18話
「あの……馬鹿が!」
連続して大きく揺れたと共に噴煙を上げる船の上で、ケビンと名乗る男が悪態を吐いていた。
爆発音が止まる気配は無い。船の至る所で凄まじい音と爆風が飛ぶ所を見るに、爆弾は船内の様々な場所、それこそ客室にまで仕掛けられていた様だ。
真っ当に仕事をした『兵隊』達を殴りたい気持ちになったパトリックだが、そんな状況ではない事は分かっている。何故か、それまで必死の様子だったジェーンが床に座り込み、じっとその爆発を見つめている事の方が気になった。
「あはは、ボス。逃げた方が良いですよ? それを薦めます」
ジェーンの腕から解放されたリドリーは楽しそうな顔を見せ、爆風を背にして腕を広げている。船を破壊する事に楽しみを感じている訳ではない。『この様な状況』を楽しんでいる。
そうしている間にも、船は崩壊し始めていた。大量の煙と軋む音が目立ち、今にも沈んでしまいそうな不安感を嫌でも覚えさせた。
「おっと、危ないぞ?」
あくまで軽い調子のリドリーが声を掛けたと同時に、船室の窓ガラスが嫌な音を立てる。
そのまま動かずにその場で居れば、やがて割れたガラスによって少女の柔らかい身体は貫かれ、血に塗れた姿を晒してしまう筈だ。
しかし、ジェーンはただ爆発を見届けているだけだ。避ける様子も見せていない。
「ジェーン様!」
そう、寸前の所でパトリックが飛び込み、身を挺して守り通さなければ、ガラスは少女の体中に突き刺さっていただろう。
「……これは、まずいですね」
「まずいなんて物じゃないですよ! どうやって逃げますか!?」
同じ頃、三人の生き残った売人達は困った様な顔で周囲を見回し、どうにか脱出する手段が無いかと探している。しかし、爆発する船の、しかも甲板の上になど何かがある筈も無い。
非常用のボートも爆炎による火に包まれて、使い物にならない姿を晒している。どこを見ても逃げる手段など見つからない。
そうしている間も船は危険な状態が続いている。海側の甲板の端に居たプランク達はケビン達が居る中央部に移動する事にした。
「悪かった、あの馬鹿が……」
「いえ、良いのです。貸し一つですよ……生きていたら、ですが」
近づくと、ケビンが申し訳なさそうな顔で謝って来る。だが、プランクは何故か殆ど気にしていない様子で軽く手を振る。
それでも微かな怒気は感じられる。言葉にはしていないが、怒っているのだ。コルムに対して怒鳴った時のそれには一歩も及ばないにせよ、怒りを覚えている。
それに気づいたケビンは一礼し、怒りを飲み込んだプランクに対してはっきりとした、だが言葉にはならない礼を言った。
「どっちにしたって船が沈みそうなのは変わりませんよ。プランクさんも、ケビンさんもどうにかして打開策を考えましょうよ」
案外、冷静な様子のスコットが二人へ声を掛け、また何事かを考え込む。どうやらコルムも同じ気持ちらしく、やはり何かを考えて唸っている。
しかし手は何も思い浮かばない様だ。ただ唸るだけ、ただ考え込むだけだ。当然かもしれない、ここは船上である。何かがある筈もない。
「いや、心配は要らない。俺の予想だと、そろそろの筈だ」
だが、一人だけ余裕の表情でそこに立っている男が居た。アール・スペンサーだ。力が抜けた様に座り込む娘へは目も暮れず、代わりに海の周辺を見ている。
『娘の事はどうでも良い』そんな風な態度に眉を顰めたケビンが思わず、その事を非難する声音で声を掛けた。
「お前、娘は良いのか? 放っておくと危ないぞ?」
「大丈夫だ、何せアイツには素晴らしい護衛が二人も付いてるみたいだからな」
ケビンの言葉に適切な本音で返事をしながらも、男は船の後ろ側に当たる方向へ目を向け、何かを探し続けている。
そこで、何かを見つけたのだろう。口元を釣り上げたと同時にさっとケビンの方を見た。それは、彼にとって見覚えのある表情だ。
「……なあ----礼を言わなきゃいけないのかもな、俺は。いや、爆破したのもお前の所の奴か」
『相棒に向ける親しげな顔』をしている男は、苦笑気味にケビンの本当の名前を呼んでいる。その声は当人以外の耳には届かなかったが、それで十分なのだ。彼らはもう、それだけで全てを伝え合っている。
同じ様にケビンもまた海を見て、同じ様に苦笑した。
「あれは、アイツ等……ははっ」
男が何を言っているのかは、すぐに理解出来る事だったのだ。揺れる甲板の端は手すりが落ちている事もあって非常に危険だが、彼のバランス感覚ならば問題ない。
船の揺れに完璧に合わせて、その場の床が抜け落ちるのを寸前で避けている。
そうしながら、ケビンは見つけていたのだ。『船に接近してくる何隻もの小型船』と、そこに乗っている『見知った男達の姿』と----船から飛び出す勢いで現れた、男達を。
「ボォース!」
「ボスだ! やっと見つけた!」
雄叫びを上げるかの様な声が小型船から響き、同時に壊れ行く船の上に立つ男達もまた、声を響かせる。
こちらの顔を見つけたのだろう、男達は一斉にケビンへ敬意の籠もった目を向けて来る。彼らは一様に、今はケビンと名乗っている男の部下だった。
「ほらね、言ったでしょう! 金は、貯めておいて正解だ!」
船に居た男達が、得意げな顔で言う。どうやら、その船達はホルムス・ファミリーとの抗争用に取っておいた金で借りた物の様だ。
船の見かけからして、高性能の船だ。これだけの数を過買い、借りたのだから多額の金を惜しげも無くばらまいたのだろう。
しかし彼らの顔には金に対する執着など全く無い。ただ、ケビンを助ける事が出来た事への喜びだけがある。
「ボース! いや、プランクさーん!」
だが、ケビンへはそんな敬意や好意を向けていない者も居る。その者達は代わりに別の人物へ敬意を向け、声を上げていた。やはりその顔は、敬意を受け取った存在にとって見覚えのある物だ。
「おや……船長ではありませんか。ならば船員達も一緒ですか、それに……生きていましたか、あなた方も」
いつの間にか船を見ていたプランクが呟く。そこには彼のよく知る船員達の姿があり、船の上には見知った売人達の生き残りが居る。
船長と連絡が取れなくなったと思えばどうやら別の船に避難していたらしい。船が沈む事を計算に入れて今回の損害を考えようと思ったプランクは、途方もない数字が出る事を察して止めた。
「……ま、人間の数が残っているだけマシだとしましょう。どうせなら薬が無事な方がマシですがね。戻った時が怖い、どうもね」
人の命を何とも思っていない発言をするプランクに何かを言う者は一人も居ない。皆が皆、その性格や性質を理解した上で受け入れている様だ。
ただ、コルムは苦笑気味に肩を竦めていた。
何はともあれ、壊れ行く船にこれ以上残る必要は無い。それを理解している者達が『詳しい話は後でしよう』と言い切り、次々に側にある小型船に移っていく。
飛び乗っている訳ではなく、ロープを掛けて降りていく形だ。大型船から小型船に飛び乗って無事でいられる様な身体をしているのは、この場には数える程しか居ない。
「……大丈夫ですか、ジェーン様」
一応はその一人になりうるパトリックだが、あくまでその身体と心はジェーンの側から離れる気が無い様で、側でジェーンに声をかけ続けている。
背中に刺さるガラスなど気にもしない、出血していても気にもしない。気にもならないのだ、ジェーンが言葉に何の反応もしない事の方が余程心配で仕方が無い様に見えた。
「そっとしておいてやる事を薦めるねぇ? ほら、やっぱり悩みだってあるさ」
「……お前が言うのか。ジェーン様の命だけを助けて船をこんな風にしたお前が」
軽い調子のリドリーは自分が船を崩壊させた原因になってもなお軽い調子のままだ。そんな、しゃあしゃあと言う姿を見たパトリックの身体からMr.スマイルを見た時に並ぶ程の殺気が溢れ出す。
気絶しかねない程の雰囲気がリドリーへ向けられるが、その涼しい顔を小揺るぎもさせる事は出来ない。
「……………………無駄だよ、パトリック君」
そんな姿に何かを思ったらしく、今までずっと黙り込んで居たジェーンが、パトリックの腕を抱きしめる。
顔付きが、父親に殺されると決まった時以上の覚悟を感じさせる物を持っていた。
途端に、不安な気持ちがパトリックの中で生まれる。腕を抱きしめ、その感触を心に刻み込むかの様にギュッと力を込めてくる姿はまるで別れを惜しむ様だったのだ。
パトリックの腕を抱きしめたままで、ジェーンはまだ船の上に行るプランクへ声をかけた。
「……ね、プランクさんで良かったかな?」
「ええ、そうですが」
頷いたプランクはジェーンの顔を見る。鬱陶しそうで、邪険にする様な態度だ。勿論、普通は資産に等しい部下を殺されているという点で、ジェーンを肯定的には扱わないだろう。
そんな事はジェーンにも分かっている。パトリックの腕を抱きしめる力を更に強めながらも、その顔は何かを覚悟した色を隠していない。
「何ですか、私はさっさと逃げたいのですが? 用件はさっさと言ってください」
まるで道端のゴミでも見る様だ、プランクらしくない冷笑を浮かべている。視線だけで人を殺せそうだ、片手片足に包帯を巻いたジェーンを嘲笑している風にすら思える。
コルム達が見ればその目は『怒っている事を装っている』のだとすぐに分かるのだろうが、生憎彼らはもうこの場から消えている。
恐ろしすぎる視線が突き刺さった様に、ジェーンはパトリックから腕を離す。怪我をしていない腕が力無くだらりと垂れ下がり、動く気配は無い。
まるで死んだ様な姿だ。肺が動き、目が輝いていなければ死んでいると思っても仕方の無い。そう、目が絶大な力を秘めていなければ。
「……こうすれば、それ以上は追求しない?」
静かに、ジェーンは一言だけを告げる。細かい内容は言葉には乗せない。しかし、それだけで全てが伝わっている。
じっと、プランクが少女を見つめる。冷ややかな笑みだ。そんな少女などどうでも良いと言いたげな目だ。しかし、プランクはそんな目を崩し、ふっと笑みを浮かべた。
「そうですね、それで良いですよ」
友好的ではないが、悪意も敵意も見当たらない。そんな雰囲気を持つプランクは、静かに頷いてみせる。
船はもう危ない状況になっている為、その後はすぐにジェーンに背を向けて歩いていったのだが、その背中はどこか上機嫌な物だ。部下と船と薬の損失を忘れてしまったかの様な。
ある種、軽蔑すべき人間だ。自分を含める命も大切な物も持たないその背中に、ジェーンは、心からの気持ちを言葉に乗せた。
「……ありがとう」
「こちらこそ、ホルムス・ファミリーとの強いパイプが出来そうで有り難い……損失を、埋められるかは別としてね」
背中越しに響いてきた声は照れ隠しの様でいて、どこまでも本心だと分かる物だった。そんな言葉を残して、プランクは隣の小型船に降りていった。
そんな姿を見る事は無く、ジェーンは苦笑気味にパトリックを見る。プランクとの会話から、何を言うのかはパトリックにも分かっている。
余り聞きたくは、無いのだが。
「ジェーン様、やっぱり……」
「うん、私は行かないよ」
完全に予想した通りの事を言って、ジェーンは微笑んでいた。その目も顔も覚悟を決めた、先程の表情と全く同じ物を維持している。
意志が揺らいだ様子など微塵も無い、ただ少し不本意そうで、余り喜んでいる様子は見られない。どちらかと言えば、困っている様に見える。
「私はあそこで死ぬ事が決まっちゃった訳だしさ、うん。これが一番の落とし所かな」
力無い腕を使って少しだけ肩を竦めてみせる。
止められない、最早何を言っても彼女は死ぬつもりなのだろう。気絶させて連れ帰るという手段も思い浮かんだが、パトリックにはジェーンの気持ちを蔑ろにする事が出来ない。
後ろで船から逃げていく男達の姿を見る。もうジェーンの父親である男の姿は見当たらない、小型船に乗り移ってしまったのだ。
娘が死ぬという時に顔も見せないボスに対して少し、少しだけ怒りがこみ上げてくる。
「大丈夫っ、パパは分かってたからね。別れの挨拶も、もう済ませたしさっ」
そんなパトリックの頭を撫でたジェーンが、その怒りを静める。無理をしているのでも、空元気を見せているのでも無く、自分の父親が生きている事への幸福感から来る明るい顔だ。
「……ジェーン様」
しかし、まだパトリックは目の前から動く気配が無い。未練も愛情も、共に過ごした二人の間にはある。ただ、パトリックの方がジェーンよりもずっとその気持ちが強いだけで。
困った顔をしたジェーンは数秒考え込み、スッと息を吸い込んだかと思うと、パトリックの背中を叩く様に言った。
「行ってパトリック君。コイツと生死を共にするなんて御免だけど、だけど私は……ここで死ぬ。だから! だからあなたは私の言葉通りに生きて……!」
最後の言葉で我慢の限界を迎えたらしく、大声に変わっている。
----『だーめ! あなたは老衰するまでファミリーの構成員として、ファミリーに人生を捧げる運命なんだからね!』
頭の中に、声が響いて来た。先程、どこか冗談混じりで告げられた言葉はたった今、パトリックを完全に縛り付けた。
出来る限りの最敬礼を行い、静かにパトリックは立ち上がる。もうジェーンに対する悲しい気持ちは消えていて、何かを振り払った男の顔になっている。迷いは、吹き飛んだ様だ。
背中を向けたっきり、もう、振り向く事は無かった。
「なんか勝手に決められちゃったなぁ。と、言う訳で俺もコッチに残ります」
そんな会話を聞いていたリドリーが、肩を竦めている。船を崩壊させた事への後悔など微塵も無い、むしろ『正しい事をした』と言いたげな顔だ。
思わず殴りたくなる様な表情をしているリドリーの顔に、凄まじい勢いで強烈な拳が迫った。
だが、その拳はリドリーの頬の一ミリ手前で止まる。凄まじいコントロール力と速さだ。絶妙な動きと目が無ければこうは行かないだろう。
見事な動きを行ったケビンが、ゆっくりと拳を引く。最初から殴る気は無かったのだろう。顔こそ怒気を浮かべていたが、リドリーに対する敵意は微かにも感じられない。
「何故、船を爆破した?」
「いや、これには深い様な深く無い様な理由が……ああもう、面倒だし、ま、色々って事で良いですよ」
適当気味に笑う姿はまた殴りたくなる物だが、ケビンはそれを堪える。船は既に沈みかけているのだ。人を殴っている暇は無い。
ケビンは、聞きたい事だけをリドリーから聞き出す事を決めた。そして、その意志はリドリーにも伝わった様だ。少し微妙な顔をして答えを言ってしまう事が、その証拠と言える。
「ははっ、細かい事は……エィストへどうぞ?」
『エィスト』。その名前を聞いたケビンは大げさな溜息を吐いていた。それはリドリーも同じだ、楽しそうな顔ではある物の、どこか呆れた雰囲気を持っている事は間違いない。
「……またあいつか、クソ」
「はは、またあいつの悪巧みですよ」
二人は顔を見合わせ、長年の仲間の奇行に苦笑する。この時ばかりはケビンも船が沈んでいく事を忘れている様だ。
エィストと名乗る存在と彼らが出会ったのは、かなり前だ。まだとある少年が『リドリー』と名乗り始めたばかりの頃だ。その頃からリドリーの歪んだ価値観を更に歪ませた存在である。
あらゆる意味で印象的なその姿、『ついさっき会って話したその姿』を思い浮かべ、二人は笑っていた。
「……生きてたら、二人ともぶん殴ってやる」
「どうぞどうぞ」
笑ったまま、ケビンがリドリーに宣告する。顔は笑っていても、目は全く笑っていない、むしろ恐怖すら感じる程鋭い物になっている。
だが、今更そのくらいで動じるリドリーでもない。目の奥にまで笑みを届かせている表情だ。それ変えさせる事は、不可能に思えた。
そんな時、また船の一部が爆発して破片がリドリーのすぐ隣に飛んでくる。それなりの質量が有って、当たれば即死は確実だ。しかし、避けるそぶりも見せていない。
目だけで自分の安全を確保し、ついでにジェーンに破片が落ちない様に見ている様だ。実際、破片はリドリーのすぐ隣に落ちたが、彼に怪我一つ負わせる事は無かった。
「ボス! 危ないから早く来てください!」
「分かってる! ……リドリー、来る気は無いんだな」
「ラストシーンを見逃すのは映画を鑑賞する上で最ももったいない事だと思いませんか?」
部下の声が小型船から響いて、ケビンはリドリーへ最後に聞く。帰ってきた答えは、最高の笑みと共に首を横に振るリドリーの姿を見れば誰でも分かる筈だ。
梃子でも動きそうにない。間違いなくリドリーはこの船に残るだろう。そう理解したケビンは、彼らへ背を向ける。既に船は半分沈んでいた、小型船を側に置くのも限界なのだ。
「それじゃ、もしかしたら生きて戻るかもしれないんでその時はよろしくお願いします」
背中から届いてきた言葉に軽く手を挙げて返答し、たった今沈んでいる船でケビンと名乗った男は小型船へ乗り移る。
半ば飛び降りる様な高さでも、彼ならば問題ない。きちんと着地し、きちんと体勢も整った形で移動出来ていた。
「おお、やっぱりボスは体が頑丈だよねぇ。君の父親はどうだったんだ?」
「……丈夫だよ、あなたのボスと同じくらいだって言ってたのを覚えてる。多分、あなた程化け物じゃないけどさ」
「いや、俺はそれほどじゃないよ」
「間違いなく嘘だね、この嘘吐きめ」
いつの間にか全員がこの場から脱出していたらしく、彼が最後だった様だ。
甲板に残ったのは、嫌悪感を表すジェーンとあくまで楽しげなリドリーのたった二人になっていた。




