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【真編】暗闇も光ればやがて星空になる

「──玲奈……?」


 活気的だった毎朝の食卓が凍り付く。

 信じられなかった。昨日まで元気よく挨拶をして、笑顔でいた玲奈が、まるで一年前に戻ったかのように不安と生気を失った目をしていた。


「何?──それよりもお父さんはどこ?」


「玲奈ッ!」


 俺は血相を変えて玲奈の両肩を掴み目を合わせる。視点の合っていない玲奈は明後日の方向を向きながら驚く。


「きゃあっ!何するの、離して!」


「覚えていないのか!?昨日は、一昨日は、一年前の事はッ!」


 焦るあまり俺は問い詰めるようなことをしてしまう。


「ちょ、ちょっとやめて!どういうこと!」


 気を取り戻した俺はなんとか自分を落ち着かせると玲奈に色々質問した。

 そしてある程度の質問を終えるとわかったことがあった。玲奈が記憶を失った1年前からたくさんの事をしてきた、その1つも覚えていなかった。

 つまりそれは玲奈が1年前の状態に戻っていること。完全に振り出し状態になったのだ。

 冗談じゃなかった。現実味がなかった。何が原因なのか全く分からなかった。


「嘘……目が、見えない……?」


 しかしそれは玲奈も同じで、前回と同じく目が見えない事に激しくショックを抱えていた。

 一通りの事の顛末を話して何とか玲奈を混乱させずに納得させることができた。だが俺は納得できてなった。

 何がいけなかったのか、何が原因で記憶を失ったのか。しかもよりによって去年と同じ夏の時期に。

 理解より先に行動するしかない。俺は翌日玲奈を連れて病院に行った。

 出た結果は去年と全く同じ、トラウマによる精神的なものだった。

 俺は首を傾げた、玲奈はあれから毎日ずっと元気に振舞っていた。特に病んでいるような様子はなかったんだ、だからこの診断結果は納得できなかった。

 今更記憶を失った玲奈に話しかけても答えは出ない。俺はひたすら悩んでいた。

 毎日笑顔でいる玲奈が抱えるトラウマって一体何なんだ。


 ……いや、玲奈は子供のころから何かと奥手で我慢強い子だっだ。もし俺に心配かけないように振舞っていたなら?もし自分の辛さや苦しみを打ち明けず一人でもがき苦しんでいたなら?玲奈はきっとそんな状態でも平気なフリをするんじゃないか、そんな思考が頭を過ぎった。

 玲奈は目が見えない、目が見えないことはそれだけで怖いはず。

 しかも記憶が毎度消える季節は毎回夏だ。夏は親父が雷に打たれての死んだ時期だし、同時に玲奈も雷に打たれている、すぐに意識が無くなったと言っていたがもしかしたら直前にかなりのトラウマがあったとしてもおかしくはない。

 それどころか目が見えないことで現実の視界を直視出来ていない、暗闇の世界じゃ思っていることや印象的な記憶がフラッシュバックされることだってある。

 玲奈はもしかして暗闇の中で毎日トラウマを思い出していたのでは──?

 そう思えば過去に玲奈が言っていた怪奇現象と言うのにも納得がいく。


「……よし」


 その日から俺は毎日のように玲奈に普段何か異常はないか確認した。最初は遠慮気味に答えていたが積極的に問い詰めると玲奈は観念したのか俯きながらも話してくれた、やはり幻聴の様なものが聞こえてくるらしい。

 簡潔に言えば雨の音だった、だがただの雨の音ではなく同時に異常な恐怖感も襲ってくるらしい。雷に打たれて意識を失ったせいかその恐怖感は体を這いずり回るように襲ってきて無理矢理意識を奪おうとしてくるらしい、恐らくだが無意識に自己防衛本能みたいなものが作用して意識を失わせようとしているのだろう、玲奈はそれに日々ずっと耐えていた。

 そしてそんなものが1年も続けば限界が来るのも当然だった。

 こんなことにも気づいてやれなかった自分が情けない、だが気づいたところで対処の仕方もわからなかった。

 沢山の病院に連れて行きカウンセリングも受けさせたが病状が良くなることはなかった。

 精神的な病気は自分の意識を強く持つことで良くなる傾向はある、でも玲奈の場合は無意識に作用しているから自分の意志とは無関係なのだ、そうなってくるともはや根本を解決するしかなかった。


「おはよう」


「……お、はよう」


 明らかに元気がない、症状が悪化しないようにバイトの日以外は出来るだけ傍に居るようにしているが完全にジリ貧状態だった。次いつショックで記憶がなくなってもおかしくない様な状態だ。

 体調が優れたかと思えば次の日には顔色が悪い、恐らく夢でも悪夢が襲ってくるのだろう。


 そして今日は運悪く大雨だった。


「……っ」


「お、おい。大丈夫か?まだ部屋で休んでた方がいいんじゃ」


 玲奈は首を振る。無理をしているというよりは諦めている顔だった、部屋に居ても目を瞑っても雨の音が耳から離れる事はない。ただひたすら耳を塞ぎ耐え続けるしかないのだろう。

 玲奈は涙を零しながら完全に戦慄していた。


 ◇◇◇


 何も見えない真っ暗な暗闇の中、雨の音は私の耳を劈くように響き渡る。


「……っ……ッ!」


 まるで違う自分がいるかのように体が震える。記憶にないのに、まるで覚えているかのように、鮮明に。

 止まらない雨が勢いを増してくる、私は慣れるどころか段々と恐怖が募っていくばかりだった。

 そして──


「ひッ……!?」


 近くでゴロゴロと雷が放電している高い音が聞こえた。聞こえるだけなのに私はまるで死の瀬戸際に立たされているかのように激しく戦慄した。

 立て続けに聞こえる雷鳴に激しい頭痛が襲ってくる、失っていた記憶を無理矢理引き戻されるかの様に。


「だ、大丈夫か?」


 兄が私を支えながら近くのソファに腰掛ける。ガンガンと頭を駆け巡る頭痛に吐き気を催すほどの暗闇の世界が視界をちらつかせる。見たこともない映像がフラッシュバックする、それはやがて重い天秤にかけられた。

 雷……雨……──お父さんっ!

 臨界点を越えた頭痛が閉ざされていた過去の記憶を無理矢理引き戻した。それはまるで不慮で起こった荒治療そのものだった。

 途端に目の前がまぶしくなり、歪みぼやける視界に見えるはずもないものが映りこむ。


「お兄……ちゃん?」


「玲奈?視点が……まさか見えて、見えているのかっ!?」


 嬉々とする兄に対し私は返事をしようとした瞬間だった。

 見覚えのある激しい閃光が辺りを包んだ。

 ──束の間に轟く爆音の雷鳴。


「きゃぁああッ!」


 私は大声を張り上げて目を潰す勢いで閉じた。

 数年ぶりに見えた視界がトラウマによる雷の光と音。

 これ以上ない絶望の世界だった。

 雷は再度周りを迂回するかのように落ち続ける。


「怖い!怖い!やだ、やだ!聞きたくない!見たくないっ!」


「玲奈っ」


 兄は力いっぱい私を抱きしめた。恐怖の逃げ場がない私はただただ震えてこの嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。

 数時間、気づけば私は恐怖のあまり気を失っていた。

 幸いにも辛い過去の記憶は戻っていた。そう、ただ辛いだけの記憶。

 そしてあの時見えた視界も鮮明に覚えている。もしかしたら目が見えるように、視力が戻ったのかもしれない。

 ……それでも、私は外の世界を見る勇気がなかった。

 さっき見たあの雷の閃光が視界をちらつく、あの恐怖を目の当たりにしてまで目を開けることは私には出来なかった。


 ◇◇◇


 俺は迷っていた。

 あの一瞬、間違いなく玲奈は俺を視界に捉えていた。見えていたのだ。

 だが同時に起こった落雷のせいで再度瞳を閉ざしてしまった。最悪なタイミングだった。

 だからこそ迷っていた。玲奈に自分の意志で目を開けてもらうか、このまま目を開けるきっかけをゆっくり探していくのかを。

 父親が死んでからもう3年の月日が流れる。そして今は夏、玲奈がトラウマを抱えるきっかけとなった季節だ、次いつ記憶が無くなるかわからない。下手したら目もまた見えなくなってしまうからもしれない。

 だから視力を戻すには今しかないと思った。玲奈が自分の意志で目を開ければ、それは大きな一歩になるのは間違いない。

 だけどそれはあまりにも酷な事だ。ついさっきトラウマを見せつけられたばかりだというのに、誰の助けも借りず自分の意志で恐怖に立ち向かうなど、無理があるものだった。


 結局俺は何もできない、出来ないからこそ、妹を、玲奈を信じる事に徹した。

 嵐が過ぎ去った夜、俺は玲奈を連れてとある場所に向かった。


 ◇◇◇


 兄に連れられ数十分車に乗っていた。何処に行くのかと聞いてもはぐらかされた。

 着いたと言われ外に出ると涼しい風が肌に当たった。


 兄は私の隣に立つと低く、真剣な声で切り出した。


「玲奈、辛いかもしれない。もう見たくないかもしれない、それでも目を開けてこの景色を見てほしい。自分に出来る範囲でいい、無理だったらそれでも大丈夫だ。例え出来なくても俺は玲奈の味方になると約束する」


 何処までも肯定してくれる兄に私は縋りそうになった、慈悲を乞い楽な方へ歩んでも大丈夫だと言ってくれた。

 それだけで嬉しかった。だって私にはもう、目を開けることなんて出来ないのだから。


 暗闇の中にある小さな光、それは雷の閃光。目を開けようとするとどうしても雷の、あの時の光景が目に入ってくる。

 だから──


『全く、玲奈は元気な姿が一番似合うな』


 あの時、最後に言われた言葉が脳裏を過ぎる。

 最後の最後まで、父は私の理想の父でいてくれた。

 常に努力家で、物事に全力で取り組む、諦めの悪い自慢の父。

 それなのに私は、その父の言葉を裏切ってまで自分を閉ざし暗闇に戻るのか。

 それで、その世界で生きて、生き長らえることに意味はあるのか。

 

 沢山のものを見たい、知りたい、この目で確かめたい。そこに恐怖が積み重なっても、辛い思い出が私を傷つけても、自分自身を欺けてまでこんな暗闇の世界に──居たくない!


 兄は私の表情を見て悟った。そして無言の表情で上を向き伝えた。

 見てくれよ親父、お前の自慢の娘は、玲奈はこんなにも立派に育ったんだぞ。お前の努力の賜物だな。

 今にも泣きそうな表情で兄は笑った。


 私は拳を力強く握る。

 今見ないと一生見えない。怖くてもいい、臆病でもいい、体が震えてもいい。それでもと立ち上がり目の前に広がる光に目を向けるべきなんだ。

 暗闇の世界で知った。見えない事は自分の心と向き合うこと、私達は普段から視覚と言う光の世界に助けられてきたこと。

 全ては自分の意志が選ぶことなんだと。

 だから受け止める、暗闇の世界も、聞こえてくる過去の心情も。例えトラウマが蘇ったとしても、心の底から光の向こうの世界を見たい、暗闇を見続けた世界に光を灯したい。

 だから今、自分の意志で決める。


 眩い閃光が視界を包む。霞む暗闇に点々と光を灯すかのようにぼんやりと視界が開けていく。


「──綺麗……」


 涙越しに映る景色は、私が一番怖がっていた元凶である''空''だった。

 雨と雷を私に植え付けた最も恐れるべき怪奇現象、いや自然現象そのものだった。

 だけど、それが今は凄く綺麗だった。

 恐怖を乗り越えた者を祝福するかのように、嵐の去った後の美しさを醸し出すかのように、真っ暗な世界に小さな光が灯される。


 光る涙は私を照らし永遠と輝き続けるその空は



 ──人生で一番綺麗な『星空』だった。


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