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新・三国志   作者: 明日ハレル
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第1章 淮南・呉攻略編 その8

今回の戦争直後から袁術は不運にも病が発症し、広陵城陥落後漸く峠を越して容態は落ち着いた。


しかし、戦況の悪化で再び症状が悪化し、袁術は止む無く講和を決断した。

第1章 淮南・呉攻略編 その8


苛立つ袁休は円象に諫められて城兵達に八つ当たりするのを止めた。


円象は小さなころより袁術の3兄弟の面度を見てきた所謂ジイであり、彼ら兄弟も彼には頭が上がらず、袁術よりからも意見をよく聞くよう言われた人物だ。


円象は人当たりが良く、袁術の配下では珍しく名声が高い人物で3兄弟の家庭教師の一人で現在では太傅となっていた。


広陵城陥落後袁術は何とか病気が快復したが後遺症で戦を続けられる状態ではなく、引き続き袁休に指揮を任せた。長男の袁章は父の傍に会って看病を続けた。


袁術は円象と袁休を慮江に呼び自らの健康が思わしくなく、寿春城も東の陣地の大半を占領され宋王軍の強力な攻城部隊が攻めて来れば城は落ちる。


袁術は此処で決断し宋王と和議を結ぶように命じる。太傅の円象に講和の使者になるよう命じた。


袁章は袁術より参軍で太傅の円象を頼るよう命じられたので、素直な袁章は円象に事を図った。


円象は宋王軍が将賢く兵も精強で既に部将20余名が討ち取られ、寿春城もその強力な攻城兵器部隊で間も無く落城する運命だと知っていた。


袁術よりの使者円象が寿春城に来て、紀霊らの将軍は反対したが、彼らにも策は無く悪戯に籠城しても広陵城のように宋王軍の攻城部隊に攻め落とされるだけだと言われて反論できない。


円象は袁術の命を受け武程、雁基の護衛で宋王軍の陣地に向かった。


寿春城を包囲する逢紀、沮授の軍は快く円象を受け入れて丁度青洲の遠征軍を撃破した劉備は張遼や馬篭を守備に残し張飛と寿春城まで来ていて円象と会談を持った。


劉備は円象が望んだ通り情け深く人を大事にする人物だった。


劉備は袁章を袁術の後継者として認め、慮江太守とした。更に準子爵に任じて昭信将軍

慮宣子爵とし領土を安堵した。


又江南攻めに従軍すれば袁休や袁卓も諸侯として豫洲と徐州に領地を与えると約束し他の将軍達にも同様に従軍して功を上げれば褒美を与えるとした。


これで袁家の2兄弟は領主として子孫に領土を残せることになる。


劉備はこの件を寿春城の袁休以下の部将達にも知らせ漸く袁術の勢力は宋王軍に吸収される。


袁休や袁卓と紀霊、兪渉、武程らの上将も従軍して江南を攻める事になり、既に荊州の南部から出撃した軍団は江南へ攻めかかっていた。








宋王軍は後少しで寿春城を落とす所まで来ていた。止むを得ない袁術の講和の決断で、彼の勢力は宋王軍の配下となり、江南攻めに加わる事となる。

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