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食卓

作者: 磯目かずま

 いつからだろう、食卓が二つに分かれてしまったのは。夕餉どきに顔も合わせず、おかずも共有せずにめいめいにただ箸を動かす。一方は立派な楠の一枚板の机で一人日本酒とすえた臭いのする香の物で晩酌。もう一方は石油ストーブを円形に囲んだ年代物の机で、市販の素を使った回鍋肉と肉桂を使った林檎の甘味を三人でつついている。

 以前は大きな机で「団欒」と呼べるものが行われていた。それは食を満すことの幸福と、そうしたときにしか交わされない「家族」のうんざりするような交流がないまぜになった喧騒としてそこにあった。

いつからだろう、そんな喧騒がただの隣人の出す雑音になり、日毎夜毎の煩わしさに耐えかねるようになったのは。すれ違えば目も合わせたくはなく、流しに吐き捨てられた食べかすや腐臭を放つ入歯に憎悪を抱き、片や今風の味付けや電子機器を忌み嫌っている。それでも食事を一つの机で共有できていたときと、それすらできなくなった今では何が違うのだろうか。


 食卓が二つであるのはまだ健全な状態である、といえるのだろう。なぜならばそれが一つであり続けることの不可能さを知っているから。背中合わせであってもその場の空気はまだ共有しているから。食卓が二つになり三つになり、nつになったとしてもそれはまだ何かを保っているに違いない。もはやそれぞれが自室に糧食を持ち込んで人目を忍んで貪るようになったとしても、そこには未だ食卓があるのだ。


 六人の男女が喪服を着こんで精進落としを食べている。男やもめの気の弱そうな老人を四人の子どもたちと、死んだ息子の嫁が囲んでいる。在りし日の思い出話に興じるありふれた弔いの場。

ふと、老人が厠へ向かった。飄々とした長女は、「父が先に逝ってくれたらよかったのに」、と彼のいないところで皆に聞こえるよう独り言ちる。「あぁ、まあね」長男はにやけ顔の気のない返事でお茶を濁した通り一遍の回答をする。葬儀の直後にいけしゃあしゃあと形見をせびり、飯をかき込む。既に婉曲的な物言いと能面のような笑顔の張り付いた老人は、厠から帰ってきても恨み節をまた羅紗紙にしまい込んで、酒をすすっている。


 鶏頭と百合の咲くころ、熊蝉の鳴きしきる場所で、彼は一人残った息子の嫁に妻の形見の懐中時計を渡す。そのとき、彼の一人称の「おとうさん」は、「お義父さん」ではなく、「お父さん」だったのかもしれない。


 黒いチョッキとズボンに、黒い革靴といういでたちで、わたしは長い箸を持たされた。薄暗く、熱気のこもった室内には、中央にその熱と淡い光の源である四角い容器があった。その容器を同様に長い箸を持った大人たちが取り囲み、中を覗き込み何かしている。わたしは恐る恐るそこを覗き込む。中には白い、あまりにも白く触れるだけで燐光によって風になってしまいそうな骨が散らばっていた。わたしはそれをまともに見ることができなかった。それはあまりにも眩しすぎて、そして焼け付くようにそこにあったから。

わたしはその白いかけらを箸でつかみ、壺に入れた。かさかさとして脆いそれは、わたしがつかむと「ぱきゃ」といって幾つかに割れた。粉が舞った。わたしの仕事はそれで終わりだった。そして、それがわたしが最期に見た、彼女の身体だった。


「殺すときは苦しませないように、どん、さ」

 彼はいつもそう言っていた。腕利きの屠殺屋である彼は、先祖代々その仕事に携わる一族の生まれである。なんでも今は兄弟で屠殺場とちょっとした肉料理を提供する給油所を経営しているのだという。

「昨日の肉は最高だったな、じい様も喜んでた」

 彼は上機嫌で肉料理の並んだ食卓の写真を見せてくれた。そこには確かに野趣あふれるうまそうな肉塊が転がっていた。浅黒くじっとりとしている机の上に並べられた肉は、まさにそこで捌かれ、宴に饗されたということをありありと伝えていた。

「兄ちゃんはいつも俺を叱るんだ、出来損ないだってね。奴はただのコックにすぎないのにさ!いつだって殺るのは俺と弟なんだ」

 わたしはそう言う彼がちょっとだけ羨ましかった。わたしは兄弟がいないし、兄弟で事業を経営しているなんてなんだか素敵だからだ。

「ねえ、肉を取ったあとの骨はどうするんだい?」と、わたしはなんとなく聞いてみた。

「骨か?それならいつも弟にやっちまうんだ。奴はそれで家具から何から全てこしらえちまうんだ。そうだ、今度うちに遊びにこいよ。奴のつくった傑作のオブジェがあるんだ。うまい肉も用意できるからさ」と彼は言った。わたしは週末の愉しみが一つ、増えた。


 それはある週末だったか、それとも何かの祝日だったかは忘れてしまったが、その日わたしは彼女とラブホテルに行った。郊外にあるいわゆるモーテルの進化系のようなホテルで、非日常的な経験をお手軽に楽しめる安いテーマパークみたいな外見をしている。その日怪しげな肉料理を饗する給油所で幾ばくかのスリルを味わったわたしたちは、若さに任せて休憩がてらと少しの怖いもの見たさでそのホテルに入った。フロントで空き部屋を尋ねると、「キューピッドの入り江」だけ空いていて、そこに決めた。

 部屋に着くと、隣が「未来」の部屋だった。わたしたちは「未来とキューピッドが隣同士だなんてよくわかってる」と談笑して部屋に入った。部屋は黄色を基調とした明かりで間接的に照らされていて、田舎のラブホテルにありがちな張りぼて気味のロココ調の装飾で覆われていた。部屋の中心にはソファとしても使える背もたれになっている円形の回転ベッドがあり、壁側には透明なガラスでこちら側から見えるように設置されている「入り江」を模したバスタブがある。その上部には弓矢を持った天使がいて、湯あみしているアベックを狙っているというわけだ。

 わたしたちは簡単な食事を頼んで「入り江」に浸かった。備え付けられたボタンを押すと泡が出てオルゴールの〈オール・ユー・ニード・イズ・ラブ〉が流れた。君ができることで、やれなかったことはない。君が歌える歌で、歌えなかった歌はない。何も言うことがなくたって、ゲームの仕方なら学べる。

「簡単だろ」わたしはそうつぶやいた。

「そうかもしれない」彼女はそう言って、「全ては愛なんだから」と口ずさんだ。

 部屋に届いたポテトとピザとコーラでささやかな宴をして、わたしたちはセックスした。キスをしたらピザの味がして、二人で笑った。わたしが舐めて、入れて、出すいつも通りのセックス。回転ベッドで抱き合っていると、天使と目が合った。そのときわたしは、舞い降りてくる天使の羽をティッシュ・ペーパーのようだと表現した小説のことを思い出していた。

 サイドテーブルでぬるいコーラを飲みながら休憩していると、「未来」の部屋のほうからこんな歌が聞こえてきた。

 

   愛が本物ならば、それを示さなくてもいい

   それが真実であれば、誰もが知ることになる

   あなたとわたし以外には誰もいないから


 わたしはそれを聞いて、世界がこんなに単純ならいいのに、と思った。彼女はそれを聞いて、「この曲、誰の曲なのかな」と、言った。


 食卓は、いつだって二つに分かれている。だって、そこに陳列されているのは死者であり、それを囲むわたしたちは生者だから。こう言ってよければ、そこは死者と生者が混じり合う場所であり、ひょっとすると、全ての「家族」がそこから生まれてくる場所なのだ。

 だが、そんな簡単に二つに分けられるほどに、食卓というごく限られた場所でさえ単純ではない。おそらく、その一つ一つを覗いてみることによって、そこには真っ白な骨から真っ黒なコーラまで、ありとあらゆる色があることだろう。そのことに思いを馳せることを覚えれば、たぶんわたしの食卓が二つになっていることや、あの日聞いた歌が本当かどうかなんてことを、なんとなく理解して、そして少しだけ受け入れることができるのだと、そう思う。

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