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キラーハート The Killer In Smiling MAN S  作者: 曇天紫苑
The Killer In Smiling MAN S 一笑編
5/77

2話


 船が出航してから数時間後、船内にある食堂----バイキング形式のレストランと言っても良いそこに、沢山の料理が並べられていた。

 広い部屋だ、特に華美な装飾が施されている訳では無く、印象としては地味だ。だが、一歩足を踏み入れた者ならば目の前に広がる光景は驚愕に値するだろう。

 間違いなく一番に目が行き、驚かせる原因となるそれは、そう、料理の種類だ。

 王侯貴族、とまでは行かなくとも金持ちが好んで通う様な高級料理が並べられている。かと思えばその隣では貧乏人が食べる様な、如何にも調味料の足りていない料理、果ては特定の文化圏でしか食べられない様な特殊な物まで、多種多様な----それこそ味の質まで多様な----料理が視界を埋め尽くしている。

 料理ごとに好みの調味料が用意されて、皿も手に取りやすい場所に置かれている。気の利いた配置と言えるだろう。

 そんな、様々な意味で広い食堂の中には----不思議な事に、数人の客だけが食事を取っているだけだった。


「……どうやら、ここの食堂はあのレストランを参考に作られている様だな。味は……こっちの方が上だが」


 その中の一人である男が、ボロネーゼを口に運びながら呟いた。

 男の頭の中では数日前に行ったレストランの姿が思い浮かべられている。そう、秘密の隠し部屋が存在し、多種多様な料理が並べられている『あの』レストランだ。

 危険な会議にも使われるレストランを頭の中で浮かべるその男もまた、『カタギ』ではない雰囲気を放っている。


「妙に客が少ないのはどういう事なのだろうな。まあ、味は良いから良いか……ん? このサラダは良いな。後であいつ等に薦めてみるか」


 口の中に野菜を放り込み、味を評価しつつも男は周囲を窺っている。船員や料理人は所々に見られるが、乗客はほぼ居ない----数人しか居ないのだ。船の中にある食事が可能な場所はこの場所しか無いというのに。

 その事を不審に思いつつ、男は目に付いたフライドポテトをなぜか幾何学模様を描く様に皿に乗せる。

 退屈を紛らわす為に行った、その動き。それは本人にとっては無意識にやってしまった、程度の事だったのだろう。だが、それは本人が思う以上に目に付いたらしい。


「おや……美しい模様ですね、食べてしまうのがもったいないくらいです」

「そうだろう? いや、暇でね。食べ物で遊ぶのは悪い事だと分かっていても、ついやってしまう。どの道食べるしな」


 唐突に隣に立ち、唐突に話しかけて者に対して男は一切の驚きも無く、自然に反応してみせる。

 相手は驚かせるつもりだったのだろう。逆に驚いた様に、だが少しわざとらしく目を見開いて、すぐに張り付いた様な笑みを浮かべた。


「どうも、そちらも寂しく食事中ですか?」

「ああ、そっちは違う様だがな」

「……おや、バレてしまいましたか」

「まあ、さっきからお前の事を目で追ってる奴が居て、そいつの対面席には使われた食器が並んでるからな……ところで良い腕時計だな、それ」


 男が指を向けた方向には、言葉通りに様子を窺っている者が居る。


「さっきも言われましたよ。この腕時計の誉め言葉をね」


 指摘された内容を認めつつ、腕時計を見せて軽く微笑み、その人物は悪戯っぽい笑顔を張り付けた。男から見て、その人物は笑顔の仮面で心を隠している様に見えた。

 何もかもを隠している様なその姿。しかし、男の眼は捉えている、その人物が隠している剣呑な----自分と同じ、『カタギ』ではない気配を。


「本当は後、そう、数人くらいで来たのですが……どうにも、ルームサービスを頼む奴ばかりでして。それで、私と彼だけに」


 男の視線に気づいているのか居ないのか、その人物は勝手に喋り続けている。顔は困った様な色を持たせているが、それすら怪しいと男は感じていた。


「俺の連れは部屋で寝てるか、映画館に籠もってる。どうせ飯は適当に済ませるつもりだろうな」

「そうなんですよ、どうしてこう……皆で食事を取ろうという人間が少ないんでしょうね。人見知りの子供でもあるまいに」


 男の肩を竦める仕草に合わせる様に、しかしどこかわざとらしい呆れた声を上げ、その人物はベーコンを皿に乗せる。既に沢山の料理が置かれた皿は一枚のベーコンを落とすか落とさないかという寸前の状態だ。


「おっと。では、私はお先に」


 そこで皿に乗せた料理の数に満足したのか、その人物は軽く手を振ってテーブルに戻ろうとして----振り返った。


「そうだ。折角偶然乗り合わせた仲ですし、どうです? 一緒に食事でも」

「ん? ああ……」


 告げられた一言に、男は少し迷う。相手がカタギではない事は明らかだが、だからといって避ける理由にはならない。

----エドワースなら、「危険だからやめておこう。毒を盛られるかも」とでも言うんだろうがな……リドリーなら「偶然の出会い! 相手が女なら次のカットで夜のシーンに突入するかもねぇ!」か……

 頭の中で今船に乗っている二人の部下の姿を思い浮かべつつ、相席した場合の危険性について考え、相手が不審に思わない程度の時間で結論を出した。

----相手は残念ながら女じゃないが……今回はリドリーに従うとしよう。


「……それはいいな、良し。すぐ行くから待っててくれ」

「いや、待っていますから少し遅れても構いませんよ」


 すぐに返事が来た事が以外だったのか、相手の声は少し意外そうだった。勿論、それも演技なのだろうが。

 それでも男は気を良くした様子で自分の席に置いてあった皿を取って移動し、特に誰かに咎められる訳でもなく、男は相手の対面に位置する席へ座る。

 隣には、対面に居る物と一緒に食事をしている男が居た。


「よう、初めまして、で良いよな」


 適当に会釈をして、軽く挨拶をする。交流しよう、というよりは初対面の相手への礼儀としての行動という方向性が強い。

 特に変わった事でもない、その行動。だが、相手の男の方は何かに驚いた様な顔で目を見開き、男を見つめていた。


「スコット? 何かありましたか?」


 様子がおかしくなった事を認識した男----プランクは部下のスコットへ声をかける。心配しているというよりは、状況を窺う様な声音だ。


「……あ、ええ。いや、何でもありません」


 自分のボスの言葉を聞いて、やっとスコットは軽い笑みを浮かべて見せた。が、目は男から離れる様子が無く、じっと見つめ続けている。

 妙な視線を受けて、男は少し眉を顰める。それが分かったのか、スコットは慌てる様に首を振り片手を出して見せた。


「ええっと……初めまして。ボ……プランクさんがもう紹介しましたけど、スコットです。よろしくお願いします」


 一度言葉に詰まりつつも、スコットは何故か敬意の籠もった視線と態度で話している。

 プランクはその姿を不思議に思ったが、男は恐らく同じ事を考えている様でありながらも、気軽な様子でスコットと握手を交わしていた。


「よろしくスコット。俺は……」


 握手をしながらの挨拶の途中で、男は一瞬だけ迷った。彼はごく一部の部下以外には名前を教えていない。船にも、偽名で入り込んでいるのだ。

 もし偽名である事が船員に伝われば面倒な事になる。そう考えて、男は即座に偽名を名乗る事を決めた。


「ケビンだ。ケビン・ミラー」


 一瞬の迷いがありながらも名前はまったく自然な形で告げられて、プランクとスコットに違和感を覚えさせなかった。

 ケビンが名乗ると、最後にプランクがケビンと握手をして、張り付いた様な笑顔のままで挨拶をする。


「では、最後は私ですね、プランクです。ケビンさん、航海中はよろしく」

「よろしくプランク、この出会いが良い物になる事を祈ってるよ」


 軽い調子で言葉を終えて、握手を解く。すると三人は示し合わせた様に料理に手を付け始めた。

 三人の皿には特に変わった料理は置かれていない。が、だからこそ味の心配も無いのだろう。不安そうな顔や、『未知への挑戦』を考えて食事をする様子は一切見られない。


----こいつ等は、違うな


 特に変わった様子も無く食事を楽しむ二人を見て、ケビンは彼らを探る気持ちを少し緩めた。二人は出航する前に見た、生気を感じられない乗客達とは明らかに違うのだ。

 しかし、彼らがそれとは無関係だとは言い切れない。そう考えたケビンはもう少し探りを入れてみる事に決める。


「そういえばこの船……何か、客の様子が変じゃなかったか?」

「ふむ……まあ、変わった客は居ましたね」


 少し考え込んでから、プランクは返事をする。彼の頭の中には、ケビンが出航前に見たのと同じように、出航前に会った人間の顔が浮かんでいた。


「船の目の前にね、数日前に『Mr.スマイル』の記事を書いた新聞記者が居たんですよ。どうやらこの船に乗るらしいです」

「ほう、俺はあの新聞。読んでないんだ。仲間内で聞いたくらいでな。読んでおけば良かったかもな」


 少し残念そうに、しかし驚いた風にケビンは息を吐く。

 その意志を感じ取ったスコットは何やら慎ましい態度でおずおずとケビンへ声をかけた。


「正直、写実的すぎて発行できるかどうかって感じの内容でした。ね、ボ……プランクさん」


 一瞬、普段の様に『ボス』と呼びかけてプランクに睨まれ、慌てて言い変える。不審に思われたかとスコットは不安そうにケビンの顔色を窺うが、ケビンの様子にそんな要素は見られない。

 変化はあるが、その意味はスコットが危惧した物とは違うのだ。


「そんなに、か?」

「ええ、なんだかリアルな上に細かく書かれていましてね。ホルムス・ファミリー幹部の遺体の様子すら乗っていて、苦手な方には読ませたくないくらいでしたね……」


 話を振られたのと、態度のおかしいスコットから目を離させる為にプランクは必要以上に細かく説明する。ケビンもその話を聞く事を優先したのか、スコットから目を離した。

 それを見たスコットは、他人には見られないように隠しつつも安堵の中へ残念そうな色を混ぜた様な顔をしている。

 それに気づきつつも、プランクは説明を続けている。話を聞き続けるケビンは興味深げに相槌を打ち、スコットの変化には気づいていない様だった。


「成る程な。いや、だが俺はどうやってそんな写実的な記事を書いたのかが気になるな」

「ああ、それは私も気になりました」


 暫くして、話を聞き終えたケビンが笑みを浮かべながら疑問を口に出し、考え込む様な姿勢を見せる。

 プランクも同じ事を思っていたのか、同じ様な姿勢になっていた。それでも二人は食事に手を付ける事を止めていないのだから、不思議な光景だ。


「こんなのを書けるのは実際に目撃したか、実際に見た奴から聞いたか……余程、情報収集に優れているか、もしくは……」


 口に入っていた料理を飲み込んだかと思うと、プランクは口を開いてMr.スマイルの正体を予想した。が、最後の言葉は途中で切られ、その後は期待する様にケビンを見つめている。

 当然、それはケビン自身にも伝わった。プランクと同じ予想をしていた彼は続く言葉が分かっていたのだ。


「----そいつが、Mr.スマイル自身か。だろう?」


 少しの間、プランクは驚いた顔を作る。

 彼はケビンが自分を『そういう職業の者』だと考えている事は分かっていた。が、一応は『一般人』を装う為にあえて表情を変えているのだ。そうでなければ、彼はずっと張り付いたような笑みを浮かべていただろう。


「そうです。関係者ではない我々には分かりませんが……そうなんであれば、この船にはMr.スマイルが乗っている事になりますね。しかも、私は彼に会っている。おっかない話です」


 さもMr.スマイルを恐れる様にプランクは身を震わせる。それはただのポーズでしかないが、うまい演技なのは確かだ。

 しかし、ケビンにとっては何とか見破れる程度の演技でしかなかったらしい。


「……俺も関係者じゃないしな。そっちも関係が無いなら……多分、Mr.スマイルも無駄に手を出す事は無いだろう。まあ、奴は悪人に関係した奴なら一般人を無惨に殺すらしいが」


 わざとらしさを感じさせる声音で、ケビンは話す。相手が恐らくは関係者だろうと考えているからこその言葉だった。


「そう……ですね。確かに我々が恐れる事では無いのかもしれません。さて……」


 ケビンの言葉の中にある意図に気づきつつも、プランクは同意して頷き、席を立つ。唐突な行動にケビンは様子を窺ったが、その理由はすぐに分かった。

 会話をしながら食事に手を付けていた為に気づかなかったが、いつの間にかプランクの皿の上にあった物が全て無くなっているのだ。

 外見の割に、よく食べる男だ。ケビンは頭の中でそう考えた。


「Mr.スマイルの正体は気になりますが。それはそれです、怪人よりも食事にしましょう」


 言いながら、プランクは皿を片手に乗せて歩き出す。それを見たスコットがほんの少し慌てた様子で同じように席を立ち、皿を持った。


「おや、スコットも追加ですか?」

「思ったより味が良かったので……」


 ふらりと振り返ったプランクが張り付いた様な笑みを浮かべて言うと、スコットは笑みを浮かべつつテーブルから出ようとして、ほんの少し困った顔を見せた。

 テーブルの端に座っていたスコットは、隣に座っているケビンが退かないと出る事ができないのだ。


「おっと、悪いな」

「あ、すいません。どうも……」


 気づいたケビンが少しすまなそうに席を立ち、テーブルの隣に立つ。するとスコットはかなり申し訳なさそうに礼を言った。

 誰もが大げさだと思うくらいに落ち込んだ様子だが足は動くらしく、そのままプランクの居る所まで歩いていった。





 料理を皿に乗せる二人の様子を窺いつつ、ケビンは二人の印象を思い浮かべていた。纏う雰囲気は明らかにカタギではないが、『邪悪』と言うには毒気の無い二人だ。

 それでも、危険人物ではないと言い切れないと感じ、ケビンは手元にある物を握りしめて考える。

----どう考えてもカタギの連中じゃない。それは、良い。問題は連中の目的だ……ただの旅行、なら良いんだが。

 目的次第では、どんな善人も悪人になる。そう考えたケビンは手の中にある物の感触を確かめ、それが本物であると確信して眉を顰めた。


「あのスコットって奴。銃の腕はそこそこ、って所か?」


 ケビンの手の中には、明らかに拳銃に使うと思われるマガジンがあった。彼自身の物ではなく、素性を探る為にスコットとすれ違った際、一瞬でポケットを探った結果だ。

 明らかに実戦で使うと分かるそれを見て、ケビンは出航前に感じたのと同じ嫌な予感を覚えていた。

 銃弾の大きさから護身用の銃と判断できるが、それでも、『今日、この銃弾は使われる』。その予感は、消えなかった。

 じっと銃弾を見つめていたケビンは、一度その感覚を消し去ろうとする様にそれをポケットに入れる。

 その瞬間、ケビンはずっと離れた席から感じられる視線に気づいた。

 敵意は感じられない物だ。だが、その中にある言葉に出来ない感覚にケビンは眉を顰めていた。

----あいつは……

 視線を送ってきた主は、出航前に荷物を渡した船員だった。相変わらず帽子を目深に被って人相を隠してはいるが、その手元にあるルービックキューブは間違えようが無い。

 よく見てみると、その対面にある席には今まで誰かが座っていたかのような跡があるのだが、ケビンは船員を注文している為にそこは気づいていない。

 嫌な視線だ。ケビンに向けられるそれは敵意は無いが好意的でもない物で、むしろ泥沼に足を入れてしまった時の不快感を思い出させる程だ。


「……何だ?」


 思わず、声が出ていた。

 それと同時に、視線を送り続けている船員をケビンは思わず睨み付ける。すると、船員は何を思ったか口元だけを見て分かるくらいに笑みを浮かべた。

 遠目でも分かってしまうその笑顔。それを見たケビンは更に嫌そうに眉を顰め、船員を無視する事を決め込んだ。






「どうにも、あれは間違いなく真っ当ではありませんね」


 一方で、プランクは料理を皿に盛りつつも独り言の様に呟いていた。

 小声だが、スコットにはよく響く。それが分かっているからこそ、プランクはその様な声で話しかけてくるのだ。勿論、ケビンに聞かれない為の小声なのだが。

 しかし、聞こえている筈のスコットは返事をしないまま。上の空と言うべき表情でひたすら同じ料理を皿に置いている。

 明らかに様子がおかしい部下の姿に、プランクは密かに嘆息した。 


「彼に、見覚えでもあるんですか?」


 面倒そうな、適当に囁かれた言葉。それを聞いたスコットは背筋をビクりと震わせ、プランクの顔をまじまじと見つめた。


「私が気づかないと? それは、無理があるのでは?」


 図星だった様だ。思わず、嘆息してしまう。普段はスパイをこなせる程に感情を顔に出さない男なのだが、今日はその限りではないらしい。

 それでも、スコットが何かの情報を持っている事は分かっていた。


「で、彼は何者ですか? まっとうな職業ではないというのは分かりますが……まさか」

「それだけはあり得ない」


 プランクが何かを言う前に否定が素早く帰ってきた。それも、スコットらしくない敬意を完全に忘れた声が。


「……申し訳ない。つい気が動転してしまった物で」


 瞬時に、普段の調子を忘れていた事に気づいたスコットが礼を失してしまったとプランクへ素直な謝罪を入れる。失敗した事に返って気が落ち着いたらしく、口調も元へ戻っていた。


「構いません、それで?」


 内心、プランクは安堵を覚えながらも平静を保ち続けている。それも、必要な技術の一つだ。そうしながらも続きを促すと、スコットはどうにも話しにくそうに口ごもる。

 が、プランクの一睨みが聞いたのだろう。一度小さく呻いたかと思うと、意を決したかのように口を開いた。


「いや、その。それが----」




 プランクは嘆息し呆れていたが、スコットはどれだけ普段の調子を忘れようが、どれだけ話しにくかろうが、食事を楽しんでいる素振りを見せ続けていた。それはケビンに会話の内容を気取られないためではなく----何か、格好付けている様にも見えた。



 そして、彼らは気づいていない。この出会いが、この後の運命を大きく変えるという事に。







+


「……良いねぇ」


 同じ時間の別の場所、船内の映画館の中で小さな、本当に小さな声が銀幕の中の音にかき消されていた。

 映画館、と呼びはするものの、室内はそれほど広いとは言えない面積しかない。むしろ、少し広めの『シアタールーム』と表現する方が正しいだろう。

 部屋が狭いのだから、当然の事だが映像自体も小さい。大きなスクリーンで見たい類の人間であれば、失望を禁じ得ない場所の筈だ。

 しかし、その中に一人だけ、目を輝かせて映像に没頭している男が座っていた。


「いや、やっぱり良いねぇ。本当に、何度見ても面白い作品、だからこその傑作……」


 映画自体の邪魔はしない程度の音量で、男は呟いている。客も殆ど居ないのだから大して気を使う必要は無い筈だが、それでも男は周囲に、何より映画自体に気を使った態度を崩していない。

 映像の中では若者が森の様な場所の中で楽しそうに戯れている。


「俺は、知っている。知っている……この後、この若者の内、カップルの二人がまず殺される……お決まりだが、これこそお決まり、お決まり……」


 言葉通り、スクリーンの向こうで男女が鉈で引き裂かれた。


「そうそう、そうだよねぇ。見知った展開だがそれこそ……」


 男はその映画をもう何度も見ていたが、飽きる様子など微塵も無かった。むしろ、何度も見ているからこその楽しさを覚えている様だ。

 映画を崇拝する様に、映像に見とれるその姿。それはまさに、敬虔な信徒の様だった。

 そうして、映画に没頭し続ける男、リドリーはだからこそ気づかなかった。いつの間にか、隣に少女が座っているという事に。


「キャッ!」


 衝撃的な効果音と共に怪物が現れたその瞬間、悲鳴混じりに少女がリドリーへ抱きついていた。


「おおっ?」


 唐突にやってきた衝撃と感触。映画に集中し続けた為に少女に一切気づかなかったリドリーが驚きの声を上げて、ようやく隣の少女の存在を認識する。

 何とも、派手な格好をした少女だ。ドレスをはじめとして靴や手袋も、一瞥しただけで分かる範囲では全てが真っ赤な色をしていた。

 そんな少女は服装から受ける印象とは違い、小刻みに震えながらリドリーにしがみついている。何がしたいのかとリドリーは少し首を捻ったが、すぐに気づく。

 スクリーンの中では怪物が人を追いかけて、追いつめていた。


「……真っ赤なドレスは、不幸の象徴だったか?」


 映像の向こうで人が必死に逃げている。それを見ながらリドリーは脳天気な声音で呟いた。変わらず小さな声だったが、今度は抱きついてくる少女にすら聞こえない程小さい。

 悲鳴を聞いただけで、少女は怯えている様に抱きつく力を強める。外見から判断出来るよりは、力の強い少女だ。

 骨が折れる訳では無いが、それでもリドリーの胴には締め付けられる様な痛みが走っている。


「ねぇ君。ちょっと痛いからね、少し力を緩めてくれないかい?」


 痛みが続き、少女の締め付ける力が最大にまで達したその時。とうとうリドリーは眉を少しだけ顰め、映画を見ながらも少女に声をかけていた。


「……え?」


 呆けた様な、少女の声が響く。そのまま少女はリドリーに抱きついたまま数秒間硬直して、首を傾げた。

 そして、状況に気づいたのだろう。頬を紅潮させると慌てた様子でリドリーから腕を離し、自分の席へ座り込んだ。


「あっ……ご、ごめんなさいっ!」


 座った事でようやく落ち着いたらしく、少女は顔を真っ赤にしつつ謝る。


「ああ、いやいや。構わないよ。むしろガ……子供とはいえ、立派な……ああ、一応立派なレディに抱きついて貰えるなんて嬉しい限り、とか言っておこうか」


 言われたリドリーはからかいを混ぜて返事をしつつ、顔の真っ赤な少女と真っ赤な服装がよく似合う事を面白がった。

 からかう意図しかない言葉だが少女はそれを真に受けたらしく、赤い顔を何倍も何倍も赤くして、血流が頭に全て行っているのではないかと思う程赤くして、目を伏せる。


「おっと、冗談冗談。気にしないで欲しい」


 思ったより素直な反応に、リドリーが少しだけ肩を竦める。穏やかで有効的な態度だ。声の中にはいきなり近づいてきた少女への警戒など微塵も伺えない。

 しかし、それでも、リドリーの顔はスクリーンに向かっていた。いや、彼を知る者が見れば----口と、片方の耳以外の全ての感覚がスクリーンに向けられている事がわかるだろう。ただの一度も、それ以外の物を少女に向けていない事にも。

 傍目には、不気味な姿だった。


「あ、あのぉ……」


 自分に目もくれない姿から何かを感じ取ったらしく、少女が不審そうに声をかける。


「ん? どうしたのかな。ああ、君もこの映画を? だったら不運だ。今はこういう映画しかやってないみたいで。君みたいな子は苦手な人が多い、の?」


 返事をしているというのに、まるで独り言の様な口調だ。最後には疑問を投げかけられて、少女は言葉に詰まった。


「まあ君の苦手か好きかは置いておくとして、名作だよこれは。死ぬ前に見ておくべき映画の中に入るね」


 少女の返事を待つのでもなく、リドリーはただ喋る。視線がスクリーンから離れない事もあって、まるで少女の事を認識していないかの様な姿だ。

 やはり、何となく不気味だ。少女はリドリーから離れようとしているのか、席を立つ。その時、スクリーンの向こうで雷が落ちて、少女はまたリドリーに抱きついた。


「雷っていうのもこの手の映画のお約束だけど、どれが原典だっけなぁ……」


 先ほどよりも思い切り、ぶつかる様に抱きつかれていたにも関わらず、リドリーは何の反応も見せなかった。困り顔になる事も、嬉しそうになる事も無い。

 少女はこの時、正面から抱きついていた。スクリーンから目を背ける様にリドリーの胸元に飛びつき、泣き出してしまうのではないかと思う程嗚咽を堪えた声を上げている。

 だというのに、リドリーはまるで羽虫が肩に乗ったくらいの事だと言いたげに、何の反応も見せないのだ。


----な、なに? 何なの、こいつ……!?


 あまりにも自分を居ない物の様に扱うその対応を受けて、少女----ジェーン・ホルムスは異常な物を見る様にリドリーを見つめる。

 きっかけは、些細な悪戯心からだった。

 このシアタールームに入ったジェーンは、ほとんど定番と言って良い古めのホラー映画を熱心に見ている男に気づいたのだ。

 小さな子供でなければ笑ってしまう様な恐怖描写の映画に、それだけ熱心な視線を送る。その姿に、ジェーンは少しだけ興味を持った。

 と、同時にジェーンは男の座っている席の隣に移動し、機を見て、遊ぶ目的で男に思い切り抱きついた。反応を見て、楽しむ為だ。

 娘でも見るような目になるか、邪魔者を排除しようとするのか、銃でも向けてくるかもしれない。少し嫌だとジェーンは思っていたが----馬鹿みたいに欲情する可能性もあるだろう。

 少なくとも、何かの反応を得られる筈だとジェーンは考えていた。そして、行動した。

 その結果が、コレだった。

----一度目は一応反応したのにっ……! こんなに思い切り抱きついても反応しない!?

 どこをどう見ても、リドリーは映画にだけ集中している様に思えるのだが、そうではない。

 少女は気づいていないが、一応リドリーは二度目も反応していたのだ。視聴中に二度も反応を表に出すのが、面倒だっただけで。

 しかし、少女は微塵も気づく事無くリドリーをおかしな物を見る目で眺め続ける。勿論、その異常者と扱う視線はリドリーにも届いているが、気にも止めていない様だった。


「お、おお。ここからはそうそう。そうだよ、ははっ、逃げられるかな? 逃げきれるかな? ああ残念。残念賞だね」


 また一人、スクリーンの中で死人が増えた。

 リドリーが少し興奮した様に身を乗り出して、スクリーンの向こう側を凝視する。元々見つめ続けていた物を更に見つめるのは、やはり異様と言えるだろう。


「やっぱり良い映画だ! 素晴らしい、そう、素晴らしさだ! ワンダフル? ああその言葉が正しい!」


 とうとう大声を上げ始め、最後には立ち上がって笑い声すら出てきてしまった。言い終えた時には、顔を真っ青にしていたのだが。


「……おっと、少しばかり、あぁ、興奮してしまった。名、作……? が台無しだ。悪かった。この作品を見ていた人と、この作品に心の底からの謝罪を送ろう」


 まるで人を殺めたかのように懺悔して、今にも自害してしまいそうな青い顔のリドリーは席へ座り込む。だが、それでもスクリーンへ目を向ける事だけは止めなかった。

 物語は既に終盤へ入り始めている。



----うわぁ、どうしよう……こんなに逃げたい気持ち、生まれて初めてかも……



 変な奴だ。どう考えても、変な奴だ。第一印象から今まで、それ以外の印象を覚える事が出来ない。

 言いようの無い、不信感と不安さ。それを覚えたジェーンはリドリーから距離を取りたい気持ちで一杯だった。

 それでも、ジェーンは意地を張ってリドリーの隣の席に座り続ける。何故なら、どれほど相手が変で、不安を覚えようとも----


----もうすぐ、コイツも含めて皆死ぬんだから。


 暗い笑みを浮かべて、少女はひとまず静かに映画を鑑賞する事を決める。

 そう、このシアタールームに存在する、リドリーとジェーン以外の客は全て、全て少女が作り上げた兵隊なのだ。


+


「気のせい、だったのか……?」


 同じ頃、船内の通路でパトリックは呟いていた。

 その場には彼一人しかいない。先ほどまで探し続けていた視線の主はどこを探し回っても見つからなかった。足跡の一つも残っていなかったのだ。

 それでもパトリックは必死で探し回った。何せ、彼にとってのボスとは人生の恩人なのだ。生きているならば、それ以上嬉しい事も無いと言えるだろう。


「ボスが死んだ、なんて言った奴は誰だったか……ああ、サイモンさんだ。あの人は……信頼できないか」


 頭の中にボスが死んだ事を教えた幹部の名前を浮かべながら、パトリックは歩く。

 信頼できない男だった。余所の組織に情報を売った、自陣の幹部の暗殺に関わった。その様な噂まで飛び交う程に。

 パトリック自身はそれを大して信じていなかった。それに、信頼できなくとも幹部は幹部だ。ボスの生死などという重要な事で嘘など吐く筈が無い、そう考えてしまった。

 さらに、パトリックはその証拠となる物も見せられたのだ。そう、今彼の首に下がっている、血がついたネックレスという形で。

 だが、パトリックは----若干の妄想が入っているにせよ----ボスが生きている事を確信していた。特に証拠があるわけではないが、そうだと分かるのだ。

 もうボスが生きている事を疑っていないパトリックは、そこに誰が居る訳でもないというのに通路を何度も見回している。


「どこかに居る筈だ、どこかに……どこにいるんですか、ボス……」


 何やら弱った様な声で歩き続けるパトリックは、そう一言だけ呟いて肩を落としている。だから、目の前に歩いてきた者が自分にぶつかってくるまで、その存在に気づく事が出来なかった。

 軽い衝撃を受け、少しよろける。ボスが見つからずに苛立っていたパトリックはそのまま微かな怒気を込めて口を開く。


「おっ……! 気をつけてく、れ……」

「くふ、ひひひヒぃぃ……ぃ」


 だが、言葉はぶつかった相手が発する異様な笑い声と、急激にやってきた強烈な危機感で無理矢理止められた。

 言葉を止めたパトリックの事など目もくれず、女は素早く歩いていく。美しい女だ。妙な笑い声さえ上げていなければ見惚れる程の。

 その姿にパトリックは見覚えがあった。船の前でジェーンと雑談を交わしていた時、船の頂上でひたすら海を見つめていた女だ。


「……何だ、あの女」


 異様な雰囲気に飲まれて、パトリックは思わず呟いた。その間にも女は凄まじい早さで通路を歩き去り、部屋から消えていく。現れたと思った途端に消えていった女は嫌に記憶に残る物だ。


「お、おいカナエ! 部屋で大人しくしてろってプランクさんが言ってたろう!? おい、どこへ行くつもりだ! ……ぁあ畜生待て!」


 女の姿が完全に見えなくなってから一分程度の時間が過ぎたかと思うと、今度は男が一人隣を通っていく。ほとんど走っている様に見えるその男だが、どうも女より早く動いている様には見えない。

 そこでパトリックは女の歩く早さが走る以上に早い事を認識して、女の背中があった場所を見た。どう見ても歩いている様に見える、疾走する女を思い出しながら。


「……男の方はともかく、女の方は危険か。ああぁ……かなり、危険だ」


 思わず口からでたその言葉は、パトリックの本心だ。危機を察知する事に関しては優れている彼の勘は女に強烈な危機感を訴えているのだ。

 パトリックはその場で立ち止まり、その女が何者だったのかを考える。そうしている間に、男女はパトリックの視界から消えていた。

 視界から消えても、パトリックの心に男女の姿は残っている。その服装や背格好、言葉もだ。それを考えたパトリックは、面倒そうに呟く。


「……まあ、連中がどういう関係か、なんてどうでもいいか」


 得た情報を総合して得た結論は、『少なくとも、恋人同士ではあるまい』という至極どうでも良い物だった。

 結論を頭に浮かべたパトリックは、一度深呼吸をする。強烈な危機感によって、彼の頭は先程よりも冷静になる事が出来ていた。


「さて……そろそろ、時間か?」


 頭を冷やしたパトリックは腕時計を確認して、作戦実行時間が迫ってきている事を認識する。彼が遅れたとしても別に問題は無いのだが、パトリックは真剣な顔をしていた。

 後、数分しか時間が無い。パトリックは少し慌てた様子で船内の一室を目指す。

 彼は作戦の指揮官だ。機械の様な兵隊達は時間になれば勝手に動くが、それでも全体を監視する人間は居なければならない。


「急ぐか、あまり……不在にしておくのは良くないよな……あの部屋にはカメラもあったか、あれでボスを捜せば良かった」


 幸い、場所はすぐ側だ。心の中では落ち着き払ったパトリックは足早に一つの客室へ向かう。

 兵隊達に小型カメラを胸ポケットなどに入れさせて、船中を監視出来る様に準備しているのだ。それを使えばボスを見つける事も出来た筈なのだが、先程までのパトリックはそれにすら気づいていなかった。

 だが、気づけば早い話だ。パトリックは明るい未来が見えてきたとばかりに扉を開けて----目を見開いた。



「な、何だ。なんだコレは!」


 思わず叫び声を上げてパトリックは室内に踏み入る。そこには、彼が想定していた光景とは全く違う物があった。

 まず、最初に目に飛び込んできたのは部屋中に付着した大量の血だ。鋭利な刃物で体を吹き飛ばされた事がよく分かる模様が壁や床に出来てしまっている。


「嘘だろう、嘘だろうこれは! クソッ……やられたっ!」


 冷静になった頭はまた沸騰し、パトリックは怒りを込めて側に転がっていたゴミ箱を蹴り飛ばす。

 血の次に目に入ったのは、かつて人間だった物だ。

 首や腕が無い物や、上半身と下半身が完全に分かれて別の場所に飛んでしまっている物、果ては体が綺麗に四つに分断されてしまった物すらある。

 何故か、部屋の隅に生首が丁寧に置かれている事がその場の異常さを見せつけている。

 顔や体で分かる分には、外見に際だった共通点は無い。共通しているのは、どれも血を滝のように流しているという事と----ジェーンが作った兵隊の中でもかなり中毒の度合いが強く、実力のある個体という、その二つだけだ。


「洒落にならないぞこれは……! どうする、どうする!」


 まるで今にも崖から落とされてしまう様な声音で、パトリックは歯ぎしり混じりでベッドを持ち上げ、部屋の隅に投げ飛ばした。


「畜生、畜生! やられたっ……罠だったのか!?」


 そこには、幾つものモニターが隠されていた。場所に関しては予定通り、何人かの兵隊の荷物に紛れ込ませていた物だ。だが、そのモニターはすべて、予定外に壊されていた。

 それも、画面を砕くのではなく機械自体が壊されている。

 何故そんな面倒な事をしたのかは、すぐに分かった。何せ、綺麗なままにされている液晶の画面には明らかに血で書かれた文字があったのだから。

 そこに書かれていたのは、文句としてはありきたりで、だがこの状況では恐ろしい一言だった。


「……『次は、お前達だ  Mr.スマイルより』か」


 怒りを込めて読み上げ、苛立ちのままに部屋の壁にもたれこむ。


「やばい、やばいぞ。こんな奴だ。ジェーン様もボスも危ない、それもかなり……」


 パトリックは、恐れや怒り以上に焦りを感じていた。

 彼らが立てた計画では、ジェーンは最後まで『ただの哀れな一般人の少女』を演じる予定だった。パトリックが彼女を危険に晒したく無かったのだ。

 だが、Mr.スマイルが乗っているなら話は別だ。

 復讐に燃えるジェーンはMr.スマイルにだけはボスの娘だという事を隠さないだろうし、Mr.スマイルも少女だからと言って見逃す事はないだろう。何せ、幹部の家族にまで手を出す存在だ。


「ボス、なんでよりにもよってこの船に……!!」


 更に悪い事に、この船には彼が敬愛するボスも乗っている可能性が----パトリックの感覚では、高い。そして、相手はどこまでも残酷で、嫌悪感で吐きたくなる殺し方を好む存在なのだ。


「もし、もしもボスやジェーン様がMr.スマイルに捕まったら……」


 最悪の可能性が頭によぎって、パトリックは顔を青くする。


「……っ! クソ、クソッ! せめて、せめてジェーン様を乗せない様な計画にするべきだった……!」


 二人が無惨に殺される姿を思い浮かべ、吐き気を覚えたパトリックはそれを頭から消し去るように首を振って拳を壁に叩き付ける。

 思った以上に固い壁だ。何度も叩く内に腕に強い痛みが走ったが、パトリックはそれをあえて良しとした。

 痛みで無理矢理に頭を冷やし、考える。


「問題は、問題はMr.スマイルの正体が分からない事だ。どうして此処に、いや、どうやって情報を……何時から……いやっ、それはどうでもいい!」


 独り言を切り上げ、パトリックは部屋や死体を物色する。死体の懐には拳銃が、大きめの鞄の中には軽機関銃が入っていた。

 大型拳銃にマガジン、手榴弾なども懐へ入れてパトリックは覚悟を決めた表情で立ち上がる。


「……とりあえず、ジェーン様とボスの安全を確保だ。それ以外は全部後回しで良いだろう」


 自分に言い聞かせる様な口調で呟きながら、パトリックは鞄の中に入っていた携帯食料を口へ放り込む。

 そうしている内に、計画の実施が迫っている事を思い出し、パトリックは冷や汗をかいた。


「そうだ、あのクソ中毒者共が万が一にもボスに危害を加えるかも……ああ、機材がやられてる……どうやって連中に指示するか……」


 彼らが作り出した兵隊は指示さえ出せば味方でも攻撃する、それも、今回の計画で与えた指示は『全員殺せ』という剣呑な物だ。

 勿論、密かに乗り込んでいるかもしれないボスに関する事は何も指示していない。顔は覚えさせているが、『兵隊』達に優先順位などという物はない。

 今からでも兵隊の耳に付けさせた無線で指示は出せるが、機材はMr.スマイルを名乗る物に壊されてしまった。

 どうすればいいのかパトリックは必死に考え、何とかアイデアを捻り出す。


「ああ、そうだ。ジェーン様だ。あの方の無線機は全員に連絡する事も出来た筈……」


 頭の中にジェーンの姿を思い浮かべ、彼女が何処に居たのかを思い出そうとする。船の前でジェーンが言っていた言葉をすぐに思い出す事が出来た。

----映画館、そうだ。映画館だ……!

 即座に船内の映画館の位置を頭に浮かべ、決意と覚悟に彩られた表情で部屋を飛び出す。

----まず映画館! でジェーン様に指示を出して貰って、それでボスを捜して……! 予定通り、復讐だ!

 当初の計画を後回しにして、パトリックは映画館を目指して全力で走る。この時、彼は先ほど覚えた危機感も、ぶつかった女も、通り過ぎた男の姿も全て忘れていた。





 時間は、迫り----



「昔、俺には相棒が居てな……いやそりゃもう、アンタみたいな感じの奴だったよ」

「その方とは、今?」

「喧嘩別れさ、もう何年も顔を合わせてない」


 妙に意気投合した二人と、彼らを尊敬の目で見つめる一人---- 


「ハハハ! いやぁ、やっぱり素晴らしい! 惜しみない拍手を送ろうじゃないか!」

「……後、一分、五十九秒、五十八……ごじゅうなな……」


 スタッフロールが写る前で盛大なスタンディングオべーションを始めた男と、それを冷淡に見つめながらカウントを始めた少女----


「キャハ、あハヒひひひひっはははは!」

「どこ行くんだよ、おい! 待て、マジで待て! ああ待て、待たないでくれ。殺されたくない!」


 刀を持ち、殺人狂の如き雰囲気と、耳に入れたくない笑い声を上げて歩く女と、それに怯えながらも追っていく男。



 そして----


「……始まる、のか」


 船のどこかで冷淡な、だが悲しみか歪んだ笑みを浮かべる新聞記者。その笑みは悲しみなのか落胆なのか、はたまた驚喜なのか。


 彼らを含む何人もの悪意も善意も運ぶ船の上で、ついに、作り上げられた兵隊は動き出す。

 それが彼らにとってどういう結果をもたらすのかを知る者は今の所、居ないのだろう。


リドリーが見ているのは架空のモンスターパニックホラー映画です。多分、アルバトロス辺りが出してるC級映画。

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