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冬の勇者は打刻しない  作者: 妙原奇天


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第10話 名前のない会議

 会議室ではない。

 商工会館の長い廊下だった。天井は低く、蛍光灯が等間隔に並び、床は古いリノリウムの鈍い艶を保っている。片側の壁に沿って折りたたみ机が四つ、向かいにはパイプ椅子が十脚。机には名札がない。名札を作らない、と最初から決めている。肩書きを置いてもらうためだ。

 九時。最初に現れたのは道路管理の担当者で、無地のダウンの襟を指で押さえながら周囲を見回した。続いて鉄道各社の安全担当が二人、病院の事務長と救急の係長、消防の小隊長、区立小学校の教頭、商店会の会長と若手二人、マンション管理組合の理事が二名、子育て支援団体の代表の女性がベビーカーで子どもを連れてやってきた。そして、片桐の局の記者班。誰も名乗らない。入口で黒江が配ったのは、白い伏せ札――何も書かれていない厚紙――だけだった。

「ここは“会議室”ではありません」

 黒江雪は最初にそう言った。声は平坦で、よく届く高さだ。

「名札は置きません。主催も名乗りません。今から貼るのは“街の手順”で、企画名もキャンペーン名も付けません。付けた瞬間、見世物になります。見世物になったものは、取りに来る人が現れます。今日は、取りに来た人のためではなく、明日の街のために集まってもらいました」

 うなずきが静かに連なる。通路の端、ホワイトボードが壁に立てかけられ、青いマーカーが三本。凪は前に出てキャップを外した。まず書いたのは三つの丸、そこへ矢印を伸ばして、さらに細く枝を増やす。丸の中に、短い言葉だけ。

 歩く絵

 人のレール

 声の高さ

「順に詰めます。ここでは“勇者でない働き方”を細かく分けていきます。大きい声も、立派な言葉も要りません。明日すぐ真似できる単語だけ残しましょう」

 第一の丸に線を足す。

「“歩く絵”。視覚の対抗式です。白波リサさんの協力で、床と欄干、窓に“歩幅のパターン”を敷設します。配るものではなく、地面そのものを書き換える発想。人流のボトルネック、視界の死角、スロープの位置を教えてください。テープの幅と長さは僕らが責任を持って決め、実装班が敷きに行きます」

 道路管理の担当者が一歩出て、地図のコピーを机に広げた。

「スクランブルから井の頭線に向かう狭窄部、ここが最初に詰まります。視界の死角が二箇所。柱の陰と、広告スタンドの裏。広告スタンドは動かせないので、手前に蛇行を作るのがいい」

「蛇行?」

 商店会の若手が首を傾げると、凪は頷いた。

「一直線は訓練になります。蛇行は歩行になります。歩行は真似しやすい。直線は正されやすい」

 鉄道の安全担当が地図に指を置く。

「地下コンコース、西側の出入口に上り専用のスロープがあります。幅は十分ですが、柱で終端が見えない。縞のパネルを柱の手前に二枚――人の目が速度を落とします」

 子育て支援団体の代表が、ベビーカーのハンドルを軽く押しながら言った。

「ベビーカーは“最後尾”ではなく“前哨”に。前に置く矢印と、脇に“譲る位置”の小さな丸を二つ。子どもは“丸”に反応します」

「わかる」

 商店会の会長が笑い、メモ帳に丸を二つ描いた。

 第二の丸。“人のレール”。凪は文字を太くして、矢印を増やす。

「鉄道が止まった時の徒歩動線。病院が停電した際の紙カルテ運用。商店での体温維持と水分提供。具体だけ出してください」

 消防の小隊長が声を上げる。

「駅前広場のベンチに貼る“歩幅線”を統一しましょう。等間隔じゃない、けれど整って見えるパターンがいい。待機の列が自然にほどけます」

 病院の事務長が紙の束を出した。

「停電時、紙カルテは“患者の側に残す”。職員動線に置くと滞留します。看護師は胸ポケットに三色ボールペン。色で“済”“未”“要保”を一目で。電話は死にますが、紙は死にません」

「商店は」

 商店会の若手が手を挙げる。

「レジ袋は保温材になります。首筋、肩甲骨、腰。袋に空気を含ませて、ぐしゃっと丸めて入れる。紙コップは人数を可視化します。配りながら数える。数えると安心します。店の奥の段ボールは、子どもの“腰掛け”になります。床には座らない」

 子育て支援の代表が頷く。

「“ベビーカーは最後尾”という貼り紙、外しましょう。前哨に出す。押す人ではなく“乗っている子”の顔が見える位置へ。譲る側の視界に“顔”を入れる」

 マンション管理組合の理事がメモに走り書きしながら言った。

「掲示板に“非常手順”を常設します。停電時の非常階段の開放時間、地下倉庫の鍵の位置、簡易トイレの設置場所。図と短文で。誰も読まないと思われがちですが、読む人は必ずいます」

 第三の丸。“声の高さ”。凪は線を一本だけ引いて、短く書く。

「無音時の指示は、低すぎると届かず、高すぎると不安を煽ります。標準は“机越しに話す声”。語尾は上げない。命令にも質問にも寄らない。学校の先生に“非常時の声”を共有してもらえますか」

 区立小学校の教頭が、立った。

「朝礼台ではなく、教室の真ん中で話す声です。“ここで半歩、待ちます”“次の青で渡ります”。“お願いします”を付けない。“いいですか?”も付けない。声を“補足”にする。児童は大人の肩の角度を見ます。肩を落とす。怒らない。急がない。笑わない」

 会議の空気がほんの少し軽くなった。消防の小隊長が苦笑する。

「笑わないは難しいな」

「笑うのは終わってからで」

 教頭は淡々と言い、ペンを耳に戻した。

 片桐誉はタイミングを見計らって、A4の紙束を配った。番組の構成表だった。タイトルは空白。サブタイトルも空白。

「事件の実況ではなく、“手順の実況”をやります。編集長からの圧は続いていますが、昨日の判断は変えません。地味な番組にします。地味に括弧を付けない番組です。画はこれ」

 紙束に挟まっているのは、商店の手描き案内、マンション掲示板の“非常手順”、ベンチの歩幅線の写真。手の跡が残るものばかり。

「旗の角度、腕の高さ、声の距離。視覚パネルの縞の幅。絵の上で終わらない画を撮ります」

 誰も拍手しない。拍手はいらない。代わりに、机の上の地図にペン先が集まり、赤と青のマーカーが交差する。人のレールが、紙の上で続々と引かれていく。

 黒江は端の席で封印倉庫の報告書をめくっていた。ページの角に小さく付箋を貼り、顎に手を当てる。

「倉庫の“空箱”の件、進展があります」

 通路のざわめきが薄まる。

「空箱を作ったのは、下請けのさらに外側にいる個人業者でした。発注は“価格最優先”の入札。悪意があって盗った、というより、制度の継ぎ目に節約と怠慢が重なって“空白”が生まれた可能性。個を断罪しても空白は残る、と確認。今日、短期の対策を即日実施します」

 道路管理の担当者が頷く。

「入札ルールの“最優先”を一つ減らすだけでも違う。価格だけでなく“封印教育を受けたこと”を要件にする」

 病院の事務長が言う。

「封印の教育、救急でも共有したい。シールの剥がし方で、現場の混乱は減ります」

 黒江はメモを閉じた。

「癖を見ます。封印テープの貼り方、台車の押し方、台帳のソートの癖。空白は、癖に出ます。個の顔に寄らず、癖の線を切る」

 会議は一時間で一区切り。人の入れ替えが起きる。誰も集合写真を撮らない。取材班も、カメラを肩から下ろしたままだ。

 凪はホワイトボードの余白に、もう一つだけ細い線を引いた。

 冬至

 あの日付の詩文が、頭の隅で燻っている。

「ここから七日間で歩幅を配ります。店先と駅と学校と病院に。蛇行と丸と縞。名前は付けない。付けなくても、歩けます」

     *

 午後からは実装だった。

 凪とリサはリヤカーに白いロール紙とテープ、滑り止めのシートを積み、商店会の通りに出た。冷たいタイルの上に、白い帯が曲線を描き、蛇行の線が通路を緩く噛む。

 最初の一本目は、八十メートル。曲がり角に“丸”が三つ。丸は同心円ではなく、微妙にズレる。ズレが目を休ませ、足の向きを揃える。

 通りがかる人が自然とその帯に足を乗せ、歩幅が揃う。子どもは丸から丸へ跳び、年配の人は杖の先で縁を辿る。店員が段ボールを抱えて通りかかると、蛇行の外側で一旦止まり、紙コップを並べる手が冷えた指先に血を戻す。

 凪の耳鳴りは、帯の上では少しだけ静かになった。

「効いてる」

 リサは鼻先で笑った。

「この街は踊れる」

 踊るのに、音は要らない。歩幅と間取りだけで、人は踊る。

 設置を手伝っていた商店会の若手が言った。

「これ、名前つけたくなりますね」

「つけない」

 凪は短く返す。

「つけると取りに来る。取りに来た人は、持って行く。持って行かれた手順は、遅くなる」

 若手は笑い、「了解」と言って、丸の上にテープを追加した。丸は四つになり、子どもが嬉しそうに数え直した。

 駅前広場では、消防の隊員たちがベンチに歩幅線を貼っていた。等間隔ではない縞は、人の目にだけ効く。等間隔を微妙に崩した方が、待機の列がほどけやすい。

 地下のコンコースでは、鉄道の担当と支援室の設置班が縞パネルを柱に取り付けていく。反射が出ない角度、視線が抜ける高さ。

 病院の受付では、事務長が新しい掲示を貼っていた。「停電時は紙カルテを患者の側に」。下に三つの丸と矢印。色は黒一色。派手さがないからこそ、目に残る。

 片桐はカメラを肩にかけ、地味な画を拾い続けた。床にテープを貼る爪の音、紙が角で擦れる音、ベビーカーの車輪が丸の縁を越える音。マイクは低い位置。子どもの笑い声は切りすぎず、店員の息の音は残す。

「事件の実況ではなく、手順の実況」

 自分に言い聞かせるみたいに呟いて、映像のカット表をメモに書いた。編集長の顔は浮かぶが、浮かばせない。数字の波形も浮かぶが、閉じる。画面の右上に“生放送”を固定し、テロップに“ここで半歩”を置く。派手ではない。だが、真似できる。

 夕方、リサが欄干に細い布を巻いていた。風に鳴るためではない。光をわずかに柔らげるため。欄干は夜になると玻璃のように硬く見える。そこに布が乗ると、目が一瞬だけ速度を落とす。

「布は名前になる?」

 凪が訊くと、リサは首を振った。

「布は道具」

「じゃあ、道具で」

 二人で布の端を軽く結び、結び目の角度を直した。結び目の形は、歩幅と同じだ。硬すぎず、甘すぎず、ほどける準備を常に持つ。

     *

 夜、支援室へ戻ると、黒江が次の紙束を配った。短期対策のチェックリスト。封印倉庫の監視カメラ角度の変更、台車の荷重センサーのアラート閾値の設定変更、封印テープの発注先の入札要件に“教育済み”を加えること、返納品の受け取り時の二重記録――すべて今日中に着手済み。

「空白は今日もどこかに生まれます。生まれるたびに塞ぐ。塞ぎ続ける。誰か一人に背負わせない」

 黒江は結びにそう言い、紙コップにお湯を注いだ。コップの白は、昼間から何度も見た白と同じ。白は便利だ。白で線を引くと、夜でも見える。白いものを増やしすぎると、朝が眩しすぎる。増やしすぎない白を、明日も探す。

 凪は机に肘をつき、ホワイトボードの今日の線を目でなぞった。歩く絵。人のレール。声の高さ。

 そこへ片桐が戻ってきて、カメラのバッテリーを外しながら言った。

「地味な番組の台本、骨はできた。特集タイトルは空白にしておく。空白にしていることを、視聴者に伝えるつもりはない。空白は“説明”すると、顔になるから」

「顔にすると、取りに来る」

「そう」

 片桐は頷き、編集長からのチャットの通知を一つ閉じた。

「“反乱”のVTR、まだ生きてる。だけど、差し替える枠を作った。数字が落ちたら僕のせい。落ちなくても僕のせいにしていい。現場のせいにする気はない」

「明日、街は助かります」

 凪が言うと、片桐は少し笑った。

「助けるのは街で、僕らじゃない」

 窓の外、通りの白い帯が夜の光で薄く浮かび上がる。蛇行の線を子どもが辿り、若いカップルが丸の上で立ち止まり、老人が杖を縁に沿わせる。

 リサが手袋を外して、コートのポケットを叩いた。中から細い筆が三本。

「まだ敷ける」

「まだ敷こう」

 凪は立ち上がり、ロール紙の残りを肩に担いだ。肩が心地よく重い。重さは不安を下に押し下げる。上半身の力みが抜け、耳の奥が静まる。

     *

 夜更け、二人は最後の一本を敷いた。人通りの少ない裏通り。冷たいタイルの上でテープがよく効く。丸は少し大きく、蛇行は浅く。

 通りがかりの青年が、足を丸の中に入れて止まった。何も言わずに、次の丸へ半歩だけ移動する。半歩の移動が、見ているこちらにも移る。

「名前、やっぱり欲しくなるな」

 青年が笑いながら言った。

「いらない」

 リサが即答する。それから一拍置いて、小さく付け足した。

「欲しくなったら、合図になる。合図はいらない。間取りだけ」

 青年は「間取り、いい」と呟いて、小走りに角を曲がった。

 支援室に戻る頃には、日付が変わりかけていた。凪は旗の布端のほつれを指で撫で、ほつれた糸を一本だけ切った。

 黒江はホワイトボードの“冬至”の文字に細い丸を付け、下に短く一行を書き足す。

 街を休ませる

 歩幅で反論

 誰も承認しない。承認はいらない。これも名前ではない。ただ残す言葉だ。紙に残すと、身体に入る。身体に入ると、明日、真似できる。

 片桐は編集デスクに短いメールを打つ。

《第一部、手順実況に差し替え。二十時三十分のブロック、地味で押し切る。責任は私》

 送信すると、返事のウィンドウがすぐ開いた。

《数字が落ちたら君の責任だ》

《はい》

 片桐は笑って、ノートPCを閉じた。笑うのは、終わってからでいい。終わっていないときは、笑わない。

     *

 翌朝も会議は続いた。会議と呼ばない会議。廊下に机が二つ増え、椅子が五脚増え、紙コップはまた補充された。新しく来たのは修理工の男性と、保育園の主任と、タクシー会社の運行管理。

 修理工は言う。

「停電時、マンションの給水ポンプが止まります。階段の踊り場に“持てる水の量”の目安を張るといい。子どもの手で持てるのは五百ミリの二本まで。二リットルは大人二人で」

 保育園の主任は言う。

「避難時の列は“背の順”にしません。歩幅の順にします。背の順は見た目がいいだけで、角で崩れます。歩幅の順は、角で崩れません」

 タクシー会社の運行管理は、運行記録の紙を見せた。

「“無線が死んだ時の表”を配っておきます。付け待ちの位置と順番、ベビーカー優先の合図、病院の“入り口で降ろす”位置。マグネットで貼れる札を作る」

 凪はペンで丸を増やし、矢印を描いた。紙の上の線が増えるほど、街の線は見えやすくなる。見えやすくなるほど、誰かの合図に頼らずに済む。

 昼前、黒江が最後の締めをした。

「誰も主催名を名乗らず、誰もヒーローになりません。今日のことがニュースにならなくて構いません。ニュースにするのは、歩く人です。貼るのは、線です」

 凪は短く言葉を継いだ。

「勇者は打刻しない。でも明日、街は出勤します」

 廊下の窓から見える通りに、白い帯が一本、曲がっていた。昨日敷いた蛇行が、朝の光で細く光る。丸の上で半歩だけ待つ人がいて、次の丸へ半歩だけ移る人がいる。

 冬至の広域静音まで、残りわずか。

 名前のない会議は、今日も明日も、廊下で続く。

 拍手はない。いらない。

 紙とテープと、短いカード。

 それだけで、人は歩ける。

 歩ける街は、止まっても崩れない。

 そのために、今日の線を増やす。

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