聡美 Ⅵ
いつにもまして真剣な顔で啓輔はあたしを見つめる、夜の公園は人の影もなく、この瞬間あたしの為だけにこの公園は存在していた。オレンジの明かりに照らされたベンチは見つめあうあたし達をこの暗い公園にぼんやりと映していることだろう。それはさながら舞台のように、見る者がいたなら固唾をのんで役者の動きを見守る。そんなシーンだ。
「ちゃんと言わないと、と思って」
啓輔はそう言ったきりあたしをじっと見つめたまま動かない。心臓がドキリと鳴った。痛いくらいに鼓動を強くして容赦なく焦りを掻きたてる。
何を伝えようとしてるの?
電話では言えない事って何?
期待と不安が交互に押し寄せる。
「ゴメン、もう……」と言って啓輔は目を伏せる。
もう、の先は聞かなくても解る。ああ、これで終わりなんだ。そう思うと目の前が暗くなっていくような感覚に襲われる。
想像しただけで少し泣きそうになった。昔は恋人に別れ話をされても泣くことなんてなかったのに、いつからかゆるくなった涙腺が自分の意志とは関係なく涙をにじませる。
啓輔に出会って、彼の純粋さにあたしの心も昔に戻ったみたいだ。初恋に胸をときめかせていた頃に。
今啓輔の言葉を待っているあたしは、まさしくあの頃の子供っぽいドキドキに似ている。勇気をだして呼びだした大好きな人を前に返事を待っているような感覚。
啓輔はじっと見つめたまま、まだ動かない。
「エッチしよう」と啓輔は火が出るんじゃないかと思うほど顔を赤らめながら、でもしっかりと言う。
ようやくその言葉が聞けた。あたしは安心と嬉しさで胸がいっぱいになる。きっとあたしも赤くなっているだろう。恥ずかしいほどに。
こんな妄想をしてしまうのは、さっき拓実に言われたことが関係してるんだろう。
拓実が帰り際に発した「セックス」の言葉にあたしの体は間違いなく大人の反応をした。それが昔とは違う所なんだと思う。
それは、あたしが知ってるから。好きな人と初めて結ばれる時の幸せや、気持ちよさを。
きっと啓輔と結ばれたらあたしは泣いてしまう。啓輔の優しさに包まれて幸福のまま、すぐに絶頂を迎えてしまうかもしれない。
「ゴメン。初めてだからうまくできないと思うけど」そう言って啓輔はぎこちなくあたしを抱きしめる。服を通さない素肌の感触は啓輔の想いを直接届けてくれる。
うまくなんかなくたっていい。すぐに終わってしまってもいい。
だって、この瞬間がなにより幸せだから。
「啓輔――」
「今度休み取ってどこか行こうよ」
妄想を遮るようにあたしの耳は啓輔の言葉を捉えた。それはまるで風が流れるようにあまりにも自然に耳の脇を通り過ぎてしまうものだから、あたしは「へ?」と変な声を出していた。
神妙な顔して何を言うのかと思えば、たったそれだけ?
啓輔は言った後も真面目な顔で見つめている。その顔が冗談や嘘ではないことを教えてくれた。
その瞬間、あたしは思わず噴き出していた。
この短い時間で想像したいくつもの事があたしのただの妄想でしかなかった。そのことが可笑しくて笑いが止まらなかった。
「あれ? 何か変なこと言った?」不安な顔をして啓輔が訊ねる。
「違う、違う」
あたしが悪いの。啓輔を一瞬でも疑ってしまったこと。妄想が暴走して一人で舞い上がったこと。啓輔は啓輔のペースで進もうとしてるのに、あたしだけ急いで先に進もうとしていた。
「何でもない」さっきまでしていた妄想は、啓輔には言えない。
大事な話ってそれだけ? と訊ねると、啓輔は申し訳なさそうにゴメン、と謝った。
ううん。謝るのはあたしの方。啓輔に想いを伝えた日から、啓輔のペースに合わせるって誓ったのに、一人で先に進もうとしてゴメンね。と心で謝る。
『いつまでも待っていられる歳じゃねぇだろ』
拓実に言われた言葉が頭によぎる。
だからなんだ。啓輔はゆっくりだもん。だから待つって決めたんだもん。
きっと啓輔は歳なんて気にしない。啓輔のペースがあたし達のペースだ。
でもやっぱりそれだけじゃ満足できないのはしょうがない。せめて今、この時に少しでも幸せを感じたくて、あたしは手を広げた。抱きしめて、と。
啓輔はキョトンとしていた。
『啓輔も悪い』拓実の言った通り。お前も悪いんだよ、そろそろあたしの気持ちも解るようになれよ。
仕方なく自分から腕を回す。今日は絶対キスするんだ。
急に抱きつかれて啓輔は一瞬固まってしまったけど、目を閉じると、ようやくあたしの唇に優しさをくれた。子供っぽい重ねるだけのキス。ダメ、それじゃ満足できないと、あたしから舌をからませる。あたしが欲しいのはこんなもんじゃないんだぞ、とせめて少しでも伝わるように長く、じっくりと。