表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/77

2話

 夜の闇の中で、寒気と共に月明かりが揺れている。それは酷く残酷な現象だ。プランク・クルーガーは贈り物のマフラーを撫でながら、どうでも良い事を考えた。

 太陽光とは違って、月光は月が発した物ではない事くらい常識だ。太陽という偉大な光の恩恵を受けて、ただ光っている様に見せかけているだけの塊。まるで、人間の様だ。

 偉大な物に縋り、まるで自分が偉大である様に見せかける。微塵の興味も沸かないが、それは人間の性質として頭に浮かぶ物の一つであった。


「満月ですね。ああ、とっても綺麗」隣から、まるで考えを読んでいた様な発言が来る。「良いじゃないですか。月は自分から輝かないからこそ、あんなにも綺麗なんですから。人生が楽しいのと同じくらいにね」


 何時も通り、不思議と心地良い声音に目を細める。「その通り、月は綺麗です。綺麗だから、無駄な事も考えてしまいますが」付け加えて、隣で新聞を読む彼女の頭を撫でる。「私が、そんな物に興味を持つと?」


「思わないかな」


 口元を緩めていき、彼女、カナエは新聞へと目を通す。速読法でも使っているのか異様な速さで読み進めていき、ある一点で目を留めた。


「今度は銀行……混乱に乗じて金庫から強盗……また爆破事件ですよ。最近多いですね」

「物騒な世の中ですね」頭の片隅で思い出す。「確か、それは我々が協力している銀行でしたか」


 カナエは声を上げて笑い、肩に頬を擦り寄せてくる。「私達みたいな怖い人達から盗むなんて、イカレてちゃってます」


「直接関与した訳ではないですよ。警察も血眼で探っている様ですが、まだまだ逮捕は遠そうですね」

「私達が報復をするのと、どっちが早いかな」

「さあ」首を振って見せる。「どうも、逃げ足だけは無駄に早い様子で」

「そうですか」彼女はぼんやりとした返事をして、また新聞に目を通す。月光だけに頼りに、平気な顔で読み進めていた。

「カナエ、目に悪いかと思いますよ」指摘に対して、カナエは嬉しそうに首を振る。「ううん。最高に読めるし、目に良いです。でも、心配してくれて嬉しいな。プランクさんの心配なんて、油田よりも価値が有りますね」


 言外に冷たい人間だと告げられたが、怒る気は全く起きなかった。他者への無関心と冷血な意志くらい、自分自身でも分かっている。彼女が特別なだけで、それ以外の者など利益を得る為の道具くらいにしか感じられない。

 そんな人間性を失う寸前に近い存在に純真な好意を向けてくるのだから、このカナエという女はたまらなく可愛らしく、時々おぞましい。


「ん、また連続殺人の記事が。うわ、酷い。刃物や銃で皆殺し、これはまた凄い事を」凄惨な内容の記事に、目を輝かせている。


 恋人の危険な表情に、心から言葉が溢れた。「本当に、物騒な世の中です」


「私達の物騒さには及ばないと思いますけど」新聞から顔を上げて、辛辣な笑顔での一言だった。


 新聞から顔を上げた彼女に同意を示すと、懐の携帯電話がバイブレーションを鳴らせた。それが一度止まるより早く取り出して、確認を取る。知っている名前から送られてきたメールだ。


「誰ですか?」液晶を覗き込んでくるカナエの、肩まで届く黒髪に触れる。「スーツが大好きな彼です。どうも、準備が出来たそうで」その彼とは、部下の一人だ。


 携帯電話を戻すと、代わりに拳銃を取り出す。かなり古い銃だったが、安定して使える物だ。

 弾倉が引き金の前に有り、グリップが独特な形をしている。隣に居る彼女が誕生日の記念として贈ってきた物だ。銃の名前には興味が無かったが、「モーゼルミリタリー」と呼んでいた様な記憶が有った。


「突入まで、後少しです。少しくらい気をつけてください。向こうだって危険な連中なんですからね」

「殺しは駄目でしたっけ」

「当然です。今回はあくまで脅しですよ、脅し」


 人殺しにしか見えない危険なカナエを窘めると、彼女は少し冷静になった。危険に見えても、彼女は率先して人を傷つける精神の持ち主ではない。


「脅し、脅しね」何度か反復して、飲み込んでいる素振りだ。道化の様に笑い、「一つ、思ったんですが」尋ね掛けてくる。

「爆薬の密輸、とっても怪しいですね。連続爆破事件と何らかの関わりが?」

「さて、どうでしょうか。少なくとも、私達の支配域で危険物を売られていれば、それに対して正確な警告をしなければならないのは、事実です」


 耳元で囁く様に返答をして、背後に回って両肩を抱く。すると、彼女が小さく震えているのが分かった。

 恐怖から来る物ではない事は即座に判断出来る。単に、寒いのだろう。その寒さすら無視出来る程度には強靱な肉体の持ち主だろうに、人間らしい仕草を忘れていない。


「寒そうですね」抱き締めながら告げると、カナエは照れた様子で首を振った。


 しかし、端から見れば寒そうな格好だ。丈が足りないのか、着込んだ肌色の混じった白い服からは腰回りや臍の部分が僅かに露出している。動きやすいジーンズと組み合わせている辺り、荒事に合わせて服装を整えてきたらしい。

 編み込みが縦に入った手編みのセーターだ。彼女が編んだのだろう、誕生日の贈り物のマフラーと同じ繊維で出来ている。その下から覗く臍や細い腰が尋常ではなく魅力的で、思わず目が行ってしまった。他の女がどんな格好をしても欠片の興味すら抱かないが、彼女だけは別だ。僅かに見える肌に触れたくなり、思わず腰に手が伸びる。

 彼女は驚いた様な声を漏らしたが、拒絶はしなかった。地肌の感触は柔らかく、同じくらい硬い。まるで作り物の様に絶妙な触り心地だ。


「大丈夫には見えませんね。どうしてこんな丈の短い服を……」くすぐったそうに、彼女が答える。「サービスですよ。大事な大事な恋人さんの目を釘付けにする為に」


 隠しも照れも含まず、本心からの愛情を叩きつけられて、思わず心が揺れる。今から行う事も一度天の彼方まで吹き飛ばし、彼女の存在を堪能し続ける。

 彼女の耳に有る、小さな虹色のイヤリングを撫でる。「そんな事をしなくたって、私は貴女しか見ていませんよ」本心だ。自分を含めて、彼女以外の者など道端の小石程度の価値しか感じられない。

 自分に巻いているマフラーを取り、彼女の首に回す。


「別に良いんです、プランクさん。私は寒くないし」喜びながらも、遠慮してくる。「ほら、私は頑丈だから。素直に自分で巻いていてくださいよ」

「そういう訳にも行きません。心配ですからね」

「ああ、無関心主義者が他人の体温に心配を覚えるなんて、明日は石油が降るんでしょうね」

「貴女だけは例外です。さっき言ったばかりでしょう?」反応を予想しながら付け加える。「大体、我々は他人ではないかと」


 彼女は目に見えて頬を赤く染め、たまらず酔ってしまった様に照れる。


「そうですか、あぁ……嬉しい」


 溶けきった様な表情がとても可愛らしい。期待通りの変化が素晴らしく感じられて、腰を抱く力が強まる。それ以外の事はどうでも良かった。どんな地獄に落とされ、彼女さえ側に居れば平気だろう、そう感じられた。

 もういっそ、このままずっと抱き締め合っていれば世界に累積するあらゆる問題が解決するのではないか、そんな気持ちになっていると、無粋な携帯の着信音が再び鳴る。


「おや」音に気づき、彼女が振り向く。「またメールですか?」言葉に誘導される形で液晶に表示された内容を確認し、肩を竦める。「ええ、さっさと開始の合図を出せ、と言ってきました。貴女と愛し合うより先にやってくれ、だそうですよ」

「え、み、見られてたんですか」

「そんなに恥ずかしがる事ではないでしょう」意地の悪い事を言うと、彼女が照れているのが分かってまた愛おしくなる。


 それでも、先程までの様に夢見心地では話が進まない。メールの返信を行ってから携帯を片づけ、少し離れた場所に有る事務所を見る。小さめの屋敷か何かの様にも見えるが、それが危険な組織の拠点だという事は分かっていた。


「裏口と壁側には彼らが回っています。我々は正面から襲撃を掛けますよ」

「分かってますって。けど、二人で大丈夫ですか?」

「問題無い、むしろ、私が着いていく必要すら無いでしょうね」


 いや、もっと言うなら邪魔になる可能性の方が高いだろう。部下を伴わず、彼女を一人で向かわせた方が確実だ。


「まあ、アレですよ。色々と事情が有りまして」

「ふーん。まあ、良いです」譲歩したのか、彼女はそれ以上何も聞いて来なかった。


 その代わりか、マフラーを大事そうに撫でながら服の裾を下げ、微かに見えていた肌色を隠す。恥じらいが見え隠れするのが、妙に胸の奥を貫いてきた。自分を此処まで揺らせるのも、この女くらいだ。


「合図は出しました。そろそろ決行しますよ」努めて冷ややかな声を出すと、「そうですね、行きますか」カナエの表情が、ずっと真剣になる。


 武器など何一つ持っていなくとも、この小柄で艶やかな黒い髪の女は最強だと分かった。愛しているが故の贔屓目などではなく、それこそ初対面の時から彼女を人間だと思った事は一度も無かった。


「何だか妙な気配を感じますから、プランクさんも気をつけて。危なくなったら助けると言っても、限界は有りますから」


 恐るべき歪みを瞳に宿し、あらゆる生物が逃げ出す気配を纏って、彼女は一歩踏み出す。


「さあ、人生を楽しみましょう。彼らにも、人生を楽しんで貰いましょう。楽しむ悦びを、あげましょう」


 楽しむ。それは、彼女が口癖の様に口にする言葉だ。


「その言葉、好きなんですか?」尋ねる言葉に、彼女は思い切り頷いた。「もっちろん! 大好きな言葉ですよ。あえて言えばプランクさんと同じくらいに!」


 途端に真剣な表情を崩して、彼女は事務所の方へと走っていった。照れ隠しのつもりだろうが、すぐに分かる。

 享楽主義的な彼女の趣向は時折理解の外へ飛んでいくが、少なくとも彼女以外の誰に対しても関心を寄せない自分よりは、遙かに楽しく幸せに人生を桜花しているのだろう。

 そんな確信を籠めて、プランクは彼女の背を追った。


+


 事務所まではそれほどの距離も無かった為、すぐに扉の目の前まで到着した。警備の目は存在せず、不気味なくらい静かな状態だ。

 カナエの言う通り、妙に嫌な予感がする。塵が目に入った時の様な違和感と不快感が同時に訪れて、思わず銃を強く握った。


「成る程、妙な気配ですか」理解していると、前に居た彼女が振り向く。「本当に、異様な感じです。どうしてこんな臭いがするのか……ふふ」状況を理解していない表情だが、未知を楽しんでいる様にも見えた。


 臭い、そう聞いて、プランクは殆ど条件反射的に嗅覚を働かせる。周辺を漂っている臭いの中には、確かに日常とはかけ離れた物が確認できた。


「血、ですか」ある意味では嗅ぎ慣れた生臭さだ。

「血ですね。うん、間違いなく血。参ったな、色々と分かって来ちゃったぞ。プランクさん、どうします?」

「ここまで酷く臭うとなると……」言葉の続きがやってくる。「この先がどうなっているかは、簡単に予想できる、と」

「ええ、そうですね」


 何時でも発砲出来る様に銃を握りつつ、目を合わす。それだけで意志が伝わったのか、彼女はすぐに正面扉へと近づいていき、そこから一歩下がって息を整える。

 プランクは少しだけ距離を取って、彼女の行動を待った。

 何度か呼吸を行い、彼女の全身から奇妙な集中が感じられた。その瞬間、常人には知覚する事すら困難と思われる蹴りが炸裂する。爆薬で吹き飛ばしたかの様な音を立てて、頑丈そうな鉄製の扉は板切れより簡単にへし折れ、そのまま部屋の中へ倒れ込んだ。

 相変わらず、とてつもない力だ。他人の強さなど興味は無い。が、それが大切な人の物であれば、何となく誇らしい気分にさせられる。

 そんな感慨に浸るのもそこそこに、彼女へ続いて部屋の中へと侵入する。入った途端に銃撃の嵐に晒される可能性を念頭に入れて、壁などの障害物に身を隠しながら玄関へと進んだ。

 中の状況を確認すると、その心配が全く無意味な物とすぐに分かった。

 銃撃など来る筈も無い。そこに転がっていたのは、血や肉片を床や壁に飛ばした死体の山だった。


「これはまた、随分と」精神的な動揺は無い。カナエも同様なのか、冷静に死体の状況を確認している。「派手なトマト投げパーティでもやったんですかね。イタリア系のマフィア組織か何かでしたっけ、此処。あ、シチリア系って表現した方が良かったりしますか」

「さあ」質問自体に興味は無いが、返事はしておく。


 それにしても、本当にトマトでも投げたかと信じてしまいそうな光景だ。戦場でもないのに死体が転がる、さぞ非現実的に見えるだろう。他人がどう思おうが関係は無いが、頭の片隅で少しだけ考える。これほどの数となると、死体袋が必要だ。一応、準備はしておいたのだが。

 若干の煩雑さを覚えていると、また懐から着信音が鳴る。すぐに取り出して液晶を確認し、小さな溜息を吐く。


「またメール?」

「ええ。どうやら向こうも同じ状況の様ですね」裏口から入った部下が送ってきたメールを見せる。添付された画像には、同じ様に死体が転がる室内が写されていた。

「先客が居た、という感じ」


 カナエが面白がって笑い声を漏らし、自分に血が付着しない用に死体の傷を見ていた。


「銃弾の痕跡に、刃物で切りつけられた痕が大量。どうも、犯人は人間じゃない気がします」

「あなたの様な?」また人間扱いしなかったが、彼女は怒らない。「いえ、そうじゃなく。私とは違って、精神性の問題だと思います」むしろ、自分が人間ではないと認めている風だ。


 そこから少し考え込んで、思い付いた様に呟いている。「噂の連続殺人犯、かな」


「新聞に出ていた、あの?」

「そう」仕舞っていた新聞の二面記事を見せてくる。「ほら、一人残らず虐殺、って辺りが特に」

「成る程」文を数秒で読み込むと、それは確かに似た様な手口だと分かった。


 ただ、犯人が分かった所で何の意味も無い。自分達は警官ではなく、単なる怪しげな組織なのだ。犯行を検証するのは、自らの仕事ではない。それよりも、この場で行うべき全てが実行不可能になった事が重要だ。

 個人としてはカナエさえ生きていれば世界が滅んでも構わないとすら思っているが、組織の主としてのプランクという人間には責任という物が有る。


「……此処の連中には用事が有ったのですが、どうしますかね」


 死体の処理から、今後の行動まで。思考を巡らせていく。


「プランクさん、プランクさん」その答えが出るよりも早く、カナエが腕を引いてきた。

「何ですか、一体」訝しげにしていると、彼女は腕を掴んで一点を指した。「あのですね。一人残らず、って訳じゃなさそうですよ」


 視界の端で、死体に埋もれた何かが確かに蠢いていた。下に潜り込んで危険を回避した者が居るのだろう。自分達の存在に気づかれている可能性も有り、銃口をそちらへと向ける。どうも死体の重みで身体を持ち上げられないのか、ただ動くだけで中身は一向に姿を見せない。


「カナエ」死体の山に近づき、彼女へ声をかける。


 すぐに理解したらしく、彼女は潰れて欠けた死体を退け始めた。

 それに併せて死体を持ち上げ、隅へ放り出す。警戒は忘れず、何時でも発砲出来る様に準備をしておく。

 二人揃って同じ作業をすると、死体はすぐに片づいた。その中には一人の男が座り込んでいて、拳銃を片手に挨拶代わりに腕を上げていた。


「よう」深くも強さの籠められた声に、思わず引き金へ力が入る。


 部下が全滅しても、背筋が凍る様な鬼気は微塵も揺るがない。屈強な肉体をダークスーツで包み、雑に伸びた癖毛を揺らして、その中年の男はニヤリと笑った。

 血で塗れているが、威圧的な笑顔は全く損なわれていない。

 攻撃するのは、逆に危険だ。寸前で引き金の力を抜き、軽く頭を下げる。「こんばんは、高瀧さん」

 高瀧と呼ぶと、その男はあくまで正気の表情で顔を覗き込んできて、すぐに理解した素振りを見せた。


「お前が居るって事は……そうか、俺の部下は殺されたか」

「勘違いしないでください。我々の手ではありませんよ」

「分かってる。それより、どうなった?」尋ねられて、すぐに答える。「死体だらけですね。このまま警察のお世話になったら、きっと町中の安置所が埋まりますよ。死体が多すぎてベッドが足りませんね、海にでも捨てますか?」

「ふざけるな」悪質な冗談に、高瀧が怒りを見せる。

 しかし、「ふざけてなんかいませんよ」死体を大事にする感覚など、知った事ではない。


 どうにも、彼は気持ちが高ぶっている様子だ。冷静さは保っているが、何時爆発しても不思議ではない風に思える。刺激を承知で、片手の拳銃を奪っておくべきかもしれない。

 いや、仮に発砲されたとしても、頼れる恋人が居る。大丈夫だ。


 カナエを視界の端に入れながら、尋ねる。「さて、何が起きたか教えていただけますか。出来れば、あなたが誰に爆薬を売って、その連中が何処に居るのかも教えていただきたい」

「断ると言ったら?」

「別に何も、拷問でもすると?」高瀧が鼻を鳴らしている。「分かってる、俺の仲間が皆殺しになろうが、お前には関係無い事だな」


 諦めたのか、彼は銃を下げた。勿論、こちらは引き金から指を離しはしない。カナエからの視線が背中越しに送られてくるのが分かる、紹介されたいのだろうか。

 高瀧は彼女を知らない筈だが、部下の一人とでも思っているのだろう。物珍しそうに一瞥したかと思うと、すぐに目線を外していた。


「男女の二人組だ。でけえナイフと両手持ちの機関銃を持って、いきなり飛び込んで来やがった」溜息混じりに、付け加える。「イカレた連中だ」

「そんな馬鹿を相手にして、皆殺しにされますか」

「馬鹿はお前だ。あの二人はとんでもない化け物だな。まあ、お前よりは真っ当か?」

「サイコと無関心なら、サイコの方が異常でしょうに」


 一緒にされたくはない。人が死のうが生きようが興味は無いが、率先して殺そうとも思わない。そんな趣味の連中とは、決定的に違う。特に、憤慨は覚えなかったのだが。

 すぐ後ろで話を聞いていたカナエも同じらしく、彼女は興味深げに高瀧を見つめた。


「ヒッチコック?」意表を突かれたのか、高瀧は訝しげになった。「いや……ロバート・ブロックだ、と返せば良いのか?」

「へえ、彼の著作はアーカム計画が一番好きですね。あれは最高だ」

「同意させて貰おう。まあ、俺は尖塔の影もお気に入りだが」

「私もそれは好き。無人の家で発見された手記は?」

「読んだぞ。何だ何だ、話が分かる奴じゃないか。プランク、お前はどうだ?」

「うんうん、あなたみたいな危険人物っぽいのがクトゥルー神話に興味が有るとはね。で、プランクさんはどうかな?」


 何故か、カナエと高瀧の視線が集まってきた。その手の話は全く知らないので、困る。


「知りませんよ」素直に返事をして、脱線した話を戻す。「まあ、それは良いとして。その連中、姿は?」

「何だ。話の分からない奴め」面倒そうに、首を振っている。「顔は知らん、マスクで隠していた。だが、背格好で男と女なのは分かるぞ。明らかに馬鹿っぽい声だ、すぐに分かる筈さ」


 言い終えると、大げさなくらいの溜息を吐いている。部下が皆殺しにされたのは痛手だろう。彼自身さえ生きていれば、大抵はどうにかなりそうな物だが。

 もしかすると、仲間を失った悲しみが有るのかもしれない。その辺りは分からない感覚なので、想像とカナエに任せるしかない。


「では、爆弾は何処に?」


 聞いてみると、彼は表情に強い威圧を籠めてきた。「さあな、もう、分かってるんじゃないか?」

 答える気はまるで無い様だ。別に期待が有った訳ではない、こんな場所で喋りはしないだろう。後々、然るべき場所で尋ねる事にしよう。

 自分の隣に立つカナエに視線を送ると、彼女もまた目を合わせてきた。にこやかに微笑みかけて来たので、同じ表情を返しておく。

 それが余程物珍しかったのか、高瀧が首を傾げている。


「ところで、その女は誰だ?」照れる必要も無い。素直に答えを口にする。「私の婚約者です」

「は?」目を丸くする、とはこういう表情の事を言うのだろう。彼は口を何度か開いたり閉じたりしながら、言葉にならない音を漏らしていた。

「ですから、婚約者」

「えっ」隣に居るカナエが、驚く様な、照れる様な表情で俯いている。そういえば、実質上のプロポーズは今が最初だ。今までは、少し歪んだ愛によって繋がった恋人だった。


 しかし、結婚の申し込みを嫌がってはいない。心の奥で、喜んでいる自分が居る事を自覚する。


「……冗談だろ?」自分とカナエの表情を見て、高瀧があからさまに耳と目を疑っている。「冗談ではありません」断言して見せると、その疑いは唖然へと変わった。


 無関心だの、他人など道具にしか思っていないだの、そんな評価を何度も受けている。そんな自分が結婚だ。もう慣れた反応だが、毎回同じ反応を見せられると飽きが来る。その後で向けられる疑心も、もうすっかりパターンと化していた。


「お前みたいな、人を利益追求の道具にしか見ていない様な野郎が、結婚? 何だ、政略結婚か何かか? こんな野郎と結婚したら、不幸になっちまうぞ」

「違います」聞き捨てならなかった様で、彼女も反論を口にする。「うん、違うね。最高に幸せな恋愛関係だよ。愛し合っていると言っても良い」


 はっきりと断言された言葉が、自分の物よりずっと正直に響いている。嬉しさで、思わず彼女を抱き締めたくなった。

 そこまで強く伝えられると、流石の高瀧も認める素振りを見せていた。


「そうか……ああ、そうか」何度か頷いて、息を吐いている。「そうか。試してやる」


 その瞬間、高瀧の拳銃が唐突に持ち上がった。

 銃撃されると分かり、高瀧の手を撃ち抜こうと銃を構えたが、本当に瞬く間の事で反応が遅れてしまう。僅かな差ではあるが、胸を撃ち抜かれる方が早い。

 高瀧が引き金を引く。一発の銃弾は確実な狙いで、命を刈り取りに来るだろう。一瞬という一瞬を捉えながらも、諦観に身を浸す。

 しかし、その寸前で割り込んでくる者が一人居た。銃弾は代わりにそこへ当たり、血が溢れて、背中から倒れ込んでくる。自分の盾になったカナエが、そのまま身体を預けてきた。

 命を助けられた事を理解して、その全身を背後から抱き締める。目一杯の感謝が上手く伝わっているかが不安だった。


「驚いたな、本当に好き合ってるのか。悪い事をしたな、これでお前は恋人を失った」


 予想外だと言わんばかりに、銃を下ろして肩を竦める高瀧の姿が目に留まる。そんな態度を取られても怒りは沸かない。しかし、彼女を撃った報復はしなければならない。

 寄りかかってくる彼女の気配と感触を堪能しながら、高瀧の顔面を作業的に蹴り上げておく。何かが潰れる様な音と呻き声が聞こえたが、どうでも良かった。


「大丈夫ですか?」最も、そして唯一大事なのは、カナエだ。


+



「勿論」大丈夫だ。言葉には出さなかったが、穴の開いた胸の奥で返事をする。


 銃で胸を撃たれたくらいが何だと言うのか。むしろ、プランクの反応の方が気になっていたくらいだ。

 薄目で、少しばかり彼の顔色を窺ってみる。殆ど平坦な表情ではあるが、その奥底には心配が見えた。とても喜ばしい、例え自分自身であっても砂埃を見る様な目をする男だ。心配される事の方が奇跡と言って良い。

 常に存在する楽しさと幸せに加えて、安堵にも似た多幸感が胸の中で一杯になる。きっと今、自分の瞳はハート型で桃色なのだろう。恋する乙女より狂った目つきに違いない。

 そんな気持ちに浸っていたいが、心配させておく訳にも行かない。目をしっかりと開き、プランクの頬を撫でた。


「勿論、生きていますよ。むしろ元気で一杯です」すぐに起き上がれたが、彼の腕の中に居る感触が素晴らしいので、止めておく。


 銃弾は胸の中で止まって、彼には一切の被害が及んでいない。そうなる様に仕組んだとはいえ、上手く行ったのは素敵な事実だ。

 そんな感動を覚えていると、「心配しました」ギュゥッ、という擬音が似合うくらい、彼は強く抱き締めてきた。「貴女には、死んで欲しくないです」

 死なない事は分かっているだろうに、まるで陶器でも愛でる様に丁寧で繊細な手つきだ。力の入れ方が絶妙で、背後からの彼の存在が素直に愛を注ぎ込んでくる。

 不味いぞ、と。少しだけ考える。このままずっと溺れていたい気もするが、同じくらい此処からの状況を堪能したかった。

 話を変える意味で、わざとらしく笑う。「私は死なないですよ。生まれていませんから」事実だ、自分は人間ではないし、それどころか生命体ですらない。そして、その事に対する微塵の後ろ暗さも無い。

 まだ、プランクに抱き締めたままだ。幸せ過ぎて胸が高鳴るが、それでも離れるべきだ。その気持ちを察してくれたのか、彼はあっさりと腕を解いてくれた。

 彼から一歩分の距離を取ると、即座に自分の体調を確認する。


「銃弾はどうなりました?」

「そう、『平行宇宙の彼方に放り出され、世界の果てにおいて銃弾は空間と化した』か『暗黒の混沌は生物ですらない銃弾を狂気に陥らせ、その構成は一瞬にして塵と化した』か、どちらかをどうぞ」

「何故、選ぶ必要が有るのですか」

「何故って、目に見えない要素は当人自身の心によって、思う通りの姿に変えられる……かもしれないからですよ? 例えば、『愛』とかね」


 傷は無いが、セーターに穴が開いていた。落ち込む所かもしれないが、それもまた良しだ。あらゆる停滞と変化を楽しく受け止めてこそ、真実の幸せが有る。

 傷はもう無い。肌が銃弾一発分だけ見えていて、今度はプランクが何も言わずにコートを着せてくれた。彼の方が寒い筈だが、返しても受け取らないだろう。

 ワイシャツ姿になった彼は、もう一度高瀧へ蹴り込んでいた。珍しく、少し怒っている様だ。

 どこまでも自分が特別扱いされている。得意になる気持ちより、純粋な嬉しさが勝った。


「こいつ、本当に撃つ奴が有りますか。助けてやろうって時に」

「まあ、プランクさんが死んでも構わなかったって事じゃないですか。この人、何だかすっかり落ち込んでいたみたいですし」諭す様に言ってみたが、彼は無理解だった。「そうですか? 私には分からなかったですね」


 やはり、相手の感情など分からないし、分かる気も無いのだろう。他人を見ている時の彼は、まるで機械の様な不気味さが有る。

 だが、そんな所も大好きだ。顔を見ているだけで心が跳ねて、精神性と存在自体に思い切り傾倒してしまう。出会った時は彼の方が先に惚れてくれた筈だが、今となっては自分の気持ちの方が遙か彼方まで届いてしまっている。

 抱きつくべきなのだろうか。気づけば、周囲には彼の部下が来ていて、死体を運び出している。気絶した高瀧は、どうなるのだろうか。一応、殺されはしないだろう。

 それはまた後で尋ねるとして、もっと聞かねばならない事が有る。そう、唐突に告げられたプロポーズの事だ。


「ね、ねえ」先程の言葉を思い出して、一気に心が飛び跳ねる。「それでその、結婚? するの? 私と?」

「ええ。駄目でしたか?」彼の反応は、思った以上にあっさりとしていた。

「だめ? 駄目なんてあり得ないと思いませんか、そんな、駄目じゃないですよ、うん。駄目じゃない。けどその、ちょっと急だって。こんな場所でプロポーズ?」


 言葉にしてみると、自分が混乱しているのは誰の耳にも明らかだった。それに対して、プランクはとても落ち着いていて、口元で柔らかな笑みを見せていた。


「そういえば、まだ結婚の申し込みはしていなかったと思いまして、良い機会だったので」

「あの、その、そのあの。あの、つまり」

「実は、もう式場も決めているんです」逃げるつもりは毛頭無いが、逃げ場を奪われた。


 今、自分は魂まで喜びやら照れやらで真っ赤になっているだろう。彼の部下達が次々に死体を運んでいる中にあって、まるで自分達は別次元に居る様だ。


「私の経営しているホテルですよ。あまり大きい所ではないですが、今度、従業員には秘密で様子を見に行こうと思っているんです、抜き打ち検査という物ですね」

「そう、そうなんですか」

「そのついでに、式場の下見も良いかなと思っていたのです」言葉を一度止めて、彼が表情を変える。「一緒に、行きませんか?」


 ほんの少しだけ、不安そうな瞳が貫いてくる。プランクの顔は、とてつもなく見破りにくいポーカーフェイスだ。だが、そんな物は二人の間の壁にすらならない。

 感情から戯けた物を抜き、真剣な返事をする必要を感じた。即座に照れを忘れる。全力で満開の笑顔を浮かべて、顔の赤さを幸せに乗せた。


「勿論、断る訳がないです」はっきりと返事をしてから、少しだけ悪戯っぽい声を出した。「早くウェディングドレスを着たいです!」


 その場が死体の山だった事も、先程自分が撃たれた事も、全て忘れる。ただ、今は彼のプロポーズを受けたいという真剣な気持ちだけで、頭の全てを埋めるべきだと思った。


+


 再び抱き締め合う、二人の男女が居る。そんな姿を玄関から少し離れた壁から覗き込み、嫌な気分を存分に味わっていた。

 誰が好き好んで、あんな血の海の中に居るのだろうか。女の方の外見が異様な、あえて言うなら胡散臭い可愛らしさを秘めているだけに、余計恐ろしい光景に見える。

 その場所からは、次々と死体が運び出されていた。

 彼らがあの凄惨な状況を生んだのだろう。同じ組織の仲間や上司を殺されたのだ。許す事は出来そうにない。


「ひでえな、殺しておいて、あの狂った連中は何をやってやがる」独り言を呟く。


 隣に居る男は顔面を包帯で覆っていて、特に何も言ってこない。あの事務所に居る仲間が全滅したとなると、生き残っているのは自分を含めた二人だ。返事が無いだけでも、不安になる。

 せり上がって来る様な不安に抵抗して、仲間の肩を叩く。「紅、おい、紅」


「何だ、朱。聞こえてるから勝手に喋ってくれ」『紅』は話し辛そうに、くぐもった声を返してきた。


 『紅』は長年の相棒だ。少しくらい面倒そうな返事でも気にならない。いや、顔を怪我した為に喋るのが面倒らしく、怒る気にもなれない。むしろ、心配なくらいだ。


「……おいおい、本当に大丈夫かよ」

「まあな、見た目ほど酷い怪我じゃない。骨も折れてない、医者が妙に大げさだった」肩を竦め、「どうも、誰かに多額の医療費を渡されたらしい」と付け加えている。

「映画の撮影って、そんなに危険なのか」

「いや、人間に銃をぶっ放すだけの、慣れた仕事だと言われた。実際、やる事自体はその通りだ」

「それで?」

「銃撃を避けてくる訳の分からん女に殴られて、気絶させられた。夢でも見ていた気分だ」


 銃弾を避けると聞くと、冗談にしか思えない。だが、この男が嘘を吐かない事は知っている。本当に、その女は人間離れしていたらしい。

 人間離れした女、そう考えた所で、思わず事務所の方を見る。玄関前で二人の男女が踊っていた。女の方は余程良い事でもあったのか、はっきりと幸せそうな笑顔だと分かる。大方、人を沢山殺したという幸せだろう。吐き気がした。

 胸の辺りを押さえつけたくなったが、あくまで堪えて何も見なかった事にする。


「怪我をしたからこそ、虐殺を逃れたんだ。妙な因果だな」

「そうだな。運というのは分からない物だ」


 怪我をした紅を自分が病院へ迎えに行かなければ、今頃は死体の一つとしてあの集団に運ばれていただろう。運良く、二人だけは何とか生き残れた。危うく死ぬ所だったのだから、腰が引けてしまう。

 安堵の息を吐いていると、紅が頭を掴んで押さえつけてきた。「隠れろ」

 言われて、壁の向こう側を見る。あの男女が二人だけで歩いて、すぐ側を通ってきた。踊り回りながら手を取って、笑いながら去っていく。恐ろしい程に不気味で、声を無理矢理に抑える。見つかってしまえば、殺されるより酷い事をされそうだ。

 必死に気配を消して、存在感を隠す。男女は完全に己だけの世界に入っているのか、気づかずに消えていった。

 姿が見えなくなると、朱が安堵の息を吐く。そこでやっと意識が現実に戻った気がして、思わず膝から崩れ落ちてしまう。


「恐ろしい連中だ」

「そう、だな」

「……連中にも、報復が必要だ」朱が呟く。


 死にたくなる様な提案だが、妥当だとも思えた。「ああ」実行すると命は無いだろうが、それでも妥当である。これでも組織に属していたのだ。根無し草でも生きては行けるが、黙って泣き寝入りが出来る程に大人しくはない。


「奴らが何処に行くのか、情報を探すぞ」包帯で顔を覆った紅は、普段より頼もしく思えた。

「そうしよう」


 決心すると、後は早い。情報の手だてと思わしき者を探して、拝み倒す。仕事柄、借りが有る人間の伝手は幾らでも有る。そんな時ばかりは、損な役回りというのも悪くない様に思えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ