新・三国志 第1章 争乱編 その4
曹操は恨み重なる円岳の勢力との紛争を劉備に調停してもらい、
国内の整備を優先する。まずは円岳と対抗できる戦力が必要であった。
冀州の袁紹とも通商条約を結び対立を避ける方向で外交が行われた。
新・三国志 第1章 争乱編 その4
183年1月に話は戻る
今年の新宴会終了後劉備は秦王劉星玄に別室に呼ばれ、豫洲太守劉宏、益州太守劉焉、南陽太守劉表と共にこれからの対策会議を行っていた。
今年は荒れるぞ!玄徳!今から充分覚悟しておくことだな。
秦王は玄徳を見て揶揄う。
お父上もしかすると、霊帝の病状が悪いのですか?
秦王の首席補佐官順鄧が代わって皆に答えた。
彼10年毎に行われる補佐官試験に前回首席で合格した若き才媛である。
昨年の秋から寝込まれた陛下はかなり重態で年を越せないか供言われていました。
幸い年始からは安定した状態となっていますが、
侍医の話では夏までとても持たないと言っていました。
そうなるとお世継ぎの問題ですな。劉焉が協王子か弁王子かになりますか?と発言した。
養子であられる、任王子や高王子を担ぐ貴族達もあるとか?劉表が意見を添えた。
皆様のお話を聞いているとかなり複雑でもめそうですか?玄徳が心配げに尋ねた。
劉備様の仰る通りでして、順鄧が状況を説明する。
霊帝陛下は倒れるまで全く異常も無く病気の兆候さえ無かった健康体でした。
それが秋の園遊会で御所にお参りに行かれた日に突然倒れられたのです。
この為世継ぎや、後継者の話も無く、遺言もありません。
父上候補者は4名居られると聞いておりますが、何方が次の皇帝に成られるのでしょうか?
玄徳会議の時は秦王と呼びなさい!
は、申し訳ありません。秦王様。
順鄧過去の例から言えばこの場合如何なる?
和帝が定められた最高会議7つの省の長官と主席補佐官と副官と4王、4副帝の17名の投票になります。
4副帝は居られないので残り13名の投票結果が次期皇帝選挙となるでしょう。
首席補佐官は目の前に居る順鄧であり、副官は朴洋完で長安の太守を兼務する秦王の配下だ。
燕王は劉角で相手の総帥、宋王は劉官で洛陽にあって劉角派です。
宋王は河南を支配する王なので劉備殿が成るべきです!
それは現在実行中だ、劉官殿は巻き込まれたくないので引退したがっている。
今月中には玄徳が宋王となるだろう。
呉王劉千殿は袁術の後援を受ける者で従うことは無いでしょう。
涼王劉星文は秦王陛下の長男で後継者です。
7省の長官は1名が秦王派、3名が燕王派、3名が呉王派です。
合計すると秦王派は補佐官2名と省の長官1名と涼王の4名です。
燕王派は燕王と省の長官3名で4名。
呉王派は呉王と省の長官3名で4名
これで3派閥は4名づつで均衡しています。
最後の宋王が引退を表明しているので、次期宋王となる者が結果を握ります。
劉備殿が運命を握ります。
秦王様、劉表殿や劉焉殿が居られるのに、なぜ、私が宋王に成るのですか?
順鄧がそれは年齢の問題です。
4王は任期が10年です。
劉焉殿も劉表殿も既に50・40代なので10年続けるのは無理があります。
慣例として4王になる方は40歳以下です。劉官殿は現在40歳なのでギリギリですね。
劉備殿が現役の太守であり、宋王に相応しいのです。
其れとも年下の豫洲太守劉宏殿に任せますか?
従弟の劉宏に任せるわけには行かない!
劉備も覚悟を決めた!
承知しました!私が宋王になりましょう!
これ以降劉備が漢王朝の運命を担う役割を果たすことになる。
歴史の改変作業は出来るだけ過去に影響を及ばさないように勧められる。
30年と云う事も一つの区切りとなる。
秦王の帰還が目前に迫っていた!