聡美 Ⅰ
「聡美さんの口に合うか解らないけど」
そう言って啓輔はキッチンからコーヒーを注いだカップを二つ持ってくる。一つを小さめのガラステーブルに置き、もう一つを差し出した。
「聡美さんに教えてもらった通りに淹れてみたんだ」
久しぶりに啓輔と取れた時間。あたしは啓輔の部屋に来ていた。ホントはどこかに出かける予定だったんだけど、こないだ突然啓輔が「家に来ない?」と言いだした。
正直心臓が跳ね上がる思いだった。久しぶりのデートが家でまったりするだなんて、あたしのこと誘ってるの? と啓輔の顔を伺うが、今のところそんなそぶりは見せる気配がない。
テーブルの上に置かれたデジタルの置時計は嫌にゆっくりとその表示を変えている。ここに来てずいぶん時間が経つように思うんだけど、まだ午前中だ。あたしは啓輔にバレないように小さく深呼吸して、いつ啓輔が来てもいいように心を決めた。
「うん、おいしいよ」
コーヒーを一口飲んであたしは笑顔を作った、けどうまく笑えているのか自信がない。おいしいとは言ったものの、味なんかよくわからなかった。落ち着けあたし。
「ホント? 良かった」
啓輔は屈託のない笑顔を見せる。どういうつもりなの?
あたしの覚悟なんかお構いなしに時間は過ぎて、窓から差し込む太陽の光は徐々にその位置を変えてあたしの影を柔らかい絨毯の上に気がつかないスピードで伸ばしていく。啓輔は楽しそうに話すし、あたしもこうしてゆっくりするのは嫌いじゃないけど、物足りない。
拓実の言った通りかも。我慢できないかも。
さっきから啓輔が腰かけているベッドが気になって仕方がない。キレイにセットされたベッドは啓輔が座っている所からシーツが皺を作ってまっすぐに伸びている。まっすぐに伸びた皺はベッドの端まで届くことはなく溶けるように消えていく。
毎日啓輔が使っているベッド。このベッドで抱かれたら、あたしの体もあの皺のように溶けるように消えてしまうんじゃないだろうか。
どうして部屋に招いたのに何もしないの?
拓実の言うとおり待ってるの?
あたしも待ってるんだよ。
どうして気付かないんだよ。バカ啓輔。
「聡美さん、どうかしたの? 具合悪い?」
啓輔の心配そうな顔で我に帰る。
「ううん、何でもない。大丈夫だよ」大丈夫じゃないよ。もう限界だよ。
「横になる? ベッド使っていいから」
これは天然? それとも誘ってる? もう解らないよ。
やっぱりあたしから行くしかないのかと覚悟を決める。
拓実にそそのかされてっていうのが気に入らないけど。と自分に言い訳をしながらあたしはおもむろに啓輔の横に座った。
あたしの動作を黙って見ていた啓輔は無邪気な顔でベッドを開ける。無邪気って言うのは時に残酷だな、と思う。啓輔に少しでもあたしの気持ちが伝われば今のあたしを見てこんな顔はできないはずなのに。
「何か作ろうか? お粥とかのほうが良いかな?」
キッチンへ向かおうとする啓輔の手を取り、もう一度横に座らせる。啓輔はなぜ止められたのか解らないといった表情を浮かべているけど、こうすれば解るだろうと、啓輔の胸に顔をうずめてやった。
「さ、聡美、さん?」
啓輔の早くなった鼓動を直に感じて、少し嬉しくなる。
「啓輔、ドキドキしてるよ」
「ど、どうしたの?」
「啓輔が悪いんだよ」そう言って顔を上げると、真っ赤になった啓輔の顔がそこにあった。
ホラ、やっぱり啓輔も意識してたんだ。ホントはちょっと期待してたんでしょ。
立場が逆だけど、ま、いっか。
あたしはゆっくり啓輔の首に手を回す。顔を近づけると啓輔もぎこちなくあたしの背中に手をまわした。ようやくその気になってくれたかな。目を閉じる。もう唇はすぐそこだ。