1 整理整頓は探検装備が標準
史宣は思わず書類整理の手を止めて、妃美香を見た。さすがの光一郎もブリッジを中断して彼女を見た。
「今、何て言った?」
妃美香は2人の視線には気付かず、必死にトランプとにらめっこしていた。
「夏休みに入ったら、旧館の整理に行くって言ったんです。籤で当たったの」
「つまり、図書委員なんだね」
「そう、言いませんでした?」
「よし、勝った。100ポイントだ」
「ええっ、何故!? 勝てると思ったのに」
護衛の一件から、しばしば妃美香は、風紀委員会室に遊びに来るようになった。色に動じない光一郎と、妙にウマが合うのである。そうして史宣の思惑をよそに、2人、時には史宣を含め4人でカードに興じるのだった。
コンコンコン、ノックの音がした。
「どうぞ」
入ってきたのは妃美香と同じクラスの鹿島彰だった。彼は軽く史宣に挨拶すると、真っ直ぐ妃美香に歩み寄って声をかけた。
「白飼さん、図書委員会の時間だよ、行こう」
「あ、鹿島くんか、うん、行く。じゃあ、戸隠さん、委員長さん、失礼します」
肩を並べて出ていった。見送る2人の男達。
「大丈夫ですかねえ、委員長」
「うむ、あの男、白飼さんとやけに距離が近かったな」
「え、いや。そうじゃなくて、旧図書館の整頓隊のことですよ」
光一郎は笑いを堪えて言った。
史宣の表情は変わらなかった。ただ口元の引きつりがわずかに内心の動揺を表していた。
「む。たしかに。昔から図書委員達が尊い犠牲を払いつつ、毎年整頓隊を派遣しているにもかかわらず、一向に進んでいないな」
「大体歴代生還率が平均5割ですよ。図書館の整理にしては低い。はっきり言って、異常です」
「だが、旧館には色々と恐ろしい伝説があるからな。異次元空間に続く部屋とか、本喰い婆あが住んでいるとか」
「毎年のことながら、委員達、まるでアマゾンの奥地へ行く探検隊のような装備ですよねえ」
「火が使えない分、色々準備に気を遣うんだ。そういえば、ここ2、3年の生還率は高かった筈だ」
「ああ、そうでした。じゃ、大丈夫かな」
「うん」
そうは言ったものの、史宣の表情はさえなかった。
図書委員会室の席に着いた妃美香は、どこかで見た顔に出くわした。一人は生徒会長で、委員長と一緒に前に座っている。もう一人は、
「御門さんだ」
生徒会長の婚約者である。相変わらず、長い髪で目元や顔の輪郭が見えない。
人間離れした美貌の生徒会長の婚約者が、このようにもっさりとした印象の人物であることに、妃美香は失礼と思いつつ、毎回驚いてしまう。
巷では、咲寿賀高校の七不思議とも呼ばれているらしい。そして、生徒会長への好感度を高める要因にもなっていた。かえすがえすも失礼な話ではあるが、高校生は正直である。
「ああ、そうだよ。あの人も図書委員で、3年目。しかも毎年整頓隊に参加しているんだ。よく今まで無事だったよなあ」
並んで座る彰が感嘆の面持ちで言う。整頓隊という大袈裟な名前も気になっていたところへ、図書の整理にそぐわない感想に、嫌な予感が湧き起こる。
「それ、どういうこと?」
妃美香は尋ねたが、折りあしく委員会が始まった。
今回の委員会は、旧図書館整頓隊の発足が目的だった。委員長が探して欲しい書籍や必要な装備などをこまごま話した後、
「詳細は、今回の隊員のみなさんにお配りしたプリントにあります。委員会誌にも、体験記を含めて記載してあります。私はこれまで2度の整理に参加し、幸運にも生き延びて参りました。しかし、今回もまた無事で帰る保証はありません。副委員長、もし、私が生還できなかった時には、この委員会をよろしくお願いします」
悲愴な決意を秘めた顔で、脇の副委員長に頭を下げた。彼女も涙を浮かべて委員長の手を取り頷く。妃美香がドラマみたいに大袈裟だわ、と思ってそっと辺りを見回すと、委員は皆真剣な顔つきで彼らを見つめている。鹿島さえも。
そのうちに拍手が起こり始める。妃美香も合わせて手を叩く。盛り上がる拍手の中、図書委員長が「ありがとう、ありがとう、これで心おきなく出発できます」などと言っている。その目に涙が光って見えたのは、気のせいではない。
漸く拍手の嵐が止むと、委員長は職分を思い出した。
「では、神代琉緯生徒会長から、一言ご挨拶を賜ります」
会長は例の超絶美形で微笑みながら登壇した。たちまち室内の空気が緩む。
「みなさん、職務とはいえ、あの旧図書館へ分け入らねばならないお気持ち、お察しします。しかし、旧館には世界でも稀な古書や貴重な文献が数多く埋もれているのも事実です。幸いなことに近年は吉田委員長という優秀な人材を得まして、生還率が格段に向上しました。今回も、前回並の生還を見込めると、私は確信しております。ですが油断なさらないよう、くれぐれも気をつけて行ってらしてください」
隊員は8名で、1年生2名、2年生4名、3年生2名であった。つまり1年生は彰と妃美香、3年生は委員長と御門深蘭ということになる。
吉田委員長は、虎じまの服を着た某有名妖怪漫画の主人公に、そっくりだった。
片方の眼は髪の毛に隠れて見えなかったが、残りの眼は素晴らしく澄んで宝石のように綺麗だった。委員会が終わってから妃美香がそういうと、彰はおもしろい話を教えてくれた。
「委員長は吉田神社の跡継ぎでね、卜部神道にとりわけ秀でているんだそうだ。それというのも彼が生まれる前に親御さんが『優れた霊力を得る代わりに彼の瞳を貰い受ける』と夢のお告げを受けて、生まれてみたらお告げ通りだったという訳」
「え、じゃあ委員長って隻眼?」
「まあ、そういうことになるね」
風紀委員会室の前を通りかかると、丁度出てきた史宣とばったり会った。
「あれ、もう図書委員会終わった?」
「ええ」
後ろから光一郎が顔を出して、トランプをひらひらさせた。
「そこのお兄さんも一緒にやっていかない?」
「いいわね。鹿島くん、どう」
彼は少し躊躇ったが、妃美香の顔を見て腹を決めた。
「僕、ポーカーしか知らないけど、いいかな」
3人を後に残し、史宣は図書委員会室へ向かった。入り口が開いていたので案内も請わずにずかずか踏み込む。神代生徒会長と吉田委員長、御門深蘭の3人が一斉に史宣を見た。
「突然おじゃましてすみません。お願いがあって」
琉緯が屈託のない笑顔を向ける。
「君が取り乱すのは珍しいね。最近はしばしば見かけるけれど」
会長は何でもお見通しだった。史宣は微かに頬を赤くした。
「それでご用とは」
委員長が穏やかに尋ねた。
「僕を旧館整頓に加えて欲しいのです」
沈黙。部屋の中が急に暗くなったように思われた。委員長が口を開いた。
「それは難しいと思います」
そして生徒会長の方を見た。会長が引き取った。
「管轄外だからね。風紀委員が一人いるせいで、図書委員も巻き添えになる可能性は大いにある。却ってまずい」
「それに」
深蘭が言った。
「図書館における危険は、剣で防ぐものの方が遙かに少ない」
「……」
「余り心配しないでください」
慰めるように、委員長が言った。
「今年は私も委員長として参加できますし、御門さんも協力してくれるそうですから」
「鹿島も付いているしな」
深蘭が言い足した。史宣の眉が曇った。
「鹿島くん? 彼も行くんですか」
「ああ。彼はなかなか筋がいいね。棟方くんの心配するようなことはないよ」
相変わらず笑顔のままで琉緯が答える。史宣の曇りは晴れない。図書委員長が、心配そうな目を向ける。
「とにかく妙な真似だけはしないでください。お願いします」
逆に頼まれてしまった。