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4話

 エレベーターから出て少し歩くと、カナエは胸に置いた名刺を大事そうに抱き締めて、嬉しさを表現する鼻歌を奏で始めた。

 そこから出る曲は聞いた事の無い物だが、何となく、先程出会った女性に関係する物なのだろうな、と思う。音程は頼もしいくらいに噛み合っていて、邪魔をする気は起きなかった。


「く、くぅぅぅっ……こんな偶然って有るんですね!」とても喜ばしい。そう言いたげに腕を組んで来た。軽めの体重を支えると、更に夢中で身体を擦り寄せてくる。

「機嫌、良さそうですね」

「当然ですって。結婚式の下見に、この幸せな出会いですよ。奇跡みたいじゃないですか」

「彼女、そんなに有名なんですか?」

「知る人ぞ知る、という風かな。基本的にはアカデミー賞的な物には出ていないし、ゴールデングローブも無いし……あ、ラジーも取ってないのでご安心」どうやら、何かの賞は取っていないという意味らしい。

「プランクさんは」当然、映画女優の事など知らない。「知っている筈が無いでしょう?」彼女は特に気を悪くせず、当たり前だと頷いた。「ですよね」

「でも、すっごい人なんですよ。賞に縁は無いけどカッコいいし、演技も良いし、とんでもなく強いし……」

「それは、役柄が、ではないですね?」確認してみると、彼女は嬉しそうに肯定した。「噂じゃどんな派手なアクションもスタント無しで撮ってるらしいんですけど、どうも本当らしいですね」


 それは、確かに分かる。力強い立ち振る舞いや、頼もしげな不敵極まる笑みなど、あらゆる方面から優れた人間の雰囲気を感じさせていた。

 自分が納得している事を感じたのか、彼女は何度も同意を示しながら、話を続ける。


「何より、さっきのサインを私に来た時の動きがですね、とんでもない」勿体ぶった様子で指を弄び、名刺を見せつけてきた。「私が反応に遅れるくらい、鋭敏な動きです。あれはもう人間がどうとか、って次元じゃないですね。化け物です、化け物」

「貴女に化け物と呼ばれるとは、また随分な物でしょう?」

「ええ、それはもう、極めつけに」


 化け物に化け物と呼ばれるのだ。一緒のエレベーターに乗っていた女が、とんでもない怪物に思えてくる。


「でも本気で殺し合ったら、死なない分私が有利かなぁ、なんて」


 また身体を寄せてきて、頼もしげな様子となる。それだけで心配も懸念も吹き飛んでしまいそうだ。ドレスの白さが儚さを印象づけても、彼女の態度が弱さを思わせない。

 頼もしい婚約者の肩を抱き締める。幸せとは、こういう気持ちを言うのだろうなと、そう思った。

 そんな気持ちに沈み込む。そこに、やけに明るく馬鹿らしい声が届いてきた。


「ああ、こんにちは! 素敵な新郎新婦ですね」

「ご結婚おめでとう!」


 前から歩いて来た二人組の男女が、声を掛けてきた。

 底抜けに無警戒で、間抜けそうな表情をしている。互いの片手で掴んだ大きな旅行鞄を組み合わせれば、何から何を見ても旅行に来た無害なカップルにしか思えない。しかし、長年の経験と勘が、奇妙かつ薄ら寒い感覚を受け取っているのが分かる。

 警戒を続けながらも、会釈程度の返事をしておいた。


「どうも」

「こんにちは。このドレスはお気に入りなんですよ」カナエも同じ様に感じているのか、組んでいる腕の力が僅かに強くなっていた。

「へーぇ、私達は運が良いや、なあ?」男が話を振ると、女は息の合った返事をした。「うん、こんな素敵な夫婦の成立を目にしているなんて」

「どうもありがとう。そちらも素敵なご夫婦?」


 彼女が探りを入れると、男女は互いを抱き締め合った。「勿論! ねぇ?」男の方が、女の頭を抱いた。「おお、そうさ。私達は夫婦さ!」

 仲睦まじい姿を見せつけてくる。対抗意識が生まれたのか、カナエが腕を強く絡めて来た。


「お互い、良いパートナーを得る事が出来て幸せですね」

「ええ、それはもう! この人は私を分かってくれるのよ」

「私の方だって! 私の事を分かってくれるんです」恥ずかしげも無く自慢げに話し、カナエは更に付け加えた。「私も、この人の事を分かっていますし」

「あなたも? それは良いわね。受け止めあえる夫婦になれるのは最高よ。受け入れられない相手と結婚した人が哀れになっちゃう」

「ですよね、全面的に同意したいな」


 妙に考えが合うのか、女とカナエは何時の間にか楽しそうに話している。だが、男の方はどうも自分と合った性格をしているとは思えない。興味深げに顔を覗き込んでくるからだ。


「君の、良い嫁さんじゃないか」

「私より彼女に言ってあげてください。喜びますから」他人への敬意に欠けた返事だと思ったが、警戒の方が遙かに勝った。


 取り付く島もない態度に男は残念そうな顔をしたが、すぐに様子を変える。だがカナエに話しかけようとはせず、ただ片手を軽く上げていた。


「おっと、お二人の幸せな時間を邪魔しちゃいけないな」 男に言われた為か、女は若干慌ててカナエから離れる。「そうね、悪い事をしちゃったわ」


 二人は揃って謝罪をしてきた。だが、そんな物は必要無いとカナエが遠慮がちに首を振り、朗らかな中にも微かに感じられる警戒を持って、夫婦へと社交辞令らしき言葉を告げていた。

 笑顔を維持しながらも、カナエが横目で自分を見てくる。何となく、「不自然ではない程度に挨拶くらいした方が良い」と言っている様に思えた。確かにそうだ。


「失礼しました、礼を失した対応でしたね」

 何の謝罪か暫く分からなかったのか、男が目を見開いてから、手を振ってくる。「いやいや、二人の幸せな時間に首を突っ込んだ私達が悪いのさ」

「そうそう、私達は幸せな夫婦が一緒に居られる時間を応援しているのよ」

「こんな風にね」


 男女は手を繋いて、もう一度思い切り抱き締め合う。それから思い出した様にこちらへ揃って顔を向け、笑いかけてきた。


「良いパートナーみたいだし、絶対に離しちゃいけないね。運命っていうのは実在するんだ。それじゃ、良い式を」

「良い式を!」男が告げた祝福の言葉を追う形で、女も同じ事を言う。


 言いたい事は全て言い切ったのか、ウインクを見せつけながら男女は去っていった。底抜けに明るい所は嫌いになれないが、止める気すら起きない程に馬鹿っぽいと表現出来る者達だ。

 しかし、頭の片隅では高瀧に教えられた虐殺犯の特徴が想起された。つまり、馬鹿っぽい二人組の男女だ。もしかすると、という予感がした。

 口には出せない。カナエから感じられる腕の感触から、少しずつ力が抜けていく。姿が完全に見えなくなると、彼女は表情に真剣な物を浮かべて、じっと見つめてきた。


「プランクさん、気をつけてくださいね」

「あなたの方が心配ですよ」

「私はほら、殺されたりする訳じゃないですから」


 そういう問題じゃない。素直に、そう思った。だが、そんな事は言わなくたって分かっている筈だ。彼女の言う通り、我々は互いを理解できる関係なのだから。

 代わりに、その手に指を絡めてみる。少し恥ずかしそうに照れた彼女だったが、絡め返す動きには全く乱れが無かった。

 純白のウェディングドレスが本当に綺麗だ。今更ながらに、賞賛したくなった。


「ドレス、本当に似合っていますね」

「そう、ですか? ちょっと不安だったんですけど……でも、ありがとう。これで一安心だ」


 本心からの褒め言葉は確かに彼女へと伝わった様だ。赤くなった頬が純白の中でとても可愛らしく自己主張をしていて、見ているだけで笑顔が溢れそうになる。

 そんな自分を制御しながら、扉の方向へ身体を向ける。

 気づけば自分達の部屋の前に立っていて、扉は自分達の手が開けていた。ドアノブに触れた手が見事に重なっていて、部屋の扉を開けるタイミングは全く同じだった。

 無意識の行動であっても、意志を通い合わせる。それを実行出来るのは、とてつもなく幸せな事だった。



+





「素敵な人達だった」


 二人の部屋の位置を確認して、そんな風に呟いてみる。

 旅行鞄を揺らしながら、愛しい女の頭を撫でる。楽な物で、彼女と腕を組んで歩くと大抵の者が警戒心を解いてくれた。その上、自分も幸せなのだ。何の問題が有るだろうか。

 自分の趣味であり、運命でもある行い。それを共に行ってくれる、最高のパートナーだ。


「ええ、本当に素晴らしいわ」


 今も、自分の言葉に同意してくれる。現代に於いて、それがどれほど貴重な事か。一切の利益にならない事を、どれだけの人間が応援してくれるだろうか。

 自分は、幸せ者だ。その気持ちを噛みしめながら、また、昨日と同じ様に運命を全うする。


「彼らに必要なのは、何だと思う?」

「お祝い、でしょう?」尋ねてみれば、帰ってくる言葉は予想通りに理解の有る物だ。やはり、彼女は最高の女性なのだ。受け入られ、受け入れる事が出来る。

「その通り、お祝いだ。私達が、あの二人をもっと幸せにしよう」


 言いながら、旅行鞄を少し開ける。これを持っていると、人々は自分達の事を新婚旅行に来た夫婦だと勘違いしてくれる。無害で騙しやすい、楽な観光客だと思ってくれるのだ。

 その背中を刺し、即死させる瞬間の幸せと言ったら、どんな麻薬よりも危険で中毒性の有る物だった。


「どれが良いかな」鞄の中には、鋭い包丁や鋏、果ては軽機関銃が入っている。毎回の事ながら、彼女と道具を選ぶ時間は至福の物だ。


 自分自身は小口径の拳銃を握る。これが一番好きなのだ。


「これと、これなんか良さそう」彼女は、何本かの包丁を手に取った。グルカナイフなども有ったが、今回はあえて殺傷力の低い物を選んだらしい。それらで抵抗を許さず即死させるのは大変だが、二人なら簡単だ。

「昨日は沢山真っ赤に出来たから、今日は二人だけ、手を繋がせて、中身も繋げて、身体をぐちゃぐちゃに混ぜてあげましょう? 二人っきりで、永遠に死なせてあげましょう」

「昨日は潰し過ぎたから、そうだな、今日はあの二人にしよう。脳を混ぜて、身体を一体化させて、指を腹に入れて、ずっと一緒に居られる様にしてやろう」


 これからの事を話すだけで、夢中になった。

 昨日行った事務所の襲撃はとても良い物だった。久しぶりの虐殺に心が躍った。が、足りない物は有る。幸せさと、愛だ。その条件に先程の二人はぴったり当てはまる。

 あの新郎新婦には地獄より熱い血飛沫が似合うと思えた。それが『自分から吹き出した』なのか、それとも『他人から吹き出した物を浴びた』のか、どちらにせよとてつもなく似合うだろう。


「真っ赤で綺麗な結婚式にしましょう、死体と、死体の二人きり、祈りは私達が、ね?」

「そうだな」全くの同意見だ。「それが一番だ」


 そうと決まれば話は早い。少し離れた場所から部屋の様子を窺って、出てくる瞬間を待つ。近づいていき、朗らかに話しかけ、そして……行為に及ぶ。

 失敗するとは思わなかった。今まで何度も危ない状況には陥ってきたが、その時々で夫婦共に突破し、全てを打ち砕いてきた。目撃された事すら無いという自信が有る。何せ、一人残らず殺してきたのだ。

 傷を受けた事もあったが、二人とも生来の丈夫さが良い方向に働いている。多少の抵抗など、簡単に抑え込めるという自負も有るのだ。今回も、簡単に行くだろう。

 そう、自分達の考えが気づかれているとは全く思わなかったし、まさかこのホテルで自分達以外の『何か』が蠢いているとは、夢にも思わなかった。


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