、今日は別に良いです。結婚式の下見って言うだけで、私はもう十二分に幸せですから」
手を取って、何度も頷いている。
普段から嘘は吐くが自分に素直で、他者への悦楽的な愛情を隠さない人物だ。彼女はそういう自分を抑える真似はしないので、遠慮するつもりが無いのは分かった。
本当に自分との時間を幸福に感じている。その気持ちだけで、胸の奥に有る極寒の心が灼熱を帯びた。彼女という光が当たる場所は凄まじい熱さで、当たらない場所は恐るべき寒さである。まるで、太陽と他の惑星の関係だ。
彼女の視線を感じる、照れている事を見抜かれている様だ。隠そうとは思わないが、少し恥ずかしい。
だが、自分が今、彼女に告げられる言葉の内容は分かっていた。
「いえ、様子を見に行ってください」背中を押す言葉は、思ったより気遣わしげに響く。
「ううん、そんなに私を尊重してくれなくて良いんだよ。プランクさんは、私には気を遣ってくれるから」
そんな事は無い。首を振って、彼女と同じくらい素直な気持ちを叩きつける。
「幸せを追求する姿は、私にとっても好ましい。笑っている方が魅力的ですよ、貴女ならね」その笑顔は他から見れば無邪気かつ恐るべき享楽を示すらしいが、知った事ではない。
顔が赤くなり、俯きながらも幸せを示す最高の笑顔が見える。言って良かった、と心から思った。
自分は人間として壊れているのだろうな、などと思ったりもする。が、だからどうしたという話だ。自分の人間性など、別にどうでも構わない。
「分かった、じゃあ見に行って来ます」両腕で自分の身体と幸せを抱き締める仕草を見せてくる。
「気をつけてくださいね」
「うん、気をつけますから」
それから何度か口を開閉させて、彼女は一度大きく息を吸った。「大好き」
たった一言で崩れ落ちそうな程の喜びを与えられた。しかし、余裕ぶって平気な顔をして見せる。
「何の、束縛しない夫で居たいのですよ。なので浮気も存分にしてくださいね、私はしませんが」本心だ、彼女が他の誰を好きになっても、自分は間違いなく同じ気持ちを貫くだろう。
ほんの少しだけ、彼女の顔が不満に染まった。誰が浮気なんかするか、私を馬鹿にしないで欲しい。そんな事が言いたいらしい。
「ご期待には添えませんね、私は割と一途だ」口元に浮かぶ笑みが不敵で挑戦的な物になり、一瞬で唇を塞いでくる。
瞬く間の事で、全く反応は許されなかった。
腰に腕を回されて、完璧に抱き締められてくる。人とは異なる『何か』の抱擁だ、例え猛獣であっても抜け出せまい。
顔を寄せられる力が次第に強く、唇を塞がれる感触はより奥へ進む様になっていった。愛情を示す以上に猛烈で、より怪しげな雰囲気が漂う。肉食獣に食べられている気分だ。
心も身体も掌握されて、動かない。とはいえ、自分の場合は単に抜け出したくないだけだが。
「ご馳走様です」恐るべき口付けは、体感的には永遠とも一瞬とも取れる曖昧な時間で終わった。
絡まれていた腕はすぐに外され、唇は顔の全体が見える程度に離れる。その顔と、その艶やかな唇が自分を半ば食べようとしていた姿を想起させた。
悪戯っぽく舌舐めずりをした所がまた、何とも素晴らしい。特に、彼女自身も言及しない部分で。
「じゃ、見てきますね」あっさりと片手を挙げて、彼女が満足げに背を向けた。
追いかけて、反撃の一つでもするべきか。悩みはしたが、即座に止めておく事を決める。
ステップを踏みながら外への扉を開けて、彼女は鼻歌混じりに消えていった。
見送りながらも、ベッドに座る。灼熱が広がっていくのが分かり、深呼吸をした。
今のは、悪戯心と愛情と過度なスキンシップが混ざって生まれた行為だ。そこには強固で絶対的な享楽と愛が有る。
だが、あそこまで大胆でも彼女は妖艶な雰囲気を欠片も見せない。どうにも、性格的に似合わないのだろうか。ひたすら楽しさへ走る所は、見た目より子供っぽく感じられる。
自分はどうなのだろう、子供なのか大人なのか。考えはしたが、自身の事などすぐにどうでも良くなった。大事なのはこれからだ。
彼女が厄介な物を連れて戻ってきた時に備えて、拳銃を取り出しておく。
いや、間違いなく連れてくる。それが予想通りに行くか、予想の斜め上を行くのかは、まだ分からない。
とりあえず、待っておけば来る筈だ。銃を握って、何時何処で現れても良い様に。
そこで無意識に自分自身の唇を撫でていた事に気づいて、若干恥ずかしくなった。
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通路の離れた場所から見ていると、扉が開いて女が現れた。
「出てきたわ」そう夫に言うと、彼は今からする事に微塵の疑問も抱かないまま、殺人用に磨かれた銃を握り締めた。
これから、あそこに居る女性を殺すのだ。それから部屋の中へ押し入って、花嫁の死体の前で花婿を殺す。
殺すのは楽しい。この人もそう思っているだろう。いや、もう少しズレた感性を持っているだろうが、結局は殺しを楽しんでいる。
自分達は快楽殺人鬼だ。しかし、自分の方が少しだけ理性的だという自覚が有った。
夫に比べて、自分はまだ分別が付く方だと思っている。昨日のギャングを皆殺しにした時だって、騒ぎ楽しみながらも引き際は心得ていた。今まで上手く行ったのも、自分の判断が半分だ。残り半分は、夫の機転や実力と運による物である。
決して夫を見下している訳ではない。同じ趣味趣向、同じ思考を持った最高のパートナーだと思っている。いや、そもそもまともな頭が有ればこんな事件を起こさないだろう。
殺人に興じる最悪の夫婦だと思う。思うだけで、止める気は全くない。このホテルを紹介された時もだ。人目の多い場所で実行するなど正気ではないと分かりつつも、止める気はまるで無かった。
代わりに、意識して明るい笑顔を作る。幸せを示す手段として、最も上等なのが表情だ。殺害する相手の警戒を奪い去り、隙を作る事にも重宝する。
少し離れた場所で愉快そうにリズムを取り、彼女がステップを踏んでいる。夫に先んじて向かっていくと、こちらの存在に気づいたらしく、彼女が軽く手を挙げて来た。
「さっきも会いましたね」凶器は隠し、軽い挨拶を返す。「ええ、旦那さんは?」
隣に居た筈の、あの冷たい目をした新郎が居ない。出来れば二人揃って殺したかったので、僅かな落胆を覚えた。
夫が追い付き、挨拶をする。彼女はちょっとした握手をした後で、改めて顔を向けてきた。
「部屋の中ですよ。幸せな方法で心を止めちゃいました」
無意識なのか、唇を一度だけ舐める。随分と熱い口付けでも交わしたらしい。似たような経験が有ったので、すぐに分かった。
それはそれは素晴らしい、最高の笑顔だ。この笑顔を維持したまま殺したいと思う。花嫁衣装が輝いて、たまらなく可愛らしい。首を落として加工し、永久に保存したいくらいだ。
自分にそういう趣味が有る事を、夫はよく知っていた。そこで、夫の方を横目で見てみる。同じ様な感想を抱いているのか、眼が輝いていた。
自分と同様の気持ちとはいえ、少し不満だ。これから殺す相手に愛情を抱くのは当たり前だが、それにしたって多少は嫉妬してしまう。
「そちらこそ、愛し合っているんですね」
そんな自分の気持ちの機敏に気づいたのか、彼女が笑ってウインクをして見せた。夫からは見えない方向で、笑い返す。小さな負の感情が溶けて、代わりに殺人への欲求が強くなった。心が軽くなる、もっと堪能したい。彼女を存分に殺したい。死体を愛でたい。
「綺麗ね。何か気をつけている事は有るの?」
「特には無いかな。今も殆どノーメイク寸前のナチュラルメイクに留めてますし」
「花嫁姿なのに?」彼女がニッコリ笑って頷いてくる。「そのままが良いって、プランクさんは言ってくれたので」
誇らしげな様子だが、自分の容姿を褒めている訳ではないな、と思う。顔の良さになど興味は無くて、それを褒めてくれる人を自慢している様だ。
「良い目してるよな、あの新郎さん。確かに、化粧なんて殆ど必要無いくらい美人だよ」
何度か頷きながら、夫が彼女の容姿を褒めていた。少し、意地の悪い事を聞きたくなる。
「私より?」夫は、当たり前の様に頷いた。「ああ、君より」
酷い言い種だが、気になる程ではない。自分の顔は牧歌的な田舎娘そのものだ。包丁で野菜でも切っている方が遙かに似合う。とても殺人に向いた様な顔ではないからこそ、今まで生き抜けたのである。
「あなたも可愛いと思いますけど? 穏やかそうで、お母さんが向いている感じの」
「そうかな。私には子供が居なくって。でも夫婦仲は良好よ、勘違いしないで」
今まで、子供を作ろうとは一度も思わなかった。人をこの世から消す事で快楽を得る存在が、人を産むなど滑稽でしかない。もしも自分達が殺されてしまえば、子供も生きてはいけない。
それ以上に、各地を転々として人を殺して回る自分にとっては子供が邪魔な足枷になってしまうのだ。
「ちょっと意外ですね、お子さんも居るとばかり」
「欲しいと思った事が無いとは言わないけれど、やっぱり二人っきりの時間を楽しみたいのよ」
「子供が夫婦の仲を繋いでくれるとは思わない類で?」
「ええ、その通りよ。むしろ、大抵の場合は育児で関係を悪化させちゃうんじゃないかしら」
「確かにそうですね。でも、その程度で悪化する関係なら、最初っから結婚なんてしちゃいけないと思います。本当に目に見えない何かで繋がってる関係は、揺らがない物ですから」祝う様に、こちらを見ている。「特に、我々のはね」
確信を聞かされて、嬉しくなる。我々という言葉の中には、確実に自分達も含まれていた。気遣いではなく、こちらの仲がどれほど深いかを読んでいる。
勘が良さそうだ。この手の相手は途中で気づいてしまう時も有る。昨日殺した連中は味気無さも有ったので、早く首を落としたくてたまらない。
「話は戻るけど、やっぱり彼も可愛いって言ってくれるの?」
「……えへへ」照れくさそうに頭を掻く。花嫁が見せる表情にしては子供っぽい。
「そう、新郎が羨ましいわ。あなた、とっても素敵だから」
自分の中の異常さが刺激される、と表すべきだろう。涎が落ちそうだ。気分は、腹を空かせた獣である。
「ありがとう。そんなに褒めてくれる人ってあんまり居ないんですよ、あなたは良い人です」
「いいえ、私は立派な……うん」
狂人と言いかけて、止める。
何せ自分は快楽殺人鬼だ。それも過去に同情すべき経験をした訳でもない。夫の方は分からないが、少なくとも自分が殺しへ興味を持った瞬間は、些細でありふれた事だったと記憶している。つまり、理解の道すらない程に許し難い狂気の産物なのだ。
子供の頃の経験から殺人に走った大量殺人犯は数多いが、自分は違う。ただ趣味として、単なるライフワークとして人を殺す。
「ともかく、結婚式は幸せな舞台よ。私も最高の気分だったわ」
「俺は女の幸せが結婚に有る、なんてステロタイプも良い所だと思うな」
「おや、旦那さんは理解の有る方なんですね、私の大切な人は、全然理解の無い人で……どっちでも良いと思ってるんだろうけど」
「束縛する関係は嫌がる人も多いからなぁ、でも俺達は趣味も同じだから、そういう心配は無いんだ」
「それはそれは。私達とは逆かな。こっちは、むしろ世の中の見方が全然違うからこそ惹かれあったんですよ」
「あの凄い目をした男がか、言っちゃ悪いが、確かに違う感じだったな」
話をしながら前に出た夫が、背中越しに指を何回か動かす合図をしてきた。
さあ、時間だ。まずは四角から夫が銃撃して、足を貫く。その隙を狙って、完全な意識の外側から首を落とす。それが失敗すれば、銃撃で胸を貫く。
顔を傷つけようとはしない。そんなもったいない事をしてたまるか、彼女を殺す快感を味わう為に、出来るだけ気を遣うべきだ。
「ああ、そうだ」
その時、思い出した様に彼女が手を叩き、頬に赤みを残したまま微笑みかけてきた。
胸の奥が一気に熱くなり、我慢できなくなって包丁を這わせようとする。
「あなた達は昨日、どこかの事務所で人を殺してませんか?」
言葉の内容を理解したのと、夫が引き金を引いたのは同時だった。
サイレンサーによって絞られた音が小さく響き、何となく発砲した事が伝わってくる。怯ませるには足で十分、太股の辺りを貫かれて、赤い血を垂らす所を見たくなりつつも、そのまま包丁で首筋を狙う。
しかし、刃で首を飛ばす寸前に彼女の指が自分の腕を居掴んでいた。「ああ、やっぱりあなた達が、彼らを殺した訳だ」
楽しそうな声には、一切の苦痛が無い。いや、足を撃たれていないのだ。狙いは確かだったのに、何をされたのか。銃弾が当たった場所を探して、すぐに分かった。
夫が発砲する寸前、彼女は自分の片足だけを広げて、銃弾を避けたのだ。引き金に力が入ってから撃鉄が落ちるまでの僅かな隙を取った、人間とは思えない業だった。
どうにもバレていたらしい。腕を振り払って蹴りを加えると、彼女は軽く腕で防いで一笑し、それから足を振り払って腕を下ろしてくる。
「真っ赤な、お花を咲かせてあげるわ……笑って?」
「残念、お断りします」
こちらの行動を阻害しているが、反撃は無い。敵意も見られなかった。その姿に若干の不安は有ったが、彼女の命という魅力的過ぎる対価には代えられない。首を落とせないなら、身体を傷つけてみる。肩の動脈が有る部分を狙って、それに併せて夫が足払いを仕掛けていた。丁度身体に衝撃が加わったと同時に腕を斬り落とすつもりだ。
これも大した驚異では無かったらしく、彼女は鼻で笑って包丁の側面を叩き、足を浮かせて払い返した。逸らされた刃はすぐ隣を素通りして、夫は逆に姿勢を崩す。それでも諦めず、彼は至近距離で銃口を胸に向けた。
それは意識を逸らす為の囮だ。本命はもう片手に握った銃の方で、気づかせない為に自分も刃を振りかざす。
夫が、もう片手で持っていた銃の引き金に力を入れる。その瞬間、彼女はまるで分かっていたかの様に銃身へ軽い裏拳を叩き込み、同じ様に包丁の柄を殴る。
逸らされた銃弾が包丁に当たり、刃が砕ける。幸い弾や刃の欠片が自分に当たりはしなかったが、それすらも彼女の計算通りに思えた。
夫の残った片手の銃は見事な回し蹴りによって飛ばされ、その勢いのまま迫った脚がこちらの脇腹に直撃した。とっさに身を固めた為に骨は折れなかったが、凄い威力だ、内臓の奥が悲鳴を上げたのが分かる。
計算だ。計算された動きとしか言えない。機械的に、最初から分かっている様な動き。
それはまるで、「もしかして、あの映画の!」夫が先に言っていた。
肯定の変わりに拳が飛んだ。
夫の顔面を狙った一撃が当たる前に、絞られた発砲音がもう一度響く。銃弾が彼女のドレスを掠め、背後に居たこちらの頬の側を通り過ぎた。
ほんの僅かながら、夫の意識がこちらへと逸れる。それを逃さず彼女が銃を握って、何とそのまま銃身を潰した。夫は慌てて残った拳銃を向けたが、伸ばした腕が捕まえられて、銃口は壁に移動させられていた。
この瞬間だ。包丁の破片を投げつける。高速で投げた刃は当然の様に掴まれた。が、それが狙いだ。一気に距離を詰めて、砕けて残った柄と刃を握る。
それに合わせて夫が抱きつき、逃げ場を封じた。意表を突いて、避けられるより早く腕を切り落とす為に包丁の残骸で切りつける。
そうしても彼女は平気な顔で腕を下げ、切断される事を回避した。
代わりに副と肌に深い切り傷が入り込み、赤い血が流れ出す。かなり深い傷の様だ。片腕はもう使えないに等しい。
これで有利に立てるが、そこは重要ではない。血の香りまでもが甘美で、心が絶頂期に至ってしまうのだ。あの純白のドレスが赤黒い血で染められていると思うだけで、舞い上がってしまう。
彼女にこちらを害する気が無い事を確認していなければ逃げていた所だが、そんな恐ろしい賭けも成功してしまえば幸せな物だ。自分が途方もなく残酷かつ、嫌な顔をしているのがよく分かる。
「大人しくしていれば、痛くしないわ」苦痛で顔を歪ませたくはない。「一瞬で、すぐに終わるのよ」
艶やかな表情を意識的に作ろうと思ったが、自分の顔じゃ無理だ。代わりに、彼女が可愛らしく微笑んでくれた。
「ちょっかいを出されるのは、ちょっと嫌だ。何せ今は結婚前だから、これ以上ドレスに傷を付けたくもないんです。何より、痛いのは嫌いですし」
出血など苦にも思っていない顔をしておいて、その発言は些かの説得力も無い。
構えの一つも見せないが、何処から攻撃を仕掛けても反応されるだろう。
「俺が君達の永遠の愛を誓わせてやる」夫の熱くも殺意に溢れた言葉を聞いて、意識が現実に戻る。「そうね、死体になって、二人っきりで過ごせるようになるわよ」
「それは、お気遣いどうも」感謝しながら、頭を軽く下げてくる。「でも、残念でした」
一気にこちらへ迫ったかと思うと、すれ違った瞬間に潰した銃と砕けた刃を手の中に置いてきた。戸惑いを覚えている内に移動し、彼女は何部屋分か離れた場所まで跳躍した。
腕を広げて、何かを受け入れる様な格好を取っていた。本当に人間なのだろうか、片腕の傷から下は酷く真っ赤で、染め物にすら見える。血の鉄臭さが無く、むしろ爽やかな香りがした。
「私を殺すなんて、何も分かっちゃいない奴の戯言でしかないんだよ」自分を殺そうとする相手に、どこまでも幸せそうな笑顔を向けている。
「さあ、殺してみるかい?」手招きによって、誘惑してくる。
歯車が歪む様な、そんな感覚が襲ってきた。
精神の奥の奥深くで、自分が恐怖を覚えた気がする。それでも、殺害への欲求が止まらない。むしろ彼女の様々な部分を垣間見て、更なる力が沸いて来た。




