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作者: 北野凛夜

 日照り続きの夏の後には、夕立続きの秋が来た。

 昼休みまでは晴れていたのに。広斗は、教室の窓から見える空が、見る間に青から灰色へと彩度を失っていくのを、為すすべも無く見ていた。

「まーじーでー。帰り時間狙うみたいに降り出すの、やめてもらえませんかねえ」

 同じように外を見ていた柳田が、机に崩れ落ちるように上半身を預けながら愚痴る。

「言うて柳田君、部活だよね?帰る頃には雨も降り終わってるでしょ。俺みたいな帰宅部は、昨日も本降りの中に突撃ですからね」

 柳田は同じ中学からこの高校に進学した女子が入部したという理由だけで、柄にもなく英語部に入った。活動は土曜を含めて週五、なかなかに熱心な部活で、下心から入った柳田はいつもヒイヒイ言っている。

「図書室で勉強してから帰れば?たまには一緒に帰らん?」

「やーだね。スマホ使えないもん」

 放課後の図書室は自習室を兼ねて開放されているが、一人で勉強したいタイプの広斗はあまり利用したことがない。帰り道でびしょ濡れになっても、家で、好きな音楽とチョコレートがある方が捗る。

「あ、次の授業の予習してなかった。やっとくわ」

「あと五分だよ。頑張れ」

 六時間目が始まるまで、正確には六分くらいだ。予習をして来た広斗は、トイレにでも行っておこうと教室を出る。

 エアコンの効きが悪い廊下は、ムシムシと湿度が高い。外の空気はもっとじめじめとしているだろう。そんなことを考えながらトイレに行き、教室に戻ると、柳田はまだ必死でノートに何か書き付けている。もうすぐ授業が始まるので、ほとんどの生徒が自分の席に着いている。

 窓の外では遂に雨粒が落ち始めていた。駐輪場の古いトタン屋根を、大粒の雨が叩く音が遠く聞こえる。帰るまでに降り止むだろうかと期待しても無駄だろう。夏休みが明けてから、何度そんな期待を裏切られたことか。

 始業のチャイムが鳴り、先生が来て授業が始まる。雨音は完全なBGMにはならず、時折強さを増し窓に叩き付ける風雨に気を取られながらも、授業は進み、やがて終わる。

 帰りのHRも終わったところで、部活のある生徒は同じ部の仲間と集まって、ああだこうだと話を始める。外で活動する野球部やサッカー部は、今日の部活はどうなるのかと盛り上がりながら教室を出て行く。好きで続けている部活なのに、雨で休みとなると浮足立っている。その気持ちは、帰宅部の広斗にもわからないではない。

 広斗はタイミングを窺いながら、わざとのろのろと帰り支度をする。早すぎても、遅すぎてもいけない。隣のクラスの担任は話が長い。

 ――そろそろか。

 結局、勘で席を立つ。

「ねー広斗、今日の夜って」

「悪い、急ぐから後で!」

 柳田に呼び止められそうになったのを振り切って、急ぎ過ぎないように足を進める。後で柳田に連絡するのを忘れないようにしないと。

 タイミングの読みは見事に当たり、広斗が廊下に出ると、隣の教室からぞろぞろと生徒が出て来ていた。その中に一人の女子を確認して、付かず離れずの距離を保って後ろを歩く。我ながらストーカーかよ、と広斗は思うが、同時に、学校の中だけだから許されるだろうと、自分に甘い考えも浮かぶ。

 外は雨が降り続いている。授業中のような強風は鳴りを潜め、しとしとと降る雨。それでもノーガードで外へ踏み出せば、すぐにびしょ濡れになってしまう程度には降っている。

 広斗が背中を追った女子は、一緒に歩いていた友達と下駄箱の前で手を振り合い、少し戻った廊下の一角で壁にもたれる。そうして何気なく周りを眺めると、広斗に気づいて、ひょこっと壁から離れる。小さな体で素早く動くのが、小動物っぽい。

「今日も自転車?結構、降ってるよ」

 他の誰でもない広斗に話しかけて来る彼女に、緩みそうになる頬に力を入れながら頷き返す。

「名札。付けっぱなし」

 広斗はちらりと彼女の左胸に目をやる。プラスチックの名札に印字された「三上彩」という名前は、彼女に似合っていると密かに思う。

「あ、忘れてた。ありがとう」

 名札を付けるのは校内だけで、登下校時には外すのが決まりだ。防犯のためらしい。本当に気をつけてほしいと思いながら、広斗は、名札を外す彩に話しかける。

「三上さんは迎え?」

 名字に「さん」付けというのは、同級生同士では一番距離のある呼び方だろう。もどかしさを感じながらも、どう呼んだらいいのか、どんなきっかけで呼び方を変えたらいいのか、広斗にはわからない。

「そうだよ。この雨の中を自転車で帰る勇気、私には無いなあ」

 彩は広斗を揶揄するように言って笑う。

 晴れた日は互いに自転車で帰るから、こうして立ち話をする口実は無い。雨の日は、彩が親の自家用車での迎えを待つ間、広斗は少し雨が弱まるのを待つという口実ができる。

 彩と初めて会話を交わしたのも雨の日だった。

 広斗の家は自転車でなら二十分くらい、傘をさして徒歩だと一時間近くかかる。両親は共働きだから迎えを望めるはずもなく、バスはあるが待ち時間や混雑を考えると、広斗の価値観では雨の日でも自転車がベストだ。

 それでも母は、朝の天気予報が雨だと、バスか徒歩で帰りなさいと折り畳み傘を通学カバンに突っ込んでくる。

 ある日、彩が傘を忘れて、母親が迎えに来るという近くのショッピングセンターまで行くのに困っていた時に、広斗が不要な傘を貸した。それが、広斗が彩と話すきっかけになった。

 そしてそれ以来、広斗は雨を心待ちにするようになった。



 夏休み明け直後にあったテストのこと。英語の教師が最近よくピンクのネクタイをしていること。他愛もない話をして、そろそろ彩のスマホに母親からの着信が来るだろうかと思った時だった。

「おう、彩。今帰り?迎え?」

 同じ一年生とは思えないが一年生の色の上履きを履いた、大柄な男子が彩に声をかけた。

「そうだよ。あれ?さすがに今日はサッカー部も休み?」

「昨日も降ったからな。グラウンドが沼になって使い物になんねえし、雷注意報も出てるからって」

 男子生徒はそう言いながら、片方の肩に掛けた大きなリュックを揺するように掛け直す。

「そうなんだ。うち、親が迎えに来るんだけど、乗ってく?」

「いや、走って帰る。じゃあな」

 短い会話をして、男子生徒はすぐに靴箱へと向かった。

 彩はその姿を目で追った後で、はっと我に返ったように広斗へ視線を戻した。

「あ、今の、同じ中学だった佐藤……知ってる?」

「ううん、知らないけど、サッカー部の人なんだね」

「そうそう。中学の時からサッカーばっかりやってて」

 彩がそう言った時、着信音が鳴り響いた。彩の母親からの連絡だろう。

「あ……じゃあ、またね」

 それをきっかけに、広斗は彩に軽く手を振り靴箱へ向かった。助かったと思った。自分が今どんな顔をしているのか、どんな顔をしたらいいのか、静かに混乱していたからだ。

 上履きから外履きのスニーカーに履き替え、雨の中へ走り出す。

 雨は好きになったが、午後の雷雨は嫌いになりそうだ。

そして忘れられる柳田。

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