珈琲の部屋
「人間は、実に愚かだ」
珈琲の香りが充満する部屋の中、皺の入った大きな手がカップを持ち上げた。
僕はその一連の動作を感づかれないように、そっと横目で見ていたのだが、彼はその微かな視線にも気付き、僕に微笑む。
わかっているなら、わざわざこっちを見ないでくれよ。
「愚かで救いようがない。わたしはね、一度も愚かでない人間を見たことがないのだよ」
カップを受け皿に置き、鼻にかけた眼鏡を人差し指でかけ直す。
ほとんど白髪に変わってしまった彼の毛髪が夕日に照らされて、少しだけだが赤く見える。見えるが、そんなに見ていると、またこちらにそのすべてを見通したかのような微笑みを向けられるかもしれない。早急に視線をずらし、彼の口が再び開かれるのを大人しく待った。
「かくいうわたしも、もちろん君も。人間である以上愚かであることに変わりはない。愚かさはいわば、人間の専売特許のようなものだからね」
どんな専売特許だよ。というかそんな専売特許なんて嫌だね。
そう思ったのが見透かされたのか、彼は微笑みながらゆったりと、そばにあった木製の椅子に腰かけると、一息つきながら背もたれに体を預ける。
「例えば、人は戦争をする。しかし外を見ろ、周りを見ろ。他の動物はあるがままに生きている。なにが言いたいのか分かるかね?」
「いいえ、まったくわかりません」
即答だ。
わからないものはわからない。それはそうしようもないことで、諦めることが一番だ。ほら、諦めが肝心なんて、素晴らしき先達のお言葉もあるくらいなのだから。
「考えなしだな、君は。もう少脳みそを使うといい」
人差し指で自身の頭を小突く彼を見てイラッとしたが、なんとかこらえて右の拳を左手で抑え込む。
「――――人間は彼らと同じ動物だというのに、馬鹿馬鹿しくも殺しあう」
「いやでも、動物だって殺しあってますよ」
「違うだろう。彼らは同族で殺しあうことはそうないだろう。それに、彼らは無益な殺しは行わない。いずれも生きるためであり、理に適ったものだ」
正直違いが分からないのだが。
彼はもう一度カップを手に取り、珈琲の香りを巻きながらそれを口に含み、飲み下す。
「とまあ、これは下らない独り言に近しいものだ。どうだ、君がいつも話が長いと言うから短くしたぞ」
どうもこうもない。
短いというか、断片的すぎて起承転結できねえよ。起と結しかねえよ。
とはいえ、この男の気まぐれは今に始まったことではない。
結局、日没まであと2、3は話に付き合わされるだろう。
そういうことなら、できれば珈琲をお代わりしたいところだ。