17話
「……」
そんな事が起きているとは露知らず、生き残った『兵隊』達は新たな指示により、まだジェーンを探している。ここに居るのはもう薬を吸い終えた集団だ。
武装に身を固め、銃を持った物々しい集団はそれだけで威圧感の元になるだろう。実際に、彼らの前に敵になる存在はもう現れない。
それが、この場に居る全員が死んでいるからなのか、恐れをなして現れていないのかは分からない。だが、そんな事は彼らにとってはどうでも良い事だ。
「……」
扉を蹴り破って、中には誰も居ない事を確認する。稀に隠れていた売人達の仲間が見つかる事があったが、『兵隊』達は何の意志も感じさせない瞳でそれらを気絶させる。
何の為にジェーンを捕まえる指示が出されたのか、何故彼らはジェーン以外の人間の命令を聞いたのか、それは彼らにはどうでも良い事である。
感情の無い瞳が周囲を見回す。誰も居ない。探すべき存在も、敵も、誰も居ない。まるで何者かによって船の人間は連れ去られてしまったかの様だ。
不自然な程に人間の居ない船内を、彼らは歩いていく。途中に有った扉は全て問答も無しに開いて、内部に人間が居ないかを確認する。
彼らには不気味さを感じる意識は無い。しかし、まだ死んでいない彼らの本能は確かに状況の妙な危険さに気づいている。
何故か、ここには人が居ない筈だというのに彼らの戦闘本能は危機感を覚えている。一体何が起きようとしているのか、『兵隊』達は何も分かっていない。
「……!」
その時、『兵隊』達の一人が何かの気配を感じて素早く戦闘体制に入る。他の者達も一瞬遅れる形にはなったが、素早く陣を敷いた事には変わりない。
彼らの銃は全てがとある一室に、ただの客室の一つへ向けられている。集中し、耳を澄ませばその奥から物音がする事はすぐに分かった。
すぐには、銃を撃たない。その室内に居る人間がジェーンだった場合は命令に背く事になるのだ、彼らは確認をしなければならない。
「……」
一人が、扉の方へ銃を構えて近づいていく。彼らは新たな指示により、船内において人を殺す事を禁じられているが、それでも『撃つな』とは言われなかったのだ。
もしも相手が銃を持っていれば、その者の足や腕はたちまち銃弾に貫かれる事だろう。
『兵隊』の一人が扉の前に立ち、ドアノブに手をかけた。他の者達は皆少し離れた場所でその部屋に銃を向け、警戒を続けている。
「……」
扉が、開けられた。一人の『兵隊』は銃を持ったまま、室内へ入っていく。見た所、室内には誰も居ない。だが、物音はずっと耳に入り続けている。
ベッドの上だ。音の元を探り当てた『兵隊』は、近づいていってシーツに手をかける。人間が居る様子は無い、となれば罠を疑う所だろうが彼らにはそんな思考は無いのだ。
「……?」
シーツを取り上げたベッドの上には、一つの機械が置いてある。子供でも知っている有名な機械だ、人と会話する為に使う道具の中では戦闘中に使われる確率が高い物----即ち、無線通信機である。
そこから、音が聞こえてきている。音量をあえて小さくしているのか、彼の耳ではそれが何なのかまでは聞き取れない。
そっと、耳を近づける。危険を危険とも思わない彼らは、警戒心はあってもそれの意味を考える思考は無い。余りにも無謀な行動と言える。
しかし耳を近づけると、きちんとした意味を持つ言葉が聞こえて来た。男の声だ、他にも何人か居るらしく、奥の方で声も聞こえる。
「ああ、リドリーの奴ならこう言うか……」
声の主がそんな事を言ったその瞬間、それを聞いた『兵隊』の一人は微かに残った思考が復活し、やっとそれに気づいた。
----防音設備のある部屋から、音が聞こえてくる筈がない。あるとすればそれは、扉をわざと少し開けていた以外には無い、と。
最も、気づいたとしても今更遅いのだが。
その瞬間、扉が蹴破られる音がした。『兵隊』達が警戒している方の扉ではなく、『反対側』の部屋の扉から来た音だ。
雪崩でも起きたかの様な勢いで何人もの男達が反対側の部屋から飛び出してくる。不意を打たれた『兵隊』達は腕を動かす事が一瞬遅れた。それが命取りだ。
「やあ、俺達と同じ……やられ役の諸君!」
何人もの男が、その言葉と同時に持っていた銃の引き金を引き----『兵隊』達を、一方的に射撃した。
警戒の全てを正面の扉に注いでいた『兵隊』達は予想外の背後からの攻撃に対しては何の抵抗も出来ず、次々と倒れていく。
部屋の奥に居る、通信機を持っていた『兵隊』も倒れた頃にはもう立っている『兵隊』は一人も居なくなっていた。
「……もう、居ないか?」
「ああ、大丈夫そうだ」
周囲をキョロキョロと見て一人の背の低い男が警戒混じりの声で呟くと、もう一人の背の高い男が軽く肩を叩いて安心させようとする。
そこに居る男達は皆一様に、武装している。『兵隊』達に比べれば軽装で、持っている銃は単なる拳銃だ。それでも体から出る『カタギ』ではない雰囲気が、彼らの実力を誇示している様に見える。
しかしその中にも、そんな覇気めいた物を持たない男が二人だけ居る。彼らの背後で拳銃を持ち、緊張した顔を見せている。どこか素人臭い構えが目立ち、この集団の中では浮いている。
背の高い男は倒れ伏す『兵隊』達が起きあがらない事を確認すると、安堵の息を吐いて銃を降すと他の男達へ軽く会釈し、礼を言った。
「助かったよ。あんたらが居なかったら、俺は死んでたな」
「良いって事よ、ま、俺達は敵対してる訳だが……こんな状況だ、今は気にしない事にするさ」
男達は皆、同じく大した事ではないと考えている様だ。軽く手を挙げて笑っている。彼らにとっては確かにそうなのだろうが、助けられた側はそうではない。
シアタールームの上の部屋で隠れていた彼らは、窓から船内に次々と飛び込んで来た男達に命を助けられたのだ。
「こんな連中に負ける程弱くねえけどよ……あの野郎、何が『迎えに来い』だ畜生……」
聞いてみると、相手はどうやら彼らが支配領域で勝手に薬を売買した事から敵対していた小さな組織の構成員らしい。
背の高い男は今までその組織を小規模な弱小組織だと侮ってたが、実際に構成員達を見れば誰でも考えが変わるだろう。力強い背中をした男達は、体に傷一つ負っていない。それだけでも彼らの実力の程が窺える。
そんな男達は苛立った様子だ。その理由を売人の男は知っている。
「エィストの奴め、俺達にコイツ等任せて自分は楽をしようってか?」
「というかな、そろそろ俺達も退却すべきじゃないか?」
「ああ……意味深な事を言ってやがったな」
彼らは、組織の幹部の一人から連絡を受けて此処にまでやって来たらしいのだ。
電話の通じない船からどうやって連絡を受け、何に乗って此処まで来たのかは分からないのだが、ともかく彼らは『兵隊』達の事を知らされずに呼ばれた様だ。誰だって怒る。
しかし、男達の顔は怒りと言うべき物ではない。その要素も持ち合わせているのは確かだが、どちらかと言えば不安と疲れを感じさせる。
「『この船は多分この世から消えるから急いで来てくれ』そんな事を奴は言っていた。ああ、なんと恐ろしい響きだろう。奴が言うとその危険は何倍にも膨れ上がり、余りの恐怖に我々は失禁してしまいそうだ」
「いや、漏らしはしないけどな」
奇妙な口調の男がどこか不安そうに喋っている。彼らの様な男をそれほど不安にする存在が居るなど、売人の男達には想像出来ない。だが、実在する事は確かなのだ。
そんな顔をしながらも彼らがその船に来て、離れようとしないのには理由がある。
「ボスを見つけるまでは、まあ逃げられないよな……あ、エドワースも忘れちゃいけないな」
確固たる意志の力が籠もった瞳で、男達の中の一人がそう呟く。彼らが探しているのは、彼らが『ボス』と仰ぐ男だ。この船ではケビンと名乗っているが、彼らはそれを知らない。
船に何かがあると考えた彼らは何も言われずとも拳銃を懐に入れて、警戒しながら船内に突入したのだ。だからこそ、彼らは『兵隊』達に対して掠り傷も負わずに済んだ。
片手間で『兵隊』達に襲われる売人を助ける事もあったが、あくまで彼らの目的は『仲間の発見と船内からの脱出』である。
「急がなければならないと私は思った。あまり長時間居座り過ぎると、より船の危険度は増すばかりの様に思える」
変わった口調の男が小さな声で呟くと、他の男達も同意を表して頷いている。そう、この船に乗り込んだのは全員ではない。
危険な可能性のある船内に全員が飛び込む程、愚かではないのだ。
「おお、急がないとな。ところで……なあ、アイツは何をやろうとしていたんだろうな?」
男の言葉に同意する中の一人が大きく頷きながら、ふと、何かを思い出した様に声を発していた。彼の言う、『アイツ』が何者なのか、売人以外は全員が知っている。
それは先程、恐ろしい程の早さで通り過ぎた男の事だ。彼らが呼び止める暇も無いままで飛んで行ってしまったのだが、顔は確認出来た。
顔見知りどころか、はっきりと印象に残っている顔だ。それは映画好きな男で、彼らの中で最も優れた能力を持つ男で----何より、この船に乗った仲間の一人なのだ。
船内を探りながら、男達の一人がぽつりと呟いた。
「……リドリーの奴、今度は誰をどんな目に遭わせているのやら」
+
「……え?」
呆然とした声で、ジェーンは呟いた。
飛び散った鮮血は彼女の物ではない。その鮮血はジェーンに背中を見せた男から飛び、ジェーンの視界に現れた物だ。
一瞬、ジェーンはパトリックが命令を無視して飛び込んだのではないかと不安な気持ちを覚えた。だが、そうではない事はすぐに分かり、不気味な物でも見る様な目がそれに取って代わる。
男の横顔は、見覚えがある物だ。この船の中で出会い、何故か守られる事になり、何故か自分を『ヒロイン』だのと呼ぶその存在の顔だ。
「う、嘘……」
しかし、ジェーンは男が生きているとは信じられなかった。どうしてか、目の前に確かに存在するというのに、信じる事が出来ない、いや、信じたくない。
何故ならジェーンはこの男----リドリーの心の一端を除いた瞬間から、そのニヤケた横顔を見るだけで背筋が寒くなり、心の芯から来る不気味さに体が震えてしまうのだから。
「よう。残念ながら、俺は生きている。本当に残念な事ながら、主役としても脇役としてもまだ、死んでいない」
見事な笑顔を晒して、リドリーがジェーンを守るかの様に腕を広げる。銃弾は彼の脇腹近くに当たり、出血させているが、その事に関する痛みなど一切感じさせない。
「あなた、どうやって……!?」
「簡単さ、船の外壁を蹴り上げるジャンプをして戻った」
リドリーが現れた瞬間、最も驚いた顔を見せたのはジェーンだ。そのジェーンはやはり真っ先に驚いた声を上げていた。
リドリーはジェーンの目の前に立っていて、手を伸ばせば届く距離に居る。銃声と同時に、ほんの一瞬だけ視界が誰かの背中になった気がしたジェーンだったが、リドリーはそこまで近い所には立っていない。
しかし、ジェーンはその疑問を膨らませる事は無い。目の前で生きて笑っているリドリーを見ると、嫌な感覚が全てを凌駕してしまうのだ。
それは、今まで感じた悪寒の中でも最も強烈な物だった。
「……嘘を付け馬鹿が。何でここにいる?」
助けられたというのに一片の喜びも安堵も無いジェーンの顔を眺めつつも、今度はケビンが、リドリーにとってのボスがどこか嬉しそうに、しかし訝しげに言葉を掛けている。
それがジェーンが殺されていない事への喜びなのか、リドリーが死んでいない事への喜びなのか、それは分からない。しかし、どちらにせよリドリーにとっては無視出来ない声だ。
「はは、ボス。ここを集合場所に選んだのはあなたじゃないですか」
「まあ、確かに集合場所を『甲板』とは言ったが……何とも派手な登場だ、そんな事をしろとは言ってないぞ」
「いやぁ、ボスだって『昔の相棒の娘』を死なせるのは嫌なんでしょう?」
それまでとは少し違う、敬意の籠もった口調だ。どこにも違和感が無く、演技の色を感じない態度からすると、これがリドリーの素の言動らしい。
「……別に、そういう訳じゃないさ。誰だってガキは殺したく無い物だろう」
ぽつりと呟いたケビンは、リドリーが話す内容を基に考えた。
恐らく、リドリーはたった今到着した訳ではない。態度や雰囲気から言って、急いでいるというよりは余裕を持って事態を見ていた様な雰囲気が漂っている。
そして確かに、リドリーに対してケビンは今居るこの場所へ集合する様に言ったのだ。つまり----彼は、一番出ていくべきだというタイミングを見計らっていたのだ。
「で、お前は俺の娘の……何だ?」
そんな事とは知らないであろう男が声を上げていた。恐らくは始めて見るその男が自分の銃弾を防ぎ、助けられたジェーンがおぞましい物でも見るかの様に見ている。
ジェーンの目から相手がとりあえずどんな存在かを理解した男は、しかし声を上げている。
「ぱ、パパ!? 違うよ!?」
何を勘違いしたのか、ジェーンがそれまでとは全く違う雰囲気で慌て出す。顔は青く、何かを頑なに否定する意志が見えた。
男に見える様にリドリーが肩を竦めて、『そういうのじゃないから安心して欲しいねぇ』と口だけを動かす。
勿論、そうではない事くらい男は理解している。
「分かってる、そうじゃない事は顔を見れば分かる。コイツの部下だって事もな。だが……お前はその……『何だ?』」
言葉を終えると同時に、凄まじい威圧感が男の体から発せられる。嘘偽りも許さず、返答しない事も許さない強烈な意志の力だ。常人であれば、いや真っ当な感情があれば、答える以外に手はない。
しかし、リドリーはその言葉を見事に無視して見せた。
「ま、とりあえずこんな危なそうな場所に果敢にも姿を現したのは……その、色々ね、色々と楽しくしたかったので」
どこまでも異様な雰囲気を放つリドリーの姿は、特に状況に『付いていける』人間を困惑させ、細かい表情に目を向けさせない。
だが、状況に付いていけないスコットとパトリック、そして静観しているだけのプランクには見えている。リドリーが何か、何かを企んでいる顔をしている事に。
「俺はね、こんな事を考えたんですよ」
クスクスと笑ったリドリーは、そのままの怪しさを持って独り言を呟き始める。それはどこかの誰かへ向けた言葉の様でいて、しかし、どうしようもなく単なる独り言だ。
「『ひょっとすると、ジェーン・ホルムスはヒロインじゃなくて主人公なんじゃないか?』 と、ねぇ。どうも、この少女の方がそれらしい」
コイツは何を言っているのだろうか。その場のジェーンとケビンを除く全員が首を傾げる。急によく分からない事を言い出したリドリーに対しての疑問が吹き出して行く。
ただ混乱させたいだけなのか、本心からの言葉なのか、或いはその両方か。どちらにせよ今、リドリーは妙な事を言っている。
ただ、ケビンとジェーンには分かっている事がある。リドリーが本当に自分が考えている事を喋っている、というその一点だ。
彼らの行動も反応も全て無視して、リドリーは続ける。
「と、なれば……となればですよ? 『主人公が自分の父親に撃たれてこの事件は終わり、はいめでたしめでたし』なんて……絵的につまらない、そう思いますよねぇ? 折角船が、あるのにねぇ?」
その場の誰に対しても言葉は向けられていない。しかし、何故かその言葉は『何か』と話でもしているかの様な声音で紡がれている。
独り言を聞いていた者達の混乱と困惑が、絶頂に達する。
リドリーなど無視してもう一度ジェーンに発砲する、そんな手が思い浮かばない訳でもない。だが、男は何故か引き金を引く事が出来ずに居た。
それも、計算の内なのだろう。リドリーは楽しそうに、ジェーンに対して『それでこそ主人公だ』と言いたげな目を向けて笑う。
笑いながら----リドリーは本題に入った。
「……ところで、これ、落とし物だよねぇ?」
唐突に、リドリーは自分の服のポケットから一つの物体を取り出した。
それは、鍵だ。それが何の鍵なのかは、ジェーンとパトリックがよく知っている。ジェーンのポケットに縫いつけられていた鍵だ。
「あ……!」
思わずジェーンが自分のポケットを探る、鍵が無い。
リドリーは、彼女を庇って前に出るその瞬間に接近して鍵を奪いながら銃弾を受け、ジェーンがそれを認識する前に距離を取ったのだ。
余りにも人間離れした技だが、ジェーンはそれ以上に鍵を『あの』リドリーが持っている事が恐ろしく感じられ、冷や汗を吹き出す。
そして、そんな予感は間違いなく正しかった。
「それで、これも……落とし物かなぁ?」
同じポケットから、また何かが出て来る。鍵を持っている片手と対象的な位置に置くつもりらしく、手も腕も左右対称で持っている物の形だけが違う。
ジェーンが感じた予感の通り、彼が持っているのは現状が限りなく最悪な----狂人に刃物を渡す気持ちにさせられる物だ。いや、被害の規模は刃物を遙かに凌ぐだけ、更に始末が悪い。
ましてや、鍵と共にそれを持っているのはリドリーなのだ。ある意味、唯の狂人に渡した方が安心出来るだろう。
「……こういうのって、楽しい気持ちになるよねぇ?」
リドリーは、楽しそうにそれを手の中で弄ぶ。鍵と動きが殆ど同じなのは恐らく、狙っているのだろう。見せつけているのだろう。
そう、手の中にあるのは鍵穴と簡素のボタンがある----この船を爆破する為の、起爆装置。
「こ、コイツ! 撃って、誰でもいいからこいつを撃ち殺して! 押させないで、押させるんじゃない!」
それが『兵隊』達に渡し、設置する様に指示した爆弾だと気づいたジェーンは、必死の様子でリドリーを背後から羽交い締めにする。
この船内の経験から思考回路を若干でも理解していたジェーンと、長年の付き合いであるケビンは即座にリドリーの意図を理解していた。
押す、リドリーという男は間違いなくそのボタンを押してしまう。そうなればこの船は沈んでしまうだろう。何故それを持っているのか、そんな疑問は遙か彼方だ。
「パトリック君! 撃ってお願い!」
ジェーンの言葉に対して、パトリックは素早く動き出す。声を上げる以外の事をしたのは意外にもパトリックが一番早い。
ジェーンの事をずっと考えていて、彼女と共に作戦を考えた彼はリドリーの精神面は知らずとも、その装置が何を意味するのかが分かっているのだ。
指示通りにパトリックは素早く銃を構え、引き金を引こうとする。しかし、その前に彼にとってのボスが手を出して、止めた。
「待て、撃つな。俺の元相棒の仲間だ……義理って物がある」
不本意極まるといった表情をしながらも、男はやはりリドリーを撃とうとはしない。その理由は本人の言葉通りだろう。
恐らくは、パトリックに遅れて銃を構え、たった今それを降ろしたプランクも同じ事を考えているのだろう。リドリーは、結局撃たれる事は無い。
仲間を撃たなかった彼らに対して、ケビンは軽く詫びを入れる。彼の組織と彼自身は、リドリーに銃を向けても撃たなかった者達へ借りを作っていた。
しかし、今はその借りを返している余裕も無ければ時間も無い。リドリーを止める事が先決だ。何故か、リドリーはそのボタンを押す様子も無く周囲を見回し、首を傾げているのだがその意味は分からない。
「助かる……リドリー、押すなよ。押すつもりなら俺はお前を撃ってでも止める。いいか、させないぞ」
「……『させない?』……ふ、はは、ははは!」
ケビンの言葉の、何処に笑う要素があったのだろうか。リドリーは言葉を聞いた瞬間、嬉しそうに笑い出す。どこか演技の色があるその態度は本心から来る笑みなのか、それとも嘘なのかを巧妙に隠している。
笑い声が、甲板に響く。水流の音をかき消す勢いで笑い、喉がおかしくなりそうなくらいに笑い、やがて本当に喉がおかしくなったのかリドリーは何度かむせ込む。
自分のそんな様子がおかしかったらしく、リドリーは更に笑う。
しかし、一通り笑うと今までの笑い声がまるで無かったかの様に真面目な顔をした。どこか、馬鹿にする様な真面目な顔を。
「俺は確かに! たった今、起爆する事が出来る様になりました! しかし、だがしかし! 俺が鍵を得てから一分近く何もしていないなんて、どうしてそう思いますか!?」
その言葉の意味が伝わるのが遅れて、何人かが思わず顔を見合わせた。
それでも少々の時間があれば、当然の事だが意味くらいは分かるだろう、しかし、その意味を理解する事はつまり『手遅れ』である事を理解する事に等しいのだ。
同じポケットから出てきた事を強調して、リドリーが持っていた二つの物をまた同じ場所に戻す。
リドリーが、静かに言葉を続けた。
「……つまりっ! 三十五秒前に実行済みですよ!」
その場のほぼ全員の目が見開かれ、危機感が沸き上がる。しかし、リドリーの顔には後悔も何も無い、ただ腕を広げて----笑い続けている。
「ははっ、さぁて! 定番の、沈没だぁぁぁ!」
その瞬間、爆発音と共に船が大きく揺れた。




