【後編】暗闇の中で生きていく
「目が……見えない?」
何を言っているのかわからなかった。
だって、私の目の前には兄の姿が映っているからだ。
「何……言ってるの?ねぇ、私お兄ちゃんのことちゃんと見えてるよ?見えて……る、よ……」
「じゃあ今から右手で指をおる、見えているならこれは何本に見える?」
視界が霞む、見えているのに、見えているはずなのに。そこに映る兄は動かない。
「に、2本……」
「正解は0だ、俺は一本も指を上げてない」
「……」
「玲奈、お前が見ているものはなんだ?俺から見えるお前の目は俺をしっかり捉えてないぞ」
私は震える手を自分の目に被せる、そしてゆっくりと離す。
「暗い、暗いよ……」
目の前は真っ暗だった。最初の怪奇現象で見たのと同じ、何もない真っ暗な世界。
「どうして……いつから……ッ」
生気を失った声で呟く私に兄は席を立つと小走りで何処かへ向かった。
ほどなくして戻ってくると何かを持ってきたようだった。
「ほら、掴んでみろ」
何を渡されたかわからない私は恐る恐る掴むと木製の棒状の様なものだった。
「これは……松葉杖?」
「正確には一本杖だけどな、目の不自由な人がよく使うものだ、本当に覚えてないのか?一昨日まで毎日使ってたじゃないか」
確かに、初めて触れてみたけどまるで長年使っていたかのように凄く馴染んだ。
「そもそもお前の話を聞く限り記憶が無くなったのは恐らく昨日の夕方、お前が起床した時間からだ、随分遅くまで寝ていると思ったらまさか目が見えないことを忘れているとは」
待って、夕方……?
「昨日は私夜中に起きたはずなんだけど……」
「いや、夕方だ、そういえば起きる時にひぐらしが鳴いてた声が聞こえたって言ってたよな?あれは夕暮れ時しか鳴かない。そもそも玲奈が怪奇現象とやらに苛まれていた時は夕暮れを過ぎて夜に差し掛かっていた、時間を逆算してもお前が夜中起きたなんてことにはならない」
「エアコンの音も聞こえてた、聞き間違えた可能性だって!」
「お前、エアコン消したのか?」
「……ッ!」
その言葉を聞いたとき、私はやっと自分が幻覚を見ていたと悟った。
「玲奈はそもそも暑いと思って起きたんだよな?そりゃあこんな真夏でエアコンも付けて無ければ暑いに決まっている。それにおかしいと思わなかったのか?」
兄の質問に私はただ黙る。
「玲奈は電気付けるとき、暗いからわざわざ部屋の入口まで歩いてつけたんだよな?」
「……うん」
「真っ暗なのに?何も見えないのに?なんで電気つけられたんだ?」
思い返せばその通りだった、あの時はなんのためらいもなく歩き電気をつけたけど本来なら真っ暗なはずなんだ。なのに私には電気までの道が……。
「そう、玲奈は長い間目が見えない状態で部屋を行き来してたんだ、普段なら杖を使って歩いていたんだが、何度も繰り返すうちに部屋の中を把握していたんだろう。だからお前が見た電源のついたパソコンや壊れたスマホも全部幻だ。……スマホ、見せてみろ」
私は無言でポケットに入ってたスマホを渡した。
「電源はつく、時間もあってる」
「そ、そんなはずは……」
私が手探りでスマホを掴み画面を見ると深い霧がかかっているように霞み、わずかながら<13:32>と表記されているのが見えた。
「13時32分……」
「おい……その画面真っ暗だぞ」
──もう認めざるおえなかった。自分が目が見えない、盲目だと言う事を。今まで見てきたものは、怪奇現象は全て記憶の違いと幻覚から出たものなんだと。
「しかもなんか知らない電話番号にかけてるし……誰にかけようとしたんだ?」
「……お父さん」
「……そうか」
兄はそれ以上追及しなかった。
やがて幾ばくか経ち私は兄に支えられながら病院に連れていかれた、原因は長期的なトラウマのショックによる記憶喪失だった。
私は去年のこの時期に父親と夏休みの旅行に出かけるつもりだった。家族旅行と言っていたけど兄は丁度その日友達と遊ぶらしくついてこなかった。
この日は運悪く雲行きが怪しかったらしい。でもせっかく予約まで取ったのだからと父親は傘を差し外に出た。
バス停までおよそ1キロ、すぐ着く距離だった。家を出て数分、ぽつぽつと雨が降り始め気づけば大雨になっていた。
「雨に濡れる前に急ごうよ!」
「あ、おい。雨の中走ったら危ないだろ」
そういいながらも父親は私の前まで小走りでついてきた。
「全く、玲奈は元気な姿が一番似合うな」
何気ない親子の会話だった。その会話が最後になるのならもっと話しておけばよかったと後悔した。
突如目の前を眩い閃光が光ったと思えば同時に耳を塞ぎたくなるような爆発音が響き渡った。
気づけば隣にいたはずの父親がいない。
「お父さん……?」
私は恐る恐る地面を見ると父親が倒れていた。腕は焦げ肩から血が出ていた。息はしておらず完全に心肺停止していたのがわかった。
「嫌……お父さん、お父さん!起きて!誰か、だれかッ!!」
私はすぐさまスマホを取り出し救急車を呼んだ。救急車からは「7分後に到着します」と言われただひたすら待つだけだった。
<13:32>
スマホの画面に表示される時間、これが39分になったら来る。それまでに気休めでもと必死に心臓マッサージをした。
「お父さん……お父さん……!」
その地獄の時間は無限のように感じた、再び時計を見ると<13:32>だった。
「なんで……なんで1分も経ってないの!!早く……早くきてよぉッ!」
だが時計は針を進めない。
<13:32><13:32><13:32><13:32><13:32><13:32><13:32><13:32>
興奮して思考が早回りしたためか、はたまた雷に打たれたせいか。いつになっても時計の時間は変わることが無かった。──最後の最後まで。
突然耳に入る鈍い音。
「がッ……!?」
それが聞こえたのは本の一瞬、その一瞬で私は意識を失った。
後から聞いた話だと一度雷が落ちると雲はその場で帯電し再び落ちることが多々あるらしい。私はその雷に打たれてしまったのだ。
再び目覚めた時は暗闇の中だった。幸いにも命は助かり軽い意識障害が起こった程度で目立った傷も無かった。だけど私は雷に打たれた衝撃と父親とのショックで半ば精神的なトラウマになり、盲目になってしまったらしい。
私はその話を兄から再度聞かされ、心のどこかで納得しつつも穴の空いた記憶を埋める手掛かりにはならなかった。
病院から帰り私はすぐにベッドで休んだ。雨の音が耳から消えることはなかった。
数日も経てば頭痛が酷くなってきた、目が見えないというのは思いのほか辛い。何もしなくても気が狂ってしまいそうなほど怖く苦しかった。
それでも私を一人で支えてくれる兄を心配させまいと常に笑顔で振るまっていた。それもいつまで続けられるかわからない。
1年が経つ頃には限界が差し迫ってきていた、私はこれからずっと暗闇の中で生きていくのだろう。
やがて緊張の糸が途切れ、私は深い眠りについた。
◇◇◇
俺は平然を装ってたが内心焦っていた。物心つく前に母親を亡くし、雷による父親の死。度重なる不幸が俺達の余裕を削っていたのは間違いなかった。
事故の後玲奈は平気と言っていたが父親の死に加え自分の目が見えなくなるなど精神的には参っていたはずなのは目に見えてわかっていた。
だけど俺は何もできなかった。生活分の金を稼ぐためにバイトをするくらいしか出来ることが無かった。
盲目になった妹は学校でいじめられることはなかったが本人の調子は落ち気味だった。
妹の目と記憶喪失は精神的な原因がほとんどだろうと言われた、こればかりは俺が介入できる問題じゃなかった。酷だけど本人に頑張ってもらうしかない、玲奈は納得していたが俺は何もできず悔しかった。
約1年分の記憶を失った玲奈にはまた1から色々と教えた、幸いにも杖を使って歩くことにはすぐに慣れ、生活も普段通りに戻ってきていた。
当時はどうなるかと思ったが怪奇現象と言うトラウマもすっかり見ることが無くなりまた平和な生活が成り立とうとしていたころだった。
あれから丁度一年が経ち、また蒸し暑い真夏の季節がやってきた。
「おはようお兄ちゃん」
いつも通り挨拶を交わす妹、いつも笑顔で振るまってくれるおかげで俺も毎日頑張れる。だが玲奈はいつもならその右手に持っているはずのものが無かった。
「おはよう玲奈、……杖は?」
朝食を並べながらそう質問する。時計の針が進む小さな音が部屋響き渡る。ほんの数秒の沈黙のあと、玲奈は不思議そうな顔をした。
「え?杖って──」
開幕の言葉で俺は一瞬で大量の冷や汗を流した、目の前が真っ暗になる衝動に意識が遠のく。
「──なんのこと?」
……妹は再び記憶を無くしていた。