5話
物語とは、素晴らしい。その気持ちこそ、自らが胸に抱く絶対的な意志であり、確固たる自我と呼ぶべき物だと、そういう自覚が有った。
目の前には、二つの画面が有る。
モノクロの映像の中では、余命を宣告された男が説得を受けて元気を取り戻し、女性と一緒にフランスへ旅立とうとしている。そして、もう一つの映像では馬車の中で先住民族に襲撃され、応戦している男達の姿が描かれていた。
それら二つの映像を鑑賞しながらも、手元には一冊の本と、電子書籍端末が有った。片方は精神病院物の小説で、もう片方は暗黒の支配者と戦う者達を描いた作品だ。
二つの映画と二つの小説。さらに、室内で流れる音楽は全てミュージカルであり、オーケストラだ。
棚や鞄の中には漫画に詩集、アニメも存在する。しかし、流石にこれ以上を楽しむとなると、視覚的にも聴覚的にも、肉体的にも限界が有った。
「物語ほど、素晴らしい物は無いさ」心の中で常に思っている事を、口に出してみる。それは音になると一層重く響いて、心の中に入り込んで来る。
周囲に居る者達は、同意とも否定とも取れる曖昧な笑みを浮かべている。所詮は、友人でも何でもない数合わせの、金で動く連中だ。人間という生物の意志や世界という存在の何たるかも考えた事が無いのだろう。
物語とは、この世界ならざる何かを描いた物だ。例え、それが現実を描いた物でも変わらない。面白ければ面白い程に、おぞましいまでに世界が退屈で、現実という物が如何に苦しいかを思い知らされる。
この胸を貫く痛みは、自分だけの物だ。他人が同じ悩みを抱こうとも変わらない。
しかし、若干の寂しさが有るのは事実だ。どれほどの考えが有ろうと、理解者の一切無い世界とは孤独な砂漠に取り残される事と同じ様な不安が有るに違いない。
「現代娯楽で、物語と言えば何だ?」正解は期待していないが、何となく聞いてみる。
「小説と、映画?」答えてきたのは、映像の一つを見つめている者だった。
正解だ。そんな返答は期待していなかっただけに、褒めてやりたくなった。
「そうだ、その通り。どちらも教養人が愛し、大衆が好むだろう」
「俺も、この映画は好きです」
「そうだな。好きな方が良い。人間は物語に影響を受ける生き物なんだ。人間にとって、物語は必要なんだ」もっとも、お前達には分からないだろうが。口に出さないが、侮蔑の気持ちは有る。
ただ漫然と面白い作品を楽しむ事を否定はしない。しかし、娯楽として物語を楽しむと同時に、物語の中に埋没する形で世界を堪能する。その意志を持ってこそ、自分と同じ領域で会話を行えるのだ。
そういった思考をしている自分も、十分に物語の中の人間だ。そう感じると、嬉しさがこみ上げてくる。
「あの、そろそろ爆破しますか?」無粋な提案が聞こえてきた。
現実に意識が引き戻される。思考と物語に埋まっていた自分が掘り起こされて、何となく不機嫌になってしまう。鬱陶しく感じたが、それでも部下だ。まだ殺すには早い。
代わりに視線を爆薬の設置状況を示した表へ向け、まだ作業が完了していない場所が有る事を確かめる。
二つ上の階、七階の一室だけが、終わっていない。記憶が正しければ、作業に出た者は金で雇った男だった。「まだだ。一つ残っている。完璧にしておきたいだろう?」
それ以上は何も言わず、また物語に没頭する。
このホテルで行うのは、今までと同じく連続爆破だ。大量の加工した爆薬を幾らかの部屋に設置して、同時に爆発させる。その混乱に乗じ、他の者達は避難する客に扮して金銭や貴重品を盗んでいくつもりらしい。その手の事には、全く興味が無かった。
自分の目的は、世界が物語でないならば、出来る限りそれに近づける事だ。
爆破によって、世界を僅かに歪ませる。世間に混沌を振りまく行為だ、正気の沙汰ではない。だが、それがまた良い。物語は正気ではない。世界から意志を奪い、無秩序と混沌の溢れた物に変える。そうすれば、たちまち世界は物語に変わる。
きっと、そうだ。この苦しい世界に、一つの意志を投げ込む。そこから生まれた波が、何かを変革すると信じている。
前回の銀行爆破で自分が盗んでおいた活動資金は、今回の爆薬に全て使いきった。とある組織に輸入を依頼した物で、スイッチ式の十分な性能が見込める物だ。破壊力も絶妙に加減された物で、ただ人の心に悪影響を及ぼす為には十分過ぎた。
あまり手入れしていない、荒んだ髪を掻く。無意味な癖毛が鬱陶しいが、気にしない。
これから起こす爆破によって、何が起きるのか。意識をそこに向けて、それ以外の神経の全てを物語に没頭させる。
「あのぉ」外界からの言葉が集中を阻害してきた。「情報は、確かなんですか。爆破するなら、このホテルが狙い目だっていうの」
不安そうな口振りで、心配事を告げてくる。
音を立てて、文庫本を閉じた。周囲の者達が怯える様に震えたのが分かった。どうも、自分はおぞましい人格を持つ怪物か何かの様に思われているらしい。
失礼な話だ。利益も人間らしさも必要無いと思っているだけで、あくまで人間だ。とはいえ、忌々しい事に、という枕詞が付くのだが。
「間違い無いさ、奴は『男爵』とか名乗っていてな……お前達には分からないか? まあ、分からなくても良い」
片方の映像を見ていた者達が、何かを理解した素振りを見せる。文句は言って来ないが、不満そうな顔ではあった。
その不満も尤もな話だが、正直な所は嘘でも構わないのだ。目的はあくまで、爆破によって世界に波紋を生み出す事であって、利益など必要は無い。別にこのホテルでなくても構わなかったし、逆に言えばこのホテルでも良かった。
いや、多数の人間が交差する物語の代表となる場所なのだから、ある意味でホテルは重要だ。理由としては、それだけで良い。
「金庫の場所くらい把握しているんだろう。なら、大丈夫じゃないか」自分は調べていなかったが、雇われた者達が金銭を得る手段を確認していない筈が無かった。
図星なのか、彼らは表情を硬直させていた。殺されるとでも思っているのだろうか。確かに、要らなくなった者を目の前で始末した事も有ったが、それもまた世界を物語にする為の無秩序の一環だ。
思考に心が飲まれていった時、二つの映像が終わる。本来なら、この瞬間に爆破を結構するつもりだった。しかし、まだ準備が終わっていないのだから仕方がない。
爆破のタイミングを教えていなかったが為に、自分以外は計画の遅れに気づかない。
「遅い、な」やはり、何となく呟いてみる。
全員の顔が緊張に包まれ、空気が微妙に冷たくなった。無差別爆破事件の首謀者が口にすると、どんな些細な発言でも恐怖に繋がるらしい。
自分としては、遅延による苛立ちなど全く無かった。遅れもまた、物語のエッセンスとして取り込むべきだ。予定通りに行かないのは当たり前だが、その脱線した予定がどんな風に曲がっていくのか、そこには物語性が有る。
そう考えるだけで、世界がまた一歩物語へと近づいた気がした。
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予約された自分の部屋へ入ってみると、微妙な困惑が自分の頭を襲って来た。
とっさに部屋の鍵が合っている事を見て、予約者の名前が正しくカミラ・クラメールと表記されているかを確かめる。どちらも合っていて、そこは確かに自分が入るべき部屋だという事が分かった。
では、この状況は何だと言うのか。部屋の中に先客が居て、こちらに気づかず何らかの作業に没頭しているのだ。ホテルマンか何か、ではない。服装が従業員の物とは異なっているのが分かる。
利用客の荷物でも盗もうとしているのだろうか。それにしてはタイミングが不可思議だ。まだ誰も居ない部屋から、何を盗るつもりなのか。
あるいは、部屋に備え付けの備品を狙っているのかもしれない。別に構わない気もしたが、自分の泊まる部屋に進入される事には、若干の不満が有った。
「おい」悪戯半分で声を掛ける。危険な強盗だろうが構わない、どんな手で抵抗されようが、一瞬で叩き潰す。
悪寒を覚えているのか、男は何となく顔を青ざめさせて、驚いた様な顔をしている。
「此処は、私の部屋なんですが」 畳みかける様に告げてみると、男は更なる恐怖に包まれた顔をした。
怪しげな存在なのは確定的だが、一応は丁寧に話しておく。「部屋を間違えましたか? それなら、従業員に聞いてみれば……」
従業員という単語を口に売ると、何もしない内に男が飛び掛かってきた。
随分と、口封じへの決断が早い。
それはきっと、自分が女だからなのだろう。確かに自分の見かけは外側からは割に細く見えるし、簡単に黙らせられると安易に考えてしまった様だ。
実際には、溜息が出る程に弱い攻撃でしかない。ただ、単調に向かってくるだけだ。そんな物に当たる程自分は馬鹿ではない。いっそ、当たってやっても良いとすら思えた。
威嚇らしき叫び声をあげながら、男が迫って来た。身体を少し横に逸らす、ほんの十数センチだ。一歩分の歩幅も無い距離だが、相手の身体は空を切る。
それから勢い余ってよろけた男の服の首周りを掴み、引き寄せる。瞬間的に襟元が首を絞めたのか、呻き声が聞こえた。
「さあ、お前は……」誰だ。そう尋ねようとして、一つ気づく。どこかで見た顔だ。つい昨日、撮影中に会ったばかりの相手に思える。
「いや、君は……確か」
口にしてみると、男の方も何かに気づいた素振りを見せた。震えているが、その恐怖は見知らぬ相手に向ける物ではない。むしろ、直接知っているからこその恐れに見えた。
「昨日、撮影で会わなかったか?」尋ねてみると、男が観念して口を割った。「それは、その。ほら……バスの」
自分の記憶の中で、昨日のバス上での撮影が浮かぶ。銃撃の中を駆けたのは久しぶりで、よく覚えている。蜂の巣になったバスを運転していたのは、確かにこの男だ。興奮してスタッフに怒鳴っていたから、記憶に残っていた。
「……ああ、バスの運転手か! 何だ、監督に殺されなかったのか」
「あ、あの撮影は死ぬかと思いましたよ」
「そうだな、最悪だった」
「その、ギャラも酷くって。危険手当は出ていますけどね、あんなのじゃ不十分ですよ」
どうにも、態度から怯えが消えている。どうも、話が通じる相手だと認識されたらしい。厄介な事だ、この手の輩は、精神的な部分でも相手から逃げようとしてくる。
不満は微塵も表に出さなかった為か、こちらの感情の変化に男は気づいていない。
「あの銃撃の雨を走らされるなんて、正気じゃないですよ」
「そうだな。あの撮影に出られるのは命知らずか、馬鹿か、自分が死なないって確信している馬鹿のどれかだ。お前は?」
冗談めかして、男が答えてくる。「俺は馬鹿です」
面白いジョークでも言ったつもりか、男が笑みを浮かべる。相手によっては見栄えの良い表情だが、そんな顔を向けられるのは不快だ。
「ああ、馬鹿だな。で、私の部屋に何の用事だ」
「え」見逃して貰えるとでも思ったのか、甘いのだ。「それは、ぬ、盗みに」
言葉を遮り、先回りをする形で答えてやる。「荷物の窃盗……じゃないな。私が、どれくらい怖いかは知ってるだろう?」
「すいませんでした、俺は備品を盗もうとして……金に困っていたんです」
妙に切実な響きに聞こえた辺り、金に困っているのは事実らしい。しかし、その説得力を粉々にする物品が、コノ部屋には存在した。
四角の、奇妙なトランクだ。外側にデジタル表示で『世の地獄こそ唯一の突破口』と書かれ、不気味な威圧感を漂わせている。
「金が無いなら、アレは何だ?」
ただ聞いてみただけで、男の表情は更に青くなった。半ば死人に見えてしまうくらいだ。
「その、俺は、あんたの部屋だとは知らなくて」まだ自分が窃盗犯だと主張し続ける言葉を、表情を苛立ちに変化させて止める。「良いから、何をするつもりだったんだ? ああ、盗人という訳じゃないらしい」逃げ道を奪いつつ、答えを催促してみる。「さあ、吐いてみるんだ。喋らないって選択を取る、訳がないよな?」
たまらず、男が叫んだ。「喋ったら、殺される!」
「では、喋らなかったら?」想像以上に重い話だと理解しつつ、素知らぬ顔で聞く。答えに困ったらしく、彼は随分と迷った顔をしていた。だが、それでも答えを捻り出したのか、何かを言おうとしてくる。
「それは」言葉を濁そうとする男に、冷ややかな視線を向けた。「殺されない、と思うか? そうだな、殺さないとも。私は殺人鬼じゃない」
殺されないと知った途端、男の顔が喜色に染まる。何やら馬鹿にされた気分だ、もう少し追い詰めてやりたい気分になった。
そこで、ニッコリと、出来る限り優しい笑顔で告げてやる。「殺さないが、死にたくなるかもな」
表情が喜びから絶望へと変わった。何とも分かりやすい、こういう部分が何処かの監督の様な酷い奴に操られる原因となってしまうのだろう。
少しばかり、服を掴む腕に力を入れる。それを拷問の合図だと思ったらしく、男は慌てて白状した。
「アレは、ば、爆弾です」言ってしまった事を悔やんだ顔となり、身体が震え出す。
「へえ、爆弾……そう来たか」
やはり、このホテルで『何か』が起きようとしていた。その確信さえ得る事が出来れば十分だ。男の身体を離してやる。床に倒れかけたが、とりあえずは立ち上がっていた。
撮影の時と同じ気分になってしまって、少しやり過ぎた。酷く怯えさせてしまった事を、反省しなければならない。
しかし、爆弾を確認する方が優先だ。トランクが置かれている場所の側へしゃがみ込み、状態を見てみる。
設置者が側に居るのだ。簡単に爆発はしないだろう。万が一威力を発揮したとしても、それなりに何とか出来る。
見た所、遠隔操作型に見える。音を聞いてみたが、駆動音は殆どしない。少なくとも、古典的な時計型の時限式爆弾ではないらしい。
今すぐ爆破される危険性が見えた。が、とりあえずは爆薬の威力を推測する方を優先する。大きさから察するに、部屋を一つ吹き飛ばす威力は有る様に思えた。自分に怯え狂っている男が持つにしては、随分と物騒な代物だ。
男自身が口にした内容と相まって、彼が主犯だとは思えない。黒幕は間違いなく別に居る。何にせよ、まともな人間ではないのだろう。
そんな事を考えていた為に、身体が動きを止めている。すると、男がテレビのリモコンを持って背後から襲いかかってきた。絶好の機会だと判断してしまったらしい。
頭を狙って縦に振り下ろしてくる。回避せず、あえて腕を背後へ回し、リモコンを掴んだ。
「残念だったな」振り向きすらせず、ただ極力恐ろしい声を出す様に心がける。「私に通用するとは、思っていなかっただろう」
喉が鳴る音がした。息を飲んだ事で起きた物で、男の腕から力が抜ける。それから、男は妙に息の調子を震えさせながら謝罪を口にしようとしてきた。
しかし、二回も襲い掛かられて、それで許せる程に自分は甘くない。その声が明確に謝ってくるより早く、掴んだリモコンを引き抜き、背後へ向かって全力で放り投げる。
上手い具合にリモコンが男の顔に衝突したのが分かる。仰け反って、対象が驚きと痛みで意識を逸らした事が伝わると、即座に身体をくるりと半回転させる。その勢いのまま拳を振って顔を殴りつける、と見せかけて足払いを掛けて背後へ回り、倒れそうになった首筋を打つと、そのまま肩を掴んでベッドの方へ投げた。
無事に成功し、男はすっかり気絶してベッドに横たわっている。浅い息をしているから、殺していないのだと分かる。自分は殺人鬼でもギャングでもないのだ、やはり、殺さない方が良い。
それはともかく、問題は爆弾だ。遠隔操作である以上、何時爆破されるかも分からない。少なくとも自分と同じくらいの身体技能が無ければ、この場を任せる事にも不安が残る。
「まあ、良いか」多少の不安と悩みは有ったが、とりあえず動いてみる事にした。何より先に連絡だ。ホテルマンに相談を行って、警察でも呼んで貰うべきだろう。こういうのは爆弾処理犯の仕事であって、自分の出る幕ではない。
ゆったりとした足取りで、音を聞き逃さない様に気をつける。快楽的な爆弾魔であれば、爆発の瞬間を見逃そうとはしないだろう。見つけて、一回か二回は殴っておきたくなる。
休暇の邪魔をされた為か、自分自身が微妙に苛立っている事が容易に自覚出来た。




