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第二章 二

二、セバスチャン・グリフ

クレモンたちはトラブールに閉じ込められている。隠れ家的なものが好きな三人だが、隠れなければならないのは苦痛だ。中庭に突っ立っている訳にもいかず、物置のようなスペースに潜んでいる。

「ここはいったい何だよ。暗いし臭いし。」

チボーは沈黙に耐えられなくなった。

「だいたいこんな所にいてどうなるんだ。もう出ようぜ。」

アレックスもさすがにしびれを切らした。

「そうだよな。もうどうにもならないもんな。まったく状況が分かんないんだし、思い切って情報収集しようよ。」

一番に飛び出したのはアレックスだ。クレモン、チボーと続いてトラブールの通路に出た。

日はもう沈みかけていて、中庭の光も陰っている。

ギィー

大きな扉を開けて外に出てみる。観光客の肩が触れ合うくらいの雑踏だったさっきの旧市街とは全く違い、人気がほとんどない。

パ・タン・タック!パ・タン・タック!

という、織機の音だけがわずかに響いている。昼間であればもっとけたたましいのだろうが、夕方だけに働いている職人も少ないようだ。

太陽はまだかろうじて出ているが、町は圧倒的に暗い。

「なんだよ、この暗さ…。」

チボーは不安げだ。

「電灯がないよな。」

クレモンが冷静に答えた。

アレックスが外に出て道路を歩き出した。

「うわぁ、下もガタガタだぁ。石畳っていっても、さっきと全然違うぜ。石ころ並べているだけだよ、これじゃ。」

大きさの違う石を飛び越えるように進んでいく。

「アレックス、戻って!」

チボーが叫んだ。

「向うに人がいるよ!気を付けて!」

確かに、遠くに人影がある。暗くてよく見えないが、かすかにシルエットが見える。

「何か変だよ。何か分かんないけど、お前のそのオランピック・リヨネのユニフォームが街の雰囲気に合ってない!やばいよ!早く戻れって!」

しかしアレックスはなぜか食いつくように影しかみえない人を見ている。

クレモンが飛び出してアレックスを掴んで引きずり戻そうとしたとき、シルエットの男が声を出した。

「バルトロメオか?」

こっちに向かって歩いてきた。力強いというのか、明らかに現代人とは違う歩調で歩を詰めてきた。スキップでもしているようだ。足が短いのに、一歩が大きく見える。そのなぜか異様な姿に惹きつけられてつい外に出てきたチボーも、ついに硬直してしまった。

「ん?バルトロメオじゃないじゃないのか。お前たちは一体何者だ?」

「リヨンのクレモン・マロ中学の学生で…。」

チボーが言いかけたが、クレモンが遮って、

「いいえ、バルトロメオじゃありません。たまたまこの辺りに寄っただけなんです。」

「ほう。そうか。しかしなんだその恰好は。ワシは新しいもの好きでいろんな新しいものを見てきたが、お前たちの服は見たことないな。どこから来たんだ?」

「たぶん信じてもらえないから言いません。きっと、本当のことを言うとおかしなことになるから。」

クレモンはようやくはっきり顔の見えた男の雰囲気を感じ取った。この男は信用できるかもしれない。縦長の顔はしわくちゃで、決して整っているとは言いがたいヒゲがもじゃもじゃと口の周りを覆い隠している。

「おかしなことになる、か。ハハハ。確かにな。この世の中、おかしなことだらけだ。約束を守らない王様、保身しか考えん役人、働き口があるのを有難がらない労働者。おかしなことばかり言いやがる。ワシは人は信用しない。そいつらの思想は信用するがな。お前たちが何者かは知らんが、お前たちの考えは尊重してやるさ。それにしても、エチエンヌ・ドレがお前たちを見たら、未来から来た小僧たちだ、とでも言いそうだな。」

「何だか分からないんだよ。僕たちとおじさんっていったい何なの?どうなってるの?教えてよ!」

たまらずチボーが口を開いた。

「おいおい、落ち着くんだ。お前たちが何を言いたくてそんな格好をしているのかよく分からん。だが俺はお前たちの思想は尊重してやる。思ってることを言ってみろ。」

「僕たちも信じられないけど、どうやら未来とか過去とか、なんとか…。いや、やっぱよく分からない。」

と言いながらもクレモンは徐々に確信を持ってきている。するとこのヒゲの男は、

「未来なぁ。未来に行きたい奴は山ほどいる。未来を知りたい奴もな。だが未来とは天国だ。お前は生き返ったのか?考えはご立派だが、お前たちの人間性は疑っちまうな。」

「でもこの服見てよ!おじさんのと全然違うでしょ!」

チボーは現代ならごく普通の自分のポロシャツを引っ張りながら、何とか話が通じるように続けようとする。

「そうだな、その服な。それはまずいぞ。動物の毛じゃないな。木綿生地はぜいたく品だ。そんなもの身に着けていたら殺されるぞ。」

「まずいってなんで?服ぐらい自由に着たっていいでしょ?」

チボーが裏返った声で続けると、

「なに、自由か!ほぉ、お前さんの口からそんな言葉が聞けるとはな。そうさ、人間は自由だ。だがその自由は高くつくんだ。命がけだぞ。」

クレモンはチボーの耳元で、

「俺たちとは全然考え方が違うんだよ。あんまり俺たちの常識を話さない方がいいぞ。」

と囁き、

「おじさんの名前はなんていうの?」

と話を変えた。

「セバスチャンだ。セバスチャン・グリフィウス。お前たち、グリファリンっていうワシの名前のついた印刷屋の組合は知っとるだろう?ほら、グリフォンのマークの。何?知らんのか?お前たちは本当にリヨンに住む人間じゃないな。ワシは印刷屋のオヤジだ。今じゃ印刷屋っていやぁ、羨望のまなざしを向けられる上に、ワシはその組合の元締めなんだがな。まぁとにかくちょっとこっちに来い。自由という言葉を発する勇気をかってやろう。その服じゃまずい。狂った民衆に半殺しにされる。着替えさせてやるよ。」

グリフはそう言って、クレモンたちが出てきたトラブールの扉を開けた。

「さぁ、入れ。ここに住む知り合いがいる。そいつのところへ行こう。」

中に入ると、トラブールの中庭から階段を上がり、二階の住居の扉をおもむろに開いて、

「クロード、いるんだろ!」

と中の人に声をかけた。

すると、ひょっこりさっきのトラブールのおじさんが顔を出した。

「やあ、グリフさんじゃないか。反物ならもうすぐ終わるよ。」

「それはご苦労だな。お前さんのところにチュニックがあるだろう。三つ用意してくれ。」

チュニックとは頭から足まですっぽり被る服だ。グリフは鷹のように鋭い目とは裏腹に、心優しいおじさん、いやお爺さんのようだ。

「へぇ、ありやすけど。あ!その後ろの小僧たちの服ですか。いや私もさっきこいつらをみて面白いやつらだと思ったんですよ。印刷屋くらいの先見の明がないとこいつらのユニークさはわからんでしょうがな。」

クロードが大きな物置棚から汚らしい服を三つ出してきた。

「おやおや、何百年も前の織り方を今頃やっと覚えたばかりのお前の口から、先見の明なんて言葉がでるとはな。ところで、ワシはグリフじゃなくて、グリフィウスだと何度言ったら分かるんだ。フランス人っぽい名前に勝手に変えるんじゃない。ワシはラテン語を愛するドイツ人だぞ。」

クレモンたちが汚いチュニックをじろじろ見て、これに着替えるのか、とため息をついている。だがオジサン二人はそんなことに気も付かず、

「でもみんな貴方のことをグリフさん、って呼んでやすぜ。」

「ふん!リヨネのプライドだな。この町は外国人のお蔭でもってるってのに。まぁいい。小僧たち、着替えたか?」

とクレモンたちの方を振り返った。

「なにこの服、洗濯してるの?臭いがすごいよ!」

「クロードのことだ、きれいなわけがない。こいつがソーヌ川で洗濯するのなんて、夏の大三角形が空に見えてる時期だけだ。ただこいつは洒落者で通ってるんだ。そのチュニックはなかなかアラモードだぞ。さぁ、命が大事か、服が大事か。どっちを選ぶんだ?」

夏の大三角形が見える時期といっても、今が何月なのかも分からない。ただ、この異常な臭いから、洗濯などめったにしないということはよく分かる。

「仕方ないよ、着よう。」

とクレモンたちが鼻をつまみながら袖に服を通すと、奥からもう一人の男が入ってきた。

「おー、人の声がするから誰かと思えば、セバスチャンじゃないか!」

「なんだ、バルトロメオ、いたのか。」

「あぁ。組合がうるさくて、次の定期市までに反物を仕上げろっていうんだ。あと五日しかねぇんだ。何でもフィレンツェの奴らがどっと押しかけてくるらしいんだ。」

「またメディチか。扱いにくい奴らだが、うまく付き合わねぇとな。町を追い出されちまう。」

「あぁ、特に俺たちみたいにピエモンテから来たなんて言えば、田舎者がイタリアの恥になるんじぇねぇぞってからかわれるからな。奴らにかかっちゃ、ナリスやチュルケなんて名前には何の価値もねぇんだよ。」

バルトロメオの本名は、バルトロメオ・ナリスで、トリノ近郊のケラスコという小さな村の出身だ。つまりイタリア人だ。帽子をかぶっているのかというくらい頭が長い。いや髪の毛が浮き上がっているだけかもしれない。

フランス王、フランソワ一世はイタリア戦争を戦っていて、パリよりは戦場に近いリヨンを経済面での前衛基地にしようともくろんでいた。バルトロメオ・ナリスとその同僚エチエンヌ・チュルケは、当時輸入に頼っていた絹をフランスで生産すべく、イタリアからやってきた絹織物の技師だった。フランソワ一世は、イタリアの絹を購入して軍資金を失うどころか敵のイタリアにみすみす支払うのはバカらしいと考えたが、この当時、まだフランスでは模様のついたシルクを織ることができず、単色ものの絹織物しか生産できなかった。結局美しい柄のついたシルクは外国からしか買えなかったので、軍資金の流出は完全には防ぐことができなかった。

パ・タン・タック、という織り機が出す音はこの単色刷りの機械独特の音だ。

「ところで、セバスチャン、この小僧たちは?」

「分からん。が、お前さんとこのアトリエの周りをうろついていたんだ。面白い格好だし、何しろ自由なんて言葉を口にしやがってな。ワシのような言葉を扱う印刷屋でも、自由なんて、そうそう口にできるようなもんじゃねえぜ。」

グリフはクレモンたちの方を見た。クレモンたちはどうしていいのか分からず、ボーっと突っ立っている。しかし、クレモンはこの時既に、ガストンおじさんの話を思い出していた。グリフ、ナリス、チュルケ、メディチ。全ておじさんがリヨンの中世の話をする時に出てきた名前だ。記憶が正しければ十六世紀の人間だ。タイムスリップが現実のものになっている。夢ではないかと目をこすったが、目の前に起きている話は現実の世界の話だ。

「お前たち、ここでいったい何をしてたんだ?」

バルトロメオが質問してきたが、

「???」

クレモンたちには何を言っているのか聞き取れなかった。どうやらバルトロメオはイタリア訛りが強い。

「何をしているんだ、と聞いてるんだ!」

語気が強まると聞き取れた。

「いや、あのぉ、旧市街にはトラブールが多いって聞いたから、ちょっと見てみたくて…。」

「何を話してるんだ?旧市街?ここはフランスでも、いやヨーロッパでも最新の文化を誇る町だぞ。それにトラブール?何だそりゃ?」

驚いたことに、バルトロメオだけでなく、グリフもクロードもトラブールを知らないらしい。トラブールという名が資料に出てくるのは十九世紀と言われている。十六世紀の人々は違った呼び方をしていたのかもしれない。

「それにしても、俺たちも年を取ったもんだな。」

バルトロメオが言うと、

「あぁ、全くだ。手足が思うように動かなくなっちまってる。印刷屋っていやぁ、手先の器用な人間の代名詞だったんだがな。なかなか思うように体が動かなくなっちまったよ。」

グリフはしわくちゃになった手をさすりながら、

「ドレ…。エチエンヌ・ドレが元気だったころが懐かしいよ…。」

としみじみとグリフが語りだした。



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