コロンブスと海賊〜真紀と周平のヴァレンタイン
以前短編集に入れたものをこちらに移しました。
「出来た!」
真紀の満足気な声が聞こえる。
今日は言わずと知れたバレンタイン。真紀が夕飯をご馳走してくれるというので、今朝母には会社に行く前に断りを入れた。
「今日、ご飯いらないから」
なるべく突っ込まれないように、出掛け間際さらりと伝えたつもりだったのに。
「いやーん。真紀ちゃんとラブラブ?」
余計なことを。親父も黙っているが、明らかににやにやしている。
「お泊まり、お泊まり?」
「やめてくれないかな、その露骨な言い方」
「だって、それによって朝御飯の支度とか、色々お母さんだって大変なのよ?」
いや、それは明らかに詮索だろう。
「ああ、泊まりだよ!朝御飯は要らない!これで満足かよ!」
「周平、照れてるからって、みはるさんにその言い方はないだろう」
思わぬところで、援護射撃が加わる。これはたまらん。
「もう、行くから!」
這々の体でスーツバッグと鞄を抱え家を飛び出した。
真紀の料理は、いつもは結構田舎料理系で、煮物とか炊き込みご飯がうまい。洋食は自信がないからいつも地味な料理しか出来なくて、と謝る姿もまたいじらしくて。ところが今日は一転。クラムチャウダーと鮭のムニエル、アボカトとトマトのサラダ。パンは最近買ったホーム・ベーカリーで焼いたという。
「すごいな」
「パンを食べてもらいたかったから、頑張りました」
えへへ、と真紀は笑う。芯から冷え込む2月、温かいスープは五臓六腑に染み渡る。鮭もほどよく塩味が効いてるし、サラダのドレッシングも自家製だ。
「うまい!」
「・・・お腹空いてるからでしょ」
真紀は謙遜する。
「ほんとにうまいってば」
彼女の目をじっと見ると、真紀はたちまち赤くなって下を向いた。
「パ、パン。パンも冷めないうちに食べてみて?」
焼きたてのパンはまだ温かく香ばしい。ちょっと茶色のつぶつぶが入っていて、口に入れるとしっとりしたパン生地の中に少しぴりっとした刺激。
「これ、何だ?」
俺はパンの中の茶色い点々を指していった。
「・・・キャラウェイ・シード」
「キャラウェイ?」
「うん。ザワー・クラウトなんかに入ってるスパイスなんだって。こないだ栗山さんからもらって」
「栗山って、あの洋服屋の?」
忘れもしない真紀の誕生日、あの紫のワンピースを勧めてくれた店員。俺たちのキューピッドだ。
「そう、自分のおうちで作ってるんだって。この時期、お得意さんに配ってるらしいの。」
「この時期?」
「そう、バレンタインだからって」
そこが、分からない。パンをかじりながら続きに耳を傾ける。
「キャラウェイ・シードってね、恋のスパイス・・・なんだって」
照れながら、戸惑いながら言葉を紡ぐ。
「恋?」
「昔から恋人をつなぎ止めるスパイスって言われてきたんだって」
「・・・真紀」
周平はパンを皿に置いて、じっと真紀を見入る。
「これ以上何がしたいのさ」
「これ以上?」
真紀はおどおどして俺を見つめ返す。
「つなぎ止めるって何?もうがんじがらめだけど?」
真紀の手を取って、指の一本一本をきゅっと絡ませる。
「そんな、あの」
困り果てた真紀が懇願するように見上げるから、ふっとため息をついて気を逃がす。
「・・・なんてな」
半分、本気だけど。
食事を堪能した後、デザートは勿論チョコレートだった。
ラム酒を練り込んだトリュフだという。ビスケットで作る簡単なレシピだったんだけど、ちょっとアルコールがきつくなっちゃって、という彼女の言うとおり、ラムが濃く香る。口の中は甘く、熱く。
「・・・俺を酔わせる気?」
酒が弱いって知ってる癖に。確信犯か?
「知らないよ?」
見つめれば彼女の瞳も潤む。
「真紀」
口付けは甘く、熱く。
コロンブスが持ち帰ったカカオ豆と、
香るラム。海賊が好んだ情熱の酒。
溺れてもいい。
俺は迷いなく飛び込む、真紀という海原に。
まだ知らない宝を探して。
Fin