新・三国志 第1章 争乱編 その9
4王の争いは地元の経済的な利益の代表するものの戦いでもある。
涼王劉星文、宋王劉備、燕王劉合、呉王劉宗総らはそれぞれの地域の利権を代表して争う。
新・三国志 第1章 争乱編 その9
劉備という人物像を考えたとき色々な行動から、自身の利益ではなく。当時の清流派士大夫達の考え方として、公儀を第一とし、信義を旨とする思想が一般的だったと思われる。
劉備は前世においても徐州太守に就任する時や荊州の劉表が病にある時にも荊州を譲られる時にも竣住している。
飽く迄公儀に拘ったのだろう。幼少時に稀代の碩学たる盧植の薫陶を受けていたのも思想を形成する上において影響が強くあっただろう。
ただこの物語では超合理的な考え方をする秦王劉星玄の一門の影響を受けた為かなり迷う事になったのだろう。
大儀と実利の間で若い劉備は揺れ動いていた。秦王は玄徳に如何なる時でも英雄として又政治家として冷静な判断ができるように色々な知識を与えたつもりだ。
これが合理的な覇者曹操や孫策、孫権なら躊躇せず国を奪っただろう。これが一般的な考え方だ。
これから彼は多分悩むだろう、それは彼の資質が純粋ゆえにそうなってしまう。
だが漢帝国の4王の一人として理不尽な出来事や内憂外患とこれから戦っていかねばならない。
悩めばよいのだ。彼には田豊以下の優秀な文官が付いている。彼らと気が済むまで議論すればよい。その中から自分の生き方を掴めば良いと秦王は考えていた。
1月の襲撃事件が何やらで無事に処理されて、4月に劉備は4王の一人宋王に就任する。
燕王劉合、呉王劉宗総も同時に就任した。涼王は秦王の長男である劉星文なので主流派とその他にの勢力に国家が2分される状態になる。
燕王は基本的には河北3州の利益を代表するシンボルであり、その地位は重い。
その経済力は漢帝国の3割を有し侮れない力がある。呉王貴下の揚州・広州の2州を加えるとほぼ4割になる。
首都を含む雍州・益州・涼秋の3州はほぼ3割これらは漢帝国の本体といえる。
河南の徐州・豫洲・荊州に青洲を加えて4割となる。
4王は経済の代表であり、4副帝が軍権を握っていたが現在4副帝は人材不足から任命されていない。
代わって河北省冀州の省都業には5万の常備軍が駐屯していた。軍団司令官は秦王の一族劉高であった。秦王の養子で第13子となる。
河南省は豫洲汝何にあり第5子劉貞が軍団司令官となっていた。広東省は揚州の建業にあるが現在は軍団司令官と常備軍は置かれていない。
涼秋軍管区では金城に秦王の第3子劉星覇が10万の軍勢と駐屯していた。
軍権は秦王が完全に掌握していた。その気になれば帝国を占領することは容易いが飽く迄未来の民主主義の守り手としてこの国を守っていた。
以降代々の秦王は漢帝国本国を守るのみで他の地域の紛争には手を出さない不文律ができた。
秦王とは漢帝国本国を守る任を受け、基本的には他の地域の争いには介入しないことが求められた。