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キラーハート The Killer In Smiling MAN S  作者: 曇天紫苑
The Killer In Smiling MAN S 一笑編
15/77

11話




「大丈夫だったかい? いやぁ、復讐かぁ。良い物を見た」


 どこまでも気安げな態度と調子で、リドリーは自分が抱えている少女に話しかけている。

 Mr.スマイルから逃げたリドリーは今、人の気配が無い部屋の一つに居た。恐らくは最初から空室だったのだろう、そこには荷物の一つも無く、ただ備品が置かれているだけだ。


「……降ろして」


 ジェーンが声を上げる。それはどこまでも暗く、まるで海を凍てつかせてしまうのではないか、と思わせる程の冷たさが感じられる。

 この部屋に逃げ込んだリドリーはまだジェーンを腕から放していない。

 その理由は、ジェーンが負っている怪我だ。腹部を殴られ、右足を撃たれた彼女の顔色は青い。床に転がしておく事は気が引けて当然だろう。


「いや、その怪我で降ろして大丈夫じゃないよね?」

「いいから降ろして……ねぇ、降ろせ」


 もう一度同じ事を言うと、ジェーンはそれでもリドリーが自分を放さない事を理解し、強烈な威圧を浴びせかける。それはまさしく一つの組織を束ねるのにふさわしい、圧倒的な雰囲気だ。


「……成る程ねぇ、血か」


 小さな声で呟き、何やら納得した様子でリドリーは軽く頷き、そしてジェーンを腕から放して側のベッドに座らせる。穴が開いた右足は変わらずに血を流していた。

 銃弾は貫通した様だ。それが分かるリドリーはほんの少し安堵した様な笑みを浮かべて、ジェーンから離れる。

 その姿をジェーンは冷ややかな目で見つめていた。彼女は分かっているのだ。『リドリーが、外で自分が危機に陥っていた事に気づいていなかった筈はない』と。


「酷い怪我だねぇ……足って事は、捕まえるつもりだったのか?」

「さあ、どうだろうね」


 心配そうに傷を見る姿に、ジェーンは内心で侮蔑を覚える。今は心配して気遣っている様だが、それでは騙されない。

 リドリーが現れたタイミングはジェーンが足を撃たれたその瞬間だった。余りにも、丁度良すぎるのだ。

 だとすれば、リドリーはその瞬間を、『一番助けたい瞬間』になる事を待っていた様に思えるのだ。本来なら無理がある推測だが、リドリーならばやりかねない。そう思わせる物がある。

 変わらないリドリーの行動に、この時ばかりはジェーンの心を冷静にする効果があった。


「ありがとう、助かったよ」

「いいやいいや! 楽しかったさ、素晴らしい! ちょっとばっかり俺も怪我したけど、まあ、いいさ!」


 言いながら、リドリーは幾つかの傷を見せる。殆どはカナエとの戦いで出来た物だが、他はMr.スマイルによって作られた物なのだろう。

 特に疲れた様子も見られず、傷の大半は何らリドリーの行動を制限していない様に見える。が、先程からほとんど使われていない片腕が傷の深さを感じさせた。

 しかし、気にした様子もなくリドリーは笑い、ジェーンから少し離れた場所へ立っていた。どうしようもなく嬉しそうな表情がジェーンを否応にも苛立たせる。


「復讐なんてしても、無意味だぞ。虚しいだけだ」

「そんな中身の無い言葉、心には響かないよ」


 また誰かの言葉を借りて喋るリドリーを冷たく一瞥し、極寒の地の氷よりも冷たい視線を向ける。それだけで部屋中が凍り付いてしまいそうだ。

 その一方で、ジェーンは他の事を考えていた。


「それにしても、あのMr.スマイルって奴は……あの仮面の下はどうなってるんだろうねぇ」

「さあ、知らない……」


----パパ……生きてるの?


 余りにも軽く状況を弁えないリドリーの声を流しつつ、頭の中では自らの父親の姿を思い浮かべていた。死んだとばかり思っていた、が、実際に『兵隊』達は自分の指示から離れているのだ。

 まず間違いなく、生きているのだろう。そして彼女の父親は『兵隊』達へ、ジェーンを襲う様に指示した様だ。そして、その理由も彼女は分かる。

----パパが、こんな騒ぎをやった私を許してくれる訳無いよね……

 そう、彼女の父親、ホルムス・ファミリーのボスはたった一人への復讐で一つの組織を攻撃したジェーンを許すとは思えないのだ。

 勿論、理由はある。ジェーンはMr.スマイルが売人達の一人だと思っていた。彼女が企んでいた計画を読まれたからだと思っていたのだ。

 そして、誰がMr.スマイルなのかが分からなかったので----全員を、復讐の対象にした。


「……」

「どうしたんだ? やっぱり、足が痛いのか?」


 声が耳へ届く。が、それはジェーンの頭までは届かない。

 心の底からの喜びが頭を支配し、同時に『父親に迷惑をかけてしまった』という事への恐怖と迷いがある。が、その中には「父親に自分が殺される」事への恐怖は一切無い。

 殺されないと思っていない訳ではない。むしろ、これほどの騒ぎを起こしたのだ、間違いなく射殺される。悪ければ、売人達に引き渡され、八つ裂きにされるかもしれない。が、恐れていない。

----パパから罰を受けるなら、どんなのでもそれでいいけど……でも、迷惑はかけたくないよぉ……

 何をされようが、父親による罰ならばジェーンは許容出来る。だが、彼を苦労させる事は許容できない。『兵隊』を作り上げたのも、父親の部下であるパトリック達に苦労はかけられない、という思いからだった。

 行動原理が、全て父親と、父親が作り上げた組織で出来ている。そんな彼女にとっては、父親を苦労させた物は皆、等しく殺されるべきなのだ----彼女も、含めて。


「ん? なんでそんな暗い顔なんだ? はは、こんなに楽しい状況なんだ、笑おうじゃないか!」


 空気を読まないリドリーがジェーンの暗い顔に気づいて、何度も肩を叩いてくる。余裕の無いジェーンは鬱陶しそうに睨んだが、気にしていない様だ。

 肩を落としたジェーンはそのまま両手で顔を覆い隠し、俯く。隣でリドリーが馬鹿丸だしの雰囲気で笑うが、最早聞こえていない。

 要するに、彼女は迷っていた。このまま突き進んでいいものか、と。

 まだ父親が生きていると確定した訳ではない。計画を止めてしまうには早い。だが、父親が生きていれば今以上に迷惑をかけてしまうかもしれないのだ。

 もう『兵隊』達は制御から抜けているのだからその悩みは無意味な物なのだが、彼女は気づいていなかった。

 もう一度、溜息を吐く。

 父親が生きているかもしれないという幸せが逃げて行くが、強烈な歓喜はそれを上回る速度で幸せを届けてくる。が、同時にやってくる苦悩と悲しみが幸福感とぶつかり合い、ジェーンの頭の中を混乱させ続けている。


「ぁ……! な、何するの!?」


 すると強烈な痛みが伝わってきて、ジェーンは悲鳴混じりに殺気をぶつける。その方向には、笑みを浮かべたままで自分の足を軽く叩いている姿があった。

 抗議と殺気の気持ちを向けられたリドリーは苦笑し、その手をジェーンの足から放す。悪びれない顔をしていて、謝る気持ちなど欠片も見当たらない。だが、リドリーは放した手を見つめると急激に申し訳なさそうな顔をして見せる。


「あ、その、悪いねぇ。女の子の足を無遠慮に触るなんて失礼だったよ」

「……謝る所、そこ?」


 思わず痛みを忘れたジェーンが目を丸くする。その気持ちが籠もった言葉を告げられたリドリーもまた、同じ様に目を丸くした。

 そもそも怪我をしている部分を叩いてはいけない、という発想が無いのではないか。そう感じたジェーンは呆れた様な息を吐いて、それ以上の非難を行う事を諦める。

 それでも足は今でもズキズキと痛みを発している。ジェーンはほんの少しだけ動かそうと足に力を入れて、痛みに眉を顰めた。


「どうしたんだ? そこでゆっくりしてなって、痛いだろう?」

「痛いけど……私は、此処から出なきゃ……」


 ジェーンが体を動かそうとしている事に気づいたリドリーが軽い調子で声をかけ、立ち上がろうとするジェーンの肩を押す。

 腕に掛かる力は絶妙で、自然な体の動きに任せてジェーンの体は勝手にベッドに寝転がる形になる。体が派手に動いたというのに痛みは欠片もない。妙な所で細かい気遣いをする男だ。

 その以外な対応に、キョトンとした表情でリドリーを見つめる。元々大きく、綺麗な瞳はそんな表情をすると更に魅力的だ。勿論、リドリーはそれを気にした様子も無いのだが。


「気分が酷い時はさっさと寝てしまうに限る。そうだろう?」


 ベッドに座り込んだリドリーが緩い笑顔になる。

 足が動かない少女と、片腕が動かないが常人を遙かに越える身体能力を持つ男。少女の側からすれば信頼も出来ない、今日会ったばかりの変人に無防備な姿を晒すのは安心出来ない状況だろう。

 が、不思議とジェーンの心に危機感は無い。

 頭の中が『父親の生存』で埋め尽くされているというのもあるが、同時に『この男は自分に危害を加える事はしない』という、どこから来ているのかも分からない奇妙な確信があった。


「大体ね、君みたい子がそんなに迷ったり悩んだりしてもしょうがないし、何より『ストーリー的に』苦悩は要らない、俺にとっての君にはね」

「……そういう人だから、信じられるんだよね」


 自分の人間性を否定された気がしたジェーンは、しかし特に不快になる事も無い。そういう言葉を投げかけてくる事は分かりきっていたのだ。

 頭の中が何で出来ているのかが実に不思議だと感じられた。


「……あ」


 おかしなリドリーのおかしな言葉に呆れていると、ふと、ジェーンは自分がリドリーの言葉通りに苦悩から脱していた事に気づいて声を上げる。

 リドリーの思惑通りに気持ちを切り替える事が出来てしまったジェーンは複雑そうな表情になった。礼を言うのは何か違う気がするのだ。

 横目で様子を窺っても、リドリーはもうジェーンに気を向けていない。そこからも人格が滲み出ている様な気がして来た。


「あー、今日は楽しいが、疲れるねぇ! こう、旅行の最後で帰る時の、土産話が楽しみな気持ちと旅行疲れが混ざり合ったそんな感じだ!」


 軽く伸びをして、リドリーは冷蔵庫を漁って水を取り出し、ガラスコップに入れて飲み干している。一瞬、リドリーは水をじっと見つめたが、誰が気づくでもなく無かった事になる。

 特に不自然な様子はない。片腕が動かしにくいのか、時折もう片方の腕で持ち上げていたが、うまく動かない事を確認すると残念そうにまたベッドに座り込む。

 隣で腕の調子を確認するリドリーを尻目に、ジェーンは一度目を閉じる。体が落ち着けば、もしかすると気持ちも完全に落ち着くかもしれない、と。


「……はは、それでいい。ゆっくり休むといいさ。起きたら、全部片づいてる……血みどろはまずいかな」


 それを見たリドリーは何やら優しげな顔をする。言葉の中にはよく分からない要素があったが、ジェーンはそれに気づかない。

 目を瞑ったジェーンは思った以上に自分が疲れている事に気づく。だが、体の疲れとは別にある苦悩が彼女の睡眠を邪魔している。


「眠れないかも……」


 思わず、ジェーンは目を開けて声を漏らす。それがリドリーの耳にも届いたのか、少し考え込む様な姿を見せたリドリーは意を決してジェーンの顔を覗き込んだ。

 接近してきたリドリーの顔からジェーンは鬱陶しそうに顔を逸らす。しかし、気にした様子も無いリドリーは苦笑するだけだ。


「……よし、じゃあ何だ。昔話でもしてやろうか」


 別にそんな物は要らない。ジェーンはそう返そうとしたが、その前にリドリーは話を始めていた。


「そう、昔、俺がまだ子供だった頃。俺はまだリドリーじゃなかった。でも両親が映画好きでね、毎週、レンタルビデオ屋に行っては俺に色々な映画を見せてくれた。俺も、映画が好きになった。特に好きだったのはアクション映画でね。俺は、銀幕の中のスターに憧れて、あんな凄い事が出来たいと思って、練習していたんだ」


 少しばかり、リドリーの方へ目を向けてみる。しきりに左上を見ているのが不思議だ。それに気づいているリドリーは『ここからが本題だ』と言いたげな顔をする。


「ある日、俺は初めて一人でレンタルビデオ屋に行った。小遣いを握りしめてね。それで、ドキドキしながら家に戻ったら……」


 軽く息を吸うと、リドリーは心から楽しそうに暗い話を続ける。


「父親は腹と胸と喉を刺されて玄関に転がってて、母親は腕を切断されて、死んでたよ」


 いつの間にか、リドリーはケタケタと残酷そうな笑い声を上げていた。


「やった奴は……ああ、近所に住んでるストーカーさ。俺の母親は美人でね。前々から被害には合ってたんだ。だが、殺されるとは思わなかったんだな。ま、そんな、くだらない理由で俺の両親はぶち殺された訳だ。そこへ俺は帰ってきてしまった。その腐れストーカーは俺が帰ってきた事を見るなり、目の前で母親の眼球を食った」


 余りにも惨い話をしながらも、リドリーの顔はまるで物語を話しているかの様に涼しげで、楽しげでもある。

 それだけなら不気味にも思えるのだが、何故か、その顔は普段のリドリーよりもずっと、気味の悪い部分が少なく感じられた。


「一瞬で理性を飛ばした俺は、そいつのニヤケた面にレンタルしたばかりのビデオテープを投げつけて、怯んだ隙に殴ってやった。そしたらそいつは怒りだして、俺にナイフを向けたんだ」


 座ったままで腕を広げ、笑う。


「しかし! な、理性を飛ばした俺はそんな物は気にしないさ。おっと、言い忘れたが……玄関には使いすぎて壊れたビデオデッキがあったんだ。それを、俺は持ち上げて……ぶつけた。ストーカーの奴はそれで悲鳴を上げて、逃げようとした。だが俺は逃がさない、ビデオデッキを逃げようと這う奴の後頭部に当てて、苦しむ奴に顔を向けさせて、もう一度ぶつけてやった」


 暗く、それまでの彼には無かった現実的な雰囲気をまき散らして、リドリーは話し続ける。何故か、その目は左上の方を見ていた。


「もう奴は悲鳴を上げなかった。だが、それだけじゃ満足出来ない俺はビデオデッキを何度もそいつの顔に叩きづけた、何度もだ」


 ここからが大事なんだ、とリドリーは前置きをする。


「だんだん、そいつの顔が潰れて顔だった事が分からなくなって来て……俺は、思ったんだ」


 大きく、息を吸う。


「『----ひょっとすると、この世はただの物語なのかもしれない』ってな。そうだろう? どこの世界に自分の親が惨たらしく殺されて、その犯人を圧倒的な力で惨たらしく殺す奴が居るって言うんだ?」


 それを聞いたジェーンは、ぼんやりと思った。目の前に居る男は、世界の真実を知ったと妄想している狂人なのだろうか。それとも、そう知っているフリをしている人間なのだろうか。

 どちらにせよ、変人なのは間違いないのだが。


「俺は、思った。『これが物語なら……俺はどういう立場なのだろうか』ってな、そして、こうも思った。『出来れば、カッコいいアクション映画の主人公が良いな』と」


 クスクスと笑う。何が楽しいのかは分からないが、笑い続けている。そこで、リドリーは何かを考えついたのかまたわざとらしく、今日この日に使い続けた演技の様な口調に戻る。


「腐れストーカーの顔がまだあった時は俺は映画好きの少年だった。だが----そいつの顔がただの肉片になった頃には別の……そう、別の『何か』だった。そして俺は、自分が物語の登場人物なら、ここで名前を捨てるべきだと思った。そして、俺はその日に借りた映画の監督の名前から取って、こう名乗ったのさ」


 自分の顔を指さして、ニヤリと笑う。悪意も善意も感じられない、その演技臭い笑顔で。


「『リドリー』ってな」


 笑いながら、リドリーは口を閉じる。話はそこで終わりの様だ。惨い様な、嘘臭い様な、しかしどこまでも本当の事にも思える話だった。


「……そ、の話を聞か、せて、何が……ふぁ……言いたいのぉ?」


 ジェーンは欠伸を噛み殺しながら、殆ど閉じそうになった目を何とか開き、質問をする。寝る前の話としては余りにも不適切な内容に思えたが、ジェーンの眠気は誘われてしまったらしい。

 自分の話がジェーンの役に立った事を喜んで、嬉しそうな顔をしていたリドリーはほんの少し、ほんの少しだけ照れ臭そうに頭を掻く。


「その、何だ、そんな感じで親を殺された俺はな、復讐しようって気持ちが分かる。そいつらが喜ばないって分かっててもやってしまうって事もな」


 ジェーンの眠気を誘う為だけに話をした訳じゃない。リドリーはそう言いたげな顔をする。

 その中に見える、照れという『人間らしい感情』に気づいたジェーンは相手が人間である事を再認識して、すぐに話の中にある意味に気づいて驚いた。

 ただし、声の中には眠気だけが感じられる。


「……気、づい、て……たん、だぁ……?」


 わざわざ、眠気を誘う為の話に『両親が殺された事による復讐の話』を選ぶ筈がない。

 ぼんやりとした頭でも何とかそこに思い至る事が出来たジェーンは、今にも眠ってしまいそうな声を上げていた。


「……復讐するのはそいつの為じゃなくて、自分の為なんだ。だから……悩むくらいなら、止めておけ。だが、悩まないなら……ん? おーい、寝た?」


 ジェーンの言葉をわざとらしく無視して、リドリーは話を続けていた。だが、ジェーンが殆ど眠っている事を見ると話を途中で切り上げて、その顔を覗き込む。

 今度は、顔を逸らされる事は無い。そんな事が出来るほど、入れる事が出来る力は多く無いのだ。


「ぁ……ごめ……寝るぅ……」


 リドリーの声は聞こえていても、返す力を持たないジェーンはただ、それだけを告げて目を瞑る。

 それでも、何かを伝えようとしているのだろう。口は僅かに動いていて、疲労と睡眠欲に抵抗しているのが分かった。

 リドリーは、ゆっくりとジェーンの口元に耳を遣る。声はほんの小さな物だったが、リドリーの優れた聴覚はそれを捉える事が出来たのだ。


「で、も……はなし……あり……と……少し……気持ち……楽……」


 これだけを告げたジェーンは、数秒もすると天使の笑みで眠り始めていた。どうやら今までの心労や疲労、怪我が彼女の体に強烈な負担を掛けていた様だった。




+





「ははっ、おやすみ」


 ジェーンの姿を柔らく、だが心から驚喜している笑みで眺めながらもリドリーは鼻歌混じりに立ち上がる。暗い話をした余韻など微塵も、何故か漂う罪悪感を残しては全てが残っていない。


「……エィストの真似なんてはじめてやったが、上手く行ったねぇ」

 

 そう、リドリーはただ話をしていた訳ではなかった。口調や雰囲気、相手の心理的、精神的な状態。そのあらゆる全てを駆使してジェーンの眠気を誘ったのだ。本来は彼の得意技ではないのだが、成功した様だ。

 達成感のある顔をするリドリーはポケットから筒状の何かを取り出し、動かし難い片腕を使ってでも銃にそれを装着した。

 銃を殆ど知らない物であっても、その正体は明らかだ。そう、サイレンサーである。

 窓は開いているが、それでもこの部屋は防音がそれなりに機能している。だというのに、そんな物をリドリーは付けて、今にも小躍りしそうな程に楽しんでいる。

 銃を準備し終えたリドリーは鼻歌を歌いながら自分の懐を漁り、缶に入ったコーヒーを取り出す。あまり好みではない味だったからか、眉を顰めていた。


「あんまりだな……酷いコーヒーだ。適当に買うってのは、間違いとしか言いようがない」


 心の底から嫌そうな、だが心の底から演技を楽しんでいる顔をしたリドリーは、叩き割る勢いで缶を置き----


「こんな不味いコーヒーを飲んでしまったんだ。口直しに……弾丸でも飛び交わせるとしようかねぇ」


 缶を持っていた腕は次の瞬間には銃を持って、窓の外に発砲していた。

 サイレンサーによって絞られた銃声はかなり小さく、ジェーンを起こす程の音は無い。また、『何かが落ちた水音』も、それほど大きな音は無かった。

 そう、リドリーが窓の外へ放った銃弾は確実に『何か』へ当てていたのだ。次いで、リドリーはもう一度発砲する。また一つ、何かが落ちる音がする。

 すると、窓からは五人程の人間達が飛び込んで来た。虚ろな目をしたその集団は如何にも強力そうな武装に身を固めた、リドリーにとっては『ただの雑魚の集団』だ。

 彼らが現れても、リドリーは驚く様子も無い。既に気づいてたのだ。水が入ったガラスコップに微かに入り込んできた、上の階からこちらの隙を窺う彼らの姿を。

 だからこそ、リドリーはジェーンが彼らに気づくよりも早く彼女を寝かしつけ、準備をしていたのだ。


「ああ、起こさないでくれ。今眠ったばかりでねぇ。ゆっくりさせてあげたいんだ。ほら、俺は彼女を守るという役割がある」


 変わらない軽い調子で、銃を持つ集団に声をかける。まるで、『そういう設定だから』とでも言いたげな内容だ。それが冗談ならまだ良い。が、リドリーからは本気が感じられてしまう。それが、一層不気味だった。

 勿論、彼らはその言葉を一切聞き入れない。リドリーの側でジェーンが寝ていようが、彼らの行動は変わらないのだ。

 その為、彼らの中の一人が銃の引き金を引こうする。サイレンサーなど付いてはいない、銃声がすれば、間違いなくジェーンは起きてしまうだろう。

 だが引き金が引かれる前に、その顔に足が突き刺さっていた。リドリーの足は音もなく一人を蹴ると、そのまま勢い良く窓の外まで吹き飛ばす。


「起こす様な事はするなって……」


 顔に呆れが混じったリドリーは足を床に付け、そのままの自然の動きのままにもう一人へ接近し、今度は首根っこを片手で掴み、持ち上げる。片腕だけの力で、リドリーは相手を持ち上げて見せた。

 相手はそれなりに鍛えられた男で、どう見ても軽い様には見えない。だが、リドリーはまるで小石でも持ち上げる様に軽々とそれを為して見せる。

 しかし、相手に驚愕という感情は無い。どんな常識外れの状況であっても、それに対して動揺する機能は彼らから奪われてしまった物だ。

 だからこそ、彼らは一斉に銃を構える。だが、それはこの場では一番の悪手だった。

 リドリーは持ち上げた男をゴミでも捨てる様に窓の外へ投げ捨て、即座に残った三人に銃弾を浴びせかける。余りの早業だ。早すぎる。

 彼らは銃の引き金を引く事すら出来ずに倒れる。が、その体が床に付く寸前にリドリーが一人を蹴り上げて窓の外へ飛ばし、先程と同じ様に一人を掴んで投げ捨てる。

 三人の内、二人は片づいた。残ったのは後一人だ。

 床に落とせば、大きな音を立ててしまう。そう考えたリドリーは残ったもう片方の腕で同じ様に相手を掴む。


「……っ」


 思ったよりも重い。怪我をした腕に力が掛かり、痛みを覚えさせた。だが、声を上げる事は無く、同じ様に残った一人も窓の外へ捨てる。

 そこまでの動きに、音は殆ど無い。あるとすれば、人間が海に落ちた音だけだ。


「んんぅ……」


 その時、ジェーンが口から声を漏らし、ベッドの上で転がる。いつの間にか普通の枕を抱き枕として使っている辺り、普段どの様に寝ているのかが良く分かる光景だ。

 微笑ましい姿だったが、同時にリドリーは少し緊張した、『起こしてしまったのだろうか』と言いたげな様子でジェーンを見つめている。

 だが、ジェーンは小さく声を上げただけで起きてはいない。むしろ眠りはどんどん深くなっているのだろう。安らかで、起きている時の苦悩を感じさせない表情のままだ。 思わずリドリーは安堵の息を吐く。


「……起きたらどうするんだ、もう。ああ、でもなぁ……」


 どうにも演技臭い疲れた様な溜息を吐いて、リドリーが窓の外を見つめる。そうしていると、また上から何人もの集団が降りてくる。どんどんと、上から現れてくる。

 先程とは違い、リドリーはそれを撃ち落とす事はない。その代わりに、目はジェーンを起こさない様に戦う覚悟を決めている様に見えた。

 そうしている間にも、彼ら彼女らは何人も上からロープを蔦って降りてくる。その人数が十数人を越えた段階で、リドリーの表情は強烈な笑顔になっていた。

 十数人が窓から部屋に入り込むと、それで全員なのかもう上から降りてくる気配はもう無い。彼ら彼女らはそのまま銃を構え、リドリーへ向ける。

 だが、引き金を引く事は無い。リドリーの言葉に従った訳ではないが、一分の隙も見当たらないリドリーを攻撃する事は、彼らには困難だ。

 まるで迷っているかの様に『兵隊』達は銃を構えたまま固まっている。しかしリドリーに一瞬でも隙があれば、即座に引き金は引かれてしまうだろう。

 そんな状況にあって、リドリーは----笑っていなかった。

 危険だから笑っていないのではない。『休ませようと思ったジェーンを起こされる』のが、彼には我慢ならない程に嫌だったのだ。

 何故なら、そういう役回りを演じているのだから。


「……邪魔、するなよ」


 壮絶な気配をジェーンにだけは関知されない様に巧みに操りながら、リドリーはサイレンサーの付いた拳銃を構えた。


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