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キラーハート The Killer In Smiling MAN S  作者: 曇天紫苑
The Killer In Smiling MAN S 大笑編
42/77

18話


 二人の男に手を伸ばして----それが届く寸前で、強烈な警告音が頭の中に響き渡ったMr.スマイルは、慌てて後方へと飛んだ。


----これは……これは!!


 凄まじい警戒が体全体を通し、エドワースの臆病さがまた悲鳴を上げる。勿論、そんな物はMr.スマイルに即座に押さえつけられて消滅したが、危機感は一向に消える事が無い。

 むしろ、強まってさえいた。視界に入る二人の男はまだMr.スマイルの行動に気が付いてすら居ない。常人で言えば、彼が後方に飛んでからまだ一瞬の時も経っていないのだ。

 その時から動き出したMr.スマイルの超高速の思考は、危機感と警戒の正体を即座に割り出した。いや、割り出せなくとも、視覚情報で理解していただろう。

 今までMr.スマイルが立っていた場所に、大口径の銃弾が通り過ぎた痕跡が作られていたのだ。

 何の容赦も躊躇も無く撃ち込まれた銃弾はあっさりと壁を突き破っていて、その威力の凄まじさを物語っている。

 そして、Mr.スマイルは銃弾に邪魔をされた事よりも、自分が害されかけた事よりも、何よりその銃弾を撃った者の正体に気づいて、心の中の警戒を最大まで引き上げて----彼らは、現れた。

 背の高い男と背の低い男に、救世主達がやってきたのだ。


「飛び込んだ先に居た者は我々にとって見覚えのない存在である。だが、同時に聞いた事のある存在でもあった」


 何よりも早く、誰よりも早く、奇妙な言葉遣いの男が喋っていた。自分という機械を通してこの世を描写しているかの様な声は、それだけで浮き世離れした存在感を放っている。

 しかしながら、それを聴覚で捉えたMr.スマイル、いやエドワースは心の中で大量の汗を流していた。ある意味で最悪であり、またある意味でもう慣れてしまった状況に心が震えている。

 そんな彼の体に、幾つもの銃弾が飛び込んで来る。先程の大口径の物は無く、もしあったとしてもMr.スマイルは回避が可能だ。

 そして、他の銃弾など恐れる程度の価値も無い。強固なコートは今もしっかりと仕事をしていて、一発も肉体に届かせる事は無かった。


「それを見た我々は思わず引き金を引いていた。一発、二発、三発。残念な事に、銃弾はその存在には効果が無い様だ。だが、その事実は相手の正体が想像通りの物である事を示しているのだ」


 握る銃が通じないと見て、先程と同じ男がまたそんな口調で独り言を呟いている。しかしそれは、彼らをよく知るエドワースにとっては、恐ろしい死刑宣告に等しい物だ。


「銃弾が通じない。そう見立てた我々は即座に接近戦に移行する事を決める。何せ長いつき合いだ、仲間の思考を読み取る事くらい、相手が隠していなければ一瞬もかからずに行えた」


 言葉と同時に、Mr.スマイルの懐に男達は飛び込んで来る。一番接近した者へ反撃の一撃を加えようとするも、横合いから腕を逸らされてしまう。

 そんな結果になる事は彼にもある程度理解できていた。その為冷静に足払いをしかけて距離を取り、ナイフを取り出して牽制を仕掛ける余裕を生む事が出来た。軽機関銃を使う気は無い、エドワースには仲間を殺す気は無いのだ。

 だが、彼らは違う。相手が銃を持っている事を知っている彼らは何よりもその動きに警戒し、もしも銃を取り出したとしても対応出来る様にMr.スマイルの視線に掴まらない動きで彼の目を騙している。

 エドワースが銃を撃つ気が無い以上、それは無意味な行動ではある。だが、連携しながら攪乱する事で目を騙し、隙を見つけ様とする動きは見事な物だ。


----ああ、流石だよ皆さん。流石、私の仲間だ。


 油断していた訳ではないが、予想以上に仲間が強い。そう考えている彼の身に、何度も攻撃が加えられた。四方から取り囲み、逃れられない位置からの物だ。

 避けきれずに攻撃を受ける。勿論それら全てがコートで阻まれるも、尋常ではない一撃一撃に体力が奪われる事を感じて、不快そうな顔をする。

 その表情は仮面越しでも相手に伝わるのか、彼の正体を知らない仲間達は少し得意げな顔になった。


「聞いた事ないか?」

「俺達の組織は、戦闘能力『だけは』半端じゃねえぞ。……頭の中は甘い、がな」

「私や彼らはこの組織では中堅程度の実力しか持ち合わせていない人間だ。リドリーやエィストに比べれば、三下という言葉すら高尚な物に思えるだろう。しかし、目の前に居る背の高い男と背の低い男を守るのには十分だ」

「相変わらず長いなお前……」


 相変わらずの仲間達だ。つい先日も顔を合わせているのだから当然の事だが、船に乗ってからのエドワースはそれ以前の事がどこかずっと昔の事の様に思えていた。

 不思議な事だが、邪魔をされたというのに怒りの一つも沸いてこない。欠片もだ。やはり、エドワースにとってあの組織は、そしてこの仲間達は特別な物だ。


----ええいっ! どうして、こうっ! 私は仲間とばかり戦う羽目になるのだ!


 だからこそ、エドワースは苛立ちを強めている。今日という日に出会った相手は、『兵隊』達を除けば殆が仲間だ。殺す気も起きず、何より彼の悦楽の対象から外れた者達である。

 相対した所で欠片の悦びもない。というよりも、彼は仲間達と戦う気は無いのだ。

 リドリーやケビンまで行けば実力差故に『挑戦する』気の一つも沸くだろうが、当人達の言葉通り中堅程度の彼らとは戦う意義が見い出せないで居る。

 ちらり、とエドワースは殺すつもりだった二人の男を見る。彼らでストレスと発散すれば楽しくなる筈だが、もう出来ないだろう。


「ああ、Mr.スマイルが黙り込んでいる。やはり我々を殺したいのだろう。だが、そうはさせないと私は銃を握り締める。いつでも反撃が可能な姿勢、一撃で決着をつけねばならない。失敗すれば、面倒な事になるだろう」

「言葉に出してどうするんだよ……」


 思考の海に漂っている間に、仲間達は適当に喋っている。しかし朗らかな様で油断は無く、あらゆる挙動を監視されている。

 この場に留まっても、意味は無い。Mr.スマイルはそう判断した。ここで欲を出して背の高い男と背の低い男に手を出せば、手痛い反撃を受ける予感があるのだ。


----ああ! なんて事だ! 船の上で……私はまだ、満足していないのだぞ!? ああ、クソ! どうしてこうなる!?

「……残念ながら、状況は私に不利に向いた様ではないか。仕方ない、この場は引かせて貰うとしようか」


 心の中の混乱とは全く違う落ち着き払った声を上げて、Mr.スマイルはナイフを思い切り投げつける。勿論、そんな物が通用する者達ではない。

 だが、一瞬の隙くらいは生み出す事が出来る。一番近くに居た者がナイフを銃で叩き落とすという技を披露した瞬間に彼は思い切り部屋を飛び出して、全力で走り出した。


「逃げる気だ! 追わねばならない! そう言いそうになって、私は止める事にした。我々がやるべき事はそうでは無いのだ。しかし、とりあえず銃弾の一つくらい浴びせておくべきだろう」


 背後から声が聞こえたかと思うと、数発の銃弾が山高帽に命中する。コートと同様強固なそれはやはり弾を通さず、Mr.スマイルの体の安全を保障し続けている。

 しかし、心は対応外だ。趣味であり、悦楽でもある行いを阻止されたMr.スマイルは複雑な怒りを抱いていた。

 ぶつける先の見つからない怒りを覚えて。Mr.スマイルは妥協する事を決めた。何の反応も得られない詰まらない死体同然の人間だが、無いよりはマシだろう。


「……あのゴミ共で、何とか妥協するとしよう」






 地獄の苦痛を味わう前に助けられた背の高い男と背の低い男は、驚きと嬉しさの籠もった表情でその男達を見ていた。

 男達は見るからに強そうで、全身から強者の雰囲気が漂っている。カナエの様な奇妙さや異様さは無く、むしろ純正の、真っ当な人達だ。安心して、床に膝を付いてしまう。

 床に付着した肉片が体に付いてしまうが、この時ばかりは安堵の余り気にもならなかった。


「よう、危なかったな。助けに来たぞ」

「お前等、確かにエィスト……カナエが助けろとか何とか言ってた奴等だよな?」

「背の高い方の男が着ている服がエィストの物だと一目見てわかった我々は、男が彼女から無理矢理服を奪った……という事は絶対にあり得ないと考えて、どうせ無理矢理交換させられたのだろう、と男に同情的な視線を向ける」


 二人の様子を見て、男達は明るい笑みを浮かべた。それは親が子供に向ける様な安心を感じさせる物だったが、二人は別な所に意識を向けていた。


「……カナエか」

「カナエ、か」

「ん? ああ、エィストな。あいつ、変な奴だろ? まあ悪い奴じゃな……いや悪い奴だが、酷い害がある奴じゃないから気にするな」


 緩く困った雰囲気を放つ男の言葉を、二人は殆ど聞いていなかった。

 彼らがカナエの言う『助け』であると完全に理解して、二人はどこか気恥ずかしい思いをしていたのだ。死体になってから助けが来るなどと、ふざけているとしか思えない妄想をして勝手に危機感を覚えていた。

 馬鹿な想像をしてしまったと二人が思わず目を逸らしている。そんな思考を知らない男達は首を傾げていて、顔を見合わせている。

 ともあれ、彼らも急がねばならない。エィストの言う『急がないと船が無くなる』という言葉をはっきりと聞いた時から、妙な胸騒ぎが心の端で騒ぐのだ。

 落ち込んでいる二人に構っている暇は無い。そう考えた男達は銃を降ろして、船室の外へ僅かに顔を覗かせた。だが、数秒もすれば顔を戻し、むしろ部屋の方が酷いとばかりに首を軽く頷かせていた。


「じゃあ、とりあえず行くか。どっちに行けば良い?」


 安全を確認した男は朗らかな、まるで何の不安も覚えていない様な顔で話していた。実際、この面子であれば大抵の危険に対処出来るだろう。

 この場に居る人間の内、彼らと関係の無い二人以外は同じ様な表情をしていた。そこにもしも仮面を取ったエドワースが居たとしても、そんな顔をした筈だ。


「計画通りなら、甲板だろう? あっちに船が来る筈だ」

「途中に来る『兵隊』達は始末しておかなければならない、それらは敵であり、邪魔者だ。罠を張って、あるいは直接的に、どちらにせよ排除しなければならない。エィストがそんな風な事を言っていた事を私は唐突に思い出した」

「ああ……まあ、到着まではな。安全に突破して行こうか、よしっ」


 二人の男達が頭を抱えている姿を余所に、彼らは余裕を感じさせつつも油断の無い、適度に緊張した表情で話を終えていた。

 すると、男達の中の一人が二人の肩へ手を伸ばす。急いでいる様では無いが、それがむしろ強烈な印象を二人へ与える事になる。

 慌てた様子で二人は立ち上がった。一瞬で心に立ち上がれと命じられたかの様な反応だ。そんなにも大げさに反応しなくても良いのに、と男達は軽く笑った。


「さて、お前さん達も行くぞ? 大丈夫さ、俺達が付いてる。安心して、付いてこいよ」

「少なくとも私達よりは、彼らは弱い。だがそれで良いのだ、守る側というのも悪くは無い。我々の組織は元々がそういう目的も含まれているのだ。良い、それも良い」


 力強く顔を見せる男達は、頼りになると言うよりも、前に見たカナエの中にもあった雰囲気を感じさせる物だ。

 少しだけ背筋に寒い物を感じた二人だったが、しかし、決定的にカナエと彼らが違う物である事を理解できている。人らしい雰囲気を感じる、と言うべきか。己と同じ要素をはっきりと感じられる事は二人にとって信頼に足る事である。


「彼らも落ち着いてくれた。何が理由なのかは分からないが……それでも我々がやる事は変わらない。つまり……行こうではないか! この合図である言葉を皆へ送る事だけだった」


 奇妙な口調の男が一番前に立ち、全員を先導していた。

 気づけば二人は彼らに対する警戒心も不信感も失って、自然に足を進めていた。それは恐らく彼らの人格に依る物というだけではなく、もしかすると。



「……その服の仕業じゃないよな?」

「あー……何か?」

「いや……何でもない」





+



「おお、音が無いのに人が落ちて行ってる。凄いじゃんリドリー君」


 背の高い男と背の低い男が部屋を脱出する事にようやく成功したのと同じ頃、とある船室ではカナエがごく小さな誰にも聞こえない様な声で関心を見せて、それ以外では物音を一切立てずにはしゃいでいた。

 喜びと楽しさと嬉しさと幸せを露わにした姿は子供の様で、同時に悪魔の様でもある。異様ではあるが、どこか親近感を覚える姿だ。


「……」


 それを、サイモンは隣で黙って観察していた。本心を言えばすぐにでも行動を開始したいのだが下手に動く訳にも行かず、結局は動けずに留まっている。


「ほら見て見て聞いて! 音が聞こえないよ! 無音状態だよ、凄い!」


 勿論、その意志はカナエにも伝わっている。しかしあえて無視する事を決め込んでいる様だ。ひたすら、幾らか離れた部屋の状況を楽しんでいる。

 彼女達の視線の先にある部屋の位置では、何人もの人間が飛び込んでは返り討ちにあって海へ叩き落とされていた。

 サイモンの視界に入る限りでは、人が部屋に弾かれている様にも見える光景だ。だがしかし、そうではない事を彼は受け取った情報から理解している。

 部屋の中に居る人間、リドリーと名乗っている男が人に見える『兵隊』達を吹き飛ばしているのだ。

 それだけではない。そんな派手で恐ろしい事をしているというのに、音がしないのだ。水音一つ何一つ、不自然な程に聞こえてこない。

 そんな神業を行っている者がそこに居る。それも、その人物が誰なのかをサイモンは知っているのだ。頭を抱えたくなる程に嫌な気分にさせられる。


「……あの変な奴と、ジェーンを離れさせたい。お前の所のだよな?」


 もう一度確認を取る為に、身を乗り出して部屋を見ているカナエに声をかける。今にも足を滑らせて海に落ちそうな程に体が外に出ているが、何の危うさも感じさせないのはやはり彼女の雰囲気が原因なのだろう。

 もはや怪物染みた雰囲気を隠そうともしない彼女を見るサイモンの目は、やはり既に人間を見ていない。それ以外の何かを見ている様だ。

 普通であれば失礼な、と眉を顰める所なのだろうが、カナエは違う。嬉しそうに口元を緩めて、それ以上に緩んだ、まるで綿の様なふわふわとした空気を纏っている。


「ふふっ、楽しいね。気分良いね、面白いね。ああぁ、リドリー君は何を考えてるんだろう、わざわざ音を出さないなんて」

「……何も手が無いのか?」


 サイモンの問いに答える事無く、カナエはまだ独り言を続ける。

 それが答えを引き延ばすつもりであると見て取ったサイモンは面倒そうに苛立ちを籠めた瞳を向ける。勿論、演技だ。カナエがそんな反応をする事も予想の範囲内である。

 しかし、早く答えろという感情は事実だ。カナエはもう一度笑い声を上げると、真剣に答えた。


「簡単さ。それを着て、リドリーを不意打ちすればいい」


 ある種、予想通りの返答だった。彼女が指さす物はサイモンの着ている、恐らくはMr.スマイルの物と同じであろうコートや仮面、それに山高帽だ。

 雰囲気が少々異なる事を除けば、完全にMr.スマイル本人と呼べる体だ。全力でMr.スマイルを演じれば、完全に成りきる事も出きるだろう。

 だが少し理解できない。Mr.スマイルになった方が、リドリーの攻撃は激しくなるだろう。その上、ジェーンは殺しに来る筈だ。


「君だと、信じてくれないんでしょう? だったら、Mr.スマイルとしてジェーンちゃんに殺気をバンバン飛ばされながら追いかけられた方が良いんじゃないかな?」


 そんなサイモンの疑いの眼を理解したカナエは、楽しそうに説明する。ジェーンの予想は同じだったが、物の見方は違う様だ。

 思わず納得したサイモンへ畳みかける様に、カナエは続ける。


「リドリー君は……うん、まあ……何とかなるよ。多分、君の正体を即座に見破って、それも『演出』の一種だって理解出来れば……大人しく撃たれてくれる」


 うんうんと頷きながら告げられた言葉は、サイモンにとって少々ながら理解の外にある物だった。いや元々サイモンには理解できないのだが、今はそれ以上だ。

 もちろん、それは彼らのボスに当たるケビンやアールですら納得はしても理解は出来ない物の筈だ。その気持ちを言葉にして、サイモンは口を開いた。


「止めないんだな、仲間なんだろう?」


 そう、彼の言う話の中には仲間である筈のリドリーの無事を何も考えていない雰囲気が明らかに含まれていたのだ。

 仲間を愛するアール達とは違い、必要なら部下や自分の命すら切り捨てるサイモンであっても、楽しそうに笑って仲間を撃ち殺させる姿は理解し難い。


「まあ、私もリドリー君と喋りたいし、計画を話したいの。あ、だから巧く海に落としてね」


 言外に死なせるつもりが無い事を含ませながら、カナエはサイモンの肩を叩いた。貴方には出来るという意志を籠めた手は嫌でも元気を与え、気持ちを良い物にしてしまう。

 だが逆に不快な気分になったサイモンは手を軽く払ってカナエを退ける。頭の中にあるのは一つの疑問だった。


「どうしてだ、リドリーは仲間だろう? わざわざ確実に怪我をする方法を選ぶのか? 別に必要でも無いのに?」

「どうしてって……物語に彩りを付ける為さ。もし万が一があっても、登場人物として死ぬなら彼の喜ぶ所だろうし」


 返ってきた言葉は、余計に理解し難い物だった。リドリーがこの世を映画の世界だと思っている事はサイモンの頭にも確かに存在したが、知っていても理解出来る物ではない。

 だがエィストにはその思考は理解できる物の様だ。リドリーの事を考えている顔には明らかに楽しげな色が含まれていて、まるで同好の士、あるいは親友だと思っている様に見える。

 しかし、そんな相手を危険に晒す物なのだろうか。サイモンのそんな疑問は彼女にも伝わった様だ。独り言の様に、彼女は言った。


「時々ね、どうしようも無く壊してしまいたくなるんだよ……頑張って作った積み木の建物を、崩してしまいたくなる様にね……」


 寒気がした。

 サイモンをして戦慄する程の理解不能な『何か』がそこに居る。笑みを浮かべて、そこに居る。それが何を意味するのかも、何もかもが曖昧で受け止められない物だ。

 サイモンは思わず数歩ほど彼女から距離を取って、持っている銃に手をかけていた。

 そのまま行けば撃ってしまいそうだ。いや、撃った方が良いに違いないとすら彼は思っている。


「……って嘘、うそだよ。うっそだぴょーん。そんな訳無いでしょう? ねぇ?」


 相手の様子が変わった事に少しだけ焦る様な顔をしたカナエが体全体で『冗談だ』という意志をアピールして見せる。はっきり言って演技臭い。

 それでも、異質な『何か』はそこには見えなかった。いつの間にか、距離を取った筈のサイモンに抱きつく様な位置に居る事を除けば、なのだが。


「……おい、離れろ」

「君までそんな事言うんだ……うーん、ショック」


 銃を握り締めて警告すると、カナエは思ったよりもあっさりと引き下がっていた。

 ふわふわした笑顔は健在であり、危険性を感じさせない挙動が警戒心を奪おうとしてくるが、サイモンはもうそんな事に惑わされる事はない。

 カナエにとっても遊び程度の物だったのか、それ以上何かをする気は無い様だ。むしろ悪戯が過ぎたと反省しているらしく、曖昧だが困った様な笑みを浮かべていた。


「本当に撃つとして、リドリーって奴はどうするんだ? 海に落ちて生きていけると思うか? ……何より、そっちのボスが怒り狂うとかは無いよな?」


 彼女の曖昧な行動にとやかく口を出す気の無いサイモンは、本題だけを尋ねる。リドリーはともかく、その背後に居る彼らのボスの逆鱗に触れる訳には行かないのだ。

 自分自身が自覚して、あるいは無自覚に彼の怒りに触れて来たからこそ、サイモンはそんな危機感を抱いている。

 そんなサイモンに対して、カナエは思い切り安心させる様に慈母の微笑みを顔に作り上げ、思い切り胸を張って見せた。


「リドリー君は私が助けるよ。さっきも言ったけど、こっちはこっちでリドリー君と話がしたいし……ボスは大丈夫、リドリー君の性格を知ってるから」


 心の底から自身がある、保証する。全身からそう言いたげな雰囲気を放っていた。どうしてそこまで自身があるのかを禄に説明もしないが、そういう事の様だ。


「……ハァ」


 サイモンは、溜息と共に諦める事にした。

 もしまずい状況に立たされれば全てをエィストの仕業にしようと決めたのだ。そんな事をしても彼女は気にしないし、普段の行いを知る者であれば誰も疑わないだろう。


「……ああ、全く……俺はもう知らないぞ。後でそっちの奴らに怒られるのはお前だからな、俺は知らん」


 そういう意図も籠めてカナエに了承の返事をする。間違いなく、もう一つの考えも彼女には伝わってしまうだろう。それも折り込み済みの言葉だ。


「ふふ、分かってるよ。怒られちゃうね、私」


 予想通り、彼女は分かっているという言葉と同時に頷いて見せた。そのくらいの事はする価値があると、そう本気で考えている様だ。

 組織やボスや仲間の為では、いや、自分の為ですらないんだろうな。とサイモンは考える。心底楽しそうでありながら、どこか虚ろさを見せる彼女からはそんな雰囲気が漂っているのだ。


「おや、行くんだね」

「……そろそろ行かないと、彼が連中を全滅させてしまうのも時間の問題だろう?」


 ともあれ、彼にそれ以上エィストの事で考える様な時間は無く、そうする価値も無い。それ以上構う気も起きず、背中に向けられた彼女の声に適当な返事をしながら部屋を出た。


「いってらっしゃーい」


 気の抜けた声が飛んで来て脱力しそうになったが、サイモンは最初から耳に届いた言葉を音として捉える気すらなかった為に何とか力は抜けずに済む。

 その時、ふとサイモンは彼女にもこの事実を伝えておくべきかと考えて振り返り、告げた。


「そうだ、この格好を本来するべき……つまりMr.スマイルの正体だが、あれはお前の所の……エドワースだぞ?」

「……へぇ、『やっぱり』。君もそれを知っているって事は、そうか」


 どこか雰囲気と気配が別な物に変異したかの様なカナエの声が返ってきた。それに対してサイモンは話を続けさせる物か、と気配を殺しながらも扉を若干乱暴に閉めて、声を遮断する。

 防音効果の高い部屋から音が漏れる事は無く、彼女の声は瞬く間に聞こえなくなった。




「……ふ」


 やっとエィストと離れる事が出来たサイモンは、何やら安堵の混じった様子で声を漏らす。

 背筋が凍りそうな異様さを全身から放つ姿は、例え彼であっても長時間見ていたくない物だ。そんな彼女を部下にする事が出来るケビンの事をサイモンは全力で尊敬したい気分になった。

 恐らくはケビンも彼女を乗りこなせている訳ではないのだろうが、それでも戦力に数えられるだけ十分だ。気紛れで妙な方向に話を持っていこうとする性質を考えると、彼にとっては決して部下にしたくない部類の相手である。

 そんな彼女をケビンはどうやって部下にしたのか。どうやって彼女の雰囲気を受け流し、または受け入れる事が出来たのか。

 様々な興味が浮かんでは消えて、歩くサイモンの心を揺らしている。

 しかし、彼は芯の部分では既に彼女の事を考えていなかった。表面的にはエィストの不気味さを警戒していても、その奥底ではリドリーをどうやって海に落とすか、ジェーンをどうやって捕まえるのかを考えている。

 エィストの事など、サイモンにとっては本質的にどうでも良いのだ。彼女の興味は今、サイモン達の組織には向いていない。敵対する事も無いが、味方でもない。

 そんなどっちにも取れない存在に触れていても意味は無く、多少手を貸し借りする事はあったとしても、それは決して深く関わる訳ではないのだ。

 彼女は、サイモン達の仲間ではないのだから。


「……さて、どうするか……大人しく、捕まってくれるか?」


 サイモンはもう、事が起きている部屋の目の前に立っていた。全力で気配を殺して観察をしてみると、何故か扉の向こうからしっかりとした怒気の類を感じる事が出来る。

 気配も音も消し去って、ただひたすら人を海に落としていた先程とは明らかに様子が変わっている。その理由は一切知らないが、つまりサイモンはそれを好機と取っていた。

 無音よりは、まだ隙の見つけ様がある。それはサイモンの確かな感想であり、実際、当たっている事でもあった。部屋の中にいるリドリーはこの時、目の前に居る『兵隊』達以外を一切見ていなかったのだ。

 防音効果がある故に音は聞こえないが、その向こうで何が起きているのかを気配で大まかに察する事は出来る。サイモンはそのくらいには実力者である。

 だからサイモンは少しだけ待った。仮面を付けて山高帽を被り、銃を構えて待った。気配が露わになっているこの状況であれば、何れ作られるであろう明確な隙を突く事が出来るのだ。

 それが、一切の抵抗を受ける事無くリドリーを排除出来る道でもある。


----…………………………………………今かっ!


 じっと扉を見つめていたサイモンの頭に天恵が下ったかの様な衝撃が加わったかと思うと、彼はその瞬間には扉を開き、即座に銃弾を放っていた。

 それは僅かに狙いを外し、中に居たサイモンを吹き飛ばして窓のすぐ側に叩き付ける程度の結果を生み出す事となってしまうが、十分である。


----外したか……しかし……


 状況は明確に有利だ。驚きに目を見開くジェーンを一瞥しながらも、サイモンはそんな事を考える。だがそれは一瞬にも満たない間の事で、その目はすぐにリドリーの方へ戻った。

 銃弾を受けたとは思えない程にリドリーは余裕の笑みを浮かべていて、薄ら寒い気分にさせてくる。

 痛みを感じる様子の一つも見せず、代わりにニヤニヤとした笑顔を見せつける様子はどうにもサイモンを落ち着かせず、先程までのエィストと相まって余り関わりたくない類の相手であると示していた。

 だが、黙って居る訳にもいかない。Mr.スマイルの格好をしている以上、Mr.スマイルとして話さなければならないだろう。

 しかしMr.スマイルとしての残虐さなど元々持ち得ない彼に真似が出来る筈も無く、少し困ったサイモンはあえて、リドリーに合わせる事にした。

 情報によれば映画に魂を喰い尽くされた彼は、会話の中に映画の台詞を盛り込むらしい。

 それを思い出したサイモンは自分が知っている作品を何とか考えて、二人へ姿を見せながら告げた。



「映画の中じゃ、スター達は平気な顔だがな。現実に銃で撃たれるのは、酷い痛みだ。そうだろう?」

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