3 図書委員長が陰陽師
彰は妃美香の近くで本棚を調べていた。彼女が小さな声を立てた。
「どうしたの」
「この本、探索本と違う?」
妃美香が差し出した本は、表紙がぼろぼろで酷い状態だった。
彰はそっと受け取り、丁寧に頁を繰った。ミミズののたくったような黒い線が現れた。彼はじっと黒線を見つめ、それから数回めくって他の頁を眺めた後、本を閉じた。
「よくできているけど、『書道研究部』の作品だね、これは。まあ、あの部は古いから、ここにあっても変じゃない」
「違うんだ」
妃美香ががっかりした様子なので彰は苦笑した。
「あるかどうかもわからないのに、すぐに見つかる訳はないよ。でも写本があるということは、近くに本物があるかもしれないね。頑張って探そう」
「うん、そうだね」
他の委員も手袋をはめて右往左往していた。
一方で委員長と深蘭は、枝分かれした本棚を注意深く観察していた。それらの棚の配置に不自然さを感じ取ったのである。
「本棚ごと動かされている。本を出した形跡がない」
「御門さん、ここの引っ掻き傷は何でしょうね」
一つの本棚の角に傷があった。まだ新しい。平行線が3本、斜めに走っていた。他の本棚にも、同様の傷痕がいくつか見つかった。深蘭は更に声をひそめて言った。
「委員長、見覚えがあるか」
「いえ。もしかしたら、違う系統のものかもしれません」
委員長の額に汗がにじむ。深蘭はハンカチーフを取りだして彼に渡した。
「ありがとうございます」
委員長が額の汗を押さえる間も、深蘭は周囲を観察する。
「心配するな。同じことだ。と、すると『科学的魔術研究部』の仕業かもしれない。最近、ここで黒魔術が行われている、という噂を聞いた覚えがある」
「ははあ。そちらになりますか。でしたら何とか」
と、委員長の愁眉が開いた。深蘭は返されたハンカチーフを受け取り、しまい込む。
委員長は、背中の荷物から半紙を幾枚か取りだした。それらを動物の形に引き結び、何やら呪文を唱える。
半紙は白い狐と化して枝道の一本に入っていった。彼は道の数だけ白狐を作って放った。
「安倍晴明のような事をする」
深蘭が面白そうに言う。委員長は苦笑いをして
「父が知ったら怒るでしょうね。でも、これも卜部神道には違いありません。偵察しかできませんし」
と答えた。2人はそのまま暫く待っていた。2-Hが声を掛けた。
「委員長、地図を書き込みましたので、本の探索に移ります」
「ご苦労様。あ、ちょっと待って。戻ってきた」
両端の道から一匹ずつ白狐が戻ってきた。委員長が触れると只の紙になった。彼は紙を丁寧に畳んだ。
「この2本は大丈夫だ。君、悪いけど、こっちの地図も描いて欲しい。私も一緒に行く。御門さんはここに残っていてください」
「わかった」
委員長と2-Hは、右端の道へ消えて行った。深蘭は辺りの本を探し始めた。帽子の灯りを頼りに2段ばかり漁ると、また白狐が2匹戻ってきた。主人の委員長がいないので、彼らはとまどっているように見えた。深蘭は命令した。
「汝らの主人が戻るまで、その場に留まるがよい」
白狐たちはその場へ釘付けとなった。程なく、委員長たちが戻ってきた。
「やっぱり袋小路だったな。きっと、左端も……あ、帰っていたのか」
彼は目敏く白狐を見つけた。と、同時に白狐たちの緊縛が解けた。
委員長は彼らに手を触れて紙に戻した。それからふと深蘭を見たが、彼女は知らぬげに本を探索していた。
「じゃ、左端の方も記しておこう」
再び委員長と2-Hは奥へ消えた。深蘭は入り口の方を見やった。
委員達は勤勉に働いていた。暗いのと、本が古びているのとで、探索はなかなか進まない。本を出したり入れたりする動きで、どうしても埃が立つ。空気が悪いのも一因である。
ただ不思議なことに、長年放置されている割には、埃の量が少なかった。まるで誰かが定期的に掃除をしているかのようである。その定期的な誰かはもちろん、図書委員会ではない。探検隊装備には、掃除用具まで含まれなかった。
「ないわねえ」
手を払いながら妃美香が言った。本から出る細かい繊維で、手袋がすぐに汚れてしまう。
「余り使わない本だから、入り口付近にはないんだろうね」
彰が応じた。眼は本棚から離さない。
「でも、この階は本整人の手が入っていないから、紛れている可能性もあるよ」
少し離れた棚を探す2-Fの委員が言った。彼もやはり本の背表紙から眼を離さない。
「そういえばそうね」
妃美香は目を奥に転じた。2-Dと2-Jの委員が本を探索する灯りが見えた。その奥はもう、わからなかった。委員長達がいるはずだが。
深蘭が微妙なロマン語で書かれたM.ノストラダムスの予言書に関する論文を読んでいると、委員長と2-Hが戻ってきた。
「ありがとう。本の探索にかかってくれ。悪いけど、地図は置いていって」
「はい、委員長」
彼女は角を曲がって去った。委員長は深蘭に向き直った。
「御門さん、ちょっと」
「ん」
深蘭は顔を上げて本を棚へ戻した。
「どうだった」
「両端の道は、ほぼ同型の袋小路です。それと、さっき戻ってきた白狐たちは、順番が入れ替わっていました。そこの通路は中でつながっているのでしょう。ところで、残りの1匹は帰ってきませんか」
「見ないな」
「変ですね。まん中は袋小路の筈ですが」
深蘭は答えなかった。委員長は黙って考えていたが、急にはっとした。
「次元の扉が開いているのでしょうか」
「さっきの道を辿ってみれば、わかる」
2人は左から2番目の道へ入っていった。深蘭は2-Hが持っていた地図に書き加えながら進んだ。委員長は前に立って歩く。本棚には特段の異常は見られなかった。
やがて道は突き当たりに至り、右側に逆戻りするような形で続いていた。2人は突き当たりの本棚を調べた。まん中の道の背後に当たる部分も調べてみた。本が詰まっているだけであった。委員長が立ち上がって首を振った。
「だめです。何の気配もない」
「では、戻ろう」
右側の道を逆行すると、右から2番目の道から出た。最後の白狐は戻ってきていなかった。
「この位置に結界を張る必要があるな。できるか」
「ええ。でも、白狐が」
委員長がためらう。深蘭が前髪を持ち上げた。
暗がりにも美しく光る瞳が、露になった。
「やれやれ、仕方ない。私が呼ぶから、結界の用意をしなさい。後から何がついてくるかわからない」
「すみません」
「いちいち謝らなくてよろしい」
「はい」
委員長が準備をする間、深蘭は目を閉じて腕組みをしていた。瞳は既に前髪で覆われている。
「できました」
深蘭の目が開かれた。視線は真っ直ぐに、例の道の奥へ注がれていた。組んでいた腕が解かれ、彼女はその一方の腕を前に差し出した。そして、糸を引くような仕種をした。それで終わりだった。
だが、何か奇妙な音が道の奥から聞こえてきた。
「来たぞ」
深蘭の言葉も終わらぬうちに、委員長の腕に白いものが飛び込んできた。
白狐だった。それはすぐに只の紙に変じた。
「早く、結界を」
白狐に少し遅れ、得体の知れない黒いものが迫ってくる。委員長は慌てて結界を張った。
間一髪、その訳のわからないもの共は、委員長が張った結界にぶつかって煙のように消えていった。委員長は、ほっと息をついた。深蘭を見ると、彼女は背後を振り返っていた。
「1匹逃がした。委員の誰かに憑いたようだ」
「何ですって?」
委員長の顔から血の気が失せる。
「ここは引き上げよう。どのみち、様子を見に行かねばなるまい」
「そうですね。皆の安全を確保しなければ」
「今、悲鳴が聞こえないのだから、すぐにどうということはなかろう」
焦る委員長に、深蘭は悠長な見解を述べた。