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詩を知る印  作者: デュマ
11/11

とある金曜日の日記


まあ、今日はいつものこねくりまわしたわかりにくいものではなく、

ふつうの日記というものを書こうぢゃないか。


今日は金曜日だった。それは当然か。毎日は何らかの曜日である。聖人にも罪人にもそれは平等だ、そういった価値判断のない慣習に我々はまみれている。仕事をした後、同じ職場にいる同期に会いに行ったら、別の同期もいた。みな、なにかしら寂しさを飼っているのだ。しかし、ここは人に頼らず自分だけで頑張ってきたやからが集まるところなのが、悲劇を予感させている。


同期と一緒に飲みに行くこともせず(お金がないのだ)、目黒まで行ってジムに行くことにした。筋トレだ。もはや職場の飲み会はジムですべきなんじゃないかと思う。なにより健康的だ。最低5000円も払って、美味しくない料理を食べて、アルコール添付された日本酒を飲み、おためごかしやお追従の飛び交う無味乾燥な話を聞くなんて、非合理的だ。人間とはやはり愚かなのだろう。


筋肉の痛みは否応もなしにコミュニケーションを強いてくる。人に何かを話しても空虚な雰囲気が漂うのに、筋肉はその負荷に応じて確実に返事をしてくれている。マゾヒストの根幹はここにあるのだ。孤独が筋肉を育てる。美も芸術も絶望に塗れてこそ輝きを放つのだ。


ひっそりと修練を終えて、家路につく。不動前駅まで歩いて飲み屋に繰り出す。家路の途中に酒瓶が置いてあれば飲むのが歴史であり礼儀であろう。この駅近くの居酒屋は都市が失ってきた大事なものをまだギリギリ残している気配がする。


カウンターで隣り合った夫婦らしき人物らと語らうことも違和感を覚えさせないほどの店だった。スペアリブのバルサミコ煮が決め手だった。食事はやはり人をつなぐのだ。あれほどユダヤ教やイスラム教が厳しい戒律を施したのもここに理由がある。


今宵は満月だ。自然は変わらずそこにあるけれども、自然からの愛撫から逃れるために人は都市を造ったと思わせるほど、自然は捨象され、人はモノになっている。植物の不死性をへたくそに真似てでもいるのだろうか・・・?


システムは個人の存在を前提としていないものだ。そこにかりそめの生命を吹き込むのが政治の芸術であり、生殖を目的としていない死に彩られた人の文化であるはずだが、官僚はシステムのはりぼてを建てるのに躍起になり、政治家は見栄えだけに執着するところに日本の根深い慣習が潜んでいる。


眠いから寝る。それ以外の価値はきっとさらに古代の短歌を詠んでくれるでしょう。。。

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