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新・三国志   作者: 明日ハレル
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第1章 第5節 河北決戦編 その7

水軍の争いは宋王軍側が有利に進めていた。

第1章 第5節 河北決戦編 その7


翌日も激戦が続き、呉の水軍は昨日に続き冀州水軍に大打撃を与え、楼船の大半は連弩による火矢で炎上した。


楼船に積んでいた発石砲が無くなったので冀州水軍の攻撃力が落ち、翌日には呉の水軍に押されてほぼ壊滅してしまう。


青洲水軍も荊州水軍と曹操軍の攻撃でほぼ同じ時期に壊滅し、3月5日白馬港が落ちた。


白馬港を廻る戦いは10日間の日程が用意されていたが、実際は5日間で終了した。


1日で準備が整い、3月7日より白馬平原にて白馬城を巡っての戦いとなる。


今回は白馬港とは逆で白馬城を宋王軍が守る戦いとなる。


3個所の城門を持ち白馬城は街から離れた場所に作られた今回の戦の為に作られた城だ。


城を守るのは荊州軍の将軍文聘と陳応、隆飽、王威、蔡可、唐兼らの部将と5万の兵だ。


これを満州の兵15万余が攻める指揮官は公孫範以下来応、李端、卯計、治卓、静甲らの部将と参謀の司馬柵と李延がいた。


公孫範は公孫瓚の一族で白い馬を主力とする白馬陣が有名だ。


時間は今月一杯で3月中に落とせば燕王軍の勝ち、守り切れば宋王軍の勝ちとなる。


更に白馬平原の3個所で陣取り合戦が行われる。これも期限は今月一杯で決着を付けてもらう。


第1陣は徐州軍10万が魚鱗の陣で構えている、指揮官は軍師の沮授、関羽、張飛、張遼、張哈、趙令の5勇将が配下にある。


対するは遼東太守円岳が率いる青洲軍10万余が鶴翼陣で迎え撃つ、配下には水明離島、高明甜淑、泰明秦基、清明竜賀欄、時明空巨の若手5勇士がある。


第2陣は併州の5万余の軍を率いる高幹と配下の5将軍焦触、張南、呂廣、張凱、馬延対するは兗州の曹操率いる5万余の軍が迎え討つ、配下には夏候惇、夏侯淵、楽進、李典、曹仁らの勇将がある。


第3陣は幽州の劉合配下の軍師王朗率いる5万余と猛将宇典、張曼成、李坊、応選、疑了可の若手5勇士。対するは豫洲の軍5万余を率いる軍師逢紀以下顔良、文醜、高覧、高順、菊武らの猛将が控えていた。


これら4か所の戦いが同時に進行していく。先に3勝したほうが勝ちとなる。


城攻めは時間が係るが、平原での勝負はほぼ数日で着くと思われた。





本隊が出る迄もなく白馬港を廻る戦いは終了する。

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