聡美 Ⅱ
啓輔からの電話は、夜の22時以降と決まっている。お互い家に帰ってからもやることあるから、それを全部終わらせてから、ゆっくり話そう。というのがお互いの決めたルールだった。
だから、それまでに全てを終わらせるのがあたしの最近の日課になっていた。どんなに遅く帰宅しても、22時までにお風呂を済ませて、一日酷使したお肌の手入れを必ず行う。キレイな肌だね、とほめてくれる啓輔の為にも、それだけは絶対に欠かすことはできない。
そして、今日も全てを終わらせて携帯をテーブルに置き、ソファに座って電話を待っている。長年仕事に生きてきて恋することを忘れていた自分が、恋人からの電話を待っているという事実に、初めは気恥ずかしさやら、嬉しさやら、子供っぽいトキメキやらで気が気ではなかったけど、それが当たり前になってくると気恥ずかしさは消えて、代わりに不安が襲うようになった。
ホントにかかってくるのだろうか? 携帯を前にして時間が経てば経つほど不安は強くなり、その度にかかってきた電話に飛びついた。啓輔の優しい声を聞いて電話口で泣きそうになることもしばしばあった。
時計の針が焦らすようにカチカチと音を立てて進んでいく。5分、10分待っても携帯は鳴らなかった。
とたんにまた不安が襲ってくる。今日も知美と一緒に帰ったという事実が小さな疑惑となって心を針でつつく。誰が見ても啓輔とあたしよりは、啓輔と知美の方がお似合いだろう。なにせ知美とは二歳しか違わないのだから。
自分に自信が持てない。早く鳴れ、と携帯を見る。啓輔の声が聞きたかった。
「遅くなってごめんね」と啓輔が言う。
「ううん、大丈夫だよ」とあたしは答える。それだけで不安は解消される。
早く鳴れ、携帯。時計と携帯を交互に睨む。22時20分。まだ鳴らない。
待っている時間はどうして長く感じるんだろう。22時24分。まだ鳴らない。
そのうちにあきらめが顔をのぞかせる。今日はきっと急に用事が出来てしまったんだ。それで電話できなくなってしまったんだ。と自分に言い聞かせる一方で、どうしても知美のことが頭から離れない。
何か隠してない?
訊きたいけど訊けない。
「ごめん。本当は……」なんて聞きたくない。信じたい気持ちと、疑惑で板挟みだ。
22時36分。今日はもう鳴らないのだろうと、寝室へ向かう。ほんの少しの期待を残して、携帯を持って。
手の中で携帯が鳴った。寝室のドアを開ける直前だった。慌てて携帯を開く。
「もしもし?」
「ああ、聡美さん。遅くなってごめんね」
啓輔の優しい声が携帯越しに聞こえて泣きそうになる。
「ううん、大丈夫。そんなに待ってないから」
どうして遅くなったの? 質問を空気と一緒に肺の奥へと吸い込んだ。
啓輔はいつも通りの声で話をする。今時珍しいくらい真面目で誠実なのは出会った頃から知ってる。でもその誠実な心が自分に向いているのか自信がない。だからまた、あたしは訊いてしまう。
「ねぇ、啓輔」
「うん? 何?」
「あたしのこと、好き?」
「もちろんだよ。俺が好きなのは聡美さんだけだよ」
啓輔は一瞬も迷うことなく答える。それだけであたしの心は潤って満たされる。
信じていいんだよね。
「うん。あたしも好きだよ。啓輔」
聡美と啓輔交互に書いていきます