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イゴの子守唄

作者: 師走小僧

 酷い耳鳴りと目眩がした。その日はとても寒かったから、無理が体に祟ったのだろうと軽視した。立てないほどの前後不覚も、きっといつものことだと受け流していた。

 目を開けたそのとき、私は知らない場所にいた。

 薄暗く湿った空気。どんよりとしていて、どこか淀んだ黴臭さ。ここにはもう、誰も住んでいないだろう。これだけ劣化してしまっている。誰も、来ることなどないだろう。

 そこは寂れきった廃屋で、どうやら元は教会のようだった。至る所に置かれた、蝋燭が3本置けそうな燭台。広い部屋の真正面に、大きなロザリオが立ててあったからだ。私は、教会の丁度端、入り口の近くに座り込んでいるのだった。


「これは…夢?」


 間違いでなければ、私は午前三時に帰ってきて、午前五時に始まるミーティングに備えて軽い仮眠をとったはずだ。ならばここは夢の中。随分深い眠りに落ち込んでいるようで、無事に起きることができるか心配になる。

 ふらふらと立ち上がった私は、闇の濃い廃屋の中を一歩踏み出す。こういうのは夢の中で刺激を受けると目が覚める、と相場が決まっているから。ストッキングに包まれた右足が、ぐにゃりと生き物らしい何かを踏んだ。私は、その場に尻餅をつく。なんとも無様な悲鳴付きで。


「ぎゃああ!」


 遠慮容赦なく踏みつけてしまったそれは、私の悲鳴にビクッと体を震わせた。そしてもぞもぞと起き上がると、立ち上がれないままの私に向かって、深く深く跪く。暗くてよく見えない。けれど、霊感なんてものを持たない私でも分かる。これは人じゃない。怯えて後退る私に、頭を垂れていた人外はつっ、とその顔を上げた。


「っい、ひぁぁ…」


 涙混じりの鼻声で尚も下がる。と、教会によくある長椅子だろうか。壁に背中がついてしまう。もう、逃げられないのか。目の前の異形をじっと見つめる。黒い頭部は羽毛のようなものに覆われ、口は大きく裂けている。骨格は人より犬や鳥に近いようだ。長く伸びた鼻先がソレを示している。座り込んだ今もその体軀は大きく、暗色の布を被っている姿は、まるで自ら異形を隠しているかのようだった。それは、此方に片手を伸ばしながら、がさつきひび割れた声を発した。


“怖ガらないデ…僕を助けテ…。ママ、ママはドコ?”


 幾重にも重なって聞こえる声の中に、幼く不安げな音が混じっていたからなのか、心穏やかであれず、傷ついているように思えたからなのか。私は、そっと人外の伸ばす手に触れていた。するするとした肌触りは鳥の羽のよう。ただ、手の形は人に近く、鋭く太い爪が6本生えていた。やはり、ひとでは、ない。

 

「お母さんを、探しているの?」


 ぱっと此方を向く七つの目に、私は半ば確信へと辿り着いた。

_私、この子に呼ばれたんだ。

 そうでなければ、いきなりこの今にも崩れ落ちそうな廃教会にいるだけの理由が無い。何の力も持たない人間ならまだしも、この異形の体ならば疲労困憊の人間一人、洗脳して連れてくることも可能だろう。酷く自分勝手で根拠のない思いつきだけれど、意外と的を射ているような気がする。


「気付いタラ誰もイナくて…ずっと、ママの帰りをまってたのに、誰モきてくれなくて…」


 先ほどよりも心なしか落ち着いた様子のそれは、自分の味わった孤独と不安、そして悲しみをぽつりぽつりと語った。


「あまりにも寂しかったから、ママに教わった方法で天使様を呼んだの。そしたら…来てくれた。貴方が来てくれたの。」


 七つの光が無垢な喜びに色を変える。神でも、ましてや天使でさえない私は、どう真実を切り出したものか頭を悩ませた。もし望んだものではないと、この異形の子供が知ったらどうなるか。「なら、いらない」と丸呑みされてもおかしくなさそうだ。いや、私を生け贄に次の儀式を始めるかも知れない。この子が望むのは、それ以上でも以下でも無い、天使様だけなのだから。だから、私は嘘をつくことにした。


「私に貴方のママは探せない。神様の言いつけで、天の下では力を使ってはいけないの。だから__、」


 だから、私がこの子のママになる。


「私が貴方のママになってあげる。…守ってあげる。愛してあげるわ。」


 手を伸ばして、羽毛のような手触りの頭を撫でる。随分と面積が広いから、一度撫でるだけでも一苦労だけれど。それでも、彼が返事をするまで、ずっと撫で続けた。それがママってことだと思うから。


「うん…うん、天使様。ぼくを愛して。怖いものから守って。ぼくの…ぼくのママになって。」


 嗚呼、神様。嘘をついた私をそれでも助けて。こんなのでも、今まで必死に生きてきたの。自分をすり減らして、心を殺してまで。私は、私はまだ死にたくない。


「良い子ね。まずはゆっくりおやすみなさい。」


 眠れ 眠れ 母の胸に

 眠れ 眠れ 母の手に 

 こころよき 歌声に 

 結ばずや たのし夢


 こんな幼気ない化け物を騙くらかしてでも、生きていたい。元の場所に戻りたい。嗚呼、どうか、せめて___、


「おやすみなさい。ぼくのママ。」


__今だけは、見逃して下さい。

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