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【第二回】SSコン 〜段ボール〜

【SSコン:段ボール】 家を探して

作者: 福地千畝

「なんだ、青森県産りんごじゃないのか」

 残念そうな声に顔をあげると、三十代後半くらいの男が、私が普段「家」と呼んでいる段ボール箱を覗きこんでいた。この暑いのに、ぴっちりとスーツを着ている。

 彼はそのまま、「家」の隣にあるベンチにどかっと腰をおろした。

 いくら私のこの「家」に「青森県産りんご」と書かれているとはいえ、炎天下、こんな道路にりんごが箱詰めで出しっぱなしになっているわけがない。どう考えても、この中に入っていそうなのは、老いぼれの捨て猫だ。

 さらにいうと、たとえりんごが入っていたとしても、普通はそんなりんごに手を出さない。

 もしかしたらこの男、よほど食べるものに苦労しているのだろうか。それとも、単に無頓着な性格なのだろうか。その可能性もないわけではない。

 私の、心配とも呆れともいえるような視線を受け、男性が苦笑した。

「そうだよな。マヌケな人間だよな、俺は」

 おや。この男、私の思いが分かるのか。

 私は内心、首をかしげる。

 猫の中でも私の表情は、人間には見分けづらいもののようで、機嫌がいい時も悪い時も同じ風に見えているらしい。だからこうして、私の気持ちにこたえるかのように反応する人間は珍しい。

 いや、でもきっと「呆れ」という分かりやすい感情が、私の雰囲気に出ていただけだろう。

 無理やり自分を納得させ、私はとりあえず男を見やった。今さっき口にした言葉には、なにか続きがあるのだろうか。

「おお、りんご。なんか、俺の話聞いてくれそうな顔してるな」

 再び男は、寂しそうに私に笑いかけた。

 いや、待った。いくらこの段ボール箱にそう書かれていたとはいえ、それはない。あまりにも即物的な気がする。もう少し工夫できないものか。

「君、あからさまに嫌そうな顔してるな。いいだろ、りんごで。青森県産りんごじゃ、呼びにくくって話にならない」

 男はそう言いながら、カバンからペットボトルを取り出し、水をグイッと飲んだ。やはりこの人間、私の気持ちが分かるのだろうか。

「で、何の話かって言うと、俺の親友の話なの。幼なじみで、俺くらいしか友達がいないやつだったんだけどさ、高校受験失敗して不良グループ入ってから、お互い話したりすることもなかったの。そしたら去年、急に疲れた声で電話が来たんだよ。奴の不良グループで麻薬の売買を手伝わされそうになって、自分はここにいるべきではないって気づいたそうなんだ」

 もったいぶった入り方だったから、一体なんの話なのかと思ったが、ただの改心ストーリーか。

 すこし拍子抜けした私に、男は声を落として「しかし……」と続けた。

「何しろ奴が住む界隈の全体を、しきっているグループだ。『グループを抜けたい』とは伝えたが、近くの通りで顔を合わせたりする事はある。奴らも、あいつのことを快く思ってないし、ここではない地に移り住んで一からやり直すしかない。そんな中、独身で、課長に精進して金の余裕がある俺の話を聞いたらしい。引っ越しする金を貸してくれ、と言ってきたんだ。最初は断ったが、一週間後にまた奴に電話して、金を貸すといった。奴に、チャンスを持たせてあげたかった。奴の引っ越しの準備は順調に進んで、向こうでの仕事も決まり、先月、新しい場所へ引っ越していった」

 おや。

 ハッピーエンドにおさまりそうなこの物語。しかし、今の男の言葉の語尾は、確かに震えていた。

「古い家。古い仕事。そして古い電話番号。奴は俺との連絡手段をもすべて捨てて、新しい場所へ向かった。住所さえ俺は知らない」

 私の胸の鼓動が、早くなる。そういう事か。

「元から、返すつもりはなかったんだろう。ただ、俺から金をもらって、自分の生活を築きあげるつもりだったのさ」

 今や、男の指先もブルブルと震えていた。目じりにしずくが光っているように見えるのも、目の錯覚ではないだろう。

「俺は、奴にとって何だったのかな。もしかして、『友人』ですらなかったのかもしれない」

 私は思わず「家」から身を乗り出し、男の膝に前足を乗せていた。

 あの人にとって自分が何だったのか分からないのは、私も同じだ。

 男は少し目を見はったが、すぐに私の背中をなで始めた。目から、ぽろぽろと涙がこぼれる。

「そうだよな、分からないよな。なんでこんな事が起こるのか、なんであいつを『親友』と呼んでいたのか、なんで今も『親友』だなんて思っているのか、なんで……」

 そこからはもう言葉にならない。静かに男の嗚咽がもれる。

 私はただ、男の手になでられていた。他の人間が私をなでる時とは違い、男はまるで友人が友人に触れるように、私に触れていた。

「なあ、りんご。俺達、間違っていたのかな。友情とか真心って、本当は存在しないのかな。愛って本当は無意味なのかな」

 突然、私の体がびくりとふるえた。

 だとしたら、私があの人の家で過ごしていた時間は、彼女が部屋へ来るのを待って一日を過ごしていた日々は、いったい何だったのだろう。

 何故だろう。震えが止まらない。

 泣きながらも、男が心配そうに私を見る。

「りんご、大丈夫か? この暑いのに、寒いのか。いやもしかして、寒いのは体じゃなくて……」

 男が言い終わる前に、わたしは、身体がなくなってしまうような勢いで鳴いていた。いや、泣いていた。

 本当に、彼女にとっての私はなんだったのだろう。

 ペットショップで売られていた、人間のかわいらしい玩具。

 三日に一度だけ餌を出し、一週間に一度あるかないかくらいの頻度で、体の表面をなでればいい存在。気に入らない事があった時、気軽に蹴飛ばせる存在。「思っていたのと違った」という理由で、一ヶ月ほど一緒に暮らしたら、捨ててもいい存在。

 私はあなたにとって、「ペット」ですらなかったのか。

 それでも、あなたは私にとって「飼い主」だった。存在自体が大好きで、恋しくて。

 ……一体どれくらいの間、泣いていたのだろう。

 気がついたら、男が優しい顔で私を見つめていた。目じりには涙があるが、ほほ笑んでいる。

「おい、りんご。俺、今夜はお前と一緒にいてほしいかも。多分、今日からその先の『今夜』も、ずっとそう」

 思わずはっと男の顔を見あげた。つまりそれは。

「よかったら上半身だけじゃなくて、全身をそこから出してくれないか。嫌だったらいいけれど」

 私は「家」、いや、段ボール箱から中途半端に伸ばした前足を見つめた。

 この男は嫌いではない。むしろ親しみを感じているし、一緒に暮らせたら嬉しい。

 しかし、もし彼が前の「飼い主」と同じだったら。結局、私を「かわいい動物」としか見なかったら。

 私は、ギュッと目をとじた。彼の温かい手の感覚、涙に満ちた瞳が胸をひたす。と同時に、彼女が私をけりつける靴先、なでる時だけは妙に愛想よかった猫なで声が脳裏をよぎる。

 少し目を開けた。男は私を抱きあげるでもなく、置いていくでもなく、静かに私を見つめている。

 ……ふう。

 私は右側の後ろ脚を、箱から出した。続いて少し震えながら、左側の後ろ脚もベンチに乗せる。

 男の顔に笑みが広がった。

「ありがとう、りんご。これで俺達は、」

 静かに立ち上がると、男はゆっくりと私を抱き上げる。

「俺達の家へ帰れるな」

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