拓実と真理
ほんの少し拓実と真理のお話にお付き合いください
「珍しいなお前が飲みについてくるなんて。ココちゃんはどうしたんだよ」
「心はお母さんに預けてきた。あたしだってたまには息抜きしたいじゃん」
林真理は初めてくる岩崎拓実の行きつけのバーの雰囲気の良さにすっかり魅了されていた。マスターの人柄といい、店内をゆったりと流れるジャズの響きといい、店の狭さといい、文句なしだ。カウンターの棚は青いライトに並べられたグラスが照らされていて、彼女の美的感覚を大いにくすぐる。
「こんな良い店知ってたんだね。気に入っちゃった」
マスターに作ってもらったカクテルの味にほんのり酔い、真理は顔を少し赤くした。
「最近は色々な女の子を連れてくるね、岩崎くん」
マスターはカウンターの奥でゆったりと笑う。それを見た真理が即座に好奇の目を向けるのを見て、岩崎は煩わしいと目をそらした。
「相変わらずモテるんだ? 岩崎くん」
「そんなんじゃねぇよ。マスターも人聞きの悪いこと言わないでくれよな。俺が連れてきたのは聡美だけだよ」
岩崎が迷惑そうに睨むと、マスターは肩をすくめる。そのやり取りがまるで仲の良い友達のようで、真理は少し可笑しかった。なにせマスターと岩崎は十以上も歳が離れているのだ。
「マスター、岩崎くんはよく来るの?」
「ええ、ほぼ毎週のように来てくれてますよ」
「へぇ、ここが好きなんだね」
「ああ、俺じゃなくて誰かが好きなんだろ。来たくて来てるわけじゃねぇよ」
岩崎はそう言ってまるで何かに訴えかけるようにじっと天井を睨むと
「俺だってたまには違う店に行きたいよ」と嘆いた。
岩崎が何を言っているのか解らず、真理はマスターに伺ったが、マスターも肩をすくめて首をひねっていた。
「岩崎くんは誰かと付き合ったりとかしないの?」
真理は宙を漂うような気分の良い酔いに任せて、今まで疑問に思っていたことを訊ねてみることにした。
「面倒くせぇな。わざわざ付き合うのなんて」
岩崎はグラスの中のウイスキーを一息に煽ると、苦々しい顔を浮かべた。それが強いアルコールのためなのか、それとも何か嫌な事を思い出しての事なのか、真理には解らなかった。
「でも山田くんと聡美のことに関してはずいぶんと首を突っ込むじゃない」
「あいつらは別だよ。俺は恋人を否定するわけじゃないんだ。人には愛する人が必要だと思うし、互いに惹かれあってるなら幸せになって欲しいと思う。あいつら、もどかしいんだよ」
そう言って岩崎はタバコに火をつけ、ゆっくりと煙をくゆらせた。
「そうだねぇ。聡美も久しぶりの恋愛だから、ずいぶん臆病になってるみたいだし」
「林からも言ってやれよ。山田は聡美一筋なんだから、後は聡美次第だってな」
「聡美も葛藤してるんだよ、きっと。温かい目で見守ってやろうよ。何かあったらあたし達で手助けしてあげればいいし」
「それより、岩崎くんの方が深刻じゃない?」
「何が」
岩崎は唐突に向けられた話の指針を探れずに怪訝そうに真理を見つめた。
「君にも本当の恋愛ってやつが必要だと思うんだけど」
「はっ。俺なんかよりもお前はどうなんだよ。そろそろココちゃんにお父さんを作ってやれよ」
「あら、心はあれでなかなか強い子よ。お父さんなんて必要ないわ」真理はカクテルに手を伸ばし、それに、と付け加えて「キミに心配されなくてもあたしにも良い人いるんだから」とグラスを開けて少女のような笑みを浮かべた。
「なんか気になるんだよなぁ……」
岩崎は程よくまわった酔いに思考を鈍くしながら、呟いた。
「何が」
「山田は何があっても聡美一筋だ。一途っていう言葉を通り越してバカの域に達するほどのな。だけど聡美はどうなんだ?」
「聡美だって山田くんのこと好きでしょ? 何言ってんの」
「確かにそれはそうなんだろうけど、最近のあいつの態度が気になるんだよなぁ、あいつ何かひっかってんじゃねぇか?」
「そう? 機嫌よかったじゃん」
「なんか、嫌な予感がするんだよ」
そう言ったきり岩崎は黙り込んだ。新しくウイスキーが注がれたグラスに水滴が付き、テーブルに丸い溜まりを作る。グラスの中で溶けた氷がカランと音を立てた。
真理は岩崎が何を言いたいのか解らなかったが、嫌な予感がする、という言葉がやけに耳に残った。
次からまた聡美と啓輔の話に戻ります