第1章 淮南・呉攻略編 その5
寿春を攻める逢紀軍は20万余、袁術軍は25万を越える。後続する沮授軍が15万余あるが、当分はぞ軍のみで戦わねばならない。
第1章 淮南・呉攻略編 その5
逢紀の思った通り、菊武は了承したが若い両名は書面では簡単には説得できなかった。
菊武と参謀の式部の両名が敵はわが軍20万より多い35万だ真面に戦えば負けるぞとか手柄を立てれば必ず逢紀様が劉備様に直言されるから、宥め透かして了承させた。
しかし、敵の軍の方が攻める軍より多いのだ。何らかの計略を使わなければ勝てない事も両名は理解したようだ。
先鋒3万の軍は汗を流しつつ寿春の境界まで辿り着いた。此れよりは敵地だ。
今までより慎重に進む。暫く進むと前方より2手の軍が現れる。梁網と李豊が2万の兵で左方より攻めてくる又楽就と陳蘭が右方から2万の兵で攻め寄せた。
菊武は左翼の兵と戦い李豊と撃ち合う事数撃李豊を切り捨てる。
李豊の軍が崩れると梁網が向かってきた。菊武は梁鋼と撃ち合う事10撃余り、わざと空振りしてかなわぬと見せて敗走する。菊武の兵も退却した。
呂翔と呂廣も楽就と陳蘭と争っていたが、菊武が逃げたので両将も敗走した。
20キロ程退却して兵を纏める。損害は軽微だ。
翌日も菊武以下の3将は梁鋼以下の3将と激しく争うが、暫くしてかなわぬように見せ再び敗走した。
梁鋼は討たれた李豊の代わりに陳紀を呼び李豊の軍を指揮させた、更に楊奉、韓遷の2将の軍も呼び、6万の兵で敵の先鋒部隊を撃滅せんとした。
翌日菊武らの3万の部隊が土嚢を積んで簡易な陣を造っていると梁鋼らが6万の兵で攻めてきた。
流石にこれは逃げられない。菊武らは予定の行動だがまず守り切らねばならない。
1時間余り激しく戦っていると梁鋼の背後から新たな軍が出現した。厳鋼、韓猛、朱霊らの3将の部隊3万が来援し梁鋼の部隊を前後から挟み討つ。
更に菊武は梁鋼を見つけて1撃で打ち取った。呂翔も陳蘭と激しく争う、呂廣も楽就と争うが楽就の渾身の1撃で呂廣が手傷を負い敗走する。
厳鋼は楊奉を打ち取り、韓猛が韓遷を打ち取った。
陳紀は楽就と残りの兵を指揮して敗走する。菊武らは有利な態勢で1万余りの敵兵を打ち取り、2万余の兵を死傷させた。
初戦は豫洲軍の勝利に終わり敵の部将4名を打ち取り、敵の先陣を壊滅させたことで、劉宏は菊武以下3将に10金と感状を厳鋼以下3将に5金を与えた。
第1戦目は勝てたようだ。逢紀は20万余の大群を率いて、寿春の城から5キロの所に陣を構える。1昼夜で簡易な陣が完成した。
逢紀は主な部将と軍師を集めて会議を行う。
敵の袁術は倒れて慮江で寝込んでいる。長男は親孝行でずっと付いているそうで。
寿春のの指揮は粗暴な次男の袁休が取っているようだ。
補佐として鄭泰、閻象、張範、荀正らの文官と紀霊、兪渉、楽就、陳紀、張勲、武提、雁基、正反、京実らの部将がいた。
武提、雁基、正反、京実らは5年前の江南武芸大会の上位入賞者で若手の勇士だ。
逢紀らは間諜からの報告のあった書類を見ていて菊武が嫌な奴を見つけた顔をした。
雁基と京実は新刀流の同門だ、確か俺が入った5~6年後に入って来た若手で侮れない腕をしていた。
確か雁基は無念流の免許皆伝の腕前らしいし、新刀流の武西道場でも師範代をしていた。
奥義の一の太刀を会得していたと思う。京実はそこそこだった。
と逢紀に進言する、奴には充分注意されたほうが良い。
雁基に勝てるか?
私も新刀流5師範の一人、まだ、師範代には後れを取りませんよ!と宣言した。
逢紀の軍には新刀流の使い手は多い、顔良、文醜、文烈、蒋義挙、菊武が5師範に数えられた。
新刀流は冀州、幽州、併修で広がっている剣術の一派だ。これに対し雍州、涼州、益州では普天流剣術が多い。青洲、徐州、兗州では天無流剣術が多かった。