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飛鳥がどうしても行きたかった依頼は複数ある。
そして、そのうちの一つこそ、今回志瑞が選んだ依頼『ポルターガイスト』だ。
桜坂市の隣町、八遠町。桜坂市郊外とも表現できる田園地帯。都市部の桜坂市へのアクセスが良く、ところどころに観光スポットが点在している長閑な雰囲気が魅力の町だ。
そんな八遠町で数年前から多発している現象がある。
それが依頼名にもなっている『ポルターガイスト』現象。何も起動していないし魔術も人も関与していないのに、物理法則を外れてモノが勝手に動くらしい。
町中で頻繁に発生していて、その現象が原因で物品の破損や紛失が絶えない。モノが浮遊して自ずと動いているのなど日常茶飯事だ。
経済的なダメージが大きく、人々の日常生活に重大な悪影響を与えていた。
『国際魔術連合』や『陰成室』がことの対処にあたっているが、未だ根本的な解決に至っていない。
町民は多くの資金を魔術組織に支払っても解決できなかった現実、起こっている現象を不気味に感じて遠のく観光客にほとほと困り果て、ついに依頼報酬が不要の『JoHN』に相談を持ちかけたという経緯。
とはいえ、『国際魔術連合』ほど優秀な魔術師が集っていない『JoHN』が解決できるのかと言われると、お察しなのである。
案の定誰も依頼を解決できず、霧乃が『懐刀』に回すのが従来の処理手順だったが、飛鳥が決裁を留めて保留処分とした依頼だった。
飛鳥がこの依頼の対応に行きたかった理由はただ一つ。
このような『高難易度で、多くの人たちに被害が及んでいる』案件であれば、『恩人』が動くのではないか。
そして自分がその現場に赴けば、『恩人』と再会ができたり、そう事がうまく運ばずとも、少しでも手掛かりを得られるかもしれない。
そんな淡くも切実な期待だったのだ。
『恩人』の姿を見ても、飛鳥が『恩人』だとは判別できない。『恩人』とのやり取りや出来事だけ覚えていて、『恩人』本人については何も覚えていないから。
だが、『恩人』を『恩人』たらしめる確実な要素なら確かにある。偽者に騙されることだけは無いだろう。
だから、霧乃からの指示で志瑞に主導権を終始握られる形となってしまったが為に半ば諦めていた『依頼』を、志瑞がピンポイントで選んでくれるとは夢にも思っていなかった。
ただ、志瑞という如何にも詐欺師をしていそうな風体の男を連れ回すのには些か抵抗があるのが難点だ。
「え、本当にその依頼でいいの?」と半信半疑で確認した飛鳥だが、「寧ろ探してたのはこういうのだよ。これに行こう。霧乃ちゃんに報告しとくよ」とあっさり肯定された。
うーん、嬉しいような、残念なような。
複雑な感じで悶々としている飛鳥に構わず、志瑞が「じゃ、また明日に落ち合おうか。簡易チャットで都合の良い時間と場所でも指定しといて。僕は僕なりに探ってみる」とお会計を済ませてから席を立つので、「あ、ちょっと」と飛鳥は追いかけた。ITレンズの機能で勝手にキャッシュレスでお会計がされるのを横目に店の外へと出て志瑞の姿を探せば、まだ近くの交差点にいたのでこっそり尾行を始めた。
別に他意はない。強いて言えば、勝手に依頼を消化されちゃ堪らないと思った末の行動である。
こちとら、『恩人』に関する情報は喉から手が出るほどほしいのだ。志瑞にその情報を抱えられたり握りつぶされる訳にもいかない。
志瑞が勝手に動かないか見張る目的で後を追うのだが、彼は存外素直に、真っ直ぐ『JoHN』本部へと歩を進めている様子。寄り道もしそうにない。
そのことに密かに安堵していたところで、彼は前方の交差している道路を走っていたらしい子供とぶつかった。
よほど勢いが良かったのか、或いは彼の体幹が弱いのか、志瑞はあっさりとバランスを崩して交差点側へとよろけ、そこを走っていたトラックに弾き飛ばされた。
「ええ?」
並の魔術師など知らない飛鳥だが、少なくとも飛鳥が世話になった『軍』の魔術師や霧乃であれば、そんなあっさりと吹っ飛んでいくこと無く各々の判断で衝撃を殺せそうだっただけに、「ぶべら!?」と間抜けな声を出してぶっ飛んだ彼に驚愕していた。
一応彼の姿を目で追えば、志瑞の身体はそこの住宅の塀に叩きつけられ、ずるずると下に落ちていった。
「いててて」と背中を擦る彼の上から塀の上にあった植木鉢が落下しては志瑞の頭部に直撃して、きゅう、と気を失った様子の彼が倒れ込んだ先にあった鉢の破片が目に刺さり、一瞬で「痛い!」と意識が戻っていた。
「ええ……?」
不幸体質にも程があるでしょ。
飛鳥はドン引きした。
さすがに大丈夫かと心配して駆け寄ろうとした飛鳥だったが、人の姿を見て踏み止まる。
チンピラのような風体の男性が数人、志瑞がぶつかった塀のあった住宅から出てきては彼に詰め寄る。
「何ウチの塀に罅を入れてくれとんじゃワレェ」
「植木鉢まで割りやがったなァ?!」
志瑞は急に因縁を付けてきた二人にきょとんとしていた。
そりゃそうだ。少なくとも彼は意図的にそうした訳じゃないし。というか、今のご時世にこんなテンプレみたいな不良いたんだ……。
飛鳥が観察する間にも志瑞は立ち上がって埃を払う。
植木鉢に頭打ったのに元気だな、と他人事のように思った。
「やあ。こんな真昼間から元気だね。何かいい事でもあったかな?」
「ンだとコラァ!」
「巫山戯んなクソが!」
現在進行形で絡まれているのに尚ヘラヘラしている志瑞に、不良はより一層怒りが増している様子だ。
何だかんだ霧乃が『懐刀』と呼ぶくらいだし、自力で対処できるでしょう。その腕前、実力を拝見しようかな?
そんな思考から観察を続けていた飛鳥だったが、次の瞬間唖然とした。
その怒りのまま放たれた蹴りが志瑞の頭部に直撃し、首の骨が折れたような音を立てて志瑞が倒れたから。
「……え?」
不良が追加攻撃でガスガスと蹴りや殴りを入れるが、抵抗どころか呻き声すらしない。
というか、ピクリとも動かない。
まるで屍のようだ。
思わず閉口する。
「……、」
不良の打撃音だけが路地裏に響く。
その動きを見るに、この二人は魔術師とかではなく一般人のはずで。
「……」
とどのつまり、ただの一般人に、『懐刀』はやられたということになる。
「……!」
飛鳥はその路地裏に背を向け、クラウチングスタートで駆け出す。そして周りの様子などお構い無しに霧乃に通信を繋げた。
『一体全体どうしたんだ。今は仕事に集中する時間と決めていたのに通信とは……私の仕事を遮ってまで知らせたいことでもあるのかね』
半ば呆れ気味な霧乃だが、飛鳥は怯むことなく口を開いた。
「ちょっと霧乃ちゃん、『懐刀』が死んだんだけど!」
『……???え、っと。本当に何があった?』
宇宙を背負った猫のようにポカンとして、霧乃が続きを促した。
「何がも何も、そんじょそこらの馬の骨ともしれない一般人不良のキック一発で頚椎折れてご臨終するような不幸体質の胡散臭い男を『懐刀』とか言って!騙したんでしょ!?私を黙らせるために適当な囮を押し付けたんでしょ!?最強なんじゃなかったの!?あんなの護衛にいたら私も死ぬじゃん、私に死ねと!?」
飛鳥は激怒した。
必ず、この邪智暴虐な上司にして友人を一発殴らねばならないと決意した。
飛鳥には魔術師の雇用とか契約とか実力とか、その辺は全く分からない。魔術の素養など皆無の一般通過人外である。
しかし、しかしだ。『身体強化』なる魔術や『障壁』なる魔術を使えば、あんな不良のキック一発ぐらい余裕で凌げるはずなのだ。車に吹っ飛ばされたり、塀にぶつかったり、植木鉢で頭を打ったり、そういったことも起こりえなかったはずなのだ。
それができていない志瑞空という男は、人格面でも実力面でも全く信用できない人だと飛鳥は実感した。
まあ、死んだから護衛は挿げ替えられるだろうけど……霧乃ちゃんマジで許すまじ。絶許。
怒りの感情そのまま吐き出して、飛鳥は少しスッキリした。
霧乃はその訴えに対して暫し沈黙していた。
図星だったのかと飛鳥が考えた頃。
『あっははははははははは!!!』
霧乃が突然爆笑し始めた。
「何笑ってんのよ。私全然笑えないけど」
拗ねた飛鳥を宥めるように、霧乃はくつくつ笑いながらも弁解した。
『いやーすまない。彼は平常運転のようで、本当に面白いな』
「平常運転???あれが???」
よく成人できたな、と逆に感心した。
飛鳥の困惑を他所に霧乃は続ける。
『まあ、そうだな。誤解を代わりに解いておこうか。一つ、彼は魔術師などでは無いよ。一般人だ』
「……はあ、」
『二つ、彼は『最強』ではない。むしろ『最弱』さ』
「それはわかるけど」
じゃあ、何故彼は『懐刀』なのだろうか?
そんな疑問で飛鳥の脳内はいっぱいだったが、更に爆弾を投下された。
『三つ。彼は、そんなことじゃ死なないよ』
「……?」
信じられるわけがない、と反射的に思う。
トラックに撥ねられ、塀に叩きつけられ、植木鉢で頭を打って、不良に蹴られて。
あれは、確かに“死んだ”はずだった。
何を言ってるのか、霧乃ちゃんは。飛鳥がそう口を開きかけ、
「やあ、飛鳥ちゃん。そんなところでどうしたの?」
目を、瞠った。
嘘、と飛鳥は勢いよく振り向く。
振り返ったその先にいたのは、トラックに撥ねられた跡も、塀にぶつかった傷も、植木鉢が落ちてきた跡すらない、風ひとつない、まるで鏡面のように整った志瑞空だった。
髪は寝癖すらなく、埃も、服の皺ひとつない。
『何も起こらなかった』かのように、彼は無傷でただそこに佇んでいた。
いつの間にか背後にいたとか、気配を感じなかったとか、足音がしなかったとか、そんなことはどうでもいい。
それよりも、生命として大事な法則が、今目の前で覆されている。
「いやいやいやいや……嘘でしょ……」
頭の中で何かが崩れる音がした。
考えようとしても、まともな言葉にならなかった。
飛鳥の足が震える。
幻覚か、夢か、魔術か。それとも。
背後の風景と比べてノイズのように浮いて見える。
時間が巻き戻ったわけでもなく、ただそこに『現れた』としか言いようがない。
あらゆる現象を無視するように、彼だけがそこから切り取られたかのように、正常だった。
志瑞空は口を三日月のように歪ませ微笑む。最初に見た時より一層と不気味さが増していた。
『……言っただろう? 飛鳥。あの人は、そういう男だ』
目の前の現実が受け止めきれていない飛鳥の脳に、霧乃の通話の声がこだましていた。
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