アキラの場合.1
「大丈夫だから、すぐに落ち着くから」
手を出して、近寄らないで、か、ギブアップ。
「……今日は、ごめん、帰る」
いつの間にかついていた、駅の改札前。
日中は元気だったのに、そんな声されちゃな。
「ん、そか」
どっか、調子悪いのかな。
「うん、ごめん。また明日」
何だよ、何で謝るんだよ。
「明日は、土曜だよ」
大体、今日は一日ずっと変だったんだ。
昼飯は作ってこないし、こっちはじろじろ見るし。
なのに、何か変に気を使ってる気がして。
チョコとか買ってくるし。
寝不足とかしなさそうなのに。
何か、イラッとして。
「えっ、痛っ」
デコピンをお見舞いしてしまった。
「何かわからないけど、元気出せよ」
だめだ。
頭をくしゃくしゃっとして。
「気をつけて帰れよ」
どうも、今日はこいつを真正面から見られない。
「うん、ごめんね。ありがとう」
何か、ホッとした顔をされた。
違うんだよ、言いたいことは。
「じゃな」
またな。
「うん」
そう言って、改札の前で送り出す。
改札を通った後。
何度か振り返りながら、階段を下りていくのを見届けて。
なんか。
なんだろうな。
もやもやする気持ちだけが、目の前に残された気がして。
「なんだかな。なんだったんだろうな」
また、頭をくしゃくしゃ。
「あー」
本屋、行きそびれたな。
「バスまでは時間あるし。どっかで潰すか」
☆
北口を出て少し。
店の前には豆の袋が積まれていたり、樽が置いてあったり。
道路を挟んだところにはメジャーなカフェがオープンしたというのに、ここの雰囲気は通い始めた時と変わらない。
チリンチリンと、ドアベルが鳴る。
「ういーっす」
音量低めでジャズの流れる店内。
奥に細長い店内は、少し照明が落とされていて、今日も良い雰囲気。
夜のバイトは入った事ないけど、昼間はカフェ、夜はバーをやっているって聞いてる。
「いらっしゃいませ。お、アキラ。今日はシフト入ってないぞ」
カウンターの向こうで、注文のコーヒを淹れながらマスターが言う。
「や、今日は普通にお客さんで来店っつーことで」
しっかし。
今日も、誰もいないな。
ぐるっと見回し、目的の顔がいなくて少し、残念。
「冷やかしするんなら帰れよ、暇じゃないんだからうちは」
そう言うとマスターはカップを取り出す。
「ひどいなマスター、ちゃんと注文しますって」
いつもの席にカバンを置いてマスターのところへ。
「今日は、ロイヤルミルクティーで」
その言葉に、マスターはムスッとした表情を隠しもしない。
「あのなぁアキラ。いっつも言ってるが、うちはコーヒー屋だぞ?いい加減、コーヒーの味が分かるような男になれよ」
「そんなこと言ったって、苦いの苦手なんだよ。じゃぁ、アメリカンで……」
「なんだ、男ならエスプレッソだぞ、エスプレッソ」
「そのコダワリ、わからないです」
「うちの豆はなぁ、俺のオリジナルブレンドで……」
ここのマスター、良い人なんだ。
動機が不純な俺でも、バイトで雇ってくれて。
「なのになぁ、話始めると長いんだなぁ」
げんなりしているのをよそに、まだ語ってる。
「わかったかアキラ」
「わかんないですマスター。なんでもいいから、下さい」
「はいよ、450円な」
話をしながら、すでに出来上がっているカップをトレイに乗せてレジの前へと持ってくるマスター。
お金を渡し、砂糖とミルクをセルフでとって。
「結局、選択の余地なくエスプレッソじゃないか」
トレイの上には、やや小さめのカップに黒々とした液体。
苦いの、苦手なんだって。
「はぁ。そういえば、マシロさんは?」
「あぁ?今日はまだ来てないな」
なんだ、まだ来てないんだ。
「何時くらいにきますかね」
「今日は遅番だから、もう来るはずだけどな」
「そか。そっすね」
「ま、金払ったんだ、のんびりしていけ。お替わりは勝手にしな」
そう言うと、別の注文が入ったのか、軽食を作り出す。
いや、それお替わりしたら赤字だし。
てか、今日は部外者だし、入れないし。
そもそもエスプレッソなんか飲まないし。
ため息とともに席に戻って、ノートを取り出す。
書きかけのページを出して。
出しただけで、後はシャーペンをカチカチ、カチカチ。
プロットの続きを書こうって思ったのもあるけど、どうも、気乗りしない。
今日、ここに時間つぶしに来た本命は、別。
入り口をチラチラ見ても、入ってくるのは普通のお客さんばかり。
こんな時に限って、待ち人は来ない。
「そうそう、タイミングよくはいかないか」
チリンチリン。
何度目かの、ベルの音。
「おはようございます、遅くなりました」
息せき切らしてドアを開けたのは。
「お、まだ遅刻じゃないよマシロちゃん」
「ちゃん付けはやめてくださいよ、もういい歳なんですから」
笑いながら。
バイトの先輩の、マシロさん。
「マシロさん、こんにちは」
「お、どしたのアキラ。さぼり?学校行った?」
気さくに声をかけてくれるマシロさん。
良く気が付くし、困った時にも相談に乗ってくれて、いろんなことを教えてくれる。
「さぼりじゃないですよ、たまには、学校帰りの優雅なヒトトキってやつですよ」
「学生風情が何言ってんだか。余裕だねぇアキラは。羨ましいよ」
そう言うと頭をぐしぐしとされる。
20代は前半だと勝手に思っているマシロさんは、今日もいつも通りニコニコ顔だ。
ふさぎこんでいる顔とか、見たことがない。
最近どうも、マシロさんの顔を見ないと、すっきりしない。
「それ何?受験勉強?」
事務所に入る前。広げっ放しのノートを見て、マシロさんが言う。
「え?いや、学校の部誌に載せるやつなんですけど」
そう言って、ノートを見せる。
「ふぅん。こないだ言ってたやつね。今度部誌、持ってきてよ。ちゃんと買うからさ。アキラがどんなの書いているのか知りたいし」
マシロさんはそう言うと、手をひらひらさせながら事務所へ入っていった。
「はぁ」
「なんだよアキラ、今日は随分とマシロちゃんにご執心だな」
いつの間にか後ろに来ていたマスターが、ぼそっと喋る。
「うわっ。茶化さないでよマスター、そんなんじゃないよ」
とは言ったものの、マシロさんを待っていたのも事実だし。
「あ、そうだ、バスの時間が」
そう言ってごまかし、テーブルの上に残っていたカップをくいっと。
「うっ……苦い……」
しまった。今日は、エスプレッソなんて淹れてもらったんだ。
「まずたー、水……」
そう言って振り返ると、そこにマスターの姿はなく。
「はい、アキラ」
そう言って水を出してくれたのは、スピード着替え新記録のマシロさんだった。
「っ、は。ありがとうございます」
受け取った水を一気に流し込み、口の中に残った苦みを洗い流す。
「アキラ、苦いのカッコつけて飲むなんて、まだまだお子様だね」
そう言って、ケタケタと笑うマシロさん。
「俺、そんなにかっこ悪いかな」
そんなに、笑われることかな。
「ん?何?」
クリッとした目で、俺を見つめる。
そんな目で見られると、俺。
「マシロさん、俺、そんなにかっこ悪いですか、だって、俺、マシロさんのこと」
思わず、身を乗り出して。
「マシロちゃん、オーダー、いい?」
良い所で、マスターの声。
「あ、はーい。じゃ、アキラ、気をつけてね」
そう言うと、パタパタと去っていってしまった。
あぁ、俺って、何って格好悪いんだ。
こんなんじゃ、なかなか、話の中みたいに綺麗にいかないじゃないか。
「あ、アキラ、言い忘れてた」
ドアを出ようとした俺に。
「ほら、アキラといつも一緒にいる子。今日、電車に乗るときに泣いてたよ?何かしたの?」
は?
「泣いてたって、どういうことっすか?」
「んー、何か、そう見えただけかも。なんでもない。気をつけてね」
そう言って、また手をひらひら。
帰り道に、ひどく大きな爆弾を持たされた感じだ。
ありがとうございました。




