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キラーハート The Killer In Smiling MAN S  作者: 曇天紫苑
The Killer In Smiling MAN S 大笑編
30/77

6話



「……こんな場所に居て、俺達本当に安全なのか?」

「分からねえ。まあ、うろうろするよりはマシだろ」


 Mr.スマイルが部屋から去っていって少しした後、そこには背の高いスーツを着た男と、背の低い男が二人で怯える様に身を寄せあって己の存在を隠していた。プランクの部下である、麻薬の売人達だ。

 二人がこの部屋に入り、血と肉片と死体の惨状を見てからもう数分経っている。いい加減に慣れたのか、二人が最初にこれを見た時の様な恐怖は無い。

 今感じている恐怖は別種の物だ。この船にはMr.スマイルと名乗る存在と、売人達を襲撃する謎の集団が存在している。どちらも、彼らにとっては敵であり恐るべき怪物だ。

 彼らもここへ来るまでに『兵隊』達と戦っている。二人が無事に生き残ってこの室内に居るのは半ば偶然と運の重なりに依る物だ。一歩間違えば、死んでいた。


「……他の連中、生きてるかな」

「プランクさんは生きてるだろう。コルムも、悪運の強い奴だし大丈夫か。後は……あのカナエって変態女と、スコット辺りは大丈夫そうだな」


 この船に乗り込んだ仲間達の姿を思い浮かべながら長身の男が返事をする。あっさりと殺されてしまいそうな者から、絶対に死なないだろうなと思える者まで、様々だ。

 そんな妙にバリエーション豊かな仲間達の事をぼんやりと考えつつ、二人は相変わらず部屋の隅で隠れる様に話している。

 完全に隠れるつもりならば息を殺すくらいの事はするべきなのだろうが、彼らは構っていない。心からせり上がってくる恐怖が強すぎて、雑談の一つでもしていなければ震えが止まらなくなってしまいそうだ。


「な、なあ……やっぱりお前も壁に寄りかかれよ。疲れないのかよ」

「別に良いだろ。スーツを汚したくないんだ」


 壁に体を預けている背の低い男が呆れた様な声を上げる。背の高い男のスーツ好きは度が過ぎる所が認められた。今も、スーツに血が付かない様に軽く腰を浮かしている。

 この様な状況になっても自分の拘りを捨てようとはしない。いや、むしろこの様な状況だからこそなのだろう。手に付いた血を思わずスーツで拭き取ってしまったのもその一因に思える。

 背の低い男の恐怖心は背の高い男への呆れへ取って代わられた。しかし、それは長くは続かなかった。

 音がしたのだ、物音を聞く為に微かに開けた扉の向こうの通路から迫ってくる足音の様な音が。


「……おい、何人居ると思う?」

「……さ、さあ……分からないけど、やばいぜ」


 一瞬で意識を切り替えた二人は耳を澄ませて扉に近づき、足音を聞く事へ集中する。どうやら一人ではない様で、数人分の音が響いている。

 足音の中には、怯えや警戒の色は無い。堂々と歩いてきている。そうだとすれば、相手が何者なのかはすぐに分かってしまう事だろう。集団で彼らを襲ってきた、『兵隊』達である。

 誰かを捜している訳では無い様で、近くの部屋の扉を開けては中に入って、人が居ない事を確認するとまた扉を閉めている。恐らくは、個室に居る乗客を撃ち殺す為の行動だ。

 血も涙も無くしてしまった彼らには、その程度の蛮行は当然の様に出来てしまうのだ。

 それが分かっている二人の男は『兵隊』達が一部屋一部屋を確認する毎に近づいてきている事を理解して、今までよりずっと強烈な怯えを浮かべる。


「……ど、どうする……?」

「どうするも何も……こっちへ来ない様に祈るしか……」


 二人は更に身体の距離を詰め、隠れようと息を殺す。部屋の外に居る集団はかなり近づいてきていて、見つかった時の危険を感じさせる。

 時折、銃声と悲鳴が響くのが分かる。同じ様に見つかってしまったのだろう。情け容赦無く撃ち殺されたらしく、命乞いも罵声も聞く余地は無い。

 二人は沈黙したまま、震えながら外の様子を探ろうと扉へ近づいていく。微かに開けた扉へ目を向け、その先を覗き込むと、『兵隊』達が、部屋の向かい側の扉を開けていた。


「……!」


 背の低い男が呻き声を上げそうになって、寸前で背の高い男が口を塞ぐ。すぐ側に敵が居る状況は少しの音を出す事も躊躇われる。

 気配と音を殺しながら凄まじい勢いで扉から離れ、二人がまた部屋の隅にある壁に寄る。それでも背の高い男はスーツを壁に付ける様子は無い。

 状況を理解していないのではないかと疑ってしまうが、背の高い男は自分を落ち着かせる為にそんな行動をしているのだ。絶叫したくなる気持ちを押さえつけるのだ。

 言葉を抑え込んだ二人は、自分達の存在が発見されない様に祈った。無意味だと分かっていても、願わざるを得なかったのだ。そうでなければ、我を忘れてしまいそうで。

 銃声が響いている。向かい側の部屋にも誰かが居たらしい。だが、この銃声から言って恐らくはもう生きては居ないだろう。

 銃声は数秒程続いたかと思うとすぐに止んだ。全力で気配を殺して耳を澄ませた二人は、絶望に顔を歪ませる。足音は、こちらに向かってきていたのだ。


「……俺達、殺されるな」


 諦観すら頭に浮かんでくる。どれだけ必死にそれを取り除こうとしても、止まらない。


「……一応、抵抗くらいはしておこう」


 二人の男は既に自分の命を諦めているが、しかし手には拳銃がある。抵抗もしないままに死ぬ訳には行かないのだ。微かに扉へ近づいて、『兵隊』達が現れる瞬間を待つ。

 手の一つでも現れればそれを掴んで盾にして、顔の一つでも現れれば撃ち殺して壁にする。何とか覚悟を決めて、腕を伸ばす。


「来るぞっ……!」


 そんな時、声と共に微かに扉が開き始めた。

 扉はゆっくりと動き出し、向こう側から人が現れる。武装をして、虚ろな目をした人間だ。何の意志も感じさせない姿は、二人を襲った者達と同じだ。

 だが、二人はその姿に違和感を覚えた。恐ろしく無いのだ、銃を持っているというのに危険に見えてこない。怪しく空虚な雰囲気は放っているが、逃げようとも抵抗しようとも思えなかった。

 虚ろな目をした者は二人の男へ目を向ける。だが、銃を向ける様子も無ければ敵意も見当たらない。

 その原因は、ハッキリとは分からずともすぐに理解出来た。二人の男が相手の危険性の無さと相手が一人しか居ない状況に疑問を覚えている間に----相手が壁に叩きつけられた。


「……あ?」


 背の高い男の口から唖然とした声が漏れる。人間が垂直に飛んで、壁に音を立ててぶつかったのだ。余りに現実離れした光景を見た二人は、目を点にする。

 だが更に現実離れした光景がすぐに遣ってくる事になった。叩きつけられた者の目の前にいつの間にか女が立っていて、相手の視界を塞ぐ様に手で顔を押さえている。

 相手の魂を奪い取る死神の様な手つきで女がその『兵隊』を撫でて、即座に殴り付ける。気絶してもおかしく無い音がしたが、そうはならない。

 しかし、強烈な威力は表情や感情に影響を与えられずとも、身体に多大な負荷を与える事には成功した様だ。

 『兵隊』は呻き声を上げて、力無く倒れ込む。地に落ちる寸前で女はその身体を支え、ふわふわと浮かぶ様な笑みを浮かべる。

 女が手を顔から退けると、虚ろな目を見開いた『兵隊』は自分の状況に構わずじっと女を見つめていた。相手の存在を脳に記録しようとしているかの様だ。

 自分への視線に構わず女はその『兵隊』の瞼を無理矢理動かし、腹部へ拳を叩き込んで気絶させる。恐ろしすぎる早さは相手の抵抗を許さず、一瞬で身体の動きを止めた。

 見事な動きである、とても人間の身体能力とは思えない程に。しかし、二人の男は驚かなかった。いや驚いてはいたのだが、それは女が現れた事であって、能力に関する点では一切の驚愕も無い。

 何故なら、顔を知っている者なのだ。数日前にプランク達と集合した時、同僚であるコルムの首に一筋の赤い線を作り、耳を覆いたくなる笑い声をあげた者として、だが。


「な、なあ。俺はさっきの連中よりヤバいのが来てしまった気がするんだけどな……」

「俺もだ、こりゃヤバい。逃げるか、逃げるぞ……」


 『兵隊』達が近づいてきた時よりもずっと頭の中の警告音は大きな物で、彼らはこの部屋に居る事に危険を感じて後ずさりする。

 中々閉じなかった瞼は『兵隊』が気絶すると共に落ちていく。

 女は楽しそうな顔をしていた。あの笑い声が来る、二人の男はその顔を見て耳を塞ぐ準備をしていたのだが、実際に耳へ届いたのは予想もしなかった声だった。


「死ぬ時は、私の顔を見て死ぬと良い……ああ、リドリーならこんな感じかな、実際は気絶だけどさ」


 クスクスと笑いながら、女は当然の様に『意味のある言葉』を口から出している。二人の男の目は驚愕に見開かれた。彼らの記憶によれば、その女は正気の一つも感じられない言葉を吐き出すだけの存在だった筈なのだ。

 しかし、視線の先の女は明確な意志を感じさせる口調で話している。気絶している者に話しかけるのはどこか不気味ではあっても、それだけだ。あのおぞましい笑顔はどこにもない。


「……な、あれ?」

「あいつ、あんなにちゃんと喋る、奴だったか?」


 二人は唖然とした様子で顔を見合わせる。真実味がはっきりと感じられる狂喜の中に溺れた、あらゆる意味で近寄り難い女。彼らは、そんな認識を一切疑わなかった。

 だからこそ、二人は声に出してしまったのだろう。そして、そんな声は勿論女、カナエにも届いている。


「わあ、こんにちは!」


 二人に向かって手を振りつつ、笑顔の挨拶を飛ばしてくる。言葉からは元気で明るい女性の姿が見て取れて、近寄り難い雰囲気など微塵も無い。

 全てはあくまで表面的な物だが、むしろ話しやすく友好的だ。二人はまた顔を見合わせ、もう一度女の顔を見る。間違いなく、その顔は数日前にコルムを切りつけた物だ。

 しかし、纏っている雰囲気が違いすぎる所から、二人は彼女がよく似た姉妹か何かかと考える。


 それくらい、別人の様だった。





+


 凄まじい銃弾の音と、爆発音が部屋の中で響き渡っていた。

 まるで戦争の真っ直中の如き凄まじい状況だ。怒声の類は聞こえてこないが、それが一層、激しい戦闘である事を物語っている。

 手榴弾が爆発すると同時に、軽機関銃の音が部屋中に響く。かと思えば次の瞬間には拳銃の発砲音が聞こえ、それが弾かれる様な音まで聞こえてくる。

 鼓膜を破壊する程の轟音が何度も何度も部屋中へ発生しては消えていく。誰が想像するだろうか、この状況を作り上げている人間が、たった三人だと言う事を。


----ヤバいかな。ああ、ヤバいかもしれないな


 その内の一人であるMr.スマイルは、自分が危険な状況にある事を認識して危機感を覚えていた。その間にも何発かの銃弾が叩き付けられ、彼の服に阻まれる。

 銃弾を撃ってきている二人は、Mr.スマイルにとってもエドワースにとっても知人、いや、片方は尊敬の念を抱いている人物だ。

 その二人の内、知人と呼べる相手に関してはMr.スマイルは大した事を考えていない、彼の同胞でも無ければ恩人でもないのだ。

 気にもならないとエドワースはその男、パトリックに対する感情を無視する。

 パトリックが、少年時代を共に過ごした仲間だと気づかなかったのは仕方が無いだろう。何せ彼らは顔を変えていて、雰囲気も声も当時とはかけ離れているのだから。


----パトリックはどうでもいいが……ボス……


 数日前、Mr.スマイルと名乗った日に行動を共にしていた男の正体に気づかないまま、彼は自分が攻撃出来ない尊敬する人物の方向へ目を向ける。

 先程飛んできた銃弾を放ったのは少年時代の彼を助けた現在のボスだ。彼にとってはこの世で最も尊敬するボスである。

 この船ではケビンと名乗っているその男は、容赦無くMr.スマイルに攻撃を仕掛けてくる。それが自分の仲間だと気づいた様子は微塵も無い。

 凄まじい拳と拳銃の連撃とパトリックの銃弾を弾きつつも、Mr.スマイル、いやエドワースはまだ自分の正体が見抜かれていない事に安堵していた。

 出来る限り彼らに正体が知られたくないMr.スマイルにとっては好都合だ。副作用として激しい攻撃を捌かなければならず、一瞬でも気を抜けば死ぬという状況に持ち込まれても、正体が知られるよりは問題が無い、

 エドワース本来の臆病さが少しばかり頭に浮かんでくる。それは、正体を知られた場合にはどんな状況に陥るだろうと恐怖している事の証だ。

 どんなにMr.スマイルと名乗って自分の臆病さを奥底の底へ押し込んだ所で、それ自体が無くなる訳ではないのだ。

 両方の方向から、銃弾が殺しに遣ってくる。Mr.スマイルは内心で少しの恐れを覚えつつも、冷静に対応した。


「随分、やるじゃないか!」


 自分の攻撃を防ぎ続ける男へ、ケビンが賞賛の言葉を向けてくる。まだエドワースだと気づいた様子は無い。当然と言えば、当然だ。エドワースとMr.スマイルでは精々背格好程度しか共通する物は無い。

 その事実に安堵している間に、背後からパトリックが銃弾を向けてくる。物音は隠していても、背筋を凍り付かせる程の殺気と憤怒までは隠せない。

 どうしてそんな気配を向けてくるのか、Mr.スマイルは分かっている。

 彼の大切な組織を攻撃したからだ、エドワースとして彼らの組織へスパイとして入っていた為に、Mr.スマイルはパトリックの性格を知っていた。

 知っているからこそ、煽る様にMr.スマイルは笑う。


「はははは! 随分と派手にやってくれるじゃないか! だが無意味だとも!」

「……」


 パトリックは、無言のまま攻撃を行っている。その種類は様々で、ただの拳銃にナイフ、床に転がっていた『兵隊』の機関銃や、小型の爆弾まで何の躊躇も無く放っている。

 自分が巻き込まれない位置に居るからと言って、同じ部屋で爆弾を爆破するのは無謀も良い所だ。しかし、パトリックは自分の命に頓着する気すら無いらしい。


「おやおや、随分と立腹しているね!? 良いさ、それもまた良し! やってみるがいい!」

「俺を忘れている訳じゃないよなっ!」


 また挑発的な言葉を取りながら、Mr.スマイルはパトリックの攻撃を避け、そうできない物は全て強固なトレンチコートで阻む。

 すると、更に隣から拳とナイフが同時にやって来てMr.スマイルを襲った。ケビンによる物だ。パトリックよりもずっと練度が高い。尋常ではない早さと動きだ。

 避けきれずに、Mr.スマイルは何とか体捌きで防ぐ事が出来る位置へ誘導する。ナイフは彼の服の端へ誘導されて、拳は腕へ向けられた。


「っ! く……だが、私は止められないぞ!」


 何とか拳を腕で受け止めたMr.スマイルは呻いた。

 想像よりもずっと重い一撃だ。自分自身が彼の一撃を受けるとは思っていなかったエドワースは内心で悲鳴を上げそうになったが、仮面は偉大だ。

 防いだ一撃によって体を吹き飛ばされたMr.スマイルは壁に叩きつけられる寸前で体勢を整え、壁を蹴り込んで跳躍する。

 瞬間、その壁は無言のパトリックの機関銃によって目も当てられない姿と化す。だが、Mr.スマイル自身は寸前で避ける事が出来た為に、無傷だ。


「ははっ! それで終わりじゃない!」


 何とか狙いを成功させたMr.スマイルだが、安心は出来ない。彼が避ける事を予測していたケビンが、恐ろしい速度で攻撃を仕掛けて来たのだ。

 拳が勢い良く彼の胸を捉える。服で防御は出来たが、それでも凄まじい。受け止める姿勢に入っていても衝撃は避けられなかった。


「ぐ、がぁ……まったく! やるじゃないか!」


 懐に入られたMr.スマイルは即座に腕を振る事で距離を取り、片手の軽機関銃で更に相手の牽制をする。その間にもパトリックの攻撃は止んでいない。

 この場に居るのは敵対する三人の筈だが、実際の所は殆ど二対一の状況だ。パトリックがケビンを狙わず、Mr.スマイルにだけ仕掛ける為にそんな事になっている。

 怒りの余りケビンを視界に入れていないのかと思えたが、そうではない。パトリックは明確にケビンを避けている。

 それが何故なのかはパトリックの事を思い出せていないMr.スマイルには分からない事だが、事実として彼は二人と同時に戦わなければならない状況に持ち込まれていた。

 ケビンが正面から距離を詰めて、一気に拳を叩き込んでくる。同時に背後からパトリックが手榴弾を投げ込んできて、退路を塞いだ。

 舌打ち一つを漏らしたMr.スマイルは、思い切り床を蹴り上げて飛び上がり、それらの効果範囲から逃れる。爆発した手榴弾は寸前で拳を戻したケビンが凄まじい勢いで後退した為に、誰に対しても効果を為す事は無かった。

 着地したMr.スマイルに、追撃が加えられる。息を吐く余裕すら与えられない。相手はケビンとパトリックだ。合わせている訳でも無いというのに、息の合う連携を行ってくる。


----これは酷い。どうやって逃れれば良いんだろうか?


 凄まじい身体能力と、Mr.スマイルとしての精神力を持ち合わせるエドワースも流石にこれには参った。たった二人だが波状攻撃まで仕掛けてくるのだ。対処するには集中力と体力が必要になる。

 これがまだ、彼の全く知らない二人であれば何の躊躇も無く戦えただろう、しかし、相手が相手だ。Mr.スマイルも遠慮無くとは行かない。

 パトリックとケビンも時折互いの動きを警戒している。今は味方同然に動いていても、彼らは敵対している間柄である事は間違っていない。

 特に、ケビンはパトリックを味方だとは思っていないのだ。


「ああ、私を殺す為にどれほど銃弾を無駄にするのか、結構高いだろう、それは」


 徐々に余裕を無くしつつも、Mr.スマイルはあえて軽口を吐く。わざと哀れむ様な声を作り、雰囲気も偽装した物だ。さも心から『お前は俺の敵じゃない』と言っているかの様に装い、挑発する。

 何の意味も無い行動だが、ある意味では正しかった。言われたパトリックは、僅かに動きを止めたのだ。そこを突こうとMr.スマイルは動いたが、寸前でケビンの追撃から逃れる事を優先した。


「時間の無駄だよ。特に……名前は知らないが、ああ、どうでもいい、君だ」


 紙一重で見慣れたナイフを避けて、拳を受け流す。流しきれない拳が自分の全身に衝撃を与えてくるが、気にしていない風を装って余裕を保つ。

 これが見知らぬ人間であればどんな汚い手でも使えるのだが、もしも見知らぬ人間だったならば彼はナイフと拳を避ける事など出来なかっただろう。ある意味で彼は幸運だった。

 何とか自分の身を守り、Mr.スマイルはパトリックへ話を続ける。勿論、ケビンを蚊帳の外に置く事は出来ない。口を開いている間にも、蹴りが飛んでくる。


「とりあえず、俺はお前の話には関係無いよな!」

「おっと! 話の邪魔をしないでくれ! ……それで、君はまだ若い、人生を好き勝手に生きる権利がまだあるかもしれないんだ。そうだろう? そんな貴重な時間を私に使うのは、少々もったいないと思うのだがね」


 ケビンの足を服で受け止め、受け流しながら話を続ける事になった。

 何とか声を震わせない様にエドワースを隠し、Mr.スマイルの精神で臆病を押し込める。相手がケビンでは、残虐な自分を見せつける事が躊躇われた。

 口からは余裕と陶酔を感じさせる声が出ている。

 中身はこの後どうすれば二人から逃れられるのか、パトリックを先に始末しなければ。などと考えていても、表側には一切出さない。


「……お前の、言う通りだ」


 相手の隙を誘う為の挑発の言葉を投げかけていると、パトリックの口から驚く様な言葉が聞こえてきた。肯定して来たのだ。

 今でも視線は恐ろしい程の殺気と怒気をぶつけて来るというのに、彼の口と顔は確かにこの状況の無意味さと、『こんな事をしている場合ではない』という意志を語っていた。


「クソ、気づいたよ。お前をぶっ殺したいのは山々なんだけどな、お前に構っている場合じゃないよな」


 悔しそうにしながらも、パトリックは呟いている。それでも体が自然に動くらしく、牽制の銃撃は止まらない。肉体への直接的な影響は無くとも、Mr.スマイルの足を止めるくらいの効果はある。

 それでも無視して前進する事くらいは可能だが、ケビンの前だ。それが出来る筈はない。


「……ああ、まったく。まるで酒を浴びる程飲んだみたいな気分だよ、この腐れ野郎が」


 吐き捨てる様にパトリックが言う。その言葉の中には自分を責め立てている色が明確に見えていて、Mr.スマイルへの感情など忘れてしまったかの様だ。

 思った以上の反応に、Mr.スマイルは内心驚いていた。怒りを煽って一瞬の隙でも作るつもりだったが、これは全く予想していなかった事だ。

 どういう心境の変化があったのか、パトリックから漂う憤怒は完全に消えている。いや、無くなった訳ではない。だが、今にも物理的に現れてしまいそうな強烈な殺気は完全に消えていた。


「お前を殺してやりたいよ、出来ればな。しかし、まあ……俺にはまだまだ、やるべき事がある」

「つまり、お前さんはこの場から逃げたい、と?」


 三人の内一人が完全に戦意を喪失した事で毒気を抜かれたのか、ケビンもまた落ち着いた様子でプランクへ声をかけている。

 その間にも、ナイフで牽制を仕掛け、隙を窺っているのだから恐ろしい限りだ。内心で彼の事を敬う気持ちが増大していると感じつつ、Mr.スマイルの中のエドワースは全力で対応している。

 数度、防御を潜ってナイフが彼の腕や脇腹を掠る事もあったが、強固なトレンチコートはそれを防いでいる。

 エドワースはケビンが手加減をしている様に感じていた。攻撃が届きそうになる度に、心なしか彼の動きが鈍るのだ。そうでなければ、例えMr.スマイルの仮面を被った彼でも突破されていたに違いない。

 それは、エドワースにとって何よりも恐ろしい事だ。Mr.スマイルであると彼に知られる事は、仮面を貫通してしまう程に怖い事だ。


----くっ、何だこれは。エドワースめ、どうしてそう恐れる。何が怖いんだ、正体が彼にバレてもいいじゃないか。


 最も警戒すべき戦闘能力を持つ相手の動きが若干とはいえ鈍い事は歓迎すべきだが、エドワース個人としては歓迎などという言葉はすぐに捨て去ってしまうだろう。

 どうしてそれ程、エドワースは正体が露見する事を恐れているのか。勿論、ケビン達、つまり仲間達と戦うという事を避けたいという意志もあるのだろう。

 しかし、それだけではない。そうであれば、Mr.スマイルは素早くエドワースに戻り、警戒しながらもボスと再会する道を選んだ筈だ。

 そうしなかったのはサイモンの事もあったが、『自分では説明出来ない恐怖』がエドワースの頭に入って来た為でもあった。

 ケビン、いや、大恩人である彼に正体が露見する。そう考えた瞬間から、エドワースは言葉に出来ない程の恐怖が体を駆け巡っている事を自覚した。

 Mr.スマイルとしてこの場に居なければ、恐怖で震える以外の事は出来なかっただろう。残虐さと臆病さを同時に備えるエドワースはその仮面によって自分の弱さを押さえ込み、力とするのだ。

 何故、自分がそこまで恐怖を覚えているのか。そんな無駄な事を考えていたMr.スマイルに、衝撃が走った。


「ぐあ……! 油断してしまったよ、まったく!」


 思考が現実に戻ったMr.スマイルは今の状況を再度確認する。隙を突いてケビンが殴り付けてきたのだ。無意識での反射では無理があったかと判断したMr.スマイルはすぐに動きを合わせ、ナイフを避ける。

 パトリックへの警戒がその場では解けていた。敵意の欠片すら寄越さない為に、Mr.スマイルはすっかり彼の事を忘れていたのだ。

 実際、彼は今の今までMr.スマイルへ攻撃する事は無かった。何を考えているのか、じっとその場に立ち尽くして黙り込んでいて、害は無い様に見える。

 彼がそうしている間にもケビンの攻撃は苛烈な物になっていく。勿論、無意識で手を抜いている為に傷を負う事だけは避けられたが、エドワースに余裕など欠片もない。

 だからこそ、だからこそMr.スマイルは気づかなかった。今の今までパトリックが動かなかったからこそ、気づかなかった。

 そう、今の今までは。



 小さな物体が、飛んで来た。

 さりげなく、まるで球場でボールを投げるかの様に自然な動きだ。余りに自然過ぎて、反応が遅れる程だ。実際、二人は数秒程じっとその物体を見つめるだけで、何もしなかったのだ。

 だが、数秒もあればこの状況がどれだけ深刻なのかを理解する事は簡単だ。荒事に慣れていない者であろうが、すぐに気づくに違いない。


「やべ……!」

「げっ……!」


 ケビンとエドワースの口から、息のあった声が漏れ出た。二人は殆ど同時に冷や汗をかき、焦りを顔に浮かべる。エドワースはともかく、ケビンでは滅多に見れない姿だ。

 ぼんやりとした思考を排除した筈のMr.スマイルは、ケビンのそんな珍しい表情を見ている。凝視している訳ではないが、この場の状況よりも優先出来る驚きがあった。


「Mr.スマイル!」


 驚愕で目を見開くMr.スマイルへ、既に扉を開けていたパトリックが声をかける。Mr.スマイルが自分の投げた物に驚いていると思ったのか、馬鹿にする様な色が含まれていた。

 全身全霊から来る怒気を再び体に纏わせながらも、そこから出る圧倒的な、言葉にするなら『忠誠心』と呼ぶべき物があらゆる気配を飲み込んでいる。

 そんなパトリックは、自分が転がした物体を意味深げな表情で一瞥したかと思うと、即座に叫んだ。


「今の俺はな! お前をぶっ殺してやりたいって気持ちをどうにかする暇が無い! 後回しにしてやる!」


 叫びながら、パトリックは扉を蹴り込んで外へ飛び出した。意志が肉体を引っ張っているのではないかと思う程に素早く、Mr.スマイルに止める暇を与えなかった。

 しかし、暇があったとしてもMr.スマイルはパトリックを追わなかっただろう。それよりも優先すべき事が生まれてしまったのだ。

 自分の命に対する強烈な警告が頭をよぎったというのも、理由の一つだ。その物体が何なのかを理解したというのも、理由の一つだ。

 だが、何よりの大きな理由は----ケビンが、ボスがこの部屋から飛び出した為だった。


「俺も失せるとするさ! じゃあ……な!」


 声が聞こえてきたかと思うと、ケビンはもう扉を蹴破っていた。余りに勢いが良すぎて、扉が吹き飛んだ。それを見た瞬間、エドワースが少年時代の自分に戻った様な気持ちになった。

 つまり、凄まじい勢いでこの部屋から脱出したケビンの顔が、昔の大恩人の雰囲気と寸分違わない物になっていたのだ。


----ああ、これはやばい! 逃げなきゃ!


 Mr.スマイルとしてではなく、エドワースとしての思考が彼を襲い、思わず素の自分に戻りかける。ここに人が居なければ、仮面越しでもそれが『彼』だと分かってしまうだろう。

 数秒間だけエドワースに戻った彼は、パトリックとケビンが出た物とは別の扉へ手をかける。その瞬間、背後に転がっていた物体が思い切り爆発し、衝撃が彼を襲った。


「ぐ、うううう! クソ!」


 思い切り悪態を吐きながら部屋から飛び出る。衝撃が背中を押して、エドワースを空中に浮かせる。

 しかし、それも一瞬の事だ。

 次の瞬間には浮かんでいた体は重力に従って落下していく。仮面を床にぶつけそうになったMr.スマイルだったが、すぐに気を取り直して足を先に床へ落とし、身体能力だけで見事に着地して見せた。


「……」


 素晴らしい体捌きを披露したMr.スマイルだったが、あまりその雰囲気は嬉しそうではなかった。しかし、その理由は二人を取り逃がしたからではない。


「……パトリックの奴はともかく、ボスより逃げるのが遅れるってのは、俺はまだまだ、って事か……」


 そう、エドワースの独り言の通り、彼が部屋から飛び出したのは丁度爆弾が爆発した瞬間だった、他の二人に比べて、余りにも遅かったのだ。

 特に、尊敬するボスであるケビンに及ぶべくも無い動きしか出来なかった事は、彼の中で自嘲に値する事だった。

 だが、何時までもそうしている訳にはいかない。Mr.スマイルは軽く溜息を吐いて、次にやるべき事を頭に思い浮かべる事を決める。


「……ハァ、ま、いいさ……そうとも、私がそれくらいの事を気にする物か。それより、パトリック、パトリック……ならば……」


 頭の中にすぐ浮かんできたのはパトリックの姿だ。彼は疑うべくもなくホルムス・ファミリーの最大の信者と呼べる存在である。

 そんな彼が、自分の愛する組織を滅茶苦茶にされても怒りを何とか抑え、優先する物がある。人を苦しめる事が目的である彼にとって、最も嬉しい物である事は間違いない。

 ほんの数秒間だけ考えて、Mr.スマイルは心の底から笑みを浮かべた。一人、いや厳密には二人居るが、パトリックが激情を抑えてまで助けようとする相手など、この人物しか居ないのだ。

 それは、ホルムス・ファミリーの幹部の中で彼が取り逃がした、二人の片方の----


「ジェーン、か……面白い。丁度ストレス発散もしたかった所だからね」


 少し前に、自分とスコットとパトリックの三人で顔を見た少女の姿を思い浮かべる。天真爛漫さと残酷さ、そしてパトリックすら凌ぐ組織への愛情、そんな物が似合う少女だった。

 赤色が好きだから髪の毛を赤毛に染めようとして止められた、などと冗談めかして言っていた事も思い出して、既に上機嫌になっていたMr.スマイルはより嬉しそうな顔をする。


「……ふ、ふはは。良し、良し! 彼女を地獄に送るのは絶対に面白い……」


 今からその瞬間に陶酔するかの様な声音で、Mr.スマイルは呟く。残虐な雰囲気を蘇らせる彼は、ジェーンを見逃していた訳ではない。

 サイモンの場合は、幹部達に『質問』をして得た情報から住居を探り当てる事が出来た。が、仮にも恩人である人物を殺す事は彼にとってやりたい事ではなかった。

 ジェーンは、そうではない。そもそも、『住んでいる場所が分からなかった』のだ。どの幹部に聞いても、『この町のどこか』という以上の情報は得られなかった。

 その性質は父親に似たのだろう。彼とその娘のジェーンは、住んでいる場所を知っている人間が限られているという点で一致している。

 いや、ジェーンは父親以外の人間を信じていないだけなのかもしれないが。


「眼球、いや内臓……ああいや、指を……食わせるか、いや別の場所に……引きずり出して……燃やして……」


 そんな事は全く考えていないMr.スマイルは、どうやってジェーンを苦しめるかという一点だけを考えていた。もう、自分が爆風に巻き込まれた事を気にしていない。

 頭の中には、酷く残酷で目を覆いたくなる様な光景が広がっている。しかし、それとは別に不安な気持ちもまた頭に広がっている。


「ボスは怪我……何人……ボスにバレたら……首を……絶対に知られたくないなぁ……踏み……壁に……」


 無意識の言葉の中に、何故か臆病な色が混じり込んでいた。まるで、ボスに知られる事で自らの存在に致命的な変化が訪れてしまうと予感しているかの様に。

 それは、今の所の彼の中では最悪の事態だ。恍惚とした表情と不安な顔が同時にやってきて衝突し、仮面の奥のエドワースを無表情にさせる。

 Mr.スマイルには、自分がそんな精神状態にあるという自覚は無い。考えている事はジェーンの事ばかりで、他には無い。

 それは、一種の逃避と言えるのかもしれない。自覚が無くとも、その底にあるエドワースの臆病な気持ちは、まだ怯えて震え続けているのだから。





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