1.前兆
1.前兆
都心から少しだけ離れた緑豊かな郊外、古びた神社の敷地内に我がボロアパートは存在する。大家は『宗教法人 馬代神社』神社自体が経営するという、ちょっと風変わりなアパートだ。
そこで、俺、東屋一嵩は一人で生活している。
このアパートは安い割には部屋数も多い。さらに建物が神社の敷地内にあるのでたまに生巫女さんの姿を拝むことができるという特典までついている。
生巫女さんとの近接遭遇。
それだけで何かとんでもないことが始まりそうだが、こともあろうにその巫女さん、超がつくほど可愛い。しかも、リアルJCとくるからたまらない。
遭遇率も比較的高く、何日かおきに、神主さんの代わりに早朝の境内の掃除をしていて、運が良ければ週に2度くらいは目にすることができる。
本当に心洗われる光景だ。
まぁ一つだけ難をあげるとすれば、その巫女さん、非常に態度が悪い。
いつも気怠そうにあくびをしては、俺と目が合うたびに舌打ちしては悪態をつく。
もちろん、俺には何も身に覚えのひとつも無く、いつか悪態の理由だけでも問い詰めてやろうと思いながらも一年が経過している。
まぁ しかあいどんな悪態をつかれても、朝一番に巫女さんを見られるのは目の保養になるから、それ以上文句はないのだが……
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン。
ベッドの上でそんな事を考えていたら、台所の古い柱時計が午前6時の時報を鳴らした。
6回、6時か。
何だろう……少しの違和感がある。
改めて目覚まし時計に視線を移すが、やはり午前6時である。
やはり変だ、先ほど鳴っていた目覚まし時計も5時55分に合わせてある。今は夏休みの最中で、こんな時間に目覚ましを掛ける意味がない。
俺は椅子に掛けてあるジーンズに手を伸ばしながら、今日の予定を思い出そうとするが、やはり、前日までの俺には何の予定も無い。仕方なく、鞄からスケジュール帳を取り出し今日の予定を確認するも、そこでも今日の部分は空白だった。
もう一度、時計を確認する。
6時か……そういえばこの時間帯なら巫女さんが境内の掃除をしているかも知れない、もちろんそれを見るためにわざわざ目覚まし時計を掛けるはずはないだろが……。
――一瞬、そんなどうでもいい事を考えたが、すぐに我に返った。
そうだ、今はそんな事をしている場合ではないのだ。俺は、机の上に置かれている《異変》に手を伸ばし、もう一度ため息をつく。
まったく、気が重くなる。
今のところコイツがどんな災厄をもたらすのかは未知数だ。取りあえずこれ自体は危険な物とも思えないので少しだけ警戒を解き、改めてじっくり眺めてみる事にした。
……まあ、どこにでもある日用品だ。
が、コレが存在しているという事は、すでに何かが起こっている可能性が高い。
掛けた覚えのない目覚まし時計の一件も、その関連で間違いないのだろう。
やはり、もう一度深く考えてみることにしよう。
今回の《異変》――部屋に突如として現れた違和感を持つ物を以後すべてこう呼称する。
もとい。
今回発見された一つ目の《異変》は、ごくありふれたシャープペンシルである。
ピンクで可愛らしいキ●ララのイラスト入りのファンシーなものだ。
もちろん、俺にその手の趣味はない。いや、思い当たらない訳でもないのだが……。また『いるはずもない妹』でも出現したのだろうか?
『いるはずもない妹』が突然現れる。こんなことを言い出せば、ただの妄想野郎と思うかもしれないが、そんなことは無い、これはれっきとした過去に起きた事実なのだ。
なので、この部分をいきなり否定されると話が進まない。
もちろん、俺には戸籍上の実妹も、義理の妹もいない。しかし、そのギャルゲーのような設定の妹は突然、俺の前に現れたのだ。
今まで見たこともない『妹』と言う存在が、俺の過去に無理やり差し込まれる。
その時の《改竄》の前兆は、確か、洗面台に並ぶ二本目(・を[二本目]の横につける)の歯ブラシだったような気がする。
そう、それもただの日用品だ。魔法のアイテムでも伝説の遺物でも何でもない。本当にただの生活用品。
それが、ただこの場所にあるという事がイビツなのである。
あの時の事件が今年の二月の話だから――もう半年もたつことになるのか。
そういえば、この部屋にあったはずのあの子の私物や痕跡は、今やどこにも見当たらない。俺が意図的に探さないという事もあるが、きっと探しても見つからないような、そんな気がするから不思議だ。
あの時挿し込まれた『妹』という存在は、きっと、世界の改竄が進むごとにあやふやな存在になりいずれは消えていくのだろう。過去に妹がいた可能性。ただそれだけなのかもしれない。俺の過去はいつだってあやふやなのだ。
そういえば、昔、誰か偉い人が、人の人格は過去の積み重ねで決定されると言っていたが、決まった過去を持たない俺という存在は、いったいどんな風になるというのだろうか?
きっと……
いや、もとい。話を本筋に戻そう。
今回の《異変》の前兆。ピンクで可愛らしいキ●ララのイラスト入りのキャラクターシャーペン。まずはここから今回の《異変》の全体像を探らなければいけない。
ペンの持ち主が、自分以外であると想定して、その人物の人物像、性格、想定される危険性など、出来るだけ細かく推理する必要がある。
しかし、まあ今回の《異変》の所有者は小学生くらいの女の子で間違いないだろう。そして、直接的な危険もないと判断していいだろう。
そう、こんな透明でラメの入ったピンク色の、しかもキャラクター物のシャーペンなんて、あの中学生巫女さんでも使いそうにない。
となると……早くも手詰まりだ。
それに改竄の物証がこれだけと言うのは、何とも心許ない。改竄の全容を把握するためにもっと情報を集めるべきだろう。俺は、とりあえずそのシャーペンを胸ポケットにしまって、他に何か《異変》が無いか、もう一度辺りを詳しく見回すことにした。
が、どうやらこの部屋には目覚まし時計とシャーペン以外の目立った《異変》は存在しないようだった。
俺は、しかたなく次なるヒントを求めて寝室を出ることにした。
寝室を出ると、そこには6畳相当のダイニングキッチンがあるが、俺はここをあまり使っていない。なぜなら、食事をとる時はコタツのある寝室でとる事がほとんどだし、来客時には落ち着ける和室を選ぶことが多い。なので、この部屋にある一般家庭用のテーブルと椅子はただの飾りであり機能していない。
そもそも俺の生活は、そのほとんどを寝室に集約させていて、そこにいればすべてが事足りるようになっている。まあ、男の一人暮らしなんか簡易キッチンと一部屋さえあれば事足りるという訳だ。
で、そのダイニングにある物だが、まず料理に関係あるものと古びた各種台所用白物家電、キッチンカウンター、そして、ダイニングテーブルくらいである。
一通り見回してみるが、特に変わった所はない。
まぁ、ここの品物……キッチンカウンターや、シンク、吊戸棚の中に格納された食器や鍋、その他調味料が多少増減しても、俺はまず気づかないだろう。
何にしても、たいして影響がないものばかりなので、当然チェックも甘くなる。
ダイニングはこのくらいだろうか?
俺は捜査の手を次の部屋に移す事にした。
ここダイニングからは、風呂、トイレ、寝室、和室、玄関とどこにでも行くことが出来る。風呂とトイレはチェックする場所も少なく重要度も低いので後回し、比較的チェック項目の多い和室に向かうことにする。
和室――約4畳半ほどの畳の部屋である。ここは主に書庫と客室の用途で使っている。
ここには、ローテーブルと壁一面に並んだ大きな本棚(中身は漫画と小説が4:5くらい、残り1は辞書と教科書)、表向きは客室として使用しているが、俺の友人ならまずここは使わない。連中は、鍵さえ開いていれば俺のいない時でも勝手に寝室に入ってくるのだ。あー、まあそれは置いておくとしよう。
和室も一通り見渡してみた感じ、ここでも《異変》らしきものは見当たらなかった。
うーん、細かく探している訳ではないのだが、今回は特にヒントが少ない。
ひとまず俺はダイニングに戻り、風呂場のほうに移動しようとする――が、ふと冷蔵庫の中を確認していなかったことに気づく。
意外に、毎日頻繁に使うそこには高確率で《異変》が入っているものだ。
俺はすぐに冷蔵庫の扉を開け中を確認してみるが、やはり、前日と何ら変わりがなかった。
カボチャやナス・モヤシ・牛乳などが入っているだけ。特に変わったところはない。しかし、よくよく隅々まで中を見渡してみると、ひときわ異彩を放つ異様なものが入っていることに気付いた。そう、まさに《異変》と呼ぶにふさわしいものが入っていたのだ。
《異変》と呼ぶにふさわしいもの……それは缶ジュース? だった。
疑問形で書いたのは、今一つ確証が持てないからだ。
クリーム色の砂漠迷彩柄の缶で『戦う飲料、砂漠の嵐』と書かれてある。
もちろん製造元は迷彩が大好きな、あのメーカー。
いや、そもそも果汁100%の飲料以外は、食品表示基準法上『ジュース』を名乗ってはいけないはずだ。この外装からいっても、多分コレはジュースではない。
それは確実なはずだ。
麺つゆという線も考えられるが、《戦う飲料》に《炭酸飲料》と書いてあるので、かろうじて飲み物に分類されてしかるべき物だろう。
底を見ると8ケタの数字の羅列、19910408、数字から察するに、製造日か賞味期限だろう。しかし、1991年だと……じゅ……いや20数年前の飲み物か?
誰がこんな悪質なブービートラップを……
いや、それを推理するのが目的だ。
少し整理してみよう――かけた覚えのない目覚まし時計、キャラクター物のシャーペン、前世紀の怪しげな飲み物……ダメだ、まったく見当もつかない。
ここから連想できる人物像といえば『ファンシーグッズを集め、謎の飲料を愛すマニア(キモい男)』か『時をかける小学生(女)』に絞られる。
前者はマジキモいので却下するとして、後者であってほしいと切実に願いつつ……そういえば、このキャラクターが流行った時代も微妙に古いと思い当たった。
時をかける小学生が、ウチに遊びに来ている?
その仮説が確かで、この飲み物が本当に過去から来たものであれば、普通に飲む事も出来るのではないか? むしろ、それによってキモいオタクか過去から来た小学生かを判断できるかもしれない。
「…………」
いやいやいや。
正気か俺、四半世紀前の飲み物だぞ、腹を壊す程度で済めばいいが、下手すると命に関わるかもしれないじゃないか。しかも、この砂漠の嵐と書いてある飲み物……まったく味の想像ができない。元の味が不明なので飲んでみても、変質しているかどうかさえ判別不明。
もし、世界一臭い缶詰、発酵が進んだシュールストレミングのように、パンパンに膨らんでいたのなら迷いなく捨てることもできよう。しかし、この缶の保存状態は完璧。20数年を経た今でも、自販機から出てすぐのような鈍い光をたたえている。
そこが妙に腹立たしい。
飲むことも、捨てることもままならないなんて……
バタンッ
「いや……まあ、なんだ。見なかったことにしよう」
俺は押し込むように冷蔵庫の奥にその缶を押し込むと、静かに冷蔵庫の扉を閉めた。