Tea break.ビニール傘
昼過ぎに降り出した雨は、授業が終わる頃には本降りになって。
☆
「あー、こんな降るなんて思ってなかった、傘もってきてねーよ」
アキラが昇降口の軒先から、空を見上げそう叫ぶ。
靴を履き終えて、丁度脇についた時。
これは、チャンス?
「アキラアキラ、傘あるよ?駅まで入れてってあげるよ。ビニールだけど」
そう言って、上着をくいくいっと引っ張ってみる。
「んー、それって、相合傘ってこと?」
んー。
「そういうことかな」
言いながら、ハッとして周囲を見渡す。
失敗した。
こんな、知り合いの多い所でこの発言。
言葉にならない『いいなぁ』とか『またかよ』という言葉が、そこかしこから聞こえてきそう。
「俺は構わないけど、お前は気にならないの?だったらお言葉に甘えて」
なのに、当の本人様は、至って気にせず。
ハァ。
「じゃ、いこか」
そして、おもむろに手から傘を奪われ。
「駅まで、だろ?持ってくよ」
主導権は、完全に向こう側。
☆
「これから電車で、向こうに向かえ来てるから」
そう言って、ビニール傘を持たされた。
「こんな、可愛いストラップついてるの持ってけってか」
グリップのあたりに、可愛い猫のストラップ。
「うん、可愛いかなって思ったんだけど、そんなでもなかったから」
そう言いながら、ここのところでは一番の笑顔でいるのが何とも気味が悪い。
「そんな理由?」
眉間にしわを寄せながら、それでもこれからバイトなのでありがたい所。
「返さなくていいよ。駅の出口に刺してくつもりだったから」
そういうと、電車の到着アナウンスをきいて、慌てて改札を抜けていく。
今日は、階段で振り返るのも忘れて。
「なんだかなぁ。ま、いいか」
ありがたく傘を差して、いつものバイト先へ。
「しっかし。こんなビニール傘じゃ、どこからでも丸見えだな」
そんな意味のない感想。
入り口の傘立てに傘を入れて。
「ういーっす」
いつものように店の中へ。
「ういーっすじゃなくて、おはようございますとか、言って入ってこれないのか?」
マスターは今日も暇そうだ。
「マシロさんは?」
店内を見回すと、今日は姿がない。
「アキラと入れ替えだから、もう帰るところだぞ」
その会話が終わるかどうかのところで、事務所の入り口からマシロさんが姿を現す。
「おはよ、アキラ。雨なんだよね、傘持ってきてなくてさ」
そう言って、走る準備をしながら出ていこうとする。
「マシロさん、その傘使っていいっすよ。帰りはバス停近いし。俺、いらないですから」
そう言って、ビニール傘を指さす。
「お、ほんと?助かる。でも、何でアキラ、こんな可愛いの。趣味?」
マシロさんのからかいの視線。
「そんなんじゃないですよ」
☆
店を出てから、階段を登って高台にある図書館へ。
「助かったけど、もらっちゃってよかったのかな」
グリップのところに可愛い猫のストラップなんかつけちゃって。
「これって、アキラがもらったものだよね、間違いなく。そういうとこ、ほんと無頓着なんだから」
そこがモテないところなのか、それとも良い所なのか。
「本人が無自覚なのが、一番、ね」
もらいものは、大切にしなきゃね。
「にしても、どんな子からもらったんだろ」
そこが一番気になるところ。今度、根掘り葉掘り聞いてみよう。
ピーピーピー。
「あ、やばっ」
携帯をマナーにすることをすっかり忘れて、静かな館内に響き渡る音と冷たい視線。
「あぁ、もう、タイミング悪いんだから」
急いで表へ出て、電話をかけなおす。
「もしもし?もう着いたの?」
電話の相手はいつもの相手。
『今、駐車場に入ったところ。そこから見えるかな』
軽くパッシングするのが確認できたので、その車へ。
「レイ、ごめんごめん、わざわざ迎えに来てもらって」
ビニール傘を畳み、助手席に滑り込みながら。
「いいえ、もう帰るところだったし。しかし、図書館とは珍しい」
たまに伊達メガネをかけているのが、本人はカッコいいと思っているらしいのが笑えてくる。
「今日は、何かあったの?おめかしして」
なんて、ついつい意地悪を言ってみたくなって。
「気分だよ、気分。これで敷地を歩いていたら誰も気が付かないからね。面白くって」
何それ、変装気分。
☆
「じゃ、ありがとね」
そう言って、車のドアから消えていく。
「んじゃ」
ピッ、と、クラクションを鳴らして、車を出す。
後ろの小さい窓から、すぐにその姿が見えなくなる。
「今日は、送っていくだけか。何にもないのも、つまらないな」
カーオーディオから流れるラジオは、この雨は明け方には止むだろうと。
「今晩一杯は、雨ふりか」
動くワイパーの往復運動と、走る車の上でイヤイヤする水滴を交互に目で追いかけて。
「今日の晩飯は、何かな」
たまには、早く帰るんだからケーキでも買って帰るか。
「何の気の迷い、なんて、言われなきゃいいな」
言いそうだから、困ったものだ。
「おいしそうに食べてるのを見るのが、好きなんだ、なんて言ったら、ドン引きだな」
それでも、この時間だったらあのケーキ屋が開いてるな、と思い、駐車場へ車を入れる。
「何が好きだっ気かな、レアチーズだっ気かな。お?」
ふと助手席を見ると、足元には置きっぱなし、猫のストラップが付いたビニール傘。
「忘れ物か。ま、ビニール傘くらい、いいか。どの子のか、わからないし」
確率的にはマシロんのだろうけど、違っていたら何を言われるかわかったものじゃない。
「うちの玄関に刺しておけば、きっと使うだろう」
大して意識もせず。
買い物を済ませた車は家へと向かう。
「ただいま」
玄関のドアを開けると、独特の香り。
「今日はカレーか。何となくそんな気がした」
靴を脱いでいると、パタパタとスリッパの音。
『お帰りー、着替えたら晩御飯だよ?あ、おみやげ?何、ケーキ?やった」
スキップでリビングに消えていくその姿を、可愛いといったら誰か怒るのかい?
☆
靴を履いていると、ふと目に入ったビニール傘。
「あれ、これは?」
猫のストラップが付いた、ビニール傘。
「なんでここにいるんだろ?ま、いいか」
玄関を開けると、昨日の雨がうそのようによく晴れた空。
「行ってきまーす」
また、相合傘用に取っておこう。
ありがとうございました。




