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キラーハート The Killer In Smiling MAN S  作者: 曇天紫苑
The Killer In Smiling MAN S 大笑編
38/77

14話


 とある船室、船内で一二を争う程に重要な部屋の中では何人もの人間達が倉庫に詰め込まれた荷物の様に身を寄せ合って、時折体を震わせていた。

 彼らの顔には、怯えや恐怖が一様に見て取れる。彼らは知らないが、サイモンを前にしたコルムよりもずっと怯えた顔をしているのだ。

 しかし、彼らが立たされた状況を考えると無理もない。むしろ、恐慌を起こさないだけ彼らも慣れているのだろう。


「せ、船長……我々はどうすれば生き残れるのですか?」


 何やら我慢が効かなくなったのか、その集団の一人である船員が、自らの上司である人物へ声をかける。

 彼らの中で際だって落ち着いた人物だ。どこか慣れた様子が窺える辺り、『この様な状況』にも耐性がある様に見える。他にもそんな人物は居るが、船員達にとって最も親しみ深く、頼りになるのが『船長』と呼ばれた男である。


「分からん。だが……この船に居るのがまずい事は確かだな」

「え? どうしてまた……」

「ああいう連中の事だ。我々が知らない間に船に何か細工をしていても不思議ではないだろう?」


 話しかけられた船長という男は肩を軽く竦めて苦笑する。危険が分かっていても、どうする事も出来ない。その顔はそう言っている様に見えるのだ。

 一方で、そんな事を言いながらも彼の顔はまだまだ余裕を感じさせる物だ。危機感こそ見せているが、焦っては居ないし、弱々しい様子も無い。

 この手の事に本来は慣れていない船員達とは違い、彼は『ボス』であるプランクに程近い立場に居る。かなり危険な麻薬の取引を行う彼らの組織は、時折襲撃されているのだ。

 だからと言って誰もが慣れる訳では無く、この場に逃げ込んだ売人達の中には船員達と同じ様に怯えている姿が見え隠れしている。


「他の連中はともかく、プランクさんは放っておいても大丈夫だとも。生き汚い……と言うよりは、生き延びられる様に考えている人だ……我々は違うがな」


 暗に自分達が死に絶えてもプランクは生き残ると断言した男は、一度溜息を吐いた。余裕はあっても、それは船員達の気持ちを楽にはしない。その中に諦観が混じっているのだ、当然だろう。


「あの、それで……俺達はどうするのが正しい選択肢だと思いますか?」

「うむ……我々ではな、外に出ても無意味、いや、あの妙な連中に殺されるだけだ……いや、殺されないのか? プランクさんはそんな事を言っていたが……?」


 船長と呼ばれた男は紛れもない諦観を顔に浮かべつつも、疑問の声を上げている。先程、プランク達が外へ出る少し前から『兵隊』達は一部を除いて殺しを行っていない。

 それは勿論、サイモンの指示によって『兵隊』達が命令を変更させられた為に起きた動きなのだが、それは彼らの預かり知らぬ所での話だ。

 その場の人間は皆分からなかった様だが、恐らくプランクは大まかに何が起きたのかを気づいているのだろう。いきなり安全なこの場所から外へ出ていった事がその証拠だ。

 それがこの室内に居る全ての生き残った人間達の共通認識であり、今後の行動を迷わせている原因でもある。


「プランクさん、もしかするとこの船を爆破とか……」

「いやいや、それでも警告くらいするでしょう。あの人は別に残虐って感じじゃないんだから」

「……あのMr.スマイルって奴が邪魔だと思ったら、あの人は迷わずやるだろうな」

「それは幾ら何でも……」

「いや、もしかすると、今襲ってきてるって話のホルムスの連中と交渉してMr.スマイルごと船を沈めるかもしれない。お互い、Mr.スマイルには邪魔をされてる。報復って点で同調して、そのまま不戦協定、いや同盟まで行くぞ。お前らも知っての通り、そういう人だ」


 生き残っていた売人の一人の言葉に、その場の全員が溜息を吐いた。

 彼らのボスであるプランクが命にも金にも頓着しない男である事くらい、全員が知っている。彼は『とりあえず』部下を守るが、それ以上は何もしないのだ。

 だがそれでも、彼らにとっては頼れる男だという事は揺るがない。

 結果的にどれだけ損をしようが得をしようが、不思議と組織自体は存在感も勢力も落ち込む事が無いのだ。それがプランクの手腕に依る物だと、彼らはそう思っている。

 だからこそ、彼らは迷っているのだ。

 ここから動き出して、船から脱出する算段を付けるべきか、プランクには止められたが、通信機を使って仲間を呼ぶべきか、それとも此処に残って船が目的地に到着する事を祈るか。どれを選んでも、正解ではない気がする。


「まあ、ボスのフットワークがあれだけ軽いのは今船に乗ってる薬に原因があるんだろうがな」

「ああ……盗まれたって『厄介払いができた』としか思わないね、俺は」


 作ってしまった薬の事を思い出しながら、彼らは悩んでいた。

 今、船内にあるのは『あの』薬だけだ。買い手が付いた事が奇跡と呼んでも良いくらいに、厄介な代物である。彼らが邪魔だと思うのも無理は無い。

 確かに強烈な効果を持ち、依存性も高い。だが異常に効果が強すぎて、取引をしようにも値段交渉する事すら出来なくなってしまうのだ。

 最低限の人間性すら奪う薬では、意味が無い。彼らはそう考えていた。


「まあ、あの薬の事は今は良いだろ。もう奪われた物だ。それより、プランクさんだ。あの人がどう動くかで俺達の命運は決まるんだからな」


 売人達の会話に参加していなかった『船長』と呼ばれる男が、変わらず落ち着き払った様子で彼らに本題へ戻る様に促す。


「あ、ああ。そうだな。ちょっと現実逃避していたんだ。悪い」


 声をかけられた男達はやっと現実に戻って来た表情になると、静かに考え込み始める。彼らなりに、この事態を無事に切り抜けられる方法を模索しているのだ。

 その時だった。この船室に繋がる扉が唐突に開いて、いや、『刀で叩き斬ったかの様に』両断されて、倒れた扉の向こうから二人の男女が現れたのは。


「……!?」


 飛び込んで来た男女の姿、特に女の方を見て、その場に居た全ての売人達が目を見開いて緊張に身を浸す。全員が懐に手を伸ばして、何時でも相手を射殺する事が可能な様に準備している。

 それ以外の船員達は周囲に居る者達の物々しい雰囲気にほんの数秒程困惑していた様だが、すぐに同じ様な緊張と警戒を表して女を見つめた。

 一人一人の圧力はそう強い物ではないが、これだけの数が合わされば凄まじい物だ。気絶してしまいそうな程の圧倒的な威圧感が一人の女に注ぎ込まれていた。

 女の背後に居る男が漏れ出る圧力に少しだけ眉を顰めている。デスクワークばかりしていそうな新聞記者の様な格好からは想像出来ない程に剛胆だ。

 しかし、女の反応はそれ以上である。薄く微笑んだまま圧力を柳に風と受けながし、平気な顔で抜き身の刀を持ち上げたのだ。


「う、動くな!」


 思わず、売人達の中の数人が銃を取り出して女へ向けていた。

 何故か、女の背後に居る男が予想通りの状況になったとばかりに肩を竦めていて、女ごしとはいえ銃を向けられて平気な顔をしている。

 そんな背後の男の表情が見えているかの様に女が笑う。売人達は、そこで疑問を覚える。

 数日前に見た彼女の、つまりカナエの笑顔は視界に入れるだけで体が震える程に不気味で恐ろしい物だった筈だ。今の様に、怜悧な外見には少し不釣り合いな明るい笑みでは無かった。

 まるで別人の様だ。そんな印象を持った者が思わず口から声を漏らしていた。


「……カナエの、姉妹の方ですか?」


 船長と呼ばれた男の声だった。まだ諦観から抜け出していない顔の彼は、ただ一人警戒も緊張も無い表情で静かに女を見つめている。

 誰もが予想していなかった言葉に、男以外の全員の顔が唖然とした物となった。当人である女も柔らかい笑みを引っ込めて、驚きに身を浸していた。

 それも数秒間だけの事だ。女はまた笑みを浮かべると、口から漏れ出る様な笑い声をあげた。


「ぷっ……くっ、くく、うふふふふふ……」


 心の底から楽しそうで、聞く者の心を暖かく明るい気分にさせる声だ。どこにも耳障りな要素は無い。やはり、『あの』カナエの物とは違う。

 男達が別人という疑いを更に強めると、女はそれに同調する様に笑い声を大きくして、ようやく意味のある言葉を発した。


「あはっ、あはははは! いやぁ、そんな風に言われたのは初めてかな? やあみんな! 元気? 生きてた? 私私、カナエだよーーん!」


 自分の事を指さして、奇妙な程に明るい声で自分が『カナエ』である事を示して、カナエは底抜けに明るい笑顔を見せた。余りにも明るすぎて、逆に奇妙なくらいだ。

 その場に居る全ての売人達が口を開いたまま目を見開き、沈黙する。驚きの余り声も出ない様だ。同時に、危険性の欠片も無い彼女の態度に毒を抜かれたのか、無意識の内に銃器を収めている。


「……この服の持ち主と似た様な反応をされてるとちょっと困るな、同じ事ばっかりやってると飽きちゃうんだよ? 私は除くけど、ね」

「それだけ頭のおかしい女を演じていればそうなるだろうが。……いや、元々お前は頭おかしかったか?」


 自分の着ているスーツを摘んで少しだけ詰まらさそうな顔をすると、背後の男が馬鹿を見る様な目を女へ向けている。

 緩い笑みを浮かべたカナエには確かにバカに見えなくも無い。不気味でおぞましい物とは違う、柔らかな幸せを伝えてくれる物だ。

 わざと、そうしている姿が見え隠れする事を除けば。


「え、あ……なあ、おい。やっぱり、お前って……」

「うん、そーなんだよ? カナエちゃんだよ? 信じられない? うーん、ちょっとテンションたかい高い? 分かった分かった。ちゃんとやるから」


 疑わしげに顔を見て来る売人の一人へ、カナエは悲しそうで苦しそうに楽しそうと嬉しそうな笑みを浮かべる。

 まるで人に見えない態度は数日前の不気味さと、何処か似ていた。いや、数秒後には数日前と全く同じ異様でおぞましい笑い声を上げていたのだ。


「くひゃきゃひゃ! わ、わた、私はねぇえぇ! っすご、すごい、いひひぃぃひぃひ! うひぃ、うくひひひ! ……ね、これで信じてくれた?」


 一瞬にして恐ろしい気配を消し飛ばしたカナエは、小首を傾げて目一杯の可愛らしい表情で疑いを向けてきた売人の顔を覗き込む。


「分かった、信じる」


 目の前に来た女を信じて、頷いた。端から見れば脳を揺さぶる声の調子と表情で、無理矢理に信じさせた様にしか見えない。まるで心を操っているかの様だ。

 それを見た者達は一様に、ある種の警戒を向ける。理由は分からないが、数日前の彼女よりもある意味で恐ろしい印象を受けるのだ。


「……なあ、本題に入らないか?」


 背後に居た男が、面倒そうな顔でカナエに声を向けていた。

 売人や船員達はその男の事を知らない、いや、プランクと共に居た一部の人間は顔と職業くらいは知っていたが、この様な強烈な顔付きをする男と、印象が合わない。

 血と刀に酔うカナエと、今のカナエ。ただの新聞記者と、強烈な雰囲気の男。どちらも同じ様に、最初の印象の方が演じている色が強い。


「ああ、すいません。ちゃんとやらないといけないのでしょうね」


 声をかけられたカナエの雰囲気が変わる。まるで別人の様に声が低めの物に変わり、口調の全てが違う物へ、そしてあらゆる印象が一変する。

 しかし、売人達はカナエよりも男の方へ目を向けていた。もう彼女がある種の『違う』生き物である事は分かっている。

 そんな彼女が敬意の籠もった顔をする相手、彼もまた、何か余程の訳のある人間なのだろう。実際、カナエが楽しそうに紹介しようとして、それを遮る形で男が名乗った。

 名前を聞いた者達の全員が、驚愕した。


「あ、その人は」

「俺はアール・スペンサー……いや、アール・『ホルムス』だ。本当はそっちも偽名なんだが、あえてそう名乗らせて貰うぞ」


 『ホルムス』。今までなど比べ物にならない程の圧倒的な存在感と共に告げられたその名前を、彼らは驚きと共に耳にする。

 その名前は、彼らにとっては特別な物だ。何せ彼らがこの船に乗った、原因の一つなのだから。

 畳み掛ける様に、男が続けた。


「何、君らに危害は加えない。ただ、ちょっとばかり『電話』をかけさせて欲しいだけだ。俺がかけるんじゃない。コイツがかける……ついでに、『避難誘導』も、な」




+


 周囲を見回しながら、男はひたすらに走っていた。慌てていると言うよりは、焦っている。いや、何かを心配している様な雰囲気だ。

 走る速度はそれほど早くは無いが、それは男が慎重に辺りを探っているからなのだろう。その気になれば、今走っている通路を端から端まで走る事に必要な時間はかなり短縮出来るに違いない。

 男がそれほど丁寧に周囲を窺っても、探し人は見つからないのだろう。段々と、表情の中に落胆が含まれ始めている。

 唐突に足を止めた男の顔と舌打ちが、その落胆を印象づけていた。


「……チッ、ボスも、何かあるなら言ってくれれば俺が……いや、連絡手段が無かったのが一番まずかったか……衛星電話の一つでも持ってくれば良かったな」


 少々の後悔と共に、サイモンは呟いていた。そう、彼が探している者とは言うまでも無く、ボスことアール・スペンサーの事だ。

 既に、サイモンはコルムと離れていた。甲板に行ったは良い物の、目的であるアールがその場に居なかったのだ。

 予定外の事態が起きたと理解した彼は、プランクとの交渉の糸口に逃げられない様にコルムを『兵隊』に指示して逃げない様に見張らせると、自分はすぐに船内へ戻っていた。

 アールを見つける為、彼が巻き込まれている可能性のある予定外の事態を解決する為だ。頭の中をそれ一色にして、サイモンは走っていたのだ。

 だが、それでも見つからない。

 通路をどれだけ探っても居ないという事は、恐らく船室のどこかに居るのだろう。頭の中でそんな予想を繰り広げたサイモンは、少なくとも周囲の部屋では無い事を確信して軽い溜息を吐いた。


「ジェーンを見つけた、とかなら助かるんだが……な」


 独り言の中には淡い期待が含まれている。

 実際、ボスが見つけてさえすれば大体の事は解決するのだ。何せ、ジェーンはボスの言う事であれば例え死の宣告でも受け入れるのだから。

 しかし、それほど楽観的には考えられない為にサイモンの顔はどこか空しそうなのだ。


----Mr.スマイルの服……着込んでみたが、これはスゴいな。丈夫な癖に、恐ろしい程に軽い。


 だからこそ、サイモンは空しい気持ちを払拭する為に自分が着ているコートを摘んで、感触を確かめていた。

 強度と見合わない軽さのそれは、体を動かす事に一切の影響を与えない、いやむしろ、動きが素早くなる気さえする物だ。

 倉庫の荷物の山から見つけた時から、それがMr.スマイルの着ているコートと同一の物だとサイモンは気づいていた。何せ、同じ場所に彼の仮面も置いてあったのだ。


「仮面……何も細工をしている様には見えないが……」


 手の中にある仮面の手触りはいかにも堅そうで、しかし銃弾を弾く程の強度がある様には見えない物だ。

 そう判断したサイモンは隠された何かがあると考えて、探りを入れていた。五感を総動員して服や仮面に怪しい要素が無いかを確かめ、遂に自分で着る事まで試したのだ。


「……あれは、エドワースの素の実力か? いや、奴が着ている方にはこっちには無い要素があるのか?」


 サイモンの呟き通り、少なくともその服には怪しい部分は何一つ無い。銃弾を弾く癖に普通の服よりも軽いという非常識な事実を除けば、本当に何処にも怪しい所は無かった。

 もし、Mr.スマイルに放った銃弾が弾かれる様子を見ていなければ、サイモンですらその服と仮面の異常性を認識する事など出来なかっただろう。

 服や仮面に身体能力を増強する『何か』の存在を見て取っていたサイモンは少々落胆する。そんな効果があるのならば、アールに常時着せている所だ。


----銃弾を弾くというだけでも、ボスに着て貰う価値はあるか。


 とはいえ、それが異常に堅牢なコートだという事は明らかだ。それだけでも価値はある。

 そう判断したサイモンは内心の落胆など一瞬で吹き飛ばし、再びアールを探す作業に戻った。

 それまでの思考を止めた訳ではない。アールを探しながらも、頭の中ではジェーン達をどうやって捕まえるべきか、それにMr.スマイルへの報復はどうするべきかと考え続けている。


----この格好でジェーンを捕まえれば、全ての罪はMr.スマイルに向くが……ああ、どうした物か。そもそもジェーンは何処に、居る? ボスが見つけた、ってのはちょっと楽観的過ぎるな。


 自分の服装を利用する事を考えて、サイモンは少し考え込んでいた。体は相変わらず動き回っていて、思考と行動が完全に分離されていた。

 Mr.スマイルの格好でジェーンを捕まえる事が出来れば、表向きジェーンを死んだ事にしても問題は無い。もし発覚しても、プランクは目を瞑るだろう。

 サイモンにとってのジェーンとは同僚であり同類である。居なくとも彼は組織を動かしていく事が出来るが、彼女が居ればもう少し早くなる。

 そう、サイモンはジェーンの命を諦めた訳では無いのだ。優先順位は低いとはいえ、自分自身とアールに次いで信頼出来る少女なのだから。

 ふと、そこでサイモンは考えた。単純で、簡単な手段だ。彼は一人しか居ないが、その手足は実質的には何本もあるのだ。


「……『兵隊』達に探らせるか、外からなら早いだろ」


 そう、『今、彼の目の前に居る中毒者』達こそ、彼にとっての手足なのだ。欠陥品ではあるのだが、一人で探し回るよりは早い。

 しかし、サイモンの顔は何故か『兵隊』達に疑問を向けている。自分に服従して武器を床に置く姿からは危険性は見えず、むしろ忠実な下僕の様に従う姿勢を見せている。


----ん……? ああ、そうだ。今、操ったんだったか


 数秒も彼らの顔を眺めれば、あっさりと疑問の元は氷解する。無意識の内に、たった今までは敵だった『兵隊』を支配して、服従させていた様だ。

 サイモン自身も気づかない間に彼らに薬をぶら下げて従わせていた。傍目からは何人もの『兵隊』達と衝突した瞬間から凄まじい勢いで叩き伏せる姿が確認出来ただろう。

 丁度良い所に現れた彼らへ、サイモンは曖昧な笑みを浮かべる。プランク達との関係に大きな亀裂を作りかねない者達は、今の瞬間は彼の道具なのだ。


「お前等、他の連中と同じ様に我らがボスとジェーン・ホルムスを探し……いや」


 他の『兵隊』達と同じ様に指示をしようとしたサイモンは途中で言葉を止める。それでは今までと同じ結果しか生まないと考えたのだ。

 『兵隊』達に指示を出してしばらく経つが、まだ何の報告も上がって来ていない。広い船だ、見つからないのも仕方無いが、今まで通りの行動をしても意味はあるまい。

 だから、サイモンは探す方法を指定する事にした。


「『外』から探せ、窓に足を引っかけるなり、上下の階から部屋を覗き込むのでも構わない。もう一度言う、船内で探すな、外で探せ。見つけたら……出来れば捕まえろ、一人は報告に来い。途中で他の連中を見つけたら、それらも連れていけ」


 どこか冷たい意志が見え隠れする彼の言葉の中には、『兵隊』達の命を気にする様子は欠片も無い。むしろ死んだ方が嬉しいとすら考えている様に見える。

 しかし、感情も意識も失った『兵隊』達には、その感情は微かにも伝わらない。ただ頷いてサイモンの指示を受け入れるだけである。


「分かったら、行け。俺は此処で待っている……ボスには指一本手を出すなよ、死ぬのはお前等だがな」


 視界に入れるのも鬱陶しい。サイモンの声はそんな意志を見せてすらいる。それだけ邪険にされても『兵隊』達は不満に思わず、不快にも思わない。

 ある意味で便利だ。彼の指示を受けて去り行く『兵隊』達の背を眺めながら、彼はそんな事を考えていた。



「……ボスは、何処へ行ったのやら」



 口から出る、その言葉以外は。






+



「……やっぱり流石だよ、リドリーは」


 同じ頃、ジェーンを逃げ去ってしまったリドリーを見てMr.スマイルの中身のエドワースは小さく呟いていた。

 ついで、とばかりに白衣の男を始末した彼は、適当な理由を付けてリドリーを排除する為に攻撃を仕掛けていた。勿論、全力も全力、本気だ。

 相手の実力を知っているだけに、一切の手加減を加えなかった。総力を上げて攻撃し、防御したのだ。だからこそ何とかジェーンに最も近い距離まで行く事が出来た。

 悪鬼羅刹も逃げ出す程の憎悪をまき散らすジェーンを煽りながらも、表面上は余裕を崩さずに居る事が出来たのだ。

 問題はその後だ。ジェーンの怒りを煽って余裕を見せた彼は、その隙をリドリーに突かれてしまった。いや、無理矢理隙を作らされた、と言うべきなのだろう。

 そして、一撃を受けた事による動揺が冷めない内にリドリーはジェーンを連れて走り去ってしまったのだ。


「……油断、したつもりは無かったのだがな」


 既に、彼が追い求めたジェーンもリドリーも視界に入っていない。ただ一人残されたMr.スマイルの姿はどこか寂しそうで、同時に安堵している様にも見える。


「バレはしなかったが、やはりリドリーさん相手では分が悪いか。ジェーン一人なら何の問題も無かったんだが……ああっ、それにしてもあの憎悪はたまらないね、あれを捻り曲げて、より強い苦痛に投げ込みたくなってしまうよ」


 陶酔した様な声音の独り言をただ連ねる彼の目は、酷く濁っている。邪悪さとおぞましさを混ぜ合わせた悪鬼に見える程だ。

 しかし、それはジェーンの名前を出した時だけの話であり、リドリーの事を考えている彼はエドワースとしての要素の方が遙かに大きい様に思える。

 仲間内で、かつ真っ当な生き物としては最も強く、最も奇妙な性格をした男の事を思い浮かべて、エドワースは思わず仮面を撫でた。

 エドワースの持つ最も痛みを覚えた記憶とリドリーの拳による一撃を比較して、Mr.スマイルは思わず眉を顰める。


「……だが本当に参った、奴のパンチは凄いな。ガキの頃のあのゴミ共の万倍は痛いね」


 あれほどの攻撃を貰って、仮面が砕けなかった事だけが幸いだ。正体こそ知られなかった物の、やはりMr.スマイルはリドリーに対しては苦手な意識の方が強い。

 この感情が、間違い無くリドリーの弱点や隙を見逃させてしまったのだろう。

 腕を負傷し、ジェーンを守りながらというかなりの悪条件で戦うリドリーの方が、実はエドワースよりもずっと不利に立たされていたのだ。


「彼ほどの能力があればもっと効率良く人をバラせるのだろうな……羨ましい限りだ、私にはそんな物は無い」


 悔しそうに足踏みをする彼は、そんな事にも気づいていないに違いない。普段のリドリーと自分の差を知っているからこそ、余計に気づけないのだ。

 どれほどMr.スマイルの仮面で繕っても、所詮エドワースはエドワースだ。

 しかし、やはり彼はMr.スマイルでもある。暴虐と苦痛に生きる怪物は、確かにこの場所に居るのだ。その証拠も、そこにある。


「やはり、私の仲間は凄い。なあ、君もそう思わないか?」


 そう----彼が足蹴にしている人間だった物を見れば、誰だってそれを認識出来る筈だ。

 それは、武装している男だ。完全に生命を失った体には力など一切入っておらず、目には生気が完全に存在しない。明らかに、死体だと分かる。

 死体の特徴的な部分を上げるとすれば、やはり幾つかの武器だろう。護身用とするには少々大げさな武装の数々を身に纏っている姿は、ただの巻き込まれた一般人の類ではない事を如実に示している。

 目に生気が無いのも死体だからではなく、この船内では最早ありふれた存在となってしまった哀れな集団の一員だからだと考えれば、すぐに分かるだろう。

 どこか哀れな死体の名前は、無い。だが代わりに、集団の名前ならば有る。そう、その死体は『兵隊』達の一員なのだ。

 何故、そんな物がそこに転がっているのか。答えは簡単だ。


「巻き込まれた君には少し哀れむ気持ちが、いや、沸かないね。私を除くこの世のゴミがまた一つ消えた。その事への爽快感でたまらない」


 恍惚とした声で告げられたMr.スマイルの言葉通り、その『兵隊』は巻き込まれたのだ。

 リドリーと、Mr.スマイルの戦い、いや、正確には『彼らの戦いに巻き込まれたドア』に巻き込まれたのだ。死体の隣に転がるドアの残骸が、その事実を示している。

 下敷きになった男からドアを退かしたのは他でもないMr.スマイルで、そのドアを吹き飛ばしたのは彼とリドリーである。そして、Mr.スマイルが善意で死体に被さったドアを取り除く筈も無い。


「ふむ……成る程、生かしておけば良かったのかもしれないな。いや、無駄か。この連中は痛めつける価値も無い」


 Mr.スマイルは、少しだけ残念そうにそう言って、男の胸に突き刺さっていたナイフを引き抜いた。

 実は、ドアの下敷きになった時はまだ、男は生きていたのだ。トドメを刺したのは、当然ながらMr.スマイルである。たった今のMr.スマイルの行いを見ればすぐに分かる。


「どうしたものかな、この死体」


 少し困った様な表情で呟いている。

 頭の中にある、ジェーンを逃がしてしまった事への後悔やリドリーへの尊敬と畏怖を何とか隅に押し退けて、他の事を考えようとしているのだ。

 死体を壊す趣味も、Mr.スマイルには勿論、有る。だがこの『兵隊』達は彼にとって実につまらない存在だ。どれだけ痛めつけても喜悦を覚えず、どれだけ破壊しようと面白味が感じられない。

 どうしたものか、自分が殺した死体を前に、Mr.スマイルはそんな事を考え続けている。人はそれを現実逃避とも言うのだが、自覚は無かった。


「君をどんな風に扱うか、迷い所だと思わないかね? だが安心したまえ、君が薬物をキめて帰って来なかった所で、それは仕方がない事だから、誰も泣かない。いや、むしろ君の死に涙する程の親しい人物が居るならば、面白いのだがな」


 床に転がる死体を足で弄び、その死体に親しい人間が居なかったのかと思いを馳せながら、Mr.スマイルは迷っていた。

 地獄を見せるにしても、見せないにしても反応が大事だ。自分の中だけで完結させる事は確かに可能で、勿論Mr.スマイルはそれが好きだ。

 しかし、自らの行為を見た存在の憤怒や憎悪に駆られる姿を見る事は、もっと好きなのだ。

 死体を小突きながら、Mr.スマイルは考える。ジェーンを逃がしてしまった『後悔』をあえて考えない様にしながら、死体の利用方法を考える。


「……む」


 ふと、『後悔』という単語が頭の中で渦を巻いた。船内の何処かで、その感情を覚えた気がする。

 自分の行いから来る物などでは断じてない。『早くやっておけば良かった』。それは、そんな意味合いの悔いだったと記憶している。

 一体、何処でそんな感情を心に刻みつけたのだ。そう考えて記憶を探ったMr.スマイル、いやエドワースは、急に笑い出していた。


「ふ、ふふ……ふふ。思い出した。ああ、そうだったな。ボスにジェーンにリドリーにサイモンに、あの方……アールだったか。彼ら彼女らと出会ったのだから、忘れてしまうのも仕方が無いかね」


 足で小突いていた死体の前へしゃがみ、その顔を覗き込む。これと言って特徴の無い顔だ。恐らくは、こう言った人物の方が薬にのめり込むのだろう。

 外的な何かに依存し、仕舞には魂を捧げなければ生きていく事も出来ない。何と哀れで愚かしい生き物なのだ。Mr.スマイルに魂を預けねば生きていけない癖に、エドワースはそう考える。


「この気分を一新する良い方法を思いついたぞ。聞きたいか?」


 心底から来る侮蔑の気持ちを仮面で隠しながら、まるで死体が生きている者であるかの様に尋ねる。答えを期待している訳では無い、ただ、そうしたいだけだ。


「聞きたいだろうね。教えてあげよう、これから君をバラバラにして、何かの儀式の様に並べ立てるのさ、血文字で装飾を付けてね。大丈夫だとも、丁寧に扱うさ」


 聞けば誰もが眉を顰める醜悪さと残酷さを込めたMr.スマイルの口調は限り無くおぞましく、地獄の底から漏れ出た様な気配を纏っていた。


「そうと決まれば、ふふ、話は早いではないか。さあ、行こう。私のストレス解消と、君の限りなく凄惨な死の為に!」


 言葉と同時にMr.スマイルは男の首を掴み、引きずっていく。苛立っている様ではない、次なる楽しみに向けて気持ちが高ぶっている様だ。

 Mr.スマイルの行き先は、自らが悔いという物を覚えさせられた場所だ。今手に持っている男と同じ目に遭わせようと死体を探り、下方からの奇襲によって失敗してしまった場所だ。

 それが出来なかった事を、Mr.スマイルは少しだけ悔いていたのだ。その意味もあって、彼は行く。


 背の高い男と、背の低い男が居る。その部屋へ。

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