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新・三国志   作者: 明日ハレル
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新・三国志 第1章 雌伏編 その8

劉備は徐州州境に兵を進めてきた曹操軍に4月1日より私が徐州太守に任命され、前太守陶謙殿はもう徐州に居られない。


それでも理由があって徐州を攻めるのかと簡雍を使者に送って詰問させていた。


官邸で知恵の回る者が居て、曹操と陶謙の争いを封じる為に劉備を派遣したのだろう。


当事者の片方が居なければ戦争にもならないからだ。


新・三国志 第1章 雌伏編 その8


西暦183年4月1日徐州に着任した劉備は徐州の州境迄攻めて来た曹操に対して詰問する!


其方と争っていた陶謙は徐州にはもういない、なぜまだ此方を攻める理由を聞こう!


使者となった簡雍は強い口調で曹操の返答を待った。


流石の曹操も返答に詰まる。


使者殿事態が急な展開となった。今日は今後の事を相談し明日返答の使者を送るので、今日は帰られい!と簡雍を追い返した。


曹操も、まずいな!徐州を攻める大義名分が無くなった。


陶謙の一味は見つからんか!


如何やら既に徐州から逃げ出したようです。


徐州に送り込んでいる間者からも陶謙に関しての情報は一切無いと言ってきました。


仕方あるまい。新たな敵を増やすわけにもいかぬ。


劉備は幽州にあった配下の精鋭部隊をこちらに向かわせているそうだ。


現在攻めて来た我が軍は騎馬2万と歩兵3万の5万余、小沛には騎馬5千と歩兵2万が居ます。徐州には歩兵3万があるらしい。


幽州の軍はほぼ5万規模とか、挟み撃ちされると帰れなくなりますぞ。夏侯淵が諫めた。


相手の方の軍が倍では話にならん、幸い兵を上げたがまだ戦闘にはなっていない。


此処は和議を結んで引き上げましょう。劉備とは和するべきですぞと李典は述べた。


仕方あるまい此処は一旦引こう!相手方に使者を送れ。丁寧に今までの経緯を話して、出来れば和議迄結べれば上出来だ。


曹仁に使者を頼みたい。


畏まりました。相手の出方次第ですが、和議を結べるよう努力します。


そう言って曹仁は夕方小沛にある劉備の陣へ向かった。


曹仁は歓迎され、2年間の不戦条約を結んで帰還していった。


其処へ兗州より急報が送られてきた。青洲城を落とした張純・張央率いる賊軍が兗州に攻め入って来たのだった。


早朝城門に奇襲を掛けてきた賊軍に守っていた王門率いる1千の兵は討ち取られ壊滅し王門殿も戦死されました。


留守を預かる張超殿は武将の秦棋と蔡部陽両将と5千の兵で墳回する為向かわれましたが、敵方は1万近い兵が居て、敵将先部と魏高が強く、秦棋、蔡部陽殿は討ち取られました。


趙超殿も支えきれず敢え無い戦死を、ただその間に曹休様がご家族と陳留城へ逃げたそうで、一族の方々は無事なようです。


城主が戦死し、一族が残る守備兵と逃走したので、城は落ちた。


陳留には叔父の曹運が2万の兵で守っていた。


張邈は弟が死んだか!一言言って膝を着き項垂れた。


曹昂よ、張邈を奥で休ませろ。


敵は1万程だ、今から行けば丁度夜になる。


敵は兗州城を取って酒盛りでもしているだろう。


夜襲できっちり借りを返そうぞ!


果敢な判断を下す曹操は過たない。


曹操率いる5万の兵は兗州城へ向かった。




曹操は兗州の主力部隊を率いて徐州に攻め込んできたが、祖父の敵たる陶謙は徐州を脱出したようだ。


取り合えず、劉備とは和議を結び、追撃されることを防いだ。


だが、この時既に兗州は賊軍の攻撃で陥落していたのだった。

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