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第三章 一

第三章 黒と白


一 クロードの家

クレモンたちは、終わりそうにないグリフの回想を聞いていたが、グリフはよほどモーリス・セーヴが苦手だったのか、突然話を止めてしまった。

「モーリスはいけすかない奴だな。」

グリフはクレモンたちに話しかけた。

「さ、あんな奴の話をする暇はない。暗くなっちまう前にとっとと帰ろう。小僧どもよ、お前たちはどうするんだ?」

どうすると言われても、クレモンたちも家に帰りたいが、帰るすべがない。途方に暮れていると、雇われ職人のクロードが、

「俺んちに来いよ。狭いところだが、寝るところくらいなら何とかなるぜ。」

と親切に声をかけてくれた。クレモンたちにすれば、一番強烈なにおいを放つ人の家に行くのはためらわれたが、何となく断れない雰囲気に飲み込まれた。

「はい…。じゃぁ、お願いします…。」

「よーし、そうと決まったら、さっさと帰ろう。かぁちゃんが待ってるからな!」

意気揚々と帰り支度をするクロードの横で、三人は肩をがっくり落としていた。

クロードのうちはサンジャン地区ではなく、中洲の、現代でいうベルクール広場の北側にあった。

クロードと三人はまずソーヌ川に一本しかない橋を渡る。もはや暗闇と言える暗さだが、クロードにははっきり道が見えているらしい。

「あぁっ!」

チボーがつまづいた。

「なんだおめぇは。目が見えねぇのか?」

「おじさん、こんな暗いのに見えるなんておかしいよ。あぁっ!怖い!橋の手すりが崩れかけてるよ!」

「うるせぇな!黙って付いてきやがれ!」

ところどころ石が崩れている橋をようやく渡り切ったところで、川沿いを右に曲がる。

「この辺りはな、なんとも尊い場所だぞ。見てみな。今左に見えてるのがその昔テンプル騎士団がいた建物だ。もうどこかに行っちまって随分経つがな。ここに出入りする人たちゃ、みなりもきちっとしてて、格好良かったなぁ。その隣、ほら、豚がたくさんいるだろ。あそこはアントニウス修道会のコマンドリーだ。病院にもなっててな。朝方に豚を散歩させている人を見かけたらアントニウスのお方だ。次に見えてくるのが、セレスタン修道会。法王様も出したことがある由緒ある修道会だ。ここを歩いていると心が洗われるようだろ。一日の仕事の後、ここで心を安らげてうちに帰るんだよ。家に帰ったら、かぁちゃんの小言でまた心が澱んじまうがな!」

「おじさん、見かけによらず信仰熱心なんだね。」

クレモンがそう言うと、

「あたりめぇだろ。信仰してないやつなんているのかね?毎日の生活も、仕事か教会か、だろ。」

「信じられないよ。僕たち、ミサなんて一回も行ったことないから…。」

クレモンもチボーもアレックスも、みんなキリスト教のことは名前しか知らない。それもそのはずで、家族のほとんどが信仰していない。

「なんだと!?一体お前たち、どういう育ちをしてやがるんだ?ミサにも行ったことねぇなんて。お前たちの親はどこで何してんだ?」

「えーと、何て言ったらいいのかな。普通にサラリーマンなんだけど…。」

「はぁ!?サラリーマン?いったい何をやる仕事なんだ。まさか塩税のガベル徴収人じゃねぇだろうな。だとすりゃ、おめぇのオヤジに言いたいことはいっぱいあるぞ!なに、そうじゃねぇってか。まぁ俺の知らん職業もいっぱいあるだろうからな。」

クロードは独り言のようにいつかミサに連れて行ってやらなきゃなと言いながらしばらく歩き続けた。そして細い通りに来たところで、今度は左に曲がった。

「おー、今度はドミニコ修道会、ジャコバン様の敷地だぞ。胸の十字架に手をやって歩け。」

十字架を握りしめるクロードのしぐさがハッキリとは見えないので真似することも出来ず、クレモンたちはサッカー選手が時々するようなしぐさを思い出して、何もない胸の前で十字架を切るしぐさをしながら歩いていく。チボーは最後にゴールを決めたかのように両手の人差し指を天につき上げるしぐさまでしている。

「ここはな、その昔、ローマ法王様が選ばれた場所なんだ。」

四人は今でいうところのジャコバン広場に差し掛かっている。ここにあったドミニコ修道会の安寧のマリア教会で、一三十六年、ヨハネ二十二世が選出されている。教皇のアヴィニョン捕囚が続いていた時代だ。

「あぁ、心が洗われるようだ…。」

クロードはそう言いながら家路を歩いてゆく。

「この辺りがリパブリック通りのはずだけど…。」

「リバプリック???なんだそりゃ?」

今日で何度目だろうか。またしてもクレモンに知らない言葉を聞かされた。トラブール、サラリーマン、そしてリパブリック。

当然ながら、リパブリック、つまり共和国なんていう言葉を十六世紀のクロードが理解できるはずがない。クレモンに説明をしてもらったが、概念がないので理解のしようがない。結局、「まぁいい。そのうち分かるだろう。」とクロードは気にせず歩き続けた。

現在のリパブリック広場の辺りをローヌ川の方へ進んで、シルドベール通りに差し掛かると、クロードの臭いが吹き飛ぶほどの悪臭が漂ってきた。

「ゔぇー!」

アレックスがえずきそうになっている。

「何だお前ら、豚の臭いをしらねぇのか。」

どうやら家畜のとさつ場があるらしい。当然豚の糞尿の臭いだけではない。血の臭いも強烈なのだ。鼻をつまみながら恐る恐るクロードの背中についていく。しかしクロードの背中も負けず劣らず強烈な臭いだ。

「おぇ、おぇー。どこ向いても逃げられねぇよ…。」

出来るだけ息を止め、鼻をつまみながら小路の中へと入っていくと、クロードの住むアパートが見えてきた。織物をつくっているサンジャン地区は四、五階建ての高い建物が並んでいるが、この辺りは労働者が多いからか、建物も低くて古い。その中の一つ、壁が崩れ落ちかけている建物の中にクロードが入っていく。

「こんなところで大丈夫かよ!さっきのところに戻ろうよ!」

チボーがあたふたしながら言うものの、

「でももうこんなに暗いぜ。足元しか見えない。迷っちまうよ…。」

クレモンはどうしようもないよと言わんばかりにつぶやいた。

「こんな場所で寝るのか?大丈夫かよぉ…。」

チボーは建物を見ながら半べそをかいている。アレックスは茫然と立ち尽くしている。

当然だ。二十一世紀のフランスの大都市に暮らす子供たちにとって、おぞましい環境ともいえる。悪臭や建物の古さだけではない。街中なのに街灯もなく真っ暗で、人影なのか、オオカミなのかすらも判別できない。夜に出歩いて疑われれば、石斧か何かで頭を叩き割られるのが目に見えている。

「とりあえずクロードを信じようよ…。」

クレモンの声も聞き取れるか聞き取れないか程度の小声になっている。

「おー、どうした!早く上がってこい!そんなところにいたら、悪い奴らに連れ去られて一生奴隷働きさせられるぞ!」

幸か不幸か、クロードはどうも気のいいおじさんにしか見えない。

「よし!腹をくくって上がるぞ!」

クレモンとアレックスが建物の中に入ると、

「待ってよ!」

とチボーも続いた。

クロードには家族がいる。うちの中に入ると女性が一人、子供が二人いた。一部屋しかないが、広さは十分だ。

「あんた、何なのさ、このガキどもは!へんな格好して、いったいどこの国から来たんだよ?こんなやつらに食わせる物なんかないからね!それともあんた、ナリスさんのところで何かもらってきたのかい?」

威勢がよくて、きついことでもはっきりいいそうな奥さんだが、小太りの体型のせいか気前よく見える。事実、見知らぬ子たちを知らず知らずのうちにたやすく受け入れている。

「おー、そういや、ナリスのオヤジがソーセージをくれたんだよ。随分前に人にもらったやつだ、っていってたけどな。」

クレモンたちは、玄関で突っ立っている。壁際に木製のベンチがあるのだが、座っていいのかもわからない。そうこうするうちに、二人の子供が物珍しいものを見るように近寄ってきた。六、七歳くらいに見える男の子とその妹のようだ。

「お兄ちゃんたち、なんでそんな服をもってるの?パパの織物手伝ってきたの?」

アレックスはリヨンのサッカーチームのユニフォーム、チボーはワシ柄のポロシャツ、クレモンはエリのある白いシャツをくしゃくしゃにして手に持っている。

「違うわよ、お兄ちゃん。きっとジュットがあったのよ。ね、そうでしょ?」

と妹も話しかけてくる。

ジュットとは船上で戦う槍試合のようなもので、白い服を着て戦うので、クレモンの白いシャツを見てそう思ったのかもしれない。

「お兄ちゃんたち、お名前は?」

「クレモンだよ。」

「僕はアレックス。」

「チボー…。」

当然ともいえるが、人恋しいチボーはなかなか元気が出てこない。

「ちょっと遊ぼうよ!」

男の子がクレモンとアレックスの手を取って、部屋の隅っこへ無理やり連れて行った。

妹は元気のないチボーを見て、

「チボー、チボーは私が遊んであげるね。」

といって、これまた手を取って男の子たちと反対の隅へ連れて行った。

「ヤァ!」

「トォー!」

ダン!ドン!

クレモンとアレックスは、どうやら騎士遊びをしている。クレモンはひそかに、

「こんなにどんどんしたら床が抜けるんじゃ…。」

と心配しながら抜き足気味でやられる振りをしてあげている。アレックスは負けず嫌いだから、絶対に倒れる振りはしない。それどころか幼い男の子を押し倒して、してやったりの顔をしている。

「はい、この糸はここに通してね。そうそう、それからこっちの糸はここに…。あー、違うってば!もう、チボーは下手くそね!」

「やったことないのにできないよ!」

チボーは妹とあやとりのようなもので遊んでいる。女の子の顔はいつ洗ったんだろういうくらい垢にまみれていて、とてもかわいい顔に見えない。しかし鼻はすっきりと高く、顔の輪郭もアゴのあたりもバランスがよく、口元は常に笑みをたたえ、何より現代の子にはありえないと思わせるほど青く澄んだ瞳をしていた。幸せな顔とはこういう顔か、と感じられるほど心の豊かさが表れている顔立ちだ。

「あんたたち!ご飯だよ!テーブルにつきな!」

お母さんの声が聞こえてきた。

「はーい!」

一番元気よく答えたのは妹だ。しかし、男の子もおなかが空いていたのか、すぐにテーブルに駆け寄ってきた。

「三人組も遠慮しないでいいから一緒に来な。」

お母さんは、所在なく立ち尽くす三人にも声をかけてくれた。三人の顔に見える不安に気付いてはいたが、チボーの顔が明るくなったのを見て、お母さんも安心したようだ。

「ナリスのおやじさんに感謝しなきゃね。あんた達の分も十分にあるわよ。」

「そりゃ良かった!」

クロードも胸をなでおろした。クレモンたちは大きなテーブルの角を囲むように座った。

「これ、何なんだろう?」

テーブルの上に並ぶものを見てクレモンがつぶやいた。

「ソーセージだろうけど、すごい色だね…。」

おなかは空いているが、食欲が今一つ湧いてこない。黒ずんでいるソーセージ、いかにも堅そうなパン、部屋の真ん中にぶら下げられた大釜で作られた、何が入っているのか分からないスープ…。

「今晩はどうしてこんなにごちそうなの?いつもはスープだけなのに。」

妹が可愛らしく質問すると、

「見ず知らずの子たちがおなかを空かせちゃかわいそうじゃないか。しっかり食べさせるのがあたいの役目だしね。」

とお母さんが答えた。

「何だかプレッシャーだな…。絶対に食べなきゃいけない雰囲気…。」

アレックスがつぶやくその横で、

「頂きまーす!」

と威勢よくチボーがソーセージを食べ始めた。

「うまい、うまい」

パクパクといかにもおいしそうに食べている。

横で大丈夫なの?という視線を投げかけるクレモンを尻目に、ガリガリ、ズーズーとパンもスープも次から次へと口へ放り込んでいく。クロードの奥さんは満足げにチボーのおいしそうに食べる姿を眺めている。

「うめぇのに食べないのか?」

クロードも勧めて来る。

「あ、はい、いただきます。」

クレモンは観念したかのようにアレックスと一緒に手を伸ばして、ソーセージを一切れ手に取った。

「うぅ、何か知ってるソーセージじゃないような…。」

「においがキツイね…。」

既に見た目で食欲が減退しているが、

「うぇ、やっぱり…。くせぇ…。」

やはりクレモンとアレックスの口には合わないようだ。とは言ってもおなかが空いているのも事実。まずくてもおなかに物が納まると少し元気が出て、疲れも忘れてきた。しかし、食欲が満たされると別の不安が頭をもたげてきた。

―みんなに会いたい―

中学生とはいえ、まだ十三、四才の子供だ。中世の世界に取り残されるのはこの上なく心細いだろう。

一瞬三人とも黙り込んだが、まだご飯を食べ終えていないお母さんが静寂を破るかのように話し出した。

「ほら、最近夜中に聞こえる声、何だかローヌ川の向こう側だって言ってたわよ。」

「ふーん、あんなに大きな声なのに、本当に川向うからか?もっと近くからじゃねえのか?」

「さぁ分からないわよ、あたしだって。見たわけじゃないんだから。ご近所さんがみんなそう言ってんのよ。」

「まぁな。確かにそうかもしんねぇ。おい、お前たち、ルーガルー、知ってっだろ?オオカミオトコってやつだ。最近ここいらに出没するんだってよ。その声の主がオオカミオトコじゃねえか、って話だ。」

クロードはクレモンたちに向かって問いかけた。

ルーガルー。

そんなのが本当にいるのだろうか、とクレモンたちは思ったが、特に現実感が沸かないまま、お母さんが食事を終えるのを見届けた。

「さ、おめぇたち、もう暗くなるからさっさと寝床に入りな。うちの子供たちの横で寝るんだ。」

クロードはそう言ってワラぶきのベッドを指さした。

「え、みんなで寝るの?」

「そうだよ。どうして?」

アレックスの質問に答えた男の子に、逆に聞き返された。一人ずつ寝る習慣などない。みんなで寝るのだ。男の子も女の子も一緒のベッドに寝転がったが、やはりお客がいると眠れないらしい。時々クレモンたちの方を見て、目が合えばまた向うを向く、ということを繰り返している。そんな子供たちの遊びに初めは気前よく付き合っていたチボーもさすがに疲れて、目がとろーっとしてきた。

「こんなところで眠れないよ…。はやくうちに帰りたいよ。お母さんが待ってるはずだしZzz....」

と言いながら、チボーはいつの間にか目を閉じていた。そして、チボーの真似をするかのようなうつろな目で、ぼそぼそ何かを言いながら、クレモン、アレックスという順番で眠り込んだ。やはりとんでもない世界に迷い込んだせいで、知らず知らずのうちに疲労は極限に達していた。


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