エピローグ2
「私もあなたも、自分の所属する組織も、尊敬するボスも失っちゃったもんね、その代わりに……何を得たのかな」
少女は、静かに町中へ声を響かせていた。そこは薄暗い町の片隅で、人通りの少ない場所だ。こんな時間にこんな少女が一人で出歩くには、少々危険が過ぎるだろう。
しかし、少女ことジェーンには、それを気にする感情は何一つ無い。その為なのか、彼女を襲おうとした者達は直前で言い様の無い不安にかられて手を引いている。
未知の威圧感と、憎悪や憤怒を飛び越えてしまった静かな『何か』が彼女の身を纏っている。余りにも強烈な気配は周囲の空気にヒビを入れて、その上で凍り付かせる程だ。
「……」
その威圧感の全ては、一人の男へ注ぎ込まれていた。普通であれば、それだけで気絶してしまいそうだ。残念ながら男は普通ではない為、それほど効果は無い様だが。
そんな男は静かにジェーンを見つめて、口元に異質な笑みを浮かべている。
彼からは異常さと不気味さが溢れていて、視界に入れただけで頭がおかしくなってしまいそうだ。だが幸運な事に、今更それくらいでどうにかなる程、その場に居る者は弱くない。
ジェーンは、そんな男へ銃を向けていた。殺意は無い。代わりに義務として、自分の役目として相手を殺すという感情が見て取れる。
「ふ、ふふ……何をするつもりだ? 私を殺すか? その前に殺されるのか? くくっ……」
命の危機にあってもやはり、男、エドワースは笑う。
彼はあのパーティ会場から脱出した後、どうにかケビンを撒いて逃げ仰せたのだ。しかし、待ち伏せをしていたジェーンには通用せず、銃を向けられて動くに動けない状態に持ち込まれてしまった。
だが、Mr.スマイルのコートがあれば銃弾など敵ではない、無視して動く事が出来る。しかし、そのコートは今、何故かジェーンが着込んでしまっていた。彼女には丈が長すぎるのか、まるでマントの様ではあるが、確かにそれはMr.スマイルの着慣れた物だ。
エドワースは、そのコートを記憶の中で誰が最後に持っていたかを思い出して、何故ジェーン・ホルムスが生きて陸地に戻る事が出来たのかを確信した。
「……ああ、これ。邪魔だから、脱いであげる」
その視線に気づいたのか、ジェーンは何を考えたのか自分を守る筈のコートを脱ぎ捨てた。目は虚空を見ていて、表情には生への執着が見えない。
銃だけは構えられていて、機械的にエドワースを狙い続けている。それはまさしく命を投げ捨てるに等しい行いであり、死ぬ事に覚悟すら必要としていない様に見える。
「もう一度言うけど、私もあなたも、もう何も持ってない。何もかも失ってしまった」
自分には『楽しさ』がある。そう言いそうになったエドワースは、しかし途中で口を噤んだ。少女の言う事はそれではあるまい。確かに、二人はボスも仲間も組織も失ってしまったのだ。
それらは全て、Mr.スマイルという存在が全ての原因になって起きた出来事だった。その精算を、彼女はするつもりなのだ。
「私達には何も無いから、私があなたを撃ち殺したって、あなたが私を撃ち殺したって……問題は無い訳だよ」
ジェーンは楽しそうに笑うエドワースへ銃を向けた。相手の表情など気に留める様子も無く、エドワースの異質さなど考えもしない。
公には死んだ事になり、敬愛する父親も何もかもを失った彼女にはもう『Mr.スマイルへの復讐を果たす』という役目以外には出来る事も、やるべき事も残されてはいないのだ。
自分は船と共に沈み、死んだ。そう認識している彼女にとって、もう此処に居る意味はリドリー達から押しつけられた、だが同時に彼女自身が望んだ『ラストシーン』だけだ。
それさえ果たせば、彼女は今度こそ自分の額を銃弾で貫くだろう。いや、彼女が自分を撃つ必要すら無い。
「お互い、どうせ殺したら相手をグチャグチャにしちゃうつもりなんだし、どう? 二人で死ぬ、っていうのは」
ほんの僅かに口元を残酷そうに歪ませ、ジェーンは銃を握る。
相手を挑発する為の物なのだろう、彼女はエドワースを殺すと同時に、自分もエドワースに殺されようとしているのだ。
「……面白い! 仮面が無いから頭を撃ち抜かれたら死ぬ! 怖い、臆病者の私には! しかし……それがたまらなく楽しい!」
それを聞いたエドワースは、まるでMr.スマイルの様な笑みを浮かべて銃を取り出し、ジェーンに向けた。
彼女と同じ様に今まで持っていた物を失った彼は、それでも笑っている。『楽しい』を得た彼にとっては、もはや自分の中にある全ての感情が『楽しい』のだ。もう、楽しく無い事など何処にもない。
命と『楽しさ』。二人とも大切な物を全て失っていながら、その表情は虚無的な無表情とおぞましい笑顔。最後に残った一つを象徴するかの様に、全く違う物だった。
そして、二人は全てに決着を付ける為、Mr.スマイルの最期を飾るかの様に引き金を引き----
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町の片隅のとあるアパートで、一人の警官が怒りを露わにしていた。
「クソッ!」
新人の警官は自嘲して、壁を一度だけ叩く。
悪人達は無条件に憎かった。罰するべき悪に支配される司法には怒りを覚えていた。何より、賄賂と圧力に負ける自分が嫌だった。
まだ若く、正義に燃えていた彼にとって、この町の警察は余りにも醜く見えてしまった。司法の方が悪に見える始末なのだ。現実はまさしく残酷で、新人警官の心を壊すには十分過ぎる。
だが、何よりも新人警官に怒りを覚えさせていたのは、彼自身も賄賂を受け取り、一部の犯罪を見逃した事があるという事実にあった。そうしなければ免職されると脅されて、屈してしまったのだ。
だが、彼は忘れない。明らかに事件性のある殺人を見逃し、逃げる様に去っていく警官達の背中を睨む視線、それに、失望した様な目を向ける子供達。それを、死んでも忘れる気は無い。
「こんな事を、するために……俺は……!」
金を貰って凶悪犯を見逃し、そこら辺に居る後ろ盾の無い者達を捕まえる。その上、中には押収と称して金を奪い、取調室で不利な証言をしそうになった者を暗殺したという話すら聞こえてくる。
それは司法の手ですらなく、ただの強盗、ただの暗殺者だ。
さらに恐ろしい事に、この地の警官は悪徳が発覚した事がない。少しでも予兆があれば、関係者によって殺されているからだ。
新人警官は予想を遙かに越えるこの町の現実に打ちひしがれていた。完全にギャング達の便利な外部組織程度の存在だ。昼下がりに子供達が遊ぶ公園などの方が余程、人の為になっている。
「クソ……畜生……」
怒りと苛立ちに飲まれそうになり、男は水を一気に飲み干した。
もしも彼が意地を張り、凶悪犯を捕まえたとしても、賄賂と優秀な弁護士の手で釈放されてしまう。意味がない。これでまだ、十数年前の無法状態に比べれば真っ当だというのだから、驚くべき事だ。
確かに昔よりは住み良い町になったのは確かだが、当時、少年だった男はその奇跡の様な出来事をあくまで警察の尽力に寄る物だと信じていた。
が、実際には個人的な行動を起こした二人のギャングが成した奇跡だと言うではないか。この事は、より一層男の心を追いつめた。
この町の司法は悪を裁かず、善を許さない。いっそ、殺すという形で断罪するべきか。そんな感情まで浮かんできて、慌てて首を振る。
「馬鹿な、そんな事が許される筈が無い……あくまで人間は法を持つ事で、法を守る事で……第一、俺には力が……」
あくまで彼は警官である。捕まえてきた者達を殺すとすれば法であり、自分の両手ではない。どう頑張ってもただの警官では、力が足りない。
何度も自分に言い聞かせるも、新人警官は心の中に煮えたぎるマグマを消す事が出来ないで居た。
そんな時、彼が住んでいるアパートの簡素な呼び鈴が響いて、来客を告げた。
「ん、誰だ!」
こんな時間に、誰だ。苛立っている男の中に、そんな気持ちがあった事は否定できない。しかし、男は警官である。自分の行動で不利益を被った組織の報復の類も計算に入れながら、男はドアに近づいていく。
恐らく、人数は一人か二人くらいだろう。鍛えた感覚でそれを察知した男は棚に仕舞ってある銃を手に取り、ゆっくりとドアノブに手をかけた。
「あの、郵便ですが……」
聞こえてきたのは、そんな間の抜けた声だった。途端に、男は自分がどうしようもない間抜けに思えて、一応は警戒を和らげる。
郵便配達にしては時間が遅かったが、少なくともこの配達人自身に危険性は無い。相手の表情や挙動でそう察した男は銃が見えない様に、努めて穏やかな笑顔を浮かべて応対した。
「ああ、何だ。そこに置いてくれ。こんな時間までお疲れさん」
入り口に置くように指示して、男は労いの言葉を向けた。この時間帯であれば、草木も眠っているだろう。まだまだ酒場では飲む者が居るだろうが、仕事をしている者はそうは居るまい。
その言葉を聞いた配達員は微妙に顔を歪める。言われなくても分かっている。そう言いたいのだろう。そう感じた男は軽い口調で帰る様に告げる。
大人しくそれを聞いた配達員は、顔を歪めたまま男に背を向け、静かにドアを閉める。挨拶すら無かったのは疲れているからなのだろう、男もその点は気にしない。
「お疲れさーん。さて……」
ドアが閉まった事を確認した男は、床に置かれた荷物を一瞥する。爆発物の類である事も警戒して音を窺い、少し叩く、持ち上げるなどして中身を推測する。
重さから言って、爆弾ではない。それは理解出来た。ならば、と男は差出人の項目を見て、意外な物に目を見開く。
----これは、モールス信号?
そう、差出人の項目には点と線が並べられていた。この手の物も見慣れている男にはその正体がモールス信号だと理解する事が出来た。短い音で文字を表す信号である。
知っている者であれば知っているそれを見て、男はじっくりと解読を始める。だが余り詳しく無いのか、本棚から何やら本を手に取り、本と信号を交互に見比べる。
短い文だった為、その信号はすぐに読み取る事が出来た。だが、男はそこにあった名前を読みとって、思わず驚きの声を上げた。
「『s、m、i、l、e』……Mr.スマイルか!?」
そう、『スマイル』である。その名前を冠する者は一人しかいない。つい先日、ホルムス・ファミリーの者達を殺した存在だ。
暴虐なまでにギャング達へ容赦しない姿勢は、この町の腐敗に嫌気が差していた新人警官の心に確かな影響を与えていたのだ。思わず、荷物の危険性も判断せずに箱を開いてしまうのも、それが原因である。
「これは……!」
箱を開き、中に入っていた物を見た男は今までで一番に目を見開いた。その中には、一枚の紙が入っていたのだ。
そこには、こう書かれていた。
『力より、愛を込めて』
紙の下には、古めかしいデザインだが新品のトレンチコートと同じく新品の山高帽、そして----世界を嘲笑する様な笑みを象った、少し前まで誰かが使っていたと思われる、薄汚れた仮面。
「な、ああ……」
震える手で、男は仮面を手に取る。多くを言われずとも分かる。それは確かに、Mr.スマイルという存在の仮面だ。圧倒的な力と、悪を滅ぼす事への喜悦に満ち溢れる表情が確かにある。
異様なまでの誘惑が新人警官を襲った。コートも山高帽も仮面も、その全てがMr.スマイルを表す物だ。これがあれば、『誰でもMr.スマイルになれる』。
「ま、まて。いや、これは、待て。冷静に、冷静になるんだ……」
自分は利用されている。新人警官はそう考えた。こんな上手い話が有る筈が無い。今のこの町に不満を覚えている人間に、丁度これが転がり込んで来るなど、ありえない。
分かっていても、手の震えを止める事が出来なかった。どれほど抑えようとしても、止まらない。
こみ上がる感情を制御する事に全力を尽くしている男は、だからこそ気づいていなかった。
ドアを閉じる瞬間、配達員が、怯えきった顔をしていた事に。
そして、今も正義に燃える新人の警官は----
予定としていたエピローグはここまでです。ここからどうなったのかは……一笑編、大笑編の最初辺りに書いてありますね。
ここから先は後から考えていた物です。




