【前編】明るみも霞めばやがて雷雨になる
ひぐらしの鳴く声と機械の音が聞こえる。そして冷たい風。……エアコンだ。
そういえばいつの間にか寝ちゃってエアコン止めるの忘れてたなぁ。
「んん……ふわぁ……」
凄く暑い。その上体がだるくて重い。
一刻も早く疲れを取らなければいけないのに真夜中に目が覚めてしまった。
起きたばかりで虚ろな目のまま今が何時か確認するため手探りで隣に置いてあるスマホを掴み手に取る。暗闇で周りがよく見ないが電源を入れれば明るくなる。
「あ、あれ……おかしいな」
スマホの時計を確認すると<13:32>と表記されていた。
おかしい、真夜中なのにお昼過ぎの時間帯になってる。
「壊れたのかな、後で修理しにいかないと」
私はスマホの電源を切るとベッドから立ち上がり部屋の電気を付けに歩いた。電気は部屋の入り口にあるためその都度そこまで歩くのが大変だ。
電気をつけベッドに戻ろうとすると机に置いてあるパソコンの電源がついていたことに気が付く。
途端に私は鳥肌が立った。
「な、なんで電源ついて……さっき真っ暗だった気が」
そう、私は起きた時周りが真っ暗だったから電気をつけたのだ。なのに触れてもいないはずのパソコンに電源が入っていた。
不可解な現象に驚くもすぐさま首を振って否定した。寝る前に更新でもしていてさっき電気を付けた時に丁度終わって電源がついてしまったのだろう、だから私の勘違いだろう、と。
私はベッドに腰掛けるとスマホを手に取り電源を付ける。
しかし不可解な現象はここでも起こった。
「電源がつかない……?」
いくらスマホの電源を入れても画面が真っ暗なままなのだ。
「やっぱりこのスマホ壊れてるのかな」
時間と言い電源と言い先程からスマホの調子が悪い、本当に壊れてしまったとしたら後先大変だ。
何かの間違いであってほしい、そう願いながら何度も電源のボタンを押し続ける。
するとやがてスマホの画面が明るくなり電源がついた。
「よかった……」
私は一息つくとスマホで数時間ほどゲームをし始めた、深夜なので音は出さないように。
暇な時間にゲームをするのは私にとって日課だった、今時の子は誰でもスマホゲームやSNSで時間をつぶすのが一般的だろう。私もその一人。
でもなぜか今日のゲームは面白くなかった。変な言い方だけどゲームをしている感覚に浸れなかった。
夜中にやった影響もあるのだろうか、既視感があったりしてあまり熱中できなかった。
それでも朝方までは時間を潰せた、そろそろ学校に行く準備しないと。
久しぶりだからだろうか、私はおぼつかない足取りで部屋を出てリビングに向かった。
引き戸を開けてリビングに入るといつも通りに挨拶をする。
「おはよー」
沈黙、その返事が返ってくることはなかった。
「あれ……?お父さん?返事をして?」
二度、沈黙は続いた。
「なんで?どうして?もう朝だよ?どうして居ないの?」
普段この時間帯にはリビングで朝食を作るはずの父親がいなかった。
私は慌てて父親の部屋に行くが部屋にいる気配がなかった。
そういえばお父さんはたまに朝食を買いに出掛けることがある、多分それだろう。でももうすぐ学校に行かなきゃいけないのにこのままだと朝食が取れない。仕方ないけどお父さんに電話かけよう。
私はおもむろにポケットに入っているスマホに手をかけた。
「あっ」
少し焦っていて手元を見ていなかったせいか手が滑ってスマホを落としてしまった。でもスマホにはゴムのカバーをしているためこういう時落としても安心だ。
「あれ……?」
ない?ない……?
「あ、あれ、確かここら辺に……おかしいな、スマホがない……?」
その場で手元から地面に落としてしまったはずのスマホが消えているのだ。私はがむしゃらに地面に手を振りながら探していると指先に四角い長方形がぶつかった。
「あ、あった!よかったぁ」
私はスマホを拾い上げると電源をつける。
父親の電話番号を入力してすぐさま電話をかけた。
──……。
──……。
──もしもし?
「あ、お父さん!私だよ!」
──えと、どちら様でしょうか?
突然聞いたことのない声が耳に飛び込んできた。
「えっ……?あ、あなただれ……?」
──はい?すみません、間違い電話でしょうか?
「えっあっ、ご、ごめんなさい!」
確かにお父さんの電話に掛けたはずなのに、全く知らない人が出てきた。知らないうちにお父さん電話番号変えちゃったのかな。
私は軽いショックで頭を下げ落胆しながらも渋々部屋に戻る。
「あっ痛っ!」
今度はちゃんと下を見ていなかったせいで段差に躓き転んでしまった。
「もーなんなの今日は」
不幸が続き一層機嫌が悪くなり深いため息をついた。今日は朝食抜きで学校に行かないといけないのかぁ……。
制服に着替えるため自分の部屋に戻ろうと部屋の扉に手を伸ばす。
──その時だった。
「え……?」
手が扉をすり抜けた、それを視界がしっかり捉える。
高まる鼓動と腕の鮮明な感覚、今朝から起こる不可解な現象の異常性に確信を持った瞬間だった。
「きゃぁああ!?──何?何なの!?」
不意の出来事に腕を引き両手を握りしめて胸に抑える、思わず目も閉じてしまった。
間違いなく手はドアノブを触れることなくすり抜けた、いくら疲れているといってもそれを理由には出来ないほど鮮明だった。
それでも無理矢理自分を納得させる。あれは疲労による幻覚か何かだ、決して怪奇現象なんかじゃない。
力いっぱい閉じていた瞳をゆっくり開ける、今度こそちゃんとドアノブを掴んで──
「ぁ……あ……ッ……!」
──ドアノブが無い。
「な、なんで……」
涙混じりに震える声で呟く。よく見るとドアノブどころか部屋の形状すらなくなっている。確かに自分は部屋の前に来ていたはずなのに。
恐怖で感情が大きくなっていく、早くここから逃げたい。だが現象はそれを許してくれなかった。
途端に当たりが真っ暗になる。
「ひッ……!?」
何も、ない。
──廊下も階段も壁も部屋も何もかもが消えていた。
私は恐怖のあまり腰を抜かしその場に倒れこんでしまった。
テレビでオカルト系の番組を見たことは何度もあった、でもどうせCGだろう、作り物だろうと耳を向けなった。
だって自分がそういった状況に直面したことがないから。観衆の一人として、遠い視点からただ眺めているだけだったから。
だからその衝撃はあまりにも大きかった、自分が否定していたものが事実だった衝撃とそれが私の身に降り注ぐ衝撃。
……怖いなんてものじゃなかった。
「嫌……いやぁっ! だ、誰か助けて!」
再び目を閉じて泣き叫ぶ。だがこんな何もない空間に誰かがいるわけもなく。
「なんで……なんなの……嫌ぁッ!」
感情が臨界点を突破して涙が零れ落ちていく。
頭を抱え塞いでいるはずの耳にぽつぽつと音が聞こえてくる。
今日は珍しく朝からひぐらしが鳴くほどの快晴だったはずだ。
だけど聞こえてくる音は、雨だった。段々と強く、大きく聞こえてくる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
もう今の状況を飲み込むことについていけず壊れ始める。
雨は酷く強い、そして外にいるかのように肩に当たっている気がする。
私はそれを直視する勇気すらなく両手で自分を抱きしめながら目を閉じ震えていた。
この悪夢が早く終わってほしいと、最悪が自分の身から去ってほしいと願うばかりだった。
だが怪奇現象は止まらない。私を弄び殺めるかのように容赦なく降り注ぐ。
突然どこかで聞いたことのあるような、それでも思い出せない音と感覚が身を過った瞬間だった。
聴覚が壊れるほどの強烈な衝撃音が頭に響いた。
震えていた体が硬直し閉じていた瞳が開眼し見開く。
「ッ!?……はっ……はっ……ッ……!!」
私は数瞬呼吸の仕方を忘れ過呼吸に陥ってしまった。
見開いた目から大粒の涙が零れ落ちる、口は空気を求め必死に呼吸を繰り返し体中に駆け巡るほどの心臓の音がエコーをかけたかのように響き渡る。
辛い、苦しい。でもそれ以上に怖い。
幸いにも息が整うまでそれほど時間はかからなかった。
それでも恐怖は未だ全身を包んでいる。
ダン、ダン。
今度は暗闇の中から足音が聞こえる。
「お願いこないで……こないで……」
心の中で必死に祈り続ける、しかし足音が止む気配がない。それどころかこちらに向かって近くなっていく。
「ごめ、んなさぃ……ひっぐ……うぇ……っぐ」
正体もわからずただただ恐怖だけを与える異常な現象を相手についに私の心は折れてしまった。
啼泣同然に泣き続ける私に無慈悲にも足音は目の前に差し掛かる。
ついにその足音は私の真後ろで止まり、畏怖に陥れるかのような足音の主はこちらに向けて口を開いた。