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キラーハート The Killer In Smiling MAN S  作者: 曇天紫苑
The Killer In Smiling MAN S 大笑編
43/77

19話


 それから暫くして、カナエが居る部屋では相変わらず彼女が楽しそうに身を乗り出して海を眺めていた。

 いや、厳密に言えば青い海とそこに済む生物達を観察するのとは違う。その中で何とか船にしがみついて命を保っている男を見て、楽しそうにしているのだ。


「あら、リドリー君は思ったよりも大丈夫そうじゃない。これなら、助ける必要も無いかしら?」


 先程とはまた違う口調で、また彼女は独り言を漏らした。まるで別人の様に口調が変わる様子は彼女の内面の異質さを表している様でありがなら、同時にそれら全ての中から感じる『楽しい』という印象を強めている。

 超然としていると言うべきか、それとも外見相応の言葉遣いと言うべきなのか。そのどちらも当てはまる様で当てはまらないのが彼女だ。

 そんな彼女が見ているのは、海に落ちながらも何とか命を繋いで生き残っているリドリーだった。


「珍しく、余裕が無さそうね。でもそれもそう、か。この冷たい海に落ちてそれでも船に掴まっていられるなんて、人間業じゃないもの」


 その位置からでは彼がどんな顔をしているのかは普通の眼であれば見えない筈だが、彼女はリドリーの表情すら把握しているかの様に呟いている。

 仲間である筈の人物が海の中でひっそりと死にかけているのだ。にも関わらず、彼女は楽しそうに、まるでリドリーが生死の境にまで追いつめられるのを待っているかの様に観察している。

 最大の危機が訪れるまでは助けるつもりは無い。その眼はそう語っていた。


「ねえ、エィスト。あなたはどう思う? あの可哀想な、物語に魂を売った彼を……どう思うの?」


 まるで自分がエィストではないかの様に、カナエは小さく、どこか生来の親友にでもかける様な雰囲気を纏う声で呟いていた。

 勿論、答えは無い。だがしかし、彼女は答えがどこかから現れたかの様に何度か頷く素振りを見せると、また楽しそうに呟く。


「そうね、そうよね。ふふっ、どうかしら……リドリー君はまだまだ余裕そうね」


 隣に誰かが居るかの様に話しながらも、リドリーの様子を観察する事は忘れていない。むしろ、先程より少し真剣に見つめている程だ。

 海の中に居るリドリーは自分が命の危機にある事を自覚している様だが、表情は諦観と言うよりは悦楽の方が正しく見える物である。

 リドリーの性格を理解しているカナエにはその理由がはっきりと伝わって来た様で、彼の精神と同調するかの様な目を向けていた。


「嬉しいのね、リドリー君。それはそうか、あなたはこういう状況が大好きだから」


 物語に身を浸した彼は、自分が死ぬ事などストーリー上の出来事の一つとしてしか認識していない。

 ある意味でエィスト以上に極まった精神性は、自分の命と他人の命を同じく登場人物として扱っているのだ。だからこそ、彼女はリドリーを気に入っている。

 海の中のリドリーはまだ生きていた。だが放っておけばそのまま沈むのも時間の問題だろう。だが、まだ彼女は助けない。まだそのタイミングでは無い。


「でも、どう? 後……何分持つ? 何分生きていられるの? いいえ……貴方が、私に助けられる程に絶体絶命になるのは、何時になるのかしら?」


 彼女の独り言が全てを表していた。待ち望んだ瞬間が来る事を待っているその姿は、その中身はともかく、傍目からは物憂げでどこか淡い美しさを思わせる物だ。

 楽しげに悲しげにリドリーを眺めていた彼女は、ふと頭の隅で何かを考えたらしく、緩い笑みを浮かべながらも寂しそうな顔をした。


「……思えば、リドリー君程に私を理解出来た人もそうは居なかったわね。ふふ、やっぱり彼を死なせるのは惜しい事なのかしら」


 言葉の中には理解されない者特有の寂寥が含まれているが、その奥深くにあるのは圧倒的に楽しそうな雰囲気だ。そんな感情も含めて、楽しんでいる。

 彼女の表面的な性格、即ち享楽的な部分を理解できる者はそれなりに多く居る。しかし、その奥底に存在する本質的な『何か』は誰にも理解する事が出来ない。

 少なくとも、今、彼女の視界に広がるこの世界の住民では無理だ。そんな確信が、間違いなくある。

 それは彼女個人の感覚としてはたまらなく寂しい物であり、同時に、やはり面白くもあるのだ。そういう存在なのだから仕方がないだろう。

 そんな彼女にとって、リドリーは面白い存在だった。彼ほどカナエの性格に共感し、理解し、受け止められる存在はそうは居ない。本質的な部分には迫っていなくとも、十二分に友と呼べる程に。

 だからこそ彼女はリドリーを助けるのだ。仲間だから、というだけではなく、良き理解者であり、良き『登場人物』でもある彼が、まだ舞台から降りない様に。


「……でもまあ、どうでも良い事よね」


 頭の片隅で浮かんできた考えを、エィストはあっさりと消し飛ばした。問題なのはどういう理由で行動するかであ無く、何をしようとしているか、なのだ。

 無意味な事を考えた、とカナエは首を振る。そうすると、そこまで考えていた全ての思考が過去の物になり、再び彼女の全神経がリドリーへ注ぎ込まれる。


「あら、そろそろかしら? ……そろそろ、みたいねっ!」


 見ると、リドリーは限界が来たのか死にかかっていた。

 それを見たカナエの動きはとてつもなく素早い。冷たい海の中に飛び込む事を何の躊躇も無く即決すると、彼女の体は自然に船から乗り出した姿勢のまま滑り落ちていく。

 余りにも当然の様に落ちる姿は、まるで本当に足を滑らせてしまったかの様だ。しかし、そうではない事は彼女の表情を見ていれば誰の目にも明らかである。


----やあ、リドリー君。助けに来たよ?

----何となく、もしかしたら来るんじゃないかな、とか思ったんだが、やっぱり来たんだねぇ。


 カナエが海の中へ飛び込んだ瞬間、ほぼ同時にリドリーが船にしがみついていた手を離していた。顔には苦笑が浮かんでいたが悲壮感はやはり無い。

 その事実を楽しそうに観察しながらも、カナエは止まらなかった。恐ろしい程に素早い動きはリドリーが海に沈む前にその手を取っていて、人間とは思えない身体能力が無理矢理に船に追従する。

 とはいえ刀を片手に持ち、リドリーを片手で掴んだ状態では彼女とて船に戻るには厳しい物だ。流石に水中から跳ぶのは無理だろう。

 だが、彼女の目は諦める所かより一層強い楽しさを感じさせる物になって、誰かの真似をするかの様な印象を受ける不敵な笑みが顔を彩る。


----誰かさん曰く、刀は魂の相棒らしいけど……悪いわね。私の相棒は……私なのよ!


 頭の中で決断した彼女は、素早く体を持ち上げて水上に飛び出し、その勢いのまま刀を船体に突き刺す。

 どんなに身体能力があろうと出来ない筈の芸当だが、彼女はまるで楊枝でマシュマロを突くかの様なたやすさでそれを実行して見せた。

 腕を掴んだリドリーが、関心した顔で頷く。この動き、馬鹿らしい程の出鱈目さ、間違いなくエィストなのだろうな。そんな事を考えているとすぐに伝わって来て、彼女は思わず得意げな顔をリドリーへ向ける。

 しかし、そのままではただ船に刀を突き刺しただけだ。それを掴む事で先程よりも楽に船にしがみつく事が出来るが、それでは船内に戻れない。


----ははっ、それだけで終わるお前じゃ無いよねぇ?

----勿論だともっ! 私を誰だと思っているんだ?


 だが、寄り添う様な形を取る二人は何の心配もしていない様子で、突き刺さった刀を見ている。本当に楽しそうで、冷たい海によって体温を奪われているとは思えない程に二人の体は温かかった。

 これから行う船への帰還に、二人は興奮しているのだ。

 そして、一瞬で行動は起こされた。

 リドリーがエィストと繋がっていない方の手を刀へと伸ばす。刀を掴む二人の手は重なり合い、それが合図になったかの様に二人は水中の船体を蹴る。

 衝撃で勢い良く体が飛び上がり、空中に浮く。だが、それだけでは船の中には戻れない。体は浮いたがあくまで刀が刺さっている部分までしか上がらず、二人の体は刀のすぐ上で浮いていた。

 勿論それは一瞬の事で、体はすぐに落ちていく。だがそれこそが、彼女らの狙う所だ。


「せーぇっの!」 


 エィストの掛け声と共に、二人は足場----つまり、船体に突き刺さった刀を蹴って更に飛び上がる。やけに丈夫な刀は彼ら二人の足場になるにも十分な代物だった。

 落ちる勢いと、二人の尋常ではない脚力。それに、足場。これらがあれば、船に戻るのに十分なのだ。


「……あ、だめだ」


 が、脚力が足りなかったらしく船内に入る事が出来無かった。

 エィストは少し情けない声を上げながらも素早く状況を判断すると片手で船の手すりを掴んで、もう片方が掴んで支えているリドリーに向かって、困った様な顔をする。


----ありゃりゃ、失敗しちゃった。どうしよっか?

----どうするも何も、普通に戻れば良いんじゃないかねぇ。


 この場合はリドリーが正しい。この位置からであれば、それなりの、常識の範囲内で優れた身体能力があれば船の中に戻る事が出来るだろう。彼らが戻れない筈は無い。

 しかし、完璧に着地するつもりでいたカナエは少し気恥ずかしいのか、ゆっくりと片手に籠める力を強めて顔を持ち上げて----そこに居る者を見て、楽しそうに笑った。

 彼女から見て下に居るリドリーは、エィストが何を見たのかと興味を抱いた。が、それは彼女が次に言った言葉によって即座に氷解させられ、代わりに敬意と呼べる感情を彼の心から引き出した。



「はは、ボス。申し訳ないが……私のもう片方の腕がリドリーを捕まえているので、掴んでいただけませんか?」





+







「大丈夫か、エィスト、いやカナエもリドリーも」


 そんな言葉を聞きながら、彼女らはボスと称える相手の手を借りて船の上に戻った。

 一分もしない内に助けられた二人の表情は敬意を感じさせる物であり、同時にどこまでも楽しそうだ。当然かもしれない、彼らがボスと認める相手と共に居て楽しくない筈がないのだから。

 海に落ちた為に水を滴らせるスーツを着込んだカナエを眺めながら、彼らのボスである男、つまり船の上ではケビンと名乗る者は呆れが見て取れる顔を二人へ向けている。

 彼の口から出た言葉こそ心配そうな色を宿した物だが、返事が分かっている為かなのか、その奥にある物はどこまで行っても呆れだけだ。


「ええ。心配はご無用。私の体は丈夫でして」

「俺の体は丈夫だけどねぇ。流石に、このザマじゃ痛い事極まるよ」


 それを知っている二人は楽しそうに笑いながら、無事を証明する。リドリーの方は明らかに傷を幾つか負っていたが、気にする様子すら見当たらない。

 流石に体の動きは若干鈍っているが、裏を返せばそれだけだ。普通なら即座に病院に叩き込まれる怪我であっても、誰もリドリーを心から心配する事はない。

 ケビンはリドリーがその程度で死なない事を分かっている。だから呆れているのだが、カナエに至ってはリドリーの傷よりも自分の服が心配なのか、不満そうに塗れたスーツを摘み上げている程だ。


「まったく、服が濡れてしまったぞ。リドリー君? 本当に生きてる?」

「どう見ても生きてるよねぇ、俺。まあ死人に見えるなら……ああ、やっぱり心霊アドベンチャー……」


 急に、だが普段通りに妙な事を口走るリドリーを見て、ケビンは心の中で小さな安堵を覚えた。普段通りの物だ、本当に怪我は問題になっていない様に見える。

 言葉に出してもエィストを楽しそうな顔にするだけなのが目に見えている為に言葉にはしない。だが、視線だけでリドリー達はケビンの気持ちを受け取っているらしく、顔色を朗らかな尊敬に変えている。

 普段の言動、実力を知る者達で二人の事を心配する様な人間は少ない。滅多に向けられる事の無い安堵の感情が二人には少し、ほんの少しだけ照れくさい物に感じられる。

 それを誤魔化すかの様に、エィストはリドリーを見た。


「私からアドバイスだが……映画の主人公って奴は『生き残る』から主人公なんじゃない。どれだけ観客が主人公だと思うかが肝心なのさ」

「ははっ、俺からもアドバイスだ。俺は主人公じゃないみたいでねぇ、その指摘は的外れなのさ。的外れな奴に忠告しても意味は無し! 言うなら俺と一緒に居た少女によろしく」


 よく分からない事を話して、リドリーとエィストは納得し合った表情で頷いている。意味が分かる様で、全く分からない。だが仕方が無い、そういう物なのだ。

 表面的には『主人公はどういう物なのか』という話題で語り合っている風に見えるのだが、その奥にある意味はもっと真剣かつ享楽的な物なのだから始末に負えない。


「そうだ、助けて貰ってしまったねぇ。お礼を言わないといけないだろうねぇ」


 奇妙な会話をしたかと思うと、リドリーはすぐにエィストに対する感謝の気持ちを籠めて一礼する。彼はとても穏やかな表情を浮かべていて、この時ばかりは物語の登場人物と言うよりは一人の人間に見えた。

 それを素直な感謝の気持ちと受け取ったエィストは顔をほんのりと赤くする。乙女の如き表情ではあるが、その奥にある異質さは隠す気も感じられずに存在している。

 嬉しいのか、それとも恥ずかしいのか、それとも『楽しい』のか。

 楽しいのだろうな。そう考えているケビンは今の所、ほとんど完全に部外者程度の立ち位置だ。居心地が悪くなる程に二人だけの世界に入り込んでいるのだ。

 そんな二人の片割れであるエィストは少し不思議な事があったのか、微かに首を傾げてリドリーに尋ねた。


「……あれ? 『何で早く助けなかった』とかは、無し?」

「お前、またそういう事を……」

「いや、まあ……リドリー君も、ね」


 急に投げかけられた疑問を聞いて、ケビンがまた呆れた顔をする。少しバツが悪そうなエィストの態度が余計に馬鹿らしく感じられて、思わず溜息が出てしまった。

 だが、リドリーは分かっていると何度か頷いて、何の怒りも覚えていないと言わんばかりにエィストの肩を叩き、笑みを浮かべる。


「ああ、分かってるよ。俺の体が限界になって、死ぬ寸前を狙って助けたって事はねぇ」


 実際、エィストが何時でも助けられた自分を死に瀕する状況まで助けなかった事は彼も分かっている。しかし、恨むつもりは欠片も無く、怒りを抱く気も無い。

 リドリー自身、あのタイミングで助けられた事がとても嬉しかったのだ。しかし普通は早めに助けられた方が良い事も分かっている彼は、エィストに共感している声音でその理由を告げていた。

 ただし、少々の悪戯心から僅かな怒りを籠める事は忘れなかった。


「助けなかった理由は一つ、その方が『ピンチっぽくて』良いからだろう?」


 図星である。完全に、正解なのだ。


「……」


 リドリーの指摘をどう受け取ったのかエィストは黙り込み、泣きそうな顔をする。罪悪感で一杯、心が圧し潰されそう。顔はそう言っているが、演技である事が明らかだ。

 そもそも、泣きそうな顔のまま舌を出してウインクを決めた者が罪悪感を覚えていると受け止める者は居ないだろう。居たとすれば、それは余程観察力が無いに違いない。

 片や、悪戯のつもりで怒って見せたリドリー。片や、恐らく演技で自分の行いに苦しんでいるエィスト。不思議と噛み合っていて、それが実に異様である。

 ケビンはそう感じつつも、二人の様子を眺め続けた。


「……」

「……」


 二人は静かに睨み合っている。そこには怒りも悲しみも無く、ただ純粋に相手を睨む姿があった。

 何となく二人が次に何をするのかを察したケビンは、彼らを刺激しない様に、まるで爆弾でも扱うかの様に距離を取る。

 その判断は正しい。もしも数秒遅れていれば、二人の間に居たケビンは両方から思い切り体当たりを決められかねなかったのだから。


「エィスト!」

「リドリー! あ、でも私はカナエだからね」


 がしり、と、まるで絶妙に噛み合う歯車の様に、二人は友愛のこもった抱擁を交わした。

 素早すぎて二人が抱き合う前にどう動いたかを誰もが目撃する事が出来ず、危険を避ける事に成功したケビンは人知れず安堵の息を吐く。


「カナエ?」

「ん、カナエ。愛情と親しみと優しさを持ってそんな風に呼んでくれ。それが私を指す今の名前だから」


 二人は抱き合う姿勢になりながらも、甘い空気の一つも出してはいない。方向性としては、友人に向ける意味の感情が強く感じられる。

 それは人差し指で彼の唇に手を置いているエィストも、彼女の腰に手を置いているリドリーにしても変わらないのだ。


「それで、カナエ? あの変な言動はどういう役柄の物だったんだ?」


 エィストが自らの事をカナエと呼んだ事をリドリーは特に不思議には思わなかった。いや、むしろそういう役柄を演じているのだと納得してしまった程だ。

 そのリドリー自身も、本来は『リドリー』という人間では無いのだ。だからこそ、彼女がそう名乗る理由も理解出来た。


「……あーぁあ、あれね。うん、今思うとすっごく恥ずかしい。あの酷い言動は忘れてくれ」


 しかし、当のカナエは理解を得られた事に喜びを表したかと思うと頬を赤くして、何度か首を振る事で凄まじい恥ずかしさを感じているのだと周囲に見せる。

 急に変わった彼女の顔色に、ケビンとリドリーは困惑した顔を見合わせた。恥ずかしそうな態度も勿論演技の一種なのだろうが、真に迫っていて疑う事が難しい程にそれらしい。

 大げさな部分は演技だとしても、本気で恥ずかしいと考えている事が深く伝わってきて、リドリーは軽い笑みを浮かべた。

 それは助け船を差し伸べるのではなく、彼女の恥ずかしさを助長させる為の、からかいを含めた顔だった。


「はは、俺の心にはお前の変な演技が残ったぞ。良かったな、これでラジー賞は確実だ」

「むむ……酷いな、もう。でも君はそんな性格だって知ってるから良いさ!」


 顔を真っ赤にしながらも全身から楽しそうな気配を出して、カナエは思い切り微笑んだ。そこには演技の気配は無く、リドリーへの親愛を確実に見せつけようとする意図が感じられる物だ。

 その気持ちを受け取ったリドリーが一層楽しそうにカナエを抱き締める。しかし、隣でそれを見ていたケビンは呆れた顔で二人を見つめていた。

 家族、友人、仲間、恋人。リドリーとエィストという二人の関係を探る時、それらの単語を使う事が正しいとは思えない。

 それよりも深いが浅く、広いが狭い。複雑な様で単純な、互いによく分からない共感を覚える者達。それが、ケビンが探れる限りの二人の関係である。

 分かりにくい部分もケビンは受け入れていたが、それでも時折、エィストの事が、リドリーの事が本当に理解出来ない事はあるのだ。

 それは、寂しい事なのだろう。ケビンは、思わず溜息を吐いた。


「……俺は普段のお前よりあのお前の方がマシだと思ったけどな、理解できる度合いでは」

「あの……ボス、何か?」

「いや、いつも以上に美人だなと思っただけだ。気にするな」


 取り繕う様に、ケビンの口から言葉が漏れ出る。彼女以外に言えば世辞に取られても仕方の無い内容だが、実際の彼女を見れば誰もが頷く納得の言葉と言った所だ。

 しかし、いつの間にかリドリーから離れていた彼女は嬉しそうにケビンを見ていて、目映い笑みを浮かべて一礼した。


「あ、ありがとうございます、ボス。褒め言葉として、有り難く受け取っておきますよ……いえ、下手な演技でしたからね、恥ずかしい限り」


 後半の言葉には若干の自嘲が見て取れる。彼女のあの狂った様な演技が『下手』であれば、この世の大抵の演技はそれ以下だろうに、彼女はそんな事を言うのだ。


「いえね、ちょっとオーバー過ぎたんです。もっとそれっぽく出来た筈なんですがね」


 首を傾げたケビンに対して、カナエはまるで心を読んだかの様な返答をして見せた。実際に読んだというよりは、予測したのだろう。普段は見せないが、その部分でも彼女は凄まじい物である。

 だからケビンは全く驚かなかった。そのくらいの方が彼女らしいのだ。何故か覚えた安堵の気持ちを胸に、ケビンは二人の姿を眺めていた。



+





「ここまで来れば……安全か?」


 時間は少しだけ戻り、ケビンがまだMr.スマイル----の格好をしたサイモンを追いかけていた頃、その追いかけられていた彼は周囲を見回し、安全を確認して息を吐いていた。

 とはいえ、警戒を解く訳ではない。長年とは言えずともそれなりの付き合いであるケビンがどれほどの身体能力を持っていて、どの程度の気配を察知出きるのかは知っている。

 その点から考えれば、まだ安心出来るとはお世辞にも言い難い状況だ。むしろ、逆に安心出来ないと表現した方が正しいかもしれない程に。

 サイモンも彼から逃げ仰せる程度には体が動くつもりだが、それでも完全に逃げきれるとは言えないのだ。


「……失敗、か」


 一度その場に立ち止まって全力で気配を殺したサイモンは、軽く息を吐いて嘆息する。

 作戦は失敗だった、リドリーを落とす所までは上手く行ったものの、ジェーンにはMr.スマイルではない事が見破られてしまい、予期しなかったパトリックとケビンの襲撃によって撤退を余儀なくされたのだ。

 彼がジェーンに対して出来た事と言えば、捨て台詞を残して逃げるくらいだった。


「ジェーンめ、あんなに人を見る目がある奴だったか? ……クソ、見損ない過ぎていたか」


 ジェーンに対して文句とも取れる事を言ったサイモンだったが、次の瞬間には言葉の内容が自嘲に変わっていた。

 どうもジェーンを逃がしてしまった事は彼の失態と言うよりは、不幸な偶然と呼べる物だった。しかし、失敗は失敗である。

 そもそも、ジェーンの洞察力を完全に甘く見てしまった彼にも問題点はあった。その点が最も彼に重くのし掛かっていて、嫌な雰囲気を放ってしまう。


「……ああ、どうする? ……どうすれば良い?」


 Mr.スマイルの格好をしたサイモンは、そこで仮面を取ってサイモンに戻る。ジェーンを確保しておく事が失敗した以上、彼にはもう甲板に戻る以外にやる事が無い。


「頼みの綱は……全く頼れないが、あのエィストか」


 頭の中で今一番に頼りになるかもしれない、だが絶対に頼りにしたくない女の顔が浮かぶ。間違いなく何かを企んでいる彼女は、しかし身体能力と出鱈目さで言えば誰よりも隔絶した凄まじさを持っているのだ。

 だが、一瞬で彼女を頼るという選択肢はサイモンの頭から消滅した。何をしでかすか分かった物ではない相手を信じるのは、一瞬一瞬に解決しなければならない事を済ませる時だけだ。

 即座にそう決めたサイモンは、だが再び溜息を吐いた。

 ジェーンを今の内に確保してプランク達に引き渡せば彼女を生贄にして関係を改善出来ただろうが、護衛が居たのではそれは絶対に不可能だ。パトリックがサイモンの言葉でジェーンを引き渡すなど絶対にあり得ない。

 ここでも普段の行いが足を引っ張っている。そう自覚したサイモンは思い切り自嘲の笑みを浮かべて、また溜息を吐いた。


「曰く、溜息をすると幸せが逃げるそうだぞ? やめておけ」


 そんな彼の耳に、男の声が響いた。それを聞いたサイモンは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに普段の調子を取り戻すと柔らかい笑みを浮かべる。


「大丈夫です、今日はもう幸せが逃げっぱなしで、逃げる幸せも残っていません」

「その場合は多分、明日の幸せが逃げるぞ?」


 軽快な口調で男はサイモンの声に答える。友好的な調子はサイモンのそれまでの物とは異なり、その奥にある強烈なまでの敬愛が人の目を眩ましてしまいそうだ。

 それを受け止める男は、サイモンに対して僅かな警戒を抱いている事が見て取れた。それはサイモンの演じる組織のゴミではなく、本来のサイモンに対する物の様だ。


「私に明日があれば良いのですが……ああ、困った困った……」


 大げさな程にサイモンは嘆いて見せた。それが彼にとって事態がどれほどまずいのかを表す手段であり、若干の不満を見せる意図もある。

 バツが悪そうな顔をした男は軽く溜息を吐く。その男もサイモンと同じ様な顔をしていて、似たような悩みを抱いてるのだ。

 それを知っているサイモンは軽く苦笑を浮かべると、男に対して声をかけた。



「心配したんですよ……ボス?」


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