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新・三国志   作者: 明日ハレル
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第1章 淮南・呉攻略編 その9

江南への侵攻も開始されていた。南荊州4群の軍鶴2万余と荊州府の常備軍7万余更に左将軍の配下の近衛軍5万余を加えて20万余の大軍が柴桑に向かっていた。

第1章 第4節 淮南・呉攻略編 その9


184年2月20日

南荊州諸郡を中心とした20万余の軍勢が涼王の配下左将軍林典熊に指揮され江陵群に終結し、柴桑群への攻略の為出撃した。


かなり道筋が厳しいので軍の行軍として難しい部類に入るだろう。今回の遠征で最初は劉表の一族の劉刈が司令官に抜擢されたが、経験と人望が無いので涼王配下の左将軍林典熊に変更された。


劉刈は南陽群2万の兵を先鋒として進撃することを望み飽く迄経験を積ますことで劉表は涼王の許可を受けた。


更に江南には強力な水軍があるので、荊州の水軍で潰す必要もあり、お飾りの指揮官として劉刈が選ばれたのだ。


2月30日

実際指揮を執るのは荊州水軍の将蔡瑁と張允の両名となる。広陵に集結した荊州水軍2万5千余が柴桑方面へ動き出した。


水軍本隊10隻の楼船と20余の艨艟は蔡瑁が劉刈を乗せて1万余の軍勢を率いて中央に陣取り、前に張允の艨艟20隻、左右に陳応、飽隆の2名の猛将がそれぞれ艨艟20隻を率いて先手となる。


柴桑にある呉の水軍は韓当と黄蓋がそれぞれ20隻の蒙動と5千余の軍勢を率いていた。


呉の水軍は練度が高く少数でも機動力を生かした戦いをする、荊州水軍は練度が低くもっぱら弓に頼った攻撃しか無かった。


蔡瑁や張允もその辺は熟知しているので余裕があれば訓練の強化と特に遠距離攻撃が出来る連弩の装備を推し進めていた。


3月に入るまだ朝の気温が低く、靄が立ち込め視界を悪くしていた。


ゆっくりと進行していた荊州水軍は呉の水軍と接触する、蒋欽率いる走舸2千の部隊だ.


おそらく敵の警戒部隊だろう、陳乱3千ほど率いて蹴散らしてこい!


細胞が命じて部将の陳乱が、畏まった!と言って出ていった。


間も無く柴桑城に大分接近する。ここらで決戦だな!


早い目に兵達に昼食をとらせて敵の接近に備える。


暫くすると太鼓が響き呉の水軍が陣形を組んで接近してきた。


敵は中型の艨艟船30隻を中心に1万2千ほどの兵が鶴翼形で突入してくる。


これを蔡瑁は連弩を装備した艨艟を中心に敵側に連弩で火矢を叩き込んでいく。


荊州の水軍は薄い鉄板を舷側に打ち付けて火矢を防いでいた。かなり重量が増え速度が落ちたが火矢を防げる。


これに対し呉の水軍の船も木で作られているので火矢には弱い。


今回は連続で放てる連弩の集中攻撃で呉の艨艟や走舸は燃え上がる。


兵器の質と防御力の差で呉の水軍は敗れ敗走した。3千名が死傷したようだ。


荊州水軍は敵の艨艟等を焼き払い柴桑周辺の制海権を奪取した。







荊州水軍は鉄板の防御と武器である連弩の力で精強な語の水軍を破り、柴桑方面の制海権を奪った。

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