マシロの場合.2
「じゃ、これから仕事だからさ」
建物の入り口で、そう言って軽くキスをする。
「えー、もう行っちゃうの?」
駄々っ子のような声。
「仕方ないでしょ。それよりも雪、降ってきたよ。帰った方がいいんじゃない?」
天気予報は珍しく大当たり。
この季節に雪が降るなんて、何年ぶりだろう。
「送ってく?」
そう言って、キーをくるくると回している。
いくつになっても、こういうのはやめないんだろうな。
子供っぽい。
「いいって。駅抜けた方が早いし。車だと、遠回りだからね」
「んー。わかった。じゃ、またね」
「うん、じゃね」
もう一度、軽くキスを交わし。
手をひらひらと振りながら、そこで二人は別れた。
今日は、まぁまぁ。
お互いに、どこのだれか、なんて、知らない方がいいこともあるよね。
何年ぶりかな、こんなトコ来たの。
「ひっさしぶりに目いっぱい声出したなぁ」
歩きながら、大きく伸びをする。
最初にこの辺に来た時には道だって狭かったのに。
再開発で道も全部大きくなって。
「さっきのところだって、昔はゲームセンターだったのに」
まるで、置いてかれたような気分になってしまう。
「映画館だってできたんだよね。今度、来てみようかな」
レイを誘ったら、一緒に来てくれるかな。
そんなことを考えると、自然とフフッと顔が笑って。
自然と階段を登る足がスキップ。
うっすらと湿ったステップでスリップ。
「おっと。あぶないあぶない」
こんな所で転んじゃ、良い笑いものになっちゃう。
「気を付けなきゃ」
そんな事を言いながら階段を登り切ると、一人、目に入った。
「んー、あの子」
いつも、アキラと一緒にいる子だ。
「今日は、アキラと一緒じゃないんだな」
なんだ、つまんない。
「でも、なんか、変」
今日はうつむいてるし、ズボンも汚れてるし。
「ねぇ、あなた?」
声をかけても、全然反応しない。
「ねぇ、あなた、大丈夫?」
さっきより、声を大きめに。
「はい、えっ?」
とても驚いた顔をして。
やっぱり、泣いてる。
「なんか、凄い落ち込んだ顔して、服、汚れているから。どうした、何かあった?」
もしかして、何かイタズラされたとか、心配になったけど。
「いえ、何でも、えと、大丈夫です」
手を、パタパタとする様子から、そうじゃないと知って、少しホッとした。
「これから電車でしょ?せめて、服の汚れくらいは取ってから帰りなよ。店、このすぐ先だから、ついてきて」
パタパタとしている手をぎゅっと握って。
あ、一方的に知っていても、この子は知らないんだな。
でも別に、誘拐してるわけじゃないし。
アキラに意地悪、してるわけじゃないんだからね。
☆
「無事に迎えが着て、良かったね」
マスターが、ドアの向こうを見ながら言う。
「そうですね。帰るときには、もう落ち着いたみたいだし。よかった」
そう言いながら、ドアの向こうを見る目は、少し複雑。
「なんで、レイがあの子迎えに来たんだろ」
なんか、モヤモヤ。
「あの迎えに来た人、たまにここ来るよな。マシロとよく話してさ。マシロのこれか?」
マスターが、そう言って指を立てる。
「違いますよ。そりゃ、話はしますけど」
そりゃ、プライベートでもそれなりな関係ですけど。
「の割には、複雑そうな表情してるよ」
そりゃ、どうも。
「そうですかね」
正直者のマシロさんなのかな。
「あ、そうそう」
思い出したように、マスター。
「はい、何でしょう?」
「さっきのコーヒー代、払ってね?」
うん、この人、しっかり見てる。
☆
雪が本降りになったので、今日は早めに店を閉めよう。
そんな事を、マスターが言い出して。
いつもよりも2時間も早く、店を出ることができた。
「気をつけて帰ってね」
そんな事を言いながら、雪の中颯爽と自転車で帰っていくマスター。
「マスターの方が、気をつけてほしいなぁ」
ま、明日も普通に営業するっていうことなんだろうし。
「今日は、早く帰れてラッキーって、思うべきかな」
自販機で缶コーヒーを買って、駅まで歩く。
歩道は白く雪が積もっていて。
「明日、凍るのかなぁ。やだなぁ」
道路はまだ積もってないので、きっとマスターはそっちを走っていったのだろう。
足跡がまばらについた階段。
駅前のロータリー上の広場も、この時間では人はまばらで。
駅のホームからは、発車のベルが聞こえてきた。
「あー、間に合わなかったか」
残念。
「次の電車までは、あと30分。どこで時間潰そう」
この時間じゃ、開いてる本屋もないし、駅ビルももう閉まっちゃってるし。
「ホームで待つしかない?やだなぁ、寒いの」
とはいえ、他に待つ場所もないし。
ホームのベンチにでも座って、待ってれば、電車来るかな。
改札を抜けて。
階段を下りて。
ベンチに座って。
「さて、どうやって時間潰そうかな」
そうだ。
「レイに、今日のこと聞いてみよう」
違うな。
問い詰めてみよう、だな。
「電話、出るかな」
画面で名前を呼びだし、発話ボタンを押して。
プルル、プルル、プルル……
「おっかしいなぁ、電話でないなぁ」
プルル、プルル、プルル……ガチャ。
「あ、もしもし」
『只今、電話に出ることができません。ピー、という発信音の後に……』
「もしもしレイさん、電話口で、そういう冗談やめてもらっていいですか」
『え、何だ、ばれた?はいはい、何でしょうマシロん』
うわぁ、この人、絶対にダメな人だ。
「今日、うちの店に来たじゃない?あの、連れていった子」
『あぁ、ありがとね。助かったよ。聞いたら、空き缶蹴っ飛ばして中身を被ったんだってさ。何やってんだって言ってやったよ』
電話の向こうで、うんうんうなずいている姿が目に浮かぶ。
「そうじゃなくて。どういう関係?」
『ん?どういう関係って?』
だから。
「だから、何で、あの子を、レイが、迎えに来たの?って聞いてるの」
『あぁ、その事ね。実はね』
「実は?」
『内緒』
……なんか、ダメな人だ。
「電話、切っていい?もう、連絡も取れなくしていい?」
『やだなぁ、そんな怒らないでよマシロん』
「怒らせてるのはそっちでしょ?何、内緒って。内緒の相手ってこと?バレなきゃいいってこと」
『誰にバレるのさ。そんなこと言うなら、マシロんとの関係だって、バレちゃまずい関係なんじゃない?』
「何、そのバレちゃまずい関係って。何か、やましい事あるんでしょ、絶対、あるんでしょ」
『ないよ無いよ。今、一緒に住んでる子だってこと。前に話したじゃない?二人で住んでるって』
えー、そんなこと聞いたかなぁ。
「それって、オフィシャルな関係?何か、口にできない関係にしか思えない。年齢的にも」
『年齢的にも、はひどいなぁ。保護者だよ、保護者』
保護者、ねぇ。
「保護者って言うには、最近随分と若作りだよね。頑張って併せてるんだ。ふーん」
なんか、腹立ってきた。
「どうぞどうぞご自由に。好きにやったらいいじゃない。そう、好きにやったらいいじゃない、昼も、夜も。四六時中、同じ家にいるんでしょ?好きにやったらいいじゃないのさ」
『何訳の分からないこと言ってるんだよ。保護者は手、出さないよ。手を出すのは、マシロんだけさ』
「は?何言って」
『だから、手を出すのはマシロんだけだよ?って、言ってるんだよ』
はぁ。
「よくもまぁ、そんな恥ずかしいことが言えるね。どんな顔して言っているのか、見てみたい」
『んー、わかった。今度会った時に、見つめながら言ってあげる』
あぁ、顔が熱くなる。
『ピンポン、ピンポン』
『電車が来るね?じゃぁ、また今度だね。大好きだよ、マシロ』
「わかったわかった。もういいよ、それじゃぁ、また、今度ね」
『ん。じゃ、またね』
そう言って、電話が切れた。
なんか、何も話聞けずじまいだったな。
「保護者、ね」
どんな保護か、ほんと、聞いてみたい。
「ばーか」
携帯に向かって、舌を出す。
何遍、目の前でやってやろうと思ったかわからない。
『間もなく、5番線に、列車が到着します。黄色い線の内側まで……』
線路の先の方から、ヘッドライトが近づいてくる。
白い雪を巻き上げながら進んでくるそれに、思いっきり、舌を出してやった。
 




