4 とりあえず戦闘は必須
夕食はハンバーガーだった。新鮮な食事ができるのは、これで最後だった。
この先1週間は、缶詰や干物で暮らさなければならない。火を使えないのが、一番痛いところであった。
本当の探検隊ならば、狩りをして火であぶって食べたりするのに、と妃美香は考えた。
夕食後、委員が集めてきた本に関して判定が行われた。
大抵の本は棄却されたのだが、幾つかの本は残った。いまいちなロマン語で書かれたノストラダムスの予言書についての論文は、その一つである。
「一応、閲覧室全体に結界を張りますから、勝手に外へ出ないでください」
就寝前に委員長が注意した。
女子生徒は妃美香と深蘭と2-Hの3人だけである。男女で大体半分に仕切ったので、広さに余裕があった。
一日中、歩くか立ち詰めだった。妃美香はすぐに寝入ってしまった。男子生徒も同様らしい。修学旅行と違ってはしゃぐ余裕はない。
翌日、一行は一旦ベースキャンプを畳んで地下へ向かった。荷物が増えたが仕方ない。委員長の指示である。
そして、昨日の続きを始めた。仕事が捗る前から、荷物が疲労感を増す。それでも委員たちは仕事を続けた。
深蘭と委員長も昨日の続きで、枝分かれした通路へ来ていた。
まん中の道の入り口に、生徒が一人、うつ伏せに倒れていた。女生徒の制服を着ている。
「驚いた。この結界は、人間も通さないのか」
全く驚いていない口調で、深蘭が言った。委員長は、かぶりを振った。
「いいえ、きっとこの者は、何かに憑かれていたのでしょう。それにしても、侵入者と本喰婆の関係がわからない」
倒れた生徒の身体がぴくぴく動き始めた。
彼女は、人間とは思われない、操り人形のような動作で立ち上がった。再び何かが取り憑いたか、既に取り憑いていた何かが動き始めたようだった。顔が露わになる。少なくとも、今回の隊員ではない。
女生徒は委員長を見つめ、口を開いた。目が死んでいる。
「ようこそ、我が根城へ、吉田殿。お前のかわいい部下は、わしが預かった」
「なにっ? どういうことだ」
「返して欲しくば、わしの所までくるがよい、ひゃっひゃっ」
言い終わるとその女生徒は背を向けて去った。委員長と深蘭は入り口の方へ戻ってみた。誰もいなかった。
「くそっ、やられた。だが、どうやって?」
図書委員長の声が震える。
「おそらくは、ここから入り口までの間に、隠し扉があるのだろう。済まない。油断した」
「いえ、御門さんのせいではありません。委員長である私の責任です。委員達が消えた跡を探しましょう」
2人は他の委員を探し始めた。
一方、妃美香は誰かにつつかれて目を覚ました。2-Hだった。
「ちょっと、そこの1-A男子も起こしてくれない?」
「はい」
起こそうとして、自分が縛られているのに気付いた。荷物はない。仕方がないので縛られた身体ごと、彰をつついてみる。もう体当たりである。
「鹿島くん、起きて」
「え、なに。僕、眠ってたんだ………うわ。これは」
彰につられて、妃美香も自分の周囲を見渡した。
一緒に仕事をしていた委員が縛られている。荷物は、近くに放置してあった。委員長と深蘭だけが見あたらない。
妃美香達のいる場所は岩屋のようなところで、60畳位の広さがあった。奥の方に何かの祭壇があり、壁に奇妙な星形が描かれていた。ロウソクの林に取り囲まれ、ゆらめく炎のせいでうごめく影ともども、一層不気味に見える。
その前では、生徒達が思い思いに立ったり座ったりしていた。彼らは全部で10人くらいいたが、皆、制服の上に黒いマントを羽織っていた。
せっかくのマントだが、暑いせいか、揃って背中へ回しており、小さい子がヒーローの真似をして遊ぶ時の格好を連想させた。
「悪魔崇拝の儀式だ。僕たち、生け贄にされちゃうのかな」
「のんきなことを言っていないで、早くそこの荷物からボウイー・ナイフを取って」
2-Hが小声で叱咤した。確かに、彰の近くに転がっているリュックサックから、ナイフの柄がはみ出していた。よくぞ、敵に没収されなかったものである。3人は、彼らにバレないよう、揃ってじりじりと横へ移動した。
こちらが暗いおかげで、黒マント達は気付かない。じりじり。じりじり。
ようやく荷物の脇へ来た。後ろ手に縛られたまま、柄を掴んでゆっくり身体ごと引き抜いた。見られないうちに、慌ててしゃがむ。
「OK。じゃ、隣の人の縄を切って。そしたら、手で縄を持って縛られている振りをするのよ、出口がどこかわかるまで」
2-Hの指図によって、妃美香たちの身体は早くも自由になった。
後ろでまだ寝ている仲間を起こそうとした時、前の方が急に騒がしくなって、図書委員たちはぎょっとした。
見ると、一人の女生徒が祭壇の前に現れて、そのために騒がしくなったのだった。別に見つかった訳ではないらしい。
その女生徒は黒マントを羽織ってはいなかった。彼女がぎくしゃくと手を挙げると、他の者達はその周囲にひれ伏した。黒マント集団の上に立った彼女は、掠れ声で話し始めた。
「わしのしもべたちよ、喜べ。もうすぐここへ、あの神官の息子がやってくる。奴を倒せば、わしも外へ出ることができる。いよいよ到来する、わしの時代の前祝いに、奴をせいぜい歓迎してやろうぞ。ひゃっひゃっ」
おおーっ、と暗い歓声が上がった。彼らは皆、操られているか、取り憑かれているかしているのかもしれない。女生徒ほどではないものの、高校生にしては動きが緩慢にすぎた。
「あれはきっと、本喰婆だ。実体はもうないのかな」
彰が呟いた。妃美香は女生徒の演説から委員長達が助けに向かっていると知って、少し気が緩んだ。ところが女生徒は続けてこういった。
「じゃが、ただ待って居るのも退屈。幸いそこに美味そうな者が転がって居る。誰か2、3人連れて来るのじゃ。わしの糧につまんでやろう」
前列にいた3人は硬直した。黒マントの一人が立ち上がった。ゆっくりと妃美香達の方へ近づく。
女生徒だった。妃美香は、ひょっとしたら彼女の好みで男子生徒を選んでくれるかもしれない、などと勝手なことを考えた。
だが、男は生かしておくべきだ、と操られながらも心の本能に従ったのか、まっすぐ妃美香へ歩み寄った。
妃美香は後じさりした。すぐに動きがとれなくなった。彰が、意を決した顔で妃美香の前に身体を動かしてきた。
「鹿島くん」
自分の身が少しばかり安全になった途端、思い出したことがあった。縄が切れていたのだ。無論、彰はそのことを覚えていた。
2-Hが一番早く行動した。黒マントが身をかがめた時、縄を離してみぞおちに一発お見舞いしたのだ。
完全に油断していた黒マントは、呻き声と共にひっくり返った。
息を継ぐ間もなく総攻撃がくるかと思ったが、何も起こらなかった。不審に思って祭壇の方を見ると、皆、在らぬ方向を見つめている。そしてその先には、
「委員長!」
と、深蘭がいた。掠れ声の女生徒が高らかに笑った。
「ひゃっひゃっ、来おったわ。下僕たちよ、やっておしまい」
黒マントたちは、先ほどまでの動きからは想像もつかない速さで深蘭たちを取り囲んだ。妃美香たちの前に倒れていた黒マントもひょこっと起き上がると、こちらを無視して応援に向かった。やはり操られているのだ。
誘い出された図書委員長と深蘭は、洞窟のような場所に至って、委員たちを見つけた。縛られてはいるが、生きている様子に安堵する。
深蘭は、委員長にささやいた。
「雑魚は片付ける。本喰婆に専念なさい」
「頼みます」
深蘭が委員長から離れると、黒マントが追ってくる。彼女がさっと手を一振りするなり、彼らは足に根が生えたように動けなくなる。
急展開に驚く妃美香たちの元へ、深蘭が駆けつけた。彼女は、まだ寝ていた男子3人を蹴起こした。意外に足さばきが鋭かった。
「早く、こちらへ」
妃美香たちは男子3人の縄を切り、荷物を背負って深蘭の後ろに続いた。
祭壇の脇まで来た。人がくぐれる程の黒い穴が開いている。深蘭はそれを指した。
「ここを通ってとにかく地下から出なさい。2-Hさん、あとは任せる」
すぐに身を翻した。妃美香は暗い穴をくぐるのが怖かった。しかし先輩に急かされ、渋々従った。
委員長は女生徒の姿をした本喰婆と対峙していた。彼女は彼を舐めてかかっていた。
「暇つぶし、ひゃっひゃっ」
本喰婆は、祭壇にあったニワトコの枝を取って投げつけた。枝はたちまち大蛇に変わって委員長に襲いかかった。彼は懐から半紙を取りだしてまき散らした。それらは鷹に変じて、大蛇に襲いかかった。代理戦争が始まった。
「なにゆえ、何故、吉田の者が安倍の術に通じておる」
本喰婆がわめく。掠れ声が震えを帯びていた。委員長は応えず、口の中で呪を唱え、手にした細縄を繰り出した。細縄は女生徒に巻き付いた。彼女は唸り声を上げた。
「ぐぅおおっ、がああっ」
大蛇がニワトコに戻り、鷹も消えた。そして苦悶する女生徒の身体から、何か不気味な物が抜け出しつつあった。
「うひぃーっ」
女生徒の身体がまた奇声を発した。周囲にうごめいていた、黒マント達の姿が一時に消え去った。
「がげぶぉっっ」
遂に女生徒の身体から本喰婆が抜け出した。それは瞬く間に壁の逆五芒星へ吸い込まれていった。委員長はすぐ細縄を捨て払い串を取りだした。呪を唱えながら、それを逆五芒星の中心へ打ち込む。
「ぎいぃぃぃぃっ」
耳障りな音が岩屋内に反響し、続いて閃光が走った。壁が崩れ、中からミイラが転げ落ちた。それはすぐに塵と化した。
「終わった」
深蘭の声で、委員長は我に返った。周囲を見回すと、何もなかった。本喰婆が憑いていた筈の女生徒の身体も。
「遅かった。彼らは既に死んでいた」
「そう、ですか」
「私の助けなど、いらなかったな。大したものだ」
「いえ、御門さんの助けがあったからこそ、私はあれを倒すことが出来たのです」
委員長は微笑んだ。一つしかない美しい瞳が、濡れ光っていた。
「では、戻ろう。この空間はふさいだ方がよかろう」
穴の入り口で立ち止まった深蘭が言う。彼女が軽く手を振ると、岩屋の天井が崩れ始めた。空間が埋もれる前に、彼らは遠く離れたところまで進んでいた。暗がりから声が聞こえてきた。
「探索はどうする。本喰婆を倒したから、引き上げるか」
「委員たちの気力次第です」
そして、彼らは予定通り1週間にわたる探索をまっとうした。
第45回整頓隊、生還率100%。史上初の成果であった。