9話
「……この紙に書いてある事が本当だとすると」
「ま、ジェーンの命は諦めた方が良いでしょうね」
同じ頃、自分の娘がそんな妙な二人の戦いを目撃しているとは知らず、アール・スペンサーはしかめ面を浮かべながら紙を握りしめていた。
紙の中にある文字は、彼の娘がこの船の上に配置した『兵隊』達の手によって乗客乗員を次々と殺している事がはっきりと記されている。読む人間を信頼させる文章だ、余程、その内容を納得させたかったのだろう。
それを書いたのがプランクと呼ばれる人物である事をサイモンから聞いていたアールは、文章の内容に強い納得を覚えながらも、納得したくない気持ちに包まれている。
何せ、その文章は『ジェーンがそんな事をしてしまった』という事がプランク達にバレた、という事実を何よりも純然と示しているのだ。
「……プランク、か……あいつに気づかれたとなると、本当に何というか、ヤバいな」
紙を握り潰しそうになって、慌てて力を抜く。何やら異様な程に恐ろしげな顔をしているが、一方で悲しそうな雰囲気を放っている事も確かだ。
アールの目は此処ではない何処か、恐らくはジェーンの姿を見ているのだろう。サイモンにはそんな彼の心の動きが手に取る様に分かった。
それまでは、心の中から溢れ出そうになっていた憎悪や憤怒が、今はそんな気持ちに取って代わられている。それらの感情を一時的に忘れている様だ。
「ジェーンがバレたとなると、はっきり言いますが……庇うのは無理ですよ。スケープゴートで誤魔化せる類の相手では無いでしょう」
「だろうな……俺だって、身代わりを出したいとは思えない。例え娘でもそれは、な」
思った以上に厳しい言葉だった。娘を心配しているのは確かだが、それと同時に暴走した娘に対してどの様な形で処罰を与えれば良いのかを悩んでいる様にも見える。
しかし、娘の事を大事にしていない訳ではない事はとても分かりやすく表情に現れていた、どう見ても目元が悲しげである。
見慣れた顔だけに、その気持ちの動きは顔だけですぐに分かるのだ。読み取られている事を知っているアールは気持ちを隠す事もせず、正直な気持ちを口から漏らす。
「ケジメさ、あいつを放っておいた俺にも責任がある。できれば、あいつの気持ちも尊重してやりたいんがな……ジェーンを生かしたまま向こうを納得させる手は無い物かな」
「無いですよ、そんな物は」
沈みきった声で弱音をこぼすアールへ容赦の無い一言をサイモンは告げる。彼にとって、ジェーンは特に守る必要の無い存在だ。大事なのは目の前のボスだけであり、その娘は対象外なのである。
はっきりと否定の言葉が飛んで来たが、アールは予想していたのだろう。部下の強い言葉にも動じる事は無く、むしろ当然の事だと頷いた。
「……プランクなら、何とか言って納得させられそうだがな」
それでも口から出る言葉は全てを納得した様ではない事を示している。やはり、数日前に感じた強烈な憎悪と憤怒はどこにも感じられない。
思わず、サイモンは軽く笑い声を上げていた。それが聞こえたらしく、アールは訝しげな顔付きを向けてくる。
そんな反応が返ってくると分かっていたサイモンは軽い微笑みを口元に浮かべながらも、自分の気持ちを素直に話した。
「失礼、やっと普段のあなたに戻りましたね」
「……戻った訳じゃ、無いさ」
アールは普段の、娘を心配する父親と組織のボスとして部下の処遇に悩む男としての顔をしていたのだ。サイモンのよく知る顔である、震え上がる様な殺気を放つよりは余程似合う姿だ。
からかう色など僅かにも無い言葉だったが、そこから何を感じ取ったのかアールは仏頂面になり、再び憎悪の炎を体から噴き出し始める。
だが、指摘されてからそんな気配を復活させた所で、無理があるのは明白だ。憎悪自体は本気ではあるが、それ以外の事を全く考えられないという数日前の状況とは大きく異なる。
恐らくは、この船でジェーンが起こした事が少しずつ感情の方向性を曲げていったのだろう。
「落ち着いて戴けたのは喜ばしい事ですよ。その為にボスへ情報を渡したんですからね」
言葉が届きすらしなかった時よりはずっと『マシ』だと、サイモンは笑う。その笑みが余りにも純粋な物だったからか、アールは少し困った風に頭を掻きながら息を吐いていた。
しかし、そんな事をし続けている訳には行かない。ジェーンを止める必要があるのだ。二人とも、それは理解出来ている。
「……で、どうする?」
先に本題へ戻ったのはアールだった。体から憤怒と憎悪を発しながらも口調には理性が感じられ、真剣にジェーンの行動にどうやって決着を付けるかを考えている様だ。
サイモンもまた真剣な表情に戻り、数秒間だけ考える。頭の中では既にこれからの行動の案が出来上がっていた。考える姿勢になったのは、単なる癖の様な物である。
数秒経ってさも考え終えた様な態度になったサイモンは、最初から考えていた事を口にした。
「……まずはあの中毒者達の制御を奪おうと思います。ジェーンを探すのはそれからにしましょう」
サイモンは静かに告げる。そこには暗にジェーンの事を後回しにする意味が含まれていた。
彼の頭の中にある優先順位は、ジェーン自身よりも遙かに薬物中毒者の『兵隊』の方が上だ。何故なら、実際に船内で暴れているのは彼らなのだから。
ほんの少しだけ不満そうな顔をしたアールも、それは分かっている。
「なるほど、薬か」
「ええ、この船の貨物にはあの兵隊を作った薬があるそうなので、それで操作出来る筈です……私の顔をジェーンが覚えさせていればね」
「……それ、俺が必要じゃないか? こう言うのは何だが……お前の事をジェーンは嫌ってるからな」
少し困った様な態度で肩を竦めるサイモンへ、アールが妙に申し訳なさそうな声をかけていた。アールの指示と本人の意志で、サイモンは組織の嫌われ者を演じている。
それが裏切り者の炙り出しや組織の利益に繋がるのだから本人は気にしてもいないが、それを指示した側のアールにとっては心が重くなる事実だ。
しかし、サイモンはどこか嬉しそうだ。自分がそんな行動をしている事に対して、一切の卑下も悲嘆も無い。望んでやっている事なのだから、当たり前ではあるのだが。
「はは、好きでやってる事ですから。それにジェーンだって組織の幹部の顔くらい覚えさせてるでしょう。ま、薬の一つや二つでジェーン以外が命令出来てしまうのは欠陥品に思えますがね」
軽く『兵隊』達の事を馬鹿にしつつも、サイモンは彼らを侮る様子は無い。
どちらかと言えば、『彼らが暴れる事で組織に来る被害』の方へ意識を向けている様だが、それでも彼らの戦闘能力を甘く見ている訳ではなさそうだ。油断が元で殺されてしまう様な事は無いだろう。
これなら、安心出来る。そう判断したアールは軽く息を吐き、一度だけ頷いて、最後の確認をする為に口を開いた。
「大丈夫なんだな?」
「ええ、荒事になっても大抵は対処出来ますし、問題ありません、ダメなら逃げますよ」
自信があるらしく、サイモンの顔に不安そうな色は全く見られない。
当然の事かもしれない。サイモンの身体能力はやはり強烈な物だ。アール自身と同じく『兵隊』達に負けるとは思えない、油断と慢心が無ければ傷すら負わないだろう。
「……それで、俺はどうする?」
サイモンの案を完全に採用する事を決めたアールはすぐに頭に浮かんできた疑問を口にする。サイモンの考えの中には、アールがどうするのかを明確に言葉にしていなかったのだ。
当然、それも考えているとばかり思っていたのだが、サイモンは頭に浮かべてすら無かったらしく、今度は本当に数秒間考え込んでしまった。
それでも、数秒だけだ。単純な答え以外は用意出来なかったが、不意打ちの質問に対する物としては上等な部類に入るだろう。
「あー……不足の事態にならなければ、甲板に行っていてください。売人達の中の誰かを連れて行きますから」
言葉の中にあるのは全てがたった今考えたばかりの事だ。甲板を集合場所にした理由は簡単で、身体能力や視界が制限される屋内より、屋外の方が良いのだ。
もちろん、それは相手側も同じ条件である。しかし優れた身体能力を持つ彼らに限って言うならば、敵が動きやすくなるよりも彼らが自由に身体能力を使える事の方が遙かに優位なのだ。
それを理解しているアールは納得した様子で頷いた。
「分かった、甲板だな? 何かやらなければならない事が無ければすぐに向かうさ」
話すべき事は終わったとばかりに、アールはサイモンから背を向けた。急いでいる雰囲気は無いが、どこか足は早く見える。
少しの間、サイモンはその背を眺めていた。実際、彼も話すべき事は全て話したのだ。『エドワースがMr.スマイルである』事を話すつもりは無かった。
恐らくは隠し事をしていると見抜かれているのだろうが、そこを誤魔化す事は不可能と判断してあえて沈黙を守る。そうすれば、隠し事の内容までは見抜かれないだろう。
「……?」
去り行く背を少しの間じっと見つめていたサイモンは、その背中からどこか危うい雰囲気が放たれている事を感じて、首を傾げる。
表面上は完全に落ち着いた姿で、心もジェーンの行動の衝撃で随分と冷静になった様に見えている。長年の付き合いであるサイモンだ、それを見間違える筈が無い。
だが、それは同時に『Mr.スマイルと会う』という衝撃が加われば再び憎悪と憤怒の側まで心が飛んでしまうのではないか、と不安にさせる物だった。
「あの、ボス」
「……何だ?」
思わず、サイモンは不安にかられてアールを呼び止めていた。
サイモンは振り向かないまま立ち止まって、返事をしてくる。話しを終えているというのに足を止めさせてしまった事にサイモンは少し気まずくなったが、言葉を止める事は無い。
「……我々がやるべきは、組織の敵への報復ではありませんよ。そこだけは、分かっていてください」
明らかに釘を刺す口調だった。注意を促し、行動を制限させる意図のある言葉だ。その意味は勿論、アールにも理解できる物である。
『少なくとも船内では復讐も何もかも忘れなければ、今度こそ組織に致命的な損害を与えかねない、現状で最も優先すべきはプランク達の組織との敵対を避ける事だ』
そう言っているのだ。
「ああ、分かってる……」
言葉を意外なほど素直に聞いたアールは、軽く返事をしながら歩みを進める。声の中にはしっかりとした理性の色が見えていて、しかし、同時に心の灼熱は消えていない事を示していた。
噴火する寸前の火山の如き様相を感じ取ったサイモンがより不安そうな顔になる。
そんな部下の感情を理解しつつ、アール・スペンサーは自分に言い聞かせる様に冷徹さを装った声を漏らした。
「分かっているよ、本当にな」
+
「っと! あいつ、何やってるんだ!?」
爆発と、そこから現れた女を見て下の階へ『落下』する形で飛び込んだケビンは、その部屋に入るなり凄まじく不機嫌な様子で声を漏らしていた。
室内は爆弾の爆風と破片と熱によって見るも無惨な姿に変貌している。思ったよりも丈夫な作りだった為に壁に大穴が出来ている訳ではないが、それでも人が寝泊まりする場所ではあるまい。
そんな部屋の状況には目も暮れず、ケビンは慌てた様子で部屋の扉へ近づいていく。
「エィスト、あの馬鹿は何を……!」
彼が下の階へ飛び込んだのには、勿論の事ながら理由がある。
その部屋の丁度上に位置する部屋でパトリックと睨み合っていたケビンは、見たのだ。自分の部下が爆風と共に体を浮かせ、腕の力だけで船に戻って見せたその瞬間を。
そんな神業を越えた凄まじい身体能力を発揮してみせた女の顔も名前も、ケビンは知っている。
あの絶世という言葉すら置き去りにする美貌と、無意味な程に奇妙な中身の落差の激しさを忘れる事は死んでも出来ないだろう。そんな風にすら思ってしまう程、記憶に刻み込まれた見慣れた顔だ。
記憶に未来永劫残ってしまいそうな女の名前は----エィストと言う。
それが偽名なのか本名なのか、それ以外の『何か』なのかはケビンも知らない、だが、知った所で禄な事にはならないだろうな、と思っている。
ともかく、そんな美しくも恐ろしく、奇妙さと享楽的な性格が強烈な印象を頭に叩き込んでくる女が、爆風と共に姿を見せて、あまつさえ『ケビンと目線を交わした』のだ。
何かがある、禄でもない何かがある。
そう考えさせるには、十分過ぎる事だろう。だからこそ、彼は躊躇せずに下の階へ飛び降りて、恐らくは『事』が起きているであろう、扉に近寄っている。
既に扉は目の前で、少しだけ開いていた。まるで自分がその扉に手をかける事を待っているかの様だ。そう見えた事に不吉な物を感じたケビンは、少しだけ躊躇する。
「……」
正直に言ってしまえば、ケビンはエィストが何をしているのかなど知りたくも無いのだ。『楽しい』という意志以外は一切理解できない思考回路を持つ者の考えなど、頭に入れたいとは思えない。
しかし、そうも言っていられないのがケビンである。何故なら今はカナエと名乗っている彼女は、性格がどれほど酷い物だったとしても、仲間なのだ。
彼女が危機に陥っているのであればケビンは迷う事無く助け、手を伸ばして助けを待っているのであれば、それがどんな結末を呼ぶ罠でろうとも躊躇せずにその手を取るだろう。
それが、ケビンに出来る事である。きっと、そんな彼だからエィストは付いてきたのだろうが。
ただ、エィストへの微かな心配を上回る程、扉の向こうから感じられる『嫌な予感』は強い物だ。何せ、思わず聴覚を意識的に遮断してしまう程である。
何となく、ケビンは躊躇している。時間にして僅か数秒。数秒もあれば、部屋の外へ飛び出す事も厭わないだろう。
「あひひひひひひっ! 今度は、あなたが怪我をするのが……!」
しかし、その前に耳を塞ぎたくなる笑い声が遮断した筈の聴覚を突き破り、脳に直接叩き込むかの様に音を響かせて来た。
笑い声の主がカナエと名乗ったエィストである事など、ケビンにはよく分かる。
分かったからこそ、ケビンは扉を開く事を止めた。この態度を取っている時は、彼女は恐らく『カナエ』なのだ。売人達への偽装として作り出した狂気の笑い声を上げている以上、此処で彼が『エィスト』として『カナエ』に会うのは不適切に思えた。
強烈な嫌な予感は止まらない。何やら、別な人間の声も聞こえてくる。やはり、聞き覚えのある物だ。呼吸音一つ取っても、聞き慣れすぎた音である。
扉の奥で何が起きているのかを殆ど全てに於いて察しながらも、ケビンは少しだけ開いた扉から外の様子を探った。そこから見ただけでも、外に居る人間は全員確認出来る位置に居るのだ。
そして、そこに居る二人の仲間と一人の少女を見たケビンは、半ば予想できていた光景に片手で頭を抱えつつ、こんな事を思った。
ああ、またあいつらか。
と。嫌な汗をかいたケビンの心は、逆に冷静で素早い思考を取り戻していた。しかし、どれだけ考えても目の前の光景が馬鹿らしくて理解する気にもならない。
馬鹿馬鹿しすぎて溜息が漏れそうになる。見覚えのある少女が視界に入っていたというのに気づかない程、ケビンは呆れと疲労を覚えているのだ。
「あいつら、何やってるんだ……ああ、馬鹿だコイツら……こんな馬鹿を仲間に引き入れて心配をする俺も馬鹿だ」
我慢しきれなかった言葉が口からこぼれ落ちる。凄まじく小さな声だ、視界の端で行われている戦闘、いや、『じゃれあい』の音にかき消されて、自分の耳にすら届かない。
そんな小さな声でも視界の先の二人は聞き取る程の五感を持っている事をケビンは知っているが、『じゃれあい』に夢中で気づいている様子は無い。
ただ、女、エィストの方は聞こえていて尚続けているのかもしれない。
「リドリーもエィストも、あいつら……ああ、わけがわからん、どうしてそうなる?」
自分の知らない所で、それも非常時に『殺し合いという名前のアクションシーンごっこ』を楽しんでいる二人の部下、リドリーとエィストに対して、ケビンは両手で頭を抱えて座り込みたい気持ちに駆られていた。
自分がそんな事をしていても仕方が無いと思っているからこそ、抑える事は出来ている。しかし、頭の中での疲労感は酷い物だ。
軽く溜息を吐いたケビンの耳へ、またカナエの笑い声が響いて来た。
「ははは、はあぁはははああああは、くふうふあぁああぁあああぁ!!!」
ケビンが疲れた様な顔をしている間に、外の戦い『の様に見える物』は、少しだけ落ち着いた状態に持ち込まれていた。
相変わらずエィストは凶悪な笑い声を武器にしてリドリーがそれを軽く受け流しているが、直接的な戦闘は完全に止まっている。
それが戦いの終わりを告げる物ではない事は明らかだった。何故なら、リドリーが当たり前の様にエィストへ発砲していたのだ。
銃弾はあっさりと、何の障壁に遮られる事も無くエィストの体を貫き、血を流させた。
普段の彼女であれば、あり得ない事だ。急に戦闘『ごっこ』を止めてしまった事に、恐らくはリドリーも疑問を抱いたのだろう、ここに来て初めて眉を顰めている。
----……飽きたか? ……いや、そうじゃないな。
リドリーには分からなかったのだろうが、ケビンは分かっていた。彼は理解したくもないという顔をしては居るが、確実にエィストの思考を捉えていたのだ。
何かを、考えている。『アクションシーン』を放り出して、何かを考えているのだ。それが気に入らないのか、リドリーが一層眉を顰める。
彼にとって、世界とは映画だ。
他の誰が自分の役を放棄しても、『リドリー』を演じている少年と同じく、『カナエ』を演じているエィストがそれを投げる事は、許せないのかもしれない。
普段はとても仲の良い二人は、時折妙な部分で対立する事もあった。
「……止めるか」
そんな事を頭の隅で思い出しながら、ケビンはそろそろ二人に接触する準備に入っている。
少々の疲労感を無視してでも動く必要があるとケビンは認識している。緊急事態なのだ。
上の階、つまり『エドワースが居た筈の部屋』を見た瞬間から、彼らにとっての緊急事態は始まっている。彼の頭の中には、部下の一人の姿が浮かんでいた。同時に、ほんの少しの不安もあるのだ。
----エドワースがMr.スマイルかもしれ……いや! きっと違う! 誰が疑っても俺だけは信じておくべきだ!
頭の中に浮かんだ嫌な想像を、凄まじい勢いで否定する。
恐ろしい想像だ、しかしエドワースの部屋を見たその瞬間から、もうケビンはその想像を振り払う事は出来ない。強い勘に裏付けられた鋭敏な感覚が、真実だと告げている。
それでも、ケビンはエドワースを信じる事に決めていた。部下を信じるその姿は少し愚かで、しかし誰かに慕われる者にふさわしい雰囲気を漂わせていた。
「……クソッ、先にリドリーとエィストだ」
自分の感覚に対して苛立ちを覚えながらも、何とか現実に戻る。扉の向こうに居る二人はどこか落ち着いた様で、立ち止まって見つめ合っていた。
血を流している二人の男女が纏っている雰囲気はよく似ている様で、全く違う。
リドリーはあくまで『演技』として、エィストは上の空で別な事を考えている様子だ。『カナエ』としての仮面が揺らいでいるのか、所々普段のエィストの笑顔になってしまっている。
原因は分からない。何かに気づいて、素の彼女に戻ってしまったという事だけが伝わってくる。
扉の外に居るリドリーとエィストは、何を思ったのか徐々に近寄っていた。お互いの存在を確認しあうかの様に距離を詰めていく。
彼女にとっては無表情である最高の笑顔を浮かべたエィストにリドリーが近づいていき、接触しようとする。リドリーの顔はやはり不満そうだ。
リドリーとエィストはごく目の前にまで接近し、隣を通る。一瞬、両者の体から強烈な殺気の様な何かが湧き出て、見る者に破滅的な予感を覚えさせたが、すぐに消える。
そのまま二人は互いの体を通り過ぎ、無言のままで歩いていく。
ケビンの居る扉は元々、リドリーが立っていた場所に近い、扉から見るとエィストが近づいて来る形になる。だからこそ、嫌でもエィストの姿はケビンの目に入ってきた。
異常な程に美しい姿が魂を揺さぶり、汚染しようとする。が、慣れたケビンにとっては何の価値も無い物だ。あっさりと振り払って、無視を決め込む。
ほんの僅かに開いた扉だ。限り無く顔を近づけていなければ、ケビンですら外の通路を見る事は出来ないのだから、エィストからは見える筈も無い。
だが、エィストは見える筈の無い扉の向こう側、目だけを動かしてケビンの居る場所へ視線を向けていた。
「……」
「……」
二人の視線が重なり、目が合う。ただ偶然に起きた訳ではない。エィストはケビンを、ケビンはエィストを明確に見ているのだ。
ほんの一瞬だけの視線の交差。何の意味も価値も感じられない筈の重なりは、一種の意味をケビンにもたらしている。恐らくは、エィストの意図の通りなのだろう。
「……分かった」
エィストの意志を受け取ったケビンは、音には一切出さずに口だけの動きで、了承する事を告げる。それだけで、エィストには伝わるのだ。
意志を伝え終わると、エィストは歩みを戻す。まるで視線にケビンが入っていなかったとでも言うかの様な自然な動きは、例え誰であっても見抜く事は出来ないに違いない。
通り過ぎていったカナエはずっと歩いていって、最後には船の端にある手すりまで辿り着いたらしく、足音が止まるのが分かる。
リドリーとエィストは背中を向けあって立ち止まる。平和的な解決策を模索してる訳ではあるまい。むしろ、危険な事を起こすタイミングを探っている様だ。
二人が振り向いた瞬間、何かが起きるのに違いない。少なくとも、リドリーが銃弾を解き放つ事は間違いないだろう。
だが、少なくともエィストにはそんなつもりは無いのだろう。たった今受け取った意志の中には、そんな物も含まれていた。
だからこそ、二人が振り向こうとした瞬間に銃を握りしめたケビンは扉を開き----『エィストの意志を受け取って』、彼女へ向けて銃の引き金を引く。
それが、エィストの要望だったのだ。面倒そうな顔をしても、ケビンはそれを実行する。
銃声が、響き渡った。




