4.スナークハント
4.スナークハント
最後の質問――それは、俺と彼女の出会いについてだ。
彼女の話によると、俺と彼女が始めて出会ったのは3週間前のこと……らしい。
もちろん、俺には3週間前に彼女と出会った記憶はない。当然、その事実はすでに塗り替えられている。
3週間前――もしかすると、もっと前から改竄は始まっているのかもしれないが。それについては、今は確かめようがない。彼女の言うことが全て正しいとしても、彼女は3週間分しか俺のことを知らない。もちろん、彼女が嘘をついている可能性や、自分に都合のいいことしか話さない可能性もある。しかし、今の段階で情報源が彼女にしかない以上、俺はその情報だけで事件を紐解くしかない。
実際、前回までに突然現れた登場人物たちは、嘘や、意図的に核心に関する情報を話さない事も多かった。しかし、それは誰しもが自分の視点から物事を話すせいでもあり、それが重大な事件であればあるほど、自分に都合の悪い情報は隠したくなる……それが人間の性質だと、俺は理解している。
まぁでも、嘘(《嘘》に[それ]とルビを打つ)に関しては今回に限り、問題なさそうに思える。その……
彼女はなんていうか、そう……とても素直そうだからだ。
俺の経験的には、時間の改竄は短いときで3日くらい前から、長くて数十年、歴史的な改竄を含むと何千年前にもさかのぼる事もある、それは《仮想戦史》や《もしもボックス》のようなことが実際に起こることに似ている。幼馴染が突然現れたり、いもしない妹が突然現れたりと、ギャルゲーみたいな些細な出来事(俺にとっては大事件なのだが……)から、歴史的大事件に関係するときもあった。
アメリカの原住民のような姿をした (『灰色の熊を狩る狼』って名前だっけ)が居た時なんかは、実に14年も前から俺の時間は改竄され、解決までに何度も命の危険にさらされたものだ。この事件をきっかけに、俺は慎重すぎるくらいに行動するようになったのだが、その話は別の機会にすることにしよう。
彼(彼女)らは実にいろいろな設定で俺のことを語るが、俺にはそのことに関して一切、身に覚えもなければ、そういう能力もない。
ならば、彼らの語る《俺》達がその世界で上手くやっているのかと言うと、それがそうとも言い切れない。彼らが彼らのまま時間を進めると確実にその事件は失敗と言う形で幕を閉じてしまう。
だからこそ、この時代に今の俺がいるのだ……。
少し傲慢な考えかもしれないが、俺はそう認識している。そうでも考えないと、いきなり覚えのない世界に飛ばされた意味が解らない。そして、この仮説が正しければ、すべての世界で発生している問題は、今の俺でも解決可能なのだ。
昔、誰かに言われたことがある、
『どんな難問でも、子供が一人で解決してしまうこともある。問題なのは自分に何が出来るかではなくて、自分が何を求めるか………』
この言葉を聞いた時の俺には、さっぱり意味がわからなかったけど、今ならなんとなく解る気がする。そうだ、現実世界の難問に対して自分何が出来るかなんてさほど重要ではない。問題は、自分がそれに対して何がしたいか? そういう話なのだ。
話を戻そう、俺が最初に彼女に会った3週間前のことだ。
そう、3週間前――俺は《異世界》の中に誰かを探すために入ってきて彼女と出会ったらしい……ここでまた一つ妙な伏線が現れたが、今回は確認しようもないため、あえて無視することとする。
その3週間前の俺は、なんと彼女を連れていとも簡単に異世界から脱出に成功しただけでは飽き足らず、追手として現れたスナークハント達すら、未知の魔法によって華麗に撃退。
しかし、撃退するだけでは完全な解決に至らないと悟り、彼女を暫くこの家にかくまってっていた……ということらしい。(すごいな、俺)
暫くと言うのは2~3日くらいで、その間に、俺はまた異世界に分け入り、女の子を一人連れて帰ってきたそうだ。その女の子に関しては、すぐに保護者の方が迎えに来たこともあり、その詳細については彼女も知らなかった。ただ、妹のようなものだ、と言っていたらしい。
もとい、その時の俺は、当然のように異世界やスナークハントについて、その正体や撃退方法も知っており、その知識でオセを救おうとしたのだが、問題解決までには至らず、結果俺の留守を狙って現れたスナークハント達に、オセは連れ去られてしまった――というのがことのあらましだ。
ん? 何か変だ?
「その異世界って、魔王級の魔女でも簡単には抜け出せないんだよね」
「はい」
「俺が連れ出したときはともかく、今回はどうやって抜け出せたの?」
そう言うと、彼女は胸ポケットから4つ折りの小さな紙片を取り出して、
「こうなる事を予想して、あなたから地図をもらっていたのです」
――と、彼女は答えた。
……地図?
異世界の地図なんて、どうしてそんなものを持っているんだ? 俺だけが自由に出入りできるだけでも反則気味なのに、それはちょっとご都合主義的すぎなのではないだろうか?
「見せてくれる?」
「はい」
彼女は折ってあった紙を広げて俺に差し出す。大きさは文庫本くらいだろうか。
太枠に縮尺や方位などが書いてあるが、肝心な地図部分が《白紙》になっている。
枠外には英語で文字が書かれていて。
訳すと、左側、下から順に「天底」「北極」「西」「子午線」「熱帯」、
上部は左から順に「緯度」「北」「赤道」、
右側は上から順に「南極」「分点」「東」「天頂」「経度」と書かれている。
無茶苦茶だ。あらかじめ地図といわれなければ、きっと地図としてみることはできない。
しかし、俺はコレに見覚えがあった。
「……」
自分の中で符号が一致する感覚……
確かに、全部が全部、ご都合主義ではないらしい。
そしてそれは、この事件が魔法以外でも解決できることを示す希望の光にも見えた。
「そうか、そういうことなら今の俺にもいくつか思い当たることがある」
俺は立ち上がると、壁一面に並ぶ本棚から一冊の本を探し当てる。
本のタイトルは『スナーク狩り』この異世界魔法の元になった物語である。
もっと早くから、見ておきべきだったか。
たしか、白紙の海路図に導かれて海を渡り、たどり着いた奇妙な島で、スナークという不思議な生き物を捕まえようとする探索隊の話だ。
俺は無造作に本をめくる。そして、あるページで手を止める。
――やはり、この地図が入っていたと思われるページが破られている。
オセも後ろから、興味深そうにそれを覗いて、
「この地図、その本から切り取ったのものなんですね………あたしてっきり魔法だと」
なんて、感想をもらした。
無理もない、こんなもの地図として渡されたら、そう思っても不思議ではない。
「そう、これは魔法でもなんでもない、ただの紙切れだ」
そして、それはあの封印魔法に対して抜群の効果を示したのだ。
ならば、これはもう間違いではない。
「なるほど……」
なんとなくだけど、道筋が見えてきた。
だとすると、スナークハントの正体も解決法も大体見当がつく。
しかし……これを渡したということは、前の俺もそこまでは気づいていたはずだ。
それでも、オセは捕まり再度異世界に封印されることになった。
俺はどこで間違えたのだろう、このまま俺が普通に考えたのであれば失敗する。それも踏まえて探さないといけない。こうなっては居ても立ってもいられない。
「オセ! 俺がなんていったか正確に教えてくれ」
そういって、彼女の肩をつかむ。
「!?」
「あっ……はっ、はい」
突然のことにびっくりしたのか、顔を真っ赤にしながらしどろもどろに返事をする。
「どうしたの?」
「いえ……なんでもないです」
彼女は少しだけ戸惑っていたが、すぐに気を取り直して話を続けてくれた。
彼女が話す3週間前の俺は、まるで漫画に出てくるヒーローのようであった。
最上位の魔王さえ手を焼く怪物から、彼女を華麗に助け。名探偵のように異世界の謎を解いて、彼女に道を示す。
俺はその話を聞いて、少し心苦しい気持ちになる。
なぜなら、彼女が尊敬の念を込めて話す『一嵩さん』とは、もはや自分の事ではないからだ。
自分は、彼の功績を横から奪った簒奪者であり、彼の功績の上であぐらをかく無法者なのだ。
だからこそ不思議に思う。
彼は何故いなくなったのだろう?
なぜ自分が代理なのか?
……そう思っているうちに、彼女は俺との出会いと救出のエピソードを話し終え、肝心の謎解きの話に移行していた。
回想――
スナーク狩り撃退後。馬代アパート203号内の和室にて――
一嵩はオセをコタツに座らせると、コピー用紙とサインペンを手に説明を始める。
「まず、あの異世界や化け物は、ある物語を曲解した大掛かりな魔法だと予想される。これについては、認識共有という魔法の基本により、その魔法本体を見ることによって程度の理解はできる。だが、それだけだ。彼女の作り出したロジックの裏をかき、出し抜き、異世界から抜け出すためには、もっと深く、この魔法について考察しないといけない」
一嵩は用意してあった紙にサインペンを走らせる。
「この魔法を作った魔女は、都市伝説に出てくる超常現象や魔女、そして魔女の扱う魔法を、広義の意味でスナークと定義した上で、それらスナーク達をスナークハントによって捕縛、異世界に封印する、――という流れでシステムを構築している」
「あの……一嵩さん、スナークって??」
オセが恐る恐る聞く。
「スナークか……」
「スナークについては、原作においても、誰一人どんなものか理解していない、いや、最後にスナークを発見したベイカー(パン屋)だけは、祖父からその特徴を聞いていた、が、まあ、これに関しては、原作にも特徴があるので引用しておこう」
一嵩は本棚から、スナーク狩りの文庫本を取り出して。スナークの説明を始める。
「スナークの特徴は5つほどある。まず味について――大味でうつろ、ただしパリッとしている。たとえていうなら、胴回りのきついコートがそれにあたる。それから鬼火に似た香りがするらしい」
「えっと……、味の、説明ですよね」
彼女のもっともなツッコミはあえて無視して、一嵩は次の説明に入る。
「次に朝寝坊の癖だ、それらは夕方5時のお茶の時間に朝食を食べ、夕食をとるのは翌日である」
「えっと……」
彼女がツッコミたいのはわかるが、ノンセンス叙事詩に意味や常識などはじめから存在しない。気にせず一嵩は続ける。
「第三に冗談に対する反応の鈍さ、それらの前でどんな冗談をいっても、深い苦しげな溜息をつくだけだろう」
「…………」
もはや彼女は突っ込まない、これはそういうものと理解したのだろう。
「第四に海水浴用の更衣車に目がないこと、いつでもそれを引き回していて、それが海辺の景観に美しさを添えると信じているらしい」
「えっと、海水浴用の更衣車ですか?」
「うん、車輪のついた木製の個人用更衣室らしいよ、その中で着替えているうちに、馬が更衣室を浅瀬まで引っ張っていって、使用者は日よけのついたドアから外に出て海に入る、そういう物らしい。もっとも、床は湿り、海藻の匂いがして、いい思い出を持つ人は少ない代物らしいけど…………続けようか?」
「はい、お願いします!」
聞いたところで何の意味もなさそうな情報を彼女は真剣に聞いてくれている。
それだけで彼女の育ちのよさと純粋さがうかがえる。
「最後の特徴は野心だ、それらはとても野心家であるらしい。一口にスナークと言っても、羽があって噛み付くものと髭があって引っかくものがいる。これら《普通のスナークならまったく実害はない》が、スナークの中には《ブージャム》という危険な種類のものがいて、それに出会うことがあれば、その者はたちどこに消えうせてしまうと言われている………」
彼女は真剣に話を聞いてくれてはいたが、それでもこの説明には首をひねらざるを得ない。
まあ、この説明で解るほうがおかしいのだが。
「――というのが物語の中のスナークの特徴なんだけど……わかった?」
彼女は必死に考えたそぶりの後、頭を振り「……すみません、まったく」と答える。
「そうだね。 でも、解らないことも重要なんだ、だいたい、こんな説明でわかる人なんていないだろう」
「はい……すみません」
「謝らなくてもいいよ。最初に話した通り、原作のスナーク狩りたちでさえ、スナークがどの様なものか解らなかったと捉えるべきだし、それが正解でもある。つまり、スナークハント達がスナークを判別できない以上、広義でくくられた対象(都市伝説や魔女)も、必ずしもスナークハントの対象になるとは限らない……という事になり……それでは都市伝説の魔女も困るはずなんだ。正常に機能しない魔法なら使う意味がないからね」
オセは感心したように何度もうなずく。
「そこで、都市伝説の魔女は、ここでもう一つのトリックを使う。この物語では《三度の発語によって事物が実現する》という独特の構造を持っている。つまり、3度言った事は本当に起こってしまうということだ。魔女はその構造を利用して、対象を指さし『スナークはここだ』と3度唱えさせる事によって、無理やり魔女や妖怪を、スナークに仕立て上げることに成功している」
オセはひたすら感心しながら。
「魔法の論理構造なんて考えたこと無かったですけど――なるほどです」
「うん、そして、このトリックよって不思議な現象や生物、その他、有象無象は次々に封印されることになったと考えられるんだ。もちろん、再発防止の為に一度捕まえたものは、自動でつかまえるようにもしているはずだ、それともう一つ、スナークハントは封印の対象外と言うルールも当然設けているはずだね」
一嵩はそこで説明のために使ていたサインペンのキャップを閉じ、一息つく。
オセも忘れていた呼吸をするために新鮮な空気を肺に入れる。
「――そして、この魔法のもっとも厄介で秀逸な点は、物語上《普通のスナークならまったく実害はない》と定義されているところだろう。これによって、すべてのスナークと定義されたもの(魔女や恐怖の大王も含む)からの攻撃は、認識共有の性質上、すべて無効化してしまう事になる。なので、理論上スナークと判断された対象は、どのような手段を用いてもスナークハントに害を与えることは出来ず、地図を持たない者は異世界から逃れる事も出来ない。そういう話になる」
彼女の顔がだんだん険しくなる。
当然だ、『今から対処する相手は無敵です』と宣告されたようなものだからな。
「原作でもそうである通り、スナークハントたちは、命を奪うことより捕縛し持ち帰ることを重視する。味の説明がある以上楽観視は出来ないが、もし捕まってしまったら抵抗せずにおとなしくしているのがいい」
それを聞いてオセはたまらず反論する。
「でも、でも大きな斧を持った人もいるのですよ」
「そいつはブッチャー(屠畜業者)だ、肉を専門に扱うが、実は設定上ビーバーしか屠殺することはできない……たぶん危険はないと思う。――後は銀行員だったりパン屋だったり、物語に登場するスナークハントに、職業軍人や殺人鬼は混ざっていないんだ、だから心配しなくてもいい」
しかし、それでも彼女の目からは不安の色は消えなかった。ここに来るまでよほど怖い思いをしたに違いない。
「そうだな、異世界に戻ってもこの地図を使って帰ってくるといい」
彼女に、例の地図を手渡す、地図の部分に何も書かれていない白紙の地図だ。
「地図ですか?? コレが?? 真っ白ですよ??」
「ああ、それはどうやって使うかが問題じゃなくて、実は、地図があるか無いかが問題なんだ、だから地図の見方や、自分の位置についてはそれほど重要な事ではない。そして、コレが一番重要なことなんだけど、これは《正しい地図》であると言うこと、そのことだけは絶対に変わらない。だから君もこれだけは忘れないでね」
オセは不思議そうに、ただその地図を眺めていたけど、しばらくすると何か納得したようで、それをポケットの中に大事そうにしまいこんだ。
「うん。そして次が肝心の解決法なんだけど……」
オセは、『ゴクッ』と唾を呑む。
「魔女がスナークと同じものと定義されている以上、スナーク狩りから逃れる方法は、やはりスナークハント唯一の天敵、ブージャムになるしかないと思う」
「ブージャム……」
「それって一体」
一嵩はしばらく黙っていた、彼が何を思っていたかは想像できない。
ただ……
「解らない」とだけ告げたそうだ。
『ブージャム』
――ブージャムとは、スナーク狩り最後に登場するもっとも恐ろしいスナークの一種だ、
それと出会った者は、影も残さず消滅してしまうという。ゆえに一切の記録が無い。
一嵩が出した答え――都市伝説の魔法を解除せず、スナークと認定されたままで唯一逃げ延びる方法は、オセ自身が《スナーク》から《ブージャム》と再認定される事だったのだ。
一嵩はこの魔法の原作本『スナーク狩り』を手に取り、ヒントを探すようにページをめくるが、満足のいく解答は見つからなかった。
オセは何も言わずに、ただ緊張した面持ちでそれを見守っている。
「残念だけど、この短い叙事詩の中に、ブージャムに関する記述は一切ないんだ。どんな形なのか、どういうものなのか。作者のルイス・キャロルも、文章から挿絵等にいたる一切にブージャムを表現することを禁じているくらいだ。解っているのはブージャムに接触すると、人はたちどころに消滅してしまうことだけ……」
しばしの沈黙。
「しかし、まったくヒントがない訳でもない。先ほどの戦いからもわかるように、何故か俺と俺の魔法だけがスナークハント達の対象から外されている。たぶん、それは俺のもつ何かが偶然ブージャムの条件を満たしているからだと推測するのが妥当だ。――だから、その条件が解ったら、きっと、君にも俺の魔法で同じ条件を付与してあげることができるはず。それで、すべて解決、――と、いう訳さ」
一嵩はそう結論付けたという。
ここまでで、彼女の回想を区切って、一度、現在の俺に主観を戻そう。
3週間前の俺の言ったことは、気休めなのか、本当に可能なことかは俺にはわからない。
しかし、彼の解決法が、前の自分しか使えない未知の魔法である以上、俺は自分独自の解決法を探さなければいけない、ということになる。
前の俺が、その独自の解法を仮定してからの二日間、彼は数多くの書籍を読みあさり、ネットを巡回しながらブージャムについていろいろ調べていたらしいが、結論には至らなかった。
そして、3日目の朝、彼が自室での情報収集に限界を感じ、図書館で調べ物をしている間にオセは連れ去られてしまった。
そして、オセが帰ってこられたのは、実にその19日後、彼はその間もずっとブージャムの事について調べていたらしいが、結局、答えは解らずじまいだったらしい。
オセは彼にその後の経過を一通り話した後、彼に勧められてお風呂を借り、スナークハント達が追ってきていないかを調べるために自主的に偵察に出かけて――、今にいたる。
……以上が彼女の知る今回の件に関するすべての情報だ。
すでに、時計の針は10時を回っている、俺は情報を整理しつつカーテンの外された窓から慎重に外の様子を伺った。
スナークハントらしい怪物の姿はまだ見えない。
やはりおかしい、彼女がここに帰ってきてから、もう4時間は経過している、先ほどの話から考えても、一度捕まえた場所をスナークハントが探さない道理はないし、本来なら再接触していてもおかしくはないほどの時間が経過している。
『売家』の魔法が効いているのか?
いや、先ほどの話が正しければ彼らに魔法…いや、認識共有能力は一切通用しないはずだ。それどころか、居場所を知らせるマーカーにもなりかねない。
《一度捕獲した場所》
《目印にしかならない魔法の結界》
彼らがここを探るのに4時間以上掛けるはずはない。
彼らは近くにいる……確実に。
それなら、何故すぐオセを捕まえないのだろう。
何故、まだ様子をみる必要がある。
俺は窓から離れ、コタツ布団の取れた机に座り、また考え込む。
状況から考えても、俺達はすでに王手を掛けられている状態にあるのは間違いない。
何かの行動一つで、この家に押し寄せてくる……そんな不安感がぬぐえない。
そのとき、突然彼女が立ち上がった。
俺はとっさに彼女の方をむく。
「えっと……、ポットのお湯も沸いていることですし、お茶を入れようかと……」
どうも、俺の考えの邪魔をしないように気を使ってくれたみたいだ。
「ああ、ありがとう」
緊張が一瞬緩んだ。
彼女はリュックのほうに向かい、紅茶の缶を取り出すと台所で紅茶を作り始めた。
「オレンジペコってお茶なのですよ」
ティーサーバーが無いので、急須に茶葉をいれ、お湯を注ぐ。
お湯を入れ茶葉が開き始めるとすぐに紅茶のいい香りがあたりに広がる。
「名前がかわいいのでお気に入りなのです。でも、オレンジは入って無いそうなんですよねー、不思議ですよね♪」
緊張感のない会話をしながらコタツの上にカップを二つ並べる。
本当にそれだけの動作だったが強烈な違和感がある。 何だろう?
「お砂糖はいくつですか?わたしかわいい角砂糖持っているのですよ」
オセは小さなジャム用の瓶を取り出し。
「なんと、クマの形をしているのですよ、かわいいで……」
その言葉が終わらないうちに、俺は彼女の手を掴み行動を止めた。
なぜそうしたかは解らない。直感がそうしろと命じる。
これ以上、魔法に関わるものに接するのはまずいと。
「ごめん、理由はわからないけどこの紅茶は飲まないほうがいい」
彼女はちょっと涙目になっていた。
「えっと、毒なんかははいっていませんよぉ」
「気を悪くさせてしまったのなら謝る」
例の缶ジュースを例にしなくてもすぐにわかるだろう。
たぶんコレもそうなのだ、だとすると……
「それより少しだけ魔法の話をもう少し詳しく教えてほしい」
彼女は残念そうに紅茶のほうを見ている
緊張して、のどが渇いていたのかもしれない。確信もないのに悪いことをした。
「えっと、どんなことを教えればいいのですか?」
「そのポット」
「ポット??」
「コンセントにつないであるけど、日本以外ではコンセントの規格が違ったりするだろ、どうやって使うのかなって」
「あー、それはですね」
彼女が得意げに
「非認識、永続モードで召喚したからですよ」
非認識……今までの説明のおかげでなんとなく意味がわかる。
おそらく認識共有されていない、ただの物品を召喚したということだろう。
逆に、認識共有下にあるポットなら『ポットはお湯を沸かすもの』と言う認識のもと、コンセントがなくてもお湯を沸かせただろう。
簡単に言ったら魔力の通った物と、通ってないものの違いみたいなものか。
「非認識って言うのは、認識共有を使わない物を召喚することで、永続的にマナを使わないから、かなり楽なのです」
「ん? 魔法を永続させるにはマナって物を消費するのか?」
「えっと、精神力みたいなものです、ゲーム的に言ったらマジックポイントみたいな物かな、これが切れるとウイッチクラフトは消滅するか、認識を伴わない物体になります。逆に、マナを使わない非認識、永続モードなら、ずっと召喚しておくことも可能なのですよ」
こんなに小さいものでも維持コストが掛かるのか。
「それじゃあ、あの異世界を維持するためには膨大なマナが必要じゃないのか?」
「あー、それは多分、あれがオリジナルクラフトだからじゃないでしょうか?」
「オリジナルクラフト……本体のほうか。なるほど失念していた、確かにそれだったら精神力を使わずにすむ……」
そうだ、オセの魔法のオリジナルはバブル経済の日本から直接複製する、それと違って、都市伝説の魔法は時代を選ばない、オリジナルはリアルタイムで発生するのだ。
自然発生したオリジナルを自分で使う。それにマナなど使う訳もない。
「そういう意味からしても、彼女の魔法は魔女の能力の枠組を大きく外れています、神話時代の魔女でさえ5分維持するのがやっとの術式を、13年もの間維持することが出来る………まぁ、ほとんど裏技みたいなものですけど。それでも、あれはこの先も私達を縛り付ける」
「ふむむ、ではもう一つ、その杖があれば俺にも魔法が使えるのか?」
オセは不思議な顔をしている。
んっ 俺何か変なこといったか??
「一嵩さんなら、自分のマジックツールを使えばいいんじゃないですか?」
また、変なことをいう。前の俺ならいざ知らず、今の俺がそんなもの持っているはずがない。
「自分のって……そんなもの、どこにあるって言うんだ」
半ばあきれがちに答える。
それにしても、マジックスタッフ(魔法の杖)じゃなくてマジックツール(魔法の工具)って言うのか。いかにもって感じだな。
「一嵩さんの首にかけている……それがそうじゃないのですか??」
そういって、彼女は俺の首からかけてあるアクセサリーなのか、工具なのか解らないものを指差した。